第二十七話『犬飼貉の宝探し』
とある日の犬飼寺。お勤めをしていた雲雀には気になることがあった。
昨晩は貉とデジタル・アナログの両方で遊び、それぞれ床についた。
変化が見られたのは今朝。雲雀がいつものように貉を起こしに向かうと既に彼女は起きており、鏡台の前で朝の支度を始めていた。
「お、雲雀か‥‥‥おはよう。今日も元気でなによりじゃのぉ」
「貉様‥‥‥これは一体‥‥‥」
「普通に起きただけなんじゃが‥‥‥化け物を見るような目で見るな‥‥‥」
「だってあの貉様ですよ!?」
目の前の現実が信じられないといった様子で声を震わせる雲雀。彼にとってこの光景は異常事態なのだ。
「どの貉様じゃ‥‥‥雲雀は儂の事をなんだと思っておる‥‥‥」
「俺の推しであり、永遠の偶像です」
「何度も言うが儂、婆じゃぞ‥‥‥」
「貉様なら大好物です」
「うわぁ‥‥‥」
迷いのない瞳ではっきり言われてしまい、言葉を失う貉。嬉しい気持ちよりも特殊性癖過ぎて心配になってしまう。
毎日同じような遣り取りをしているが雲雀は一向に飽きる気配は無い。貉の方もいつも新鮮な気持ち悪さを感じていた。
雲雀はそんな貉の気持ちを知ってか知らずか、そのまま貉の肢体を心ゆくまま鑑賞した後、早起きの原因について探りを入れてみる。
「お体が悪いとか‥‥‥ではないんですよね?」
「ここ700年以上は体調を崩した事は無いのぉ‥‥‥」
「まあ、そうですよねぇ‥‥‥‥‥‥何かご用事でもあるのでしょうか?」
「‥‥‥いや、今日も寺で過ごすつもりだが」
「貉様って基本的に引きこもりですからね‥‥‥いや、出不精か‥‥‥?」
「‥‥‥」
“何故言い直した?”と不可解に思いつつ、肯定も否定もしない貉。特に外界が苦手な訳ではなく、単に寺が一番居心地が良いだけである。甘味や酒が欲しくなったら雲雀に頼むか、一緒にお出掛けに出るくらいで用事は事足りてしまう。
「貉様が気になるような事がなければ良いんです‥‥‥とりあえずお元気なことには変わりないようなので、これで一旦失礼しますね」
「うむ。余計な心配を掛けさせて悪かったのぉ」
貉の様子から今朝の事は本当に気まぐれなのだろうと一応は納得し、その後は何事もなかったかのように丁寧な挨拶を行ってから部屋を後にした。
「‥‥‥ああは言ったものの、やはりおかしいよなぁ」
朝のお勤めを果たす道中、先程の光景を不思議に思いながら首をかしげていた。
◆ ◆ ◆
「ふむ‥‥‥あれはどこに‥‥‥」
「どうかしましたか?」
「随分昔のことだからのぉ‥‥‥場所は分かるがどこに置いたか‥‥‥って、雲雀か。どうした、何か用かの?」
朝食を終え、食後のお茶を啜りながら考え込む貉。お膳の片付けのため一時的に席を外していた雲雀が戻って来た時、珍しく独り言を呟いていた彼女が気になり声を掛ける。そこでようやく雲雀の存在に気が付いたようであった。
「いえ、俺の方からは特にありませんが、先程から何かを考えていらっしゃるようでしたので‥‥‥」
「ああ、考え事をしていたから気が付かなかったようじゃ。すまんのぉ‥‥‥」
「何か気になるような事が?‥‥‥俺もお手伝い致しましょうか?」
「いやいや、それには及ばん。その気持ちだけで十分じゃ」
「そうですか‥‥‥何かありましたら気にせず声を掛けて下さい。出来る限りのお手伝いはしますから」
「うむ、その時は宜しく頼む」
貉の様子から思いつめた内容でないことは分かっていたが、雲雀の手伝いをやんわりと断る程度には個人的な内容であることを察する。貉にも1人で抱え込みたい事の1つや2つはあるだろうと思い、その時はあえて踏み込むことはしなかった。
◆ ◆ ◆
「貉様は大丈夫と言っておられたが、いつもと様子が違うし‥‥‥気になるなぁ‥‥‥」
境内の掃除をしながら貉の様子について考える。
先程、寺の裏側に向かって歩く貉を目撃していた。特に急いでいる様子も無かったので声を掛けることはしなかったが、朝の事を思い出すとどうしても気になってしまう。
「ぽん」
