第二十八話『猫宮鈴音の迷い家』
ガタンゴトンと揺れる車内。微細な振動と瞼に掛かる明るい光で目が覚める。いつの間にか眠っていたらしい。座席に座ったまま凝り固まった肩と背中を伸ばす。小さな動作だが何処か猫の伸びを思い出させる。筋肉の緊張を少しだけ解し、小さく息をつく。
視線だけで周囲を見渡すと何人か乗客の姿が見えた。スーツ姿のサラリーマンの様な人やラフな格好をした青年、うたた寝をしている老人など、電車の中では良く見る人達。特に気にせず、そのまま目的地に着くまでじっとしていた。
「すみません。次はどちらに着くのでしょうか?」
隣から声が掛かる。声の方へと顔を向けると黒い眼鏡を掛けた老婦人が申し訳なさそうにこちらを見ていた‥‥‥少し違う。こちらを向いていた。
老婦人の黒い眼鏡は日差しを遮るものでは無く、その下の瞳を隠すものであることに気が付いた。
手に握られている白い杖はその根拠であろう。
アナウンスはある筈だが、耳も遠いのであれば聞き逃す事も考えられる。
「次は ですよ」
困っている人は時と場合を良く考えた上で助ける。その教えに従い、老婦人の求めに応えることにした。
「ありがとうございます。そこで降りる予定でしたので助かりました」
「‥‥‥余計なお世話かもしれませんが、駅を出るまで案内致しましょうか?私も降りる駅なのでよければご一緒に」
「‥‥‥初対面の方にお願いするのも非常に心苦しいのですが‥‥‥お願いしても宜しいでしょか?‥‥‥最近、足を痛めてしまいまして、私の様な年寄りがうろうろすることも迷惑でしょうし‥‥‥」
「それは大変でしたね‥‥‥それではお任せ下さい。こういった事には少し慣れているのでご安心を」
「ありがとうございます。出口まで案内して頂ければ後はタクシーでも捕まえて帰る事は出来ますから」
「分かりました‥‥‥では、そろそろ電車が止まるようなのでご準備を」
その言葉の通り、電車の速度がゆっくりと落ちる。アナウンスも流れ始め、老婦人の目的地であることを再確認した。
実は自分の降りる駅では無かったが、自宅まではそう遠くはない。運動がてらたまの散歩も良いと思っていた。
老婦人に声を掛け、彼女の動きに合わせて細心の注意を払いながら誘導を行う。
電車を降りて改札を通る。駅構内を歩き、エレベーターを抜けた先には駅の出口は目の前であった。
「駅の出口に出ましたよ。よければタクシーまで‥‥‥あれ?」
老婦人に常に目を配っていたはずが、支えていた手の感触がいつの間にか無くなっていた。
―――老婦人がいない。
「どちらへ‥‥‥?」
出口に着く直前まで老婦人は直ぐ傍にいた事は確かであった。その証拠に彼女の腕の感触はまだ残っている。だが、いない。周囲を探してみるが影も形も見えなかった。
「‥‥‥紺様にでも化かされたのかしら?」
不思議に思いながらもその場を後にする。
いないものは仕方がない。こういった事には割と慣れている。人ならざるものの仕業かもしれないが、今のところはなんともない。悪さをされたとは思えなかったので、そのまま気にしないことにした。
◆ ◆ ◆
「おかしい‥‥‥いつまで経っても神社に近づけない」
異変は起きた。
駅から見慣れた道を目指して歩いていた筈が、いつまで経っても見覚えのある道が見えてこない。
足を押し返す荒い小石。湿った空気を含む冷たい風。草と土の自然な匂い‥‥‥目の前には知らない山々と田んぼや畑が広がっていた。
「‥‥‥明らかに現代じゃない‥‥‥よね?」
現代の象徴たる人工物や人の気配というものがそこには見られ無かった。
「えっと、電話は‥‥‥‥‥‥ああ、駄目ね」
鞄の中に入れていた電子機器は何処にも繋がる気配は無い。音と光が出るだけの物体となっていた。小さく溜息をつき鞄に戻す。せめて紺にでも連絡をすることが出来ればと思っていたが当てが外れてしまった。だが取り乱すことは無い。本来の場所でどれほど時間が経っているかは分からないが、自分に異変があれば紺か貉が必ず助けにきてくれると信じている。
「‥‥‥とりあえず散歩でもして待っていようかな」
やることも無いので、鈴音はそのまま異世界っぽい場所を散策するのであった。
◆ ◆ ◆
田んぼの間を歩く。道の広さから人?の往来があること気が付く。周りの風景から道の先に人里がある可能性が高い。神社に帰れない以上、目的を定めることは心身の安定に繋がると考えた鈴音は気の向くまま砂利道を進んでいた。
「紺様は何をされているのでしょう‥‥‥お腹が減ったからといって余計なお買い物をしていなければ良いのですが‥‥‥」
助けに来てくれると信じてはいるが、それ以上に余計な買食いをしていないかが心配になってしまう。昨日はハンドメイド商品の売上金が入る日であったため、そのお金を使って豪遊している可能性もある。あればあるだけ使う神様なので、その末路は容易に想像がついていた。