「ん?‥‥‥あ、こわみか。どうしたんだこんな所で?」
四足歩行で近づいてくるこわみに気が付く。
普段から寺のお手伝いが終わった後は、母屋の方にあるこわみハウス(雲雀謹製)で過ごすか、境内を散歩していることが殆どのこわみであったが、今日は珍しく貉の周囲で見ることが多かった。貉が何かをしている事の証左である。
そんなこわみが雲雀の足元にすりより、作務衣の裾を甘噛みしていた。貉が歩いていた方向に引っ張っていることから、そこに誘導したいという事に気が付く。
「付いて行けば良いのか‥‥‥」
「ぽんぽん」
意思疎通が出来たのかこわみは甘噛みを止め、貉のいる方向へと歩いていく。雲雀は親カルガモについていく子カルガモのように、とことこついていく事にした。
境内を歩き、本堂の裏手に周り‥‥‥そのままお寺の囲いに沿って歩く。そこには最近ではあまり寄り付かなくなった古い蔵が見えてきた。
「ここは‥‥‥蔵か」
「ぽぽん」
「入れば良いのか?‥‥‥分かったよ」
僅かに開いた扉の隙間にこわみが入り込む。恐らく貉が開けたままにしておいたのであろう。雲雀はやや開きの悪くなった扉をこじ開け、こわみの後に続く。
扉を全開にしても蔵の中は暗い。目が慣れてくると見た目よりも少し広い空間である事が分かる。長年に渡って蓄積された塵埃が足元を汚し、黴と土木の臭いが鼻孔を刺激していた。
「ここに入るのも久しぶりだなぁ‥‥‥相変わらず埃っぽい‥‥‥あ。こわみ?」
「ぽん」
「何処かに案内してくれるのか‥‥‥って、これは階段か?‥‥‥初めて見た」
小さい頃から何度か入った事はあったが、こんな場所に地下へと通じる階段がある事は知らなかった。階段の下からは僅かに昏い気配を感じるが、慣れ親しんだ神様の気配も確かに感じていた。
「ぽんぽ」
「こわみがいるから大丈夫か‥‥‥」
少しだけ怖じ気ついたが、貉の存在と式神の存在が雲雀に安心感を与えていた。
スマートフォンの明かりを頼りにおっかなびっくり階段を降りると、広い空間に辿り着く。
暗がりの向こう側では懐中電灯片手に何かを探している貉の姿が見えた。雲雀が声を掛ける前に彼女は気が付き、少しだけ驚いた表情で話しかけてきた。
「ぬ?‥‥‥誰かと思ったら雲雀ではないか‥‥‥ここによく気が付いたのぉ‥‥‥ああ、こわみか」
「はい、こわみに案内をされまして。ご迷惑でしたか?」
「迷惑という訳では無いんじゃが‥‥‥わざわざ雲雀を連れてくる必要も無かったのでな」
「見た所土蔵のように見えますが、そこに積まれているものは‥‥‥」
「これ、雲雀。あまり触るでないぞ?大抵は害のないものじゃが、中には危険なものもある‥‥‥怪我をしたくなければ触るでない」
スマートフォンの明かりを向けた先に見える箱に手を伸ばす。
だが、その前に貉が止めに入った。声は穏やかだが本気で警告していることは雲雀には分かっていたため、箱に触れる直前で手を止める。
犬飼寺には時々、力を持った呪いの品物も持ち込まれる事がある。大抵は貉が祓ってくれるが、物によってはわざと時間を掛けるものもある。
雲雀はそういった類のものであることを直ぐに察する。
「ああ、そういったものなんですね。分かりました。不用意に触れません」
「うむ。分かればよろしい‥‥‥まあ、儂の方は隠しておく必要も無いか‥‥‥」
少しだけ考え込んだ後、何かに納得したような表情で土蔵にいた理由を語り始めた。
「実はのぉ‥‥‥宝探しをしておったんじゃ」
「宝探し‥‥‥ですか?」
突拍子の無い『宝探し』という言葉に思わず聞き返してしまう。貉は雲雀が犬飼寺に伝わる宝物を想像しているのかと考え、すかさず言葉を続ける。
「うむ。とは言っても金銀財宝のようなものでも、伝説の茶器でも無いんじゃが」
「えっと、それでは何をお探しで?」
「梅干しじゃ」
「うめぼし?」
「そうじゃ。昨日寝る前に儂が漬けておいた梅干しの事を思い出してな‥‥‥大分昔に仕込んだものだが、しっかり塩もきかせていたし保存も厳重にしておいたからのぉ。腐ってはいないはずだから今でも食べることが出来るはずじゃ。それを雲雀にも食わせてやりたくなったんじゃよ‥‥‥たしか、ここに突っ込んでおいた筈なんじゃが中々見つからんでのぉ‥‥‥」
「あー‥‥‥数も多いですし、匂いも結構きついですからね」
土蔵の中を見渡しながら貉の言葉に納得する。
貉は元が狸の為、紺と同様にとても鼻が利く。しかし今いる場所は埃や黴の臭いが強く、目的の匂いが分かりづらいのである。また場所が特殊であることや梅干しの保存が厳重であることも探索を阻害する要因であった。
「そうなんじゃ。ここに来れば思い出すかと思ったが、そう上手くもいかん。いやあ、儂も年じゃのぉ‥‥‥」
「何か手掛かりとかはありませんか?」
「ふむ‥‥‥漬けた後に一度だけ場所を動かした覚えがあってな‥‥‥」
「えっと、この蔵の中でですか?」
「‥‥‥‥‥‥そこなんじゃ。動かした覚えはある‥‥‥ただ、その時の儂はいつもと違ってのぉ‥‥‥」
「‥‥‥酔っていたとか?」
「大当たりじゃ」
「でも記憶は残っていると」
「うむ。確かにそうじゃ。だからこそ酔っていたことも動かしたことも覚えておる‥‥‥しかし、肝心の動かした場所が思い出せんのじゃよ」
「えー‥‥‥」
酔った状態で蔵に保管していた梅干しを動かしたという事も不可解ではあるが、それ以上にその時の記憶が無いことも奇妙である。貉は酔っていても記憶はしっかりしている事を最近身を持って知ったばかりである。
「‥‥‥ま、儂が漬けた梅干しだから失くした所で惜しくはないが、見つかったらすっきりするしのぉ‥‥‥こうして暇つぶしも兼ねて宝探しに興じている訳なんじゃ」
「なるほど‥‥‥では俺も一緒に探しても良いでしょうか?勿論、貉様の指示に従って動きますから勝手な事はしませんよ」
「それなら頼もうかの。調べて欲しいものを手当たり次第そこに置いておくからこわみと一緒に中を検めて欲しい」
「分かりました」
「ぽん」
「うむ、頼もしい限りじゃ。ではこの辺のものを頼もうかの」
ここまで話した以上は雲雀の協力を断る理由も無い。貉は素直に厚意を受け取り、確認して欲しいものを雲雀とこわみに指し示していた。
◆ ◆ ◆
「‥‥‥そっちはどうじゃ?」
「見つかりませんねぇ」
「ぽぉん‥‥‥」
雲雀が合流してから1時間。
貉がどろどろしたものが流れ出る古い寄木細工の木箱を開けていたり、こわみが掌大の人面蜘蛛を追っかけていたりと中々愉快な光景が繰り広げられていたが、目的のものが見つかることは無かった。ちなみにどろどろと蜘蛛はきっちり貉とこわみが祓っていた。
「おかしいのぉ‥‥‥ここに置いた事は確かなんじゃが‥‥‥」
「もしかして誰かが移動させたのでは?」
「それは無いはずじゃが‥‥‥あれ?そういえば動かした時に誰かがいたような‥‥‥」
「誰か?‥‥‥もしかして紺様ではないでしょうか」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥あ、紺じゃ。あの時、奴と酒盛りをしとったんじゃ。何故こんな簡単なことを‥‥‥?」
当時の記憶の中にぼんやりと人影が浮かぶが、そこからはっきりと思い出せない。不思議な光景であったが、傍にいた雲雀にはその正体に心当たりがあった。当時の貉と付き合いのあったものと言えば最初に紺が思い浮かぶ。
単純すぎる答えに一瞬だけ思考停止に陥るが、直ぐに頭の中の霧が晴れる。
「何か関係があるのですか?」
「‥‥‥とりあえず紺の奴にでも聞いてみるかの」
懐中電灯をこわみに渡し、ポケットから取り出したスマートフォンで電話を掛ける。長い呼出音の後、ようやく相手が通話に出た。
「おお、紺か?お前に聞きたいことがあるんじゃが‥‥‥まあまあ話を聞け、お前にも分前はやるから‥‥‥」
「いつだったかのぉ‥‥‥お前と犬飼寺で酒盛りをした時があったじゃろ?‥‥‥ああ、違う違う。どじょうすくいの時でも殴り合いの時でも無くてな‥‥‥蔵に壺を‥‥‥ぬお?‥‥‥そうだったか‥‥‥通りで覚えていない訳じゃ‥‥‥」