『お金も駄菓子も無くなっちゃった‥‥‥‥‥‥すずね、たすけてぇ‥‥‥』
思い出すのは数日前の紺の姿。お小遣いと売上金のが手に入る数日前。とうとうお金も駄菓子も底をついた紺が我慢できずに鈴音に甘えてきたのである。普段の尊大さは何処へ行ったのか、鈴音の服の裾を握って恥ずかしそうに見上げてくる彼女に耐えられるものはいない。
なお、最初からそうなることを見越していた鈴音は美味しいお菓子を両手に彼女を迎え入れていた。そしてお菓子と引き換えに一杯甘える事が出来た。
「紺様の着せ替え写真は家宝にしましょう。それと帰ったら雲雀君と貉様に見せなきゃ‥‥‥」
色々な服に着替えた紺を心ゆくまで鑑賞し、写真に収める事が目的であったが、紺の可愛らしい姿を共有することも愉しみの一つ。お菓子の誘惑に負けて、誇りを売り飛ばした紺の悔しがる姿はとても興奮する。
まさに一粒で二度美味しい。これだから紺をいじめる事は止められない。
「‥‥‥ふふっ、こんさまさいこー‥‥‥‥‥‥って、ここは‥‥‥家?」
物思いに耽ったのは一瞬、気が付いた時には古い屋敷の前にいた。現状を把握するために周囲を見渡すが、そこには霧深い森が広がっている。
「また場所が変わった‥‥‥?」
人里を探していたが、元々見つかるとは思ってもいなかった。だがこうして目の前に人の気配を感じさせる建物が出てくると流石に身構えてしまう。明らかに屋敷の中へ誘っている。
「‥‥‥周りには何も無いし‥‥‥入るしかないか‥‥‥‥‥‥お邪魔します」
屋敷の門の前で深々とお辞儀をする。他所のお宅に上がるため挨拶も忘れない。
手入れされたというには自然すぎる庭を歩き、玄関まで辿り着く。
石の階段に木組みの引き戸。玄関は開放されており、土間と上り框の先には板張りの廊下と和室の様な部屋が見える。そこから先は暗くて良く見えない。
「お邪魔します、誰かいませんか‥‥‥」
念の為、もう一度声を掛けてから屋敷の中に入る。外は霧で薄暗いとはいえ、日中である事が分かるくらいには明るい。しかし屋敷の中には明かり一つ見当たらず、どこまでも薄暗い空間が広がっていた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥やっぱり脱いだほうが良いか」
万が一の事を考えると靴は履いたままの方が良いが、それでは屋敷の中を汚してしまう。身の危険よりも礼儀を重んじる行動は時として愚かな行動に思えるが、鈴音の選択は奇しくも正解を引き当てていた。
造りは古いが、汚れていたり朽ちたりなどはしていない。ぎしぎしと音を鳴らす廊下を歩いていくと、一際目立った部屋が見えてくる。
「‥‥‥他の部屋は‥‥‥閉まっているのに、あの部屋だけが開いてる‥‥‥私を呼んでいるの?」
誘われるように歩みを進める―――足が重い。
気が付くと足が震えている。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥紺様」
散歩で時間を潰そうとしたことも、人里を探してみたことも全て自分を騙すための方便に過ぎない。訳の分からない世界に飛ばされた時点で不安はあった。
不気味な場所で奇妙な屋敷に足を踏み入れたことに対して恐怖はある。
当然、視界の先にある部屋には更に強い感情を抱いていた。何が起きるか分からない、正体不明の恐怖。
「やはり、怖いです‥‥‥」
恐怖を包み隠さず呟きに乗せる。友人からは常に冷静沈着と評価を受けている顔。
今の鈴音は友人から見たらいつもと変わりないように見えるが、家族とも呼べる人から見たら“膝枕をしてやるからそんな顔をするな馬鹿者”と偉そうな態度で心配されるくらいには感情を露わにしていた。
「‥‥‥‥‥‥すぅ‥‥‥はぁぁ‥‥‥」
深呼吸で肺に新鮮な空気を送り、息を止め、ゆっくり細く呼気を吐く―――僅かな時間、自分と向き合うことで早鐘を打つ鼓動が僅かに緩やかになる。
―――――紺が必ず助けてくれる。
その確信あるからこそ、今迄冷静さを失うことは無かった。
「よし‥‥‥こんさまふわもこさらさらぷにぷに」
幼い頃から知っている可愛らしい神様を思い浮かべながら気合を入れる。自分でも良く分からない掛け声であったが勇気は出た。覚悟を決めて開け放たれた部屋へと足を踏み入れる。
「‥‥‥‥‥‥誰もいない」
目の前には小さな木の台とそれを囲むように座布団らしきものが四枚敷かれている。他は鏡台と箪笥しか置かれていなかった。
「‥‥‥ここは一体?」
呟いた声に何者かの声が重なる。
反射的に後ろを振り向こうとするが、身体が固まってしまったかのように動かない。
(捕まった‥‥‥!?)