「なんじゃ、そっちにあったのか。それなら見つからないのも当然か‥‥‥おお、今からそっちに取りに行くのでな、鈴音にでも声を掛けて置いてくれんかの?‥‥‥ああ、じゃあの」
途中で非常に気になる単語が出たが、横槍を入れたい気持ちをぐっと抑える。今度聞いてみようと心に決めながら紺からの返答について貉に尋ねる。
「もしかして猫宮神社にあるんですか?」
「そうみたいじゃの。何でも酒盛りをした時に儂の記憶を封印したようでな‥‥‥まったく‥‥‥まあ、あれは仕方ないか‥‥‥」
「それ、大丈夫なんですか?」
「おお、別になんとも無いぞ。寧ろ今の話を聞いて全部思い出したわい。それよりも早速神社の方へ行くとするかの」
「あ、はい」
酔っている間に記憶を弄られたと話していたため雲雀は少し心配になったが、当の貉はあっけらかんと“別になんともない”と返答する。会話の流れから相手が紺であると分かるためそれ以上は追求せず、先に土蔵から出ていく貉の後を追うことにした。
◆ ◆ ◆
「お待ちしておりました、貉様。雲雀君」
連絡をしてからさほど時間は経っていないが、猫宮神社では既に鈴音が貉と雲雀を待っていた。
「突然ですまんのぉ‥‥‥紺から聞いていると思うが、あの場所に案内してもらおうかの」
「はい。こちらへどうぞ」
「あの場所?‥‥‥って、そっちの方は‥‥‥」
「たかが梅干しが出世したものじゃのぉ‥‥‥」
「まさか神社の宝物殿にあるとは思いませんでした」
鈴音の向かった先にある建物には見覚えがあった。なにしろ小さい頃に鈴音と一緒に探検をしようとしたら紺に怒られた覚えがある。
一通り怒られた後に紺の引率で中を少しだけ見せて貰ったが、今では懐かしい思い出である。
記憶では祭具や衣装、豪華な木箱などがあったはずだが、その中に梅干しがある事を知らなかった。
「宝物殿なら滅多に人の干渉を受けんからのぉ。紺の許可が無い限り、儂でも手を出すことは難しい。まあ猫宮家の人間でもいたずらに中を探ることも無いし、何かを保管するには丁度良いんじゃ」
「話を聞いていると、貉様も含めて梅干しに干渉されたくなかったということですか?」
「前にも言ったじゃろ?神が作るものには力が宿ると。料理は流動的なものであるから、栄養が増える程度で済むんじゃが、保存食となると少しだけ勝手が違うんじゃ‥‥‥神が手を加えたものに封をし、長い年月を静かに過ごす‥‥‥神器とまでは行かずとも、儂の加護が籠もった食物に昇華する。まあ、分かりやすく言うと超神饌かの?‥‥‥食べると色々と強くなる」
「漫画やRPGのアイテムじゃ無いんですから‥‥‥」
「実際は似たようなものじゃぞ?」
“漫画で似たようなものを見た”と付け加える貉に対し、当然とも言える質問を投げかける。
「人間が食べて大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃ。犬飼家の者か猫宮家の者であれば美味しくて元気になる程度じゃ。ま、それ以外の者には与えんほうが良いのぉ‥‥‥」
「‥‥‥劇物じゃないですか」
「なに、儂らにとっては通販で売っておる健康食品と変わりないわい‥‥‥っと、着いたのぉ」
神社の敷地内を歩いていると、一際壮麗な作りの建物が見えてくる。その扉の前には見覚えのある神様がふんぞり返っていた。
「いきなり連絡を寄越してきた思ったら梅干しなどと‥‥‥まったく、仕方の無い奴だな」
「お前も無関係ではないだろうに‥‥‥」
「元はと言えば貴様がけしかけてきたことだろう」
「まあの‥‥‥今となっては懐かしい話よ‥‥‥それよりも入るぞ?」
「勝手にしろ」
ふんと鼻を鳴らしながら顎で扉を指し示す紺。
おやつ中に連絡を受けたため、少しだけ機嫌が悪いのである。
ちなみに、来週まで残り少ない駄菓子で過ごさないといけないことも彼女の気を逆撫でていた。
「紺様、そんな言い方は駄目ですよ。先程まで久々に貉の梅干しが食えると結構喜んでいたじゃないですか」