全身から血の気が引く。
両腕ごと体幹を大きな手で握り潰されているような感覚に陥る。動かぬ身体のまま視線だけを動かすとその正体が明らかになった。
白色と桜色に赤と紫の色を混ぜたような肉塊。
顔と思われる部位には無数の穴が開いている。まるで中身が抜け落ちた蓮の実のよう。生理的な嫌悪感すら沸き起こるそれは、身体から生える大きく歪な手のようなもので、鈴音の身体を覆い尽くそうとしていた。
「‥‥‥っ!」
肉塊に咀嚼され、挽肉となった身体が肉塊の胃の中に流れ落ちる予感が頭をよぎる。
不可避の死を覚悟したが、鈴音は目を背ける事も抵抗を止めることはしない
―――意識が途切れる最期の瞬間まで、紺を信じていた。
「無礼者―――うちの娘に何をしておるか」
肉塊の動きが止まる。
鈴音にとっては聞き慣れた声であるが、肉塊にとっては根源的な畏れを抱かせるものであった。
人間的な感覚や感情といったものが存在しないものであっても―――例えるなら心臓を握られたまま、大動脈を剃刀で撫でられている感覚に陥る程。
肉塊が指先程度の動きを見せた瞬間、容赦無く命脈を絶つという重圧―――事実、そうなることは必至。
この瞬間、肉塊は捕食者から被食者へと立場が変わった。
「‥‥‥っはぁ‥‥‥!」
後、数秒で訪れる筈であった死が急激に遠ざかる。同時に身体を覆う肉塊の気配が消えていた。
畳の上に投げ出される。そのままの姿勢で息を整えながら声の聞こえた方を見ると、そこには見慣れた狐神様がふんぞり返っていた。
「‥‥‥紺様?」
「何処をほっつき歩いているんだ。ほれ、さっさと帰るぞ。我は腹が減った」
「どうしてここへ?」
無遠慮に突き出された小さな手を握り返しながら身体を起こす。鈴音の質問に対し、小さく溜息をつきながらなんてことの無いように答える。
「ああ、鈴音の気配が途切れたのでな‥‥‥面倒だが迎えに来てやっただけだ」
「ここは一体何処なんでしょうか?」
「見た所、比較的新しいあやかしの根城だろう‥‥‥迷い家の一種と言えば分かりやすいか」
「まよいが‥‥‥訪れた者に富を与えるというあの伝承ですか?」
『迷い家』とは東北や関東地方に伝わる民間伝承である。山中に迷い込んだ人間の前に現れるものとされ、家の中にあるものを持ち帰ると富や幸運をもたらすと伝えられていた。
「その一種だ‥‥‥恐らくその伝承を形取っているだけだろう。富を期待しても無駄だぞ?これは蜘蛛の巣に似たようなものだからな‥‥‥迷い込んだものを餌にして存在している下等なあやかしだ」
「そこそこ力を付けているのか、我らがいるここは半ば幽世と化している。我はともかく、鈴音はあまり長居しない方が良いな‥‥‥」
「‥‥‥死後の世界‥‥‥ですか」
「だからいつまでもここにいる必要も無い‥‥‥玄関に置いた靴を履いて出るぞ。あれを基点にしてあるから帰るのも楽で良い」
「靴を脱いで正解でした‥‥‥」
「まあ、土足のまま上がっていたら助けるのに少し苦労したな」
鈴音にはどのような理屈なのかは分からなかったが、内と外の境目である開け放たれた玄関に現世のものを置いていたことが功を奏していた。そのおかげで鈴音の痕跡が途切れることなく、紺の追跡が間に合ったのである。
もし土足のまま進んでいたら痕跡が残らず、鈴音の捜索が遅れていた可能性が高い。
「ありがとうございます、紺様‥‥‥」
「‥‥‥礼は夕食で示せ。今日くらいは期待してもいいだろう?」
「腕によりを掛けさせて頂きます」
紺に手を引かれながら部屋を後にする。玄関で靴を履き、そのまま外へ出ると、目の前には見覚えのある道が広がっていた。
「戻れた‥‥‥」
「鈴音が消えてからさほど経っていないから安心しろ。こちらの時間にすると30分くらいか」