「こら、余計な事を言うんじゃない」
糖分の少なくなった頭で鈴音の言葉に噛み付く紺。その様子を見ながら、嫌味ったらしい微笑みを浮かべて紺を挑発する。
「なんじゃ。お前も食いたかったんじゃないか。正直に言えば礼を上乗せしてやっても良かったんじゃがのぉ」
「‥‥‥我のつまみ分で十分だ」
「そんな事を言うのであれば紺様の分は無しです‥‥‥どうでしょう?貉様‥‥‥‥‥‥ちらり」
「‥‥‥うむ、そうするか。良い子の鈴音には分けてやろうかの」
紺の為に密かに買っておいたおやつ(黒棒)の袋を貉にちらつかせる鈴音“これを奉納致しますので話を合わせて下さい”という意図を正確に汲み取り、瞬時に話を合わせる貉。家は違えど息の合った鮮やか過ぎる連携に、紺の瞳から光が少しずつ失われていく。
「‥‥‥‥‥‥ずるい」
「いじられている紺様は可愛いなあ‥‥‥」
「我の縄張りなのに、誰も味方はおらんのかっ‥‥‥」
紺は追い詰められている自分をにこにこしたまま眺めてくる変人と、熱い握手を交わす狸と小娘に対して恨めしそうに睨みつけながら、悔しそうに装束の袖を握りしめることしか出来なかった。
◆ ◆ ◆
「おお、あったぞ雲雀」
宝物殿に入ってから10分。貉は古い祭具や木箱の間にひっそりと置かれていたバスケットボール大の壺を発見する。
「それが探していたものですか?」
「うむ。まさにこれを探しておったのじゃ」
「鈴音は知らなかったのか?」
「ええ、ここには祭りの時しか入らないし、不用意に入るな・触るなと紺様に言われているから私も全てを把握している訳ではないのよ」
「あー‥‥‥俺と同じか」
「ここには我が作り上げたものが幾つか保管されているからな。悪意あるものは無いが、不用意に触れると暴走しかねないものもある」
宝物殿は神社が建立された時に建てられたものであり、紺の力と猫宮家の人間の尽力により当時の姿を現代に遺している。その歴史の中で猫宮家が伝えてきた祭具や紺の作成した神器など、力あるものが幾つか安置されている。
そのため宝物殿の管理は紺を長とし、歴代の猫宮の巫女と数人の限られた人間のみが関わることを許されている。
紺の付添いがなければ宝物殿の品々を動かすことは勿論、閲覧することすらほぼ不可能に近い。
「紺が健在である限り、儂ですら入ることは難しいからのぉ。紺がいた方が何かと都合が良いんじゃよ」
「だから紺様がここでお待ちになられていたんですね」
「わざわざ待っていてやったのだ。分前は寄越せ」
「分かった分かった‥‥‥じゃが、とりあえず中身を検めんことにはなんとも言えないのぉ」
「それなら母屋の方に行きましょうか。台所で開封と味見も出来ますし」
「うむ。そうしようか」
「味見は我に任せろ」
鈴音と紺を先頭に、貉と雲雀は猫宮家の母屋の方へ向かう。紺の偉そうな態度は変わらないが、艷やかな狐耳と尻尾は梅干しの味を期待して、ぴこぴこぱたぱたと動いていた。
◆ ◆ ◆
「よし、開いたぞ」
「これが貉様の漬けた梅干し‥‥‥話には聞いていましたが、梅干しって腐らないんですね‥‥‥」
「何十年も経つと干し梅みたいになるらしいけど、貉様の漬けた梅干しは瑞々しい感じがあるわ」
「塩も保存もしっかりしておったからの。それに儂が手を加えたものだから腐ることは無いわい。どれ‥‥‥」
貉が素手で壺の封印を解く。蓋の下からは濃厚な梅と紫蘇の芳香が漂ってくる。
当時の貉は物理的な蓋以外にも不可視の力を用いて保存していたらしい。長い年月を経て現代に姿を現した梅干しは、漬けてから数年といっても良いくらいの鮮やかな赤茶色と瑞々しさを保っていた。貉はその中の1つをつまみ、口に含む。
「どうですか?」
「うむ、美味い。しっとりとした食感もさることながら、塩気と酸味の中に梅本来の旨味も残っておるよ‥‥‥我ながら上出来じゃのぉ」
酸味で目と口をぎゅっと閉じるが、口が慣れると梅干しの旨味が一気に押し寄せるようであった。
自分の料理をあまり評価しない貉が珍しく自画自賛の言葉を呟く。