「それは助かります‥‥‥何年も経っていたら困りますからね」
「安心しろ、そうなることがあっても必ず連れ戻してやる。絶対にな」
「ふふっ‥‥‥やはり鈴音は幸せ者です‥‥‥」
凛々しくも華麗な微笑みを浮かべながら鈴音の手を引く。小さな掌から伝わる彼女の体温は、鈴音にとっては何よりも安心できるもの。過去も未来も現在も‥‥‥忘れることの無いぬくもりが、鈴音にとってかけがえのない宝物であった。
◆ ◆ ◆
迷い家から生還した鈴音は神社に辿り着いてから直ぐに意識を失った。緊張の糸が途切れた事と心身に強い負荷が掛かっていたからだ。
目が覚めたのは今朝。先に起きていた紺から意識の無い間の事情を聞いた。
猫宮家には紺が説明していたため、特に騒ぎにはならなかった。同じく心配していた雲雀や貉にも声は掛けている。その際に、貉も鈴音を助けに行こうとしていたと聞いていた。
『鈴音は神社の巫女••••••我が迎えに行くのが道理であるし、貉の奴に借りは作りたくないから断ったぞ••••••••••••まあ、一応礼は言っておけよ』
紺は面白くなさそうに語っていたが、貉の心遣いに感謝している事は鈴音には分かっていた。
直接感謝を伝えたいと考えた鈴音は、その日の午後に犬飼寺にお礼の品を携えて訪れていた。
「昨日は心配をおかけいたしました。お話は紺様から聞いています‥‥‥本当にありがとうございました」
「大事無ければそれで良い‥‥‥以前から言っておるが鈴音も儂の家族のようなもの。その身に危機があれば駆けつけるさ‥‥‥‥‥‥と、言いたい所だが、今回は紺に止められてしまってのぉ‥‥‥儂は何もしとらんのじゃ」
「‥‥‥それにしても、あの時の紺様は格好良かったなぁ‥‥‥」
「そうなの?」
やや決まりが悪いような表情を浮かべながらお礼の品を持て余す貉。その横ではうっとりした瞳で遠くを見つかる雲雀がいた。鈴音は”何か気色の悪いわ“と思いつつ、その理由を尋ねてみる。
「ああ、鈴音が大学から帰っている途中に消えたって事は貉様も分かっていたんだけどさ、貉様が助けに向かう前に紺様が寺に来たんだよ。そして開口一番に『手出し無用。鈴音を迎えに行くついでに畏れを忘れた愚物に神の威を示してやろう』ってさ‥‥‥やはり紺様は凄い神様なんだなぁ‥‥‥」
「大部分のあやかしは人間の脅威ではあるが、儂らにしてみれば雑魚の中の雑魚よ‥‥‥‥‥‥だが、紺の奴はその雑魚にすら一切容赦はしないからのぉ‥‥‥」
「‥‥‥それはどういう意味でしょうか?」
「紺には言うなよ?••••••ここだけの話じゃが••••••••••••鈴音がここに来る少し前に、紺のやつは何処かに出掛けなかったかの?••••••”鈴音を怖がらせた礼をしてくるから留守は任せた“と言っておったが、今頃はどうなっていることやら‥‥‥•」
「あっ‥‥‥」
「あー‥‥‥」
貉の話を聞き、鈴音と雲雀は紺が外出した理由を察する。同時に紺の逸話を知る貉達の間には沈黙が降りていた。
“鈴音を怖がらせた礼”とやらを想像するが、恐らく八つ裂き‥‥‥などでは済まされない事は確実。輪廻の輪に加わることが出来たら御の字であろう。
猫宮家に祀られる前の彼女は、それほどの神話や悪行の数々を遺しているのである。
紺の怒りを買ったがゆえ、鈴音が誘い込まれた屋敷は肉塊ごと丁寧にかつ執拗に摺り潰され、かつて肉塊であった残骸は一片残らず焼滅されている。
紺はかつて屋敷と肉塊であったものの灰や魂魄の残滓すら、その存在を許したりはしないのである。
ちなみに、この日を堺に鈴音が同じ場所に誘われる可能性は無くなっている。
「鈴音を取り込もうとしたあやかしには同情はせんが‥‥‥相手が悪かったのぉ‥‥‥」