それだけで目の前の梅干しがとてつもなく美味いものであると雲雀は察する。
「ちなみにどのくらい漬けたものなんですか?」
「確かここに書いておったような‥‥‥慶長十年‥‥‥‥‥‥ざっと400年程度かの」
「400年!?‥‥‥もはや歴史的資料ですよ」
慶長十年‥‥‥西暦では1605年に当たり、当時の日本は徳川家による治世が行われていた。
―――所謂、江戸時代である。
見た目は普通だが、文化財級の梅干しに驚愕する雲雀の横で、鈴音が冷静な質問を投げかけていた。
「ところで貉様の作った梅干しが何故ここにあるのでしょうか?先程からそれが気になって」
「ああ、それはのぉ‥‥‥この梅干しを寺に置いておきたくなかったんじゃ」
「え‥‥‥それはどういう‥‥‥」
「それを話すということは区切りがついたのか?」
寺に置いておきたくないと語る貉の微妙な変化に気が付く雲雀。何か事情があるのかと尋ねる前に、紺が答えを促すかのように言葉を続ける。
「うむ。夢で会ったからのぉ」
「夢で会った?」
「正確に言えば思い出したと言うべきか‥‥‥この梅干しはな、400年程前の犬飼家の人間‥‥‥雲雀の先祖に頼まれて漬けたものでのぉ‥‥‥酒好きな男じゃった」
今朝から続く貉の異変。その答え合わせ。
犬飼雲雀の先祖との思い出を語り始める。
「ある日、その男から酒に合うつまみを作ってくれないかと頼まれての。その時は丁度暇だったから美味い酒と引き換えに漬けてやったのじゃ。儂は“いつ頃食べるんだ”と聞いたら『俺が死ぬ前の日にでも壺を開けて、梅干しと思い出を肴に酒でも飲みましょう』などと冗談じみたことを言っていたな。まあ、儂としても湿っぽい最期を見送るよりも楽しい方が良いと思っておったんじゃ」
穏やかな微笑みを雲雀に向ける。かつての面影を彼の中に見出しながら、懐かしそうに思い出を語る。
たとえ、その結末が貉の望んだもので無かったとしても、彼女の優しくも穏やかな心境は変わらない。
「だが、残念なことに約束を果たさずに早く逝ってしもうてな」
「村で火事があってのぉ‥‥‥家に残された子どもを助けるために儂を待たずに1人で火の中に飛び込みおった‥‥‥」
「子どもを助け、無事を確認した男はそのまま倒れた‥‥‥煙を吸った上、焼け落ちた柱が悪いところに当たってしもうてな‥‥‥娘と一緒に儂も駆けつけたが既に手遅れでのぉ‥‥・男も自分の死期を分かっておってな。そのまま娘と儂に最期の言葉を遺して逝ってしまった」
「娘に感謝の言葉を伝えた後、儂にも話しがあると言ってな‥‥‥『俺の子孫と梅干しをつまみに酒でも飲み交わして下さい。きっと美味い酒が飲めるでしょう。貉様のおかげで幸せな人生を送ることが出来ました。あの世でご先祖様と思い出を肴に酒でも飲んできますよ』と笑っておった‥‥‥最期まで酒の話をする、生臭坊主だったのぉ‥‥‥」
梅干しにまつわる男の最期。貉の話はとても短く呆気ない終わりを迎える。話を聞く限り、男は人としては立派な最期を迎えたと讃えられるものではあるが、実際のところは当事者達にしか分からない。
美談であっても、明かされることの無かった激しい葛藤や無念が、今も土の下で眠っている可能性もあるからだ。
ただ、その当事者たる貉と紺の表情はとても優しく、後悔や無念の色は微塵も感じられない。
それだけで男の人柄と結末がどのようなものであったのか推し量ることが出来た。
「酒に弱いところも貴様と同じだったな」
「本当にのぉ‥‥‥」
短い沈黙の後、貉が口を開く。
「儂らには昔から決め事が幾つかあってのぉ‥‥‥そのひとつが信奉する人間の運命を捻じ曲げないことなんじゃ」
「運命を?」
「うむ。時々助けに入ることはあるが、それは助かる可能性があるからこそなんじゃ。極稀にどうやっても助からん運命を迎えるも者もおる‥‥‥それが、その男じゃった」
「我も過去に3人見送った‥‥‥いずれも救ける事はしなかったがな」
「‥‥‥まあ、気持ちは分かる」
貉も紺も、その気になれば生きている人間の運命を捻じ曲げる事は出来る。難しいが不可能では無い。事実、雲雀や鈴音の危機にも介入した事もある。だがそれは2人の運命がそこで終わりでは無かったからだ。そこで死ぬ運命もあったが、それ以外の運命も存在していた。貉も紺もより幸せな運命へと切り替えただけに過ぎない。現在の2人はその結果を辿っている。
しかし、生きている以上は終わりというものが必ず訪れる―――それが寿命。
全ての運命はそこで収束する。だからこそ寿命を目前とした人間の運命は変えようが無い。
貉も紺もその寿命が生まれつき短いものを2、3人見送った事がある。その人の事を誰よりも知っていたとしても、救うことは出来なかった。
神様とはいえ、自ら人に寄り添う事を選んだ存在である。今を懸命に生きる人間の人生を、自分達の感情や勝手な都合で踏みにじることだけはしたくなかった。
「我は後悔はしておらんぞ。末路がどうであれ、最期は笑顔で看取ってやったからな」
「••••••相変わらずその部分だけは敵わんのぉ」
「貴様が湿っぽいだけだ」
「そうでも無いと思うが‥‥‥まあ、お前に比べればそうか」
二柱の神様達に見守られて逝った者達は、彼女達に感謝こそすれども恨みも後悔も全く無い。
一方で貉も紺も彼等を見殺しにしたという負い目は僅かに持っている。過去に囚われる事は無いが、死んだ子どもの落書きのように消したくても消せないもの。
しかし紺はその全てを受け止めた上で笑い飛ばす。軽視している訳では無い。彼女が神に昇華する以前から、人間が持ちうる感情を身を持って知り尽くしているからである。
その点については貉ですら紺の器の大きさを認めざるを得なかった。
「我も知らぬ仲では無い‥‥‥犬飼家の者も全員笑って逝っただろ?」
「まあの」
「‥‥‥貉はその時の事を気にしていてな。死ぬ前に酒にでも誘えばよかったとぐちぐちと話していたんだ」
雲雀と鈴音に向けて語り掛ける。貉は恥ずかしいようなばつの悪いような表情を浮かべながら、紺の話に横槍を入れる。
「そんな事をしたらあやつに死期を悟られるじゃろ?‥‥‥あやつの人生に口出しはしたくなかったんじゃ‥‥‥」
「あいつはそれでも良かったと思うが‥‥‥はぁ。変なところで堅いというか馬鹿というか‥‥‥」
「お前に言われたくないわ‥‥‥まあ、暫く引きずっていたことは確かじゃが‥‥‥」
「『このままじゃあやつと食べるはずであった梅干しをやけ食いしそうだ。紺、儂を酔わせて記憶と梅干しを封印しろ』とやけ酒で酔いながら梅干しを持って神社に乗り込んで来たことは忘れていないが?」
「‥‥‥‥‥‥面目ない」
貉の記憶と梅干しの経緯について真実を語る。
当時の失態を突きつけられた貉はそれ以上の言い訳が出来ず、肩を落としながらしょんぼりしていた。
「ふふん、実に気分が良いな」
「くぅっ‥‥‥あの時の儂が憎い‥‥‥」
一本取ってやったと勝ち誇る紺に、ぐうの音も出ない程悔しがる貉。そんな彼女達の間に割って入るかのようにおずおずと疑問を投げかけるものがいた。
「えっと、そのような思い出深いものを食べても良いのでしょうか?」
「んあ?別に構わんぞ。だからこうして開けたんじゃ。梅干しは食べるもの。それがあやつとの約束だからのぉ」
思い出の品ではあるが梅干しは食べて初めてその用を成す。なにより酒のつまみにして食べて欲しいと男は願っていた。酒でなくとも自分の子孫や猫宮家のものと愉しむのであれば男も満足であろうという考えがあった。
その意図を汲んだ雲雀は貉の意思と先祖の願いを尊重し、犬飼家のお宝をありがたく頂戴することに決めた。
「分かりました。ではご先祖様に感謝してありがたく頂く事にしましょうか」
「それが一番じゃ。漬けたものはこの壺ひとつだけだが、中には結構入っておる。鈴音にお裾分けしても十分残るぞ」
「じゃあ鈴音も何か入れるものを出して貰えるか?今の内に分けてしまおう」
「貉様、貴重なものをありがとうございます。大事に頂きますね」
「うむ。後で感想を教えてくれると嬉しいのぉ」