「••••••紺様って普段は沸点が高すぎて分からないけど‥‥‥本気で怒ると貉様より怖い‥‥‥よな?」
「私もそこまで怒られたことは無いけど‥‥‥多分‥‥‥」
耳打ちをしながら意見を交換するが、明確な殺意を宿す紺を想像出来ない2人に対し、貉は顎に手を当てながら遠い昔の記憶を呼び起こす。
「儂も数えるほどしか奴の逆鱗に触れたことは無いが‥‥‥‥‥‥正直あの紺は相手にしとうない‥‥‥本気で神を殺しにくるからのぉ‥‥‥」
「‥‥‥相手にした事があるんですか」
「貉様すごい‥‥‥」
”おっかないのぉ“とぷるぷる身体を震わせる貉の横では、二柱の神様達に驚きを隠せない2人。
“紺を本気で怒らせてはいけない”それが彼等が昔から持っている共通認識であった。
「ところで鈴音や‥‥‥今回の事で紺の事を怖がらんでくれよ?‥‥‥あやつは面倒で不器用だが‥‥‥」
「神社に帰ったらいっぱいお礼をして、いっぱい甘えます」
「‥‥‥‥‥‥まあ、そうじゃろな‥‥‥」
昔のよしみで軽くフォローを入れようとするが、その必要は無いことを直ぐに理解する。
もとより鈴音の事を熟知している貉は本気で言っていた訳では無いが、あまりにも自然な返答に対し”愚問だったな“と肩を竦めていた。
◆ ◆ ◆
神社に戻った鈴音は、何かの用事を終えて帰ってきた紺に鉢合わせになる。彼女からは何も言わなかったので鈴音の方も深くは追求しなかった。
「紺様、昨日はありがとうございました。ご恩はこの命が尽きるまで決して忘れません‥‥‥‥‥‥‥‥‥とりあえず紺様のお好きなものをご用意致しました。お受け取り下さい」
紺の部屋で昨日のお礼と彼女が喜びそうな品々を奉納する。紺は奉納されたものを一瞥し、いつもと変わらぬ尊大な態度で鈴音の献身を評価する。
「ふむ‥‥‥相変わらずお礼の選択は悪くないな‥‥‥一応礼は言っておこう‥‥‥‥‥‥それとは別に鈴音に渡しておくものがある」
「お聞きします」
何も言わずに背後に置いていた紙袋を押し付ける。受け取った鈴音はそのままどうしたら良いのか分からず固まってしまうが、紺は“開けろ“と目で訴える。促されるまま紙袋の中身を見ると、中には狐の刺繍が施された紺色のお守りが入っていた。
見た目は簡素だが、極めて精巧な造りであることが分かる。
「‥‥‥‥‥‥今回のような事で一々助けに行くのも面倒でな‥‥‥我の髪と尻尾の毛を仕込んだお守りだ。大抵のあやかしなら退ける事は可能だろう••••••ありがたく受け取ると良い」
ぶっきらぼうな態度とは裏腹に、手の中にあるお守りからは紺の真心と神聖な力がはっきりと伝わってくる。己の身体の一部を素材とした上で、一針一針に想いを込めて作り上げてくれたことは鈴音にはお見通しである。
その事が分かった瞬間、いつも傍で見守ってくれる優しい神様に対し、我慢が出来なくなってしまった。
「‥‥‥‥‥‥本当に、お優しい方‥‥‥」
「こら、我に抱きつくな‥‥‥‥‥‥いつまで経っても甘えん坊だな‥‥‥」
「ふふー‥‥‥こんさまだいすきー‥‥‥」
紺の腕に抱かれながら彼女のぬくもりを全身で享受する。甘えることと心からの感謝は両立出来ることを幼い頃から知っていたが、紺の方も鈴音の考えなど手に取るように分かる。
だからこそ鈴音の頭を優しく撫でながら彼女の好きなようにさせていたのである。
敵意や悪意を向ける存在には等しく一切の容赦をしない神様ではあるが、鈴音にとっては物心ついた時から見守ってくれている大好きな神様でしか無い。
事実、全てを受け止める器の大きさと尽き果てぬ優しさを持ち合わせているからこそ、人々の畏敬を集めて久しい、猫宮の氏神たる由縁であった。