台所の棚から保存用の容器を探している鈴音と、梅干しをつまみ食いしようとしている紺に取られまいと壺を届かない高さまで掲げている雲雀の三者を眺めながら呟く。
「たかだか梅干し1つで‥‥‥ふふっ‥‥‥」
思わず釣られて笑ってしまった貉は、もしもの光景を幻視する。
―――死期を悟った男も、救けることを選ばなかった貉も笑って酒を飲んでいた。
「‥‥‥ああ、そうか‥‥‥」
楽しそうな様子の雲雀を見ていると、想像でしか無いものが有り得た筈の過去にしか見えなくなっていた。
”どちらにしても笑っていたんじゃのぉ“
そんな思いが、胸にすとんと落ちていった。
◆ ◆ ◆
「お裾分けしても大分残りましたね」
「そうだのぉ‥‥‥当時に儂は何を思ってこれほど漬けたのか」
猫宮家に半分近くお裾分けをしたが、それでも壺の重みがしっかりと手に伝わる程度には中身が残っていた。
「貉様とご先祖様に感謝ですね。それにしてもこの梅干し美味しいです。油断していると2個、3個と食べてしまいそうです」
「食べても良いが塩分の取り過ぎになるからの。加減して食べると良い」
元々雲雀に食べさせる為に始めたことなので、当の本人が喜んでくれているのであれば貉として今回のは宝探しは大成功である。満足そうな表情で壺を抱えていた雲雀は途中で何かを思い出し、ゆっくりと歩みを止める。
「そうします‥‥‥‥‥‥そういえば最初に宝探しって言ってましたよね。貉様はこの梅干しを売りに出すのかと思っていました。まあ、今となっては無理であることは分かっていますが」
「いや、儂ら以外には刺激が強いものじゃからのぉ‥‥‥それに奴との約束もある‥‥‥って、雲雀が金のことを言うなんて珍しいの?」
見つけた梅干しは自分達で消費するつもりであったため、売るつもりなど最初から考えていなかった。寺の息子である雲雀は昔からあまりお金に執着しない性質である。そのため自分と同じ考えであると思っていた貉は、彼の“梅干しを売る”という話に少しだけ驚いていた。
「俺は金よりもこの梅干しの味の方が良いんですが‥‥‥貉様は長期保存した梅干しの価値をご存知かと」
“お金には替えられないほど美味しいですから”と呟きながらスマートフォンで検索した結果を貉に見せる。画面には100年以上保存された梅干しの販売ページが表示されていた。
「たかが梅干しじゃろ?そんな価値なんて‥‥‥‥‥‥ひょっ?‥‥‥一粒‥‥‥いち、じゅう、ひゃく、せん‥‥‥‥‥‥まん?」
値段を見て貉は固まる。
自身が漬けたものの四分の一程度の熟成でも4〜5桁の値段が付いている。年数が価値に直結するのであれば、当時の空気を残す400年物の梅干しにはどれほどの価値が付くのか想像もつかない。
ただ、貉の目には雲雀が抱えている壺の中身が黄金色に光り輝いて見えていた事だけは確かであった。
「‥‥‥もしかして、ご存知無い?」
「‥‥‥‥‥‥今から売れないかの?」
おずおずと雲雀の持つ壺を指で指し示す。
孫を見る祖母のような慈愛に満ちた表情から一転、今の貉は金の亡者のように下卑た笑みを浮かべていた。紺に散々な事を言った割には貉も同類なのである。
「駄目ですね」
「一粒なら‥‥‥大丈夫かなぁ‥‥‥って」
「劇物を流通させたら駄目ですよ。もし、俺に隠れて売るようであれば‥‥‥おやつ抜きです」
「‥‥‥‥‥‥やけ食いじゃ!!」
おやつ抜きを盾にされてしまっては、もうどうすることも出来ない“死なば諸共ぉ”とやけになった貉が壺を奪い取ろうとするが、彼女の行動を熟知していた雲雀は華麗にその手を躱す。
「駄目ですよ。しつこいので今日と明日のおやつは抜きとします。頭を冷やしてくださいね」
「ふぇぇ‥‥‥」
「大事に頂きましょうね」
再三に渡り駄目と言われてしまった上、今日明日のおやつを剥奪されてしまった貉は力無くへなへなと床に座り込む。
ご先祖様と貉が作った400年のお宝は、犬飼家の食卓で美味しく食べられる以外には使いみちは無かったのである。




