第二十五話『犬飼雲雀と猫宮鈴音の関係』
―――――友達になった日は今でも覚えている。
両親に連れられて、とある神社にやってきた。
自分が産まれるずっと前から付き合いのあるお家だと教えて貰ったような記憶が残っている。
鳥居の先、神社の拝殿の前には自分と同じくらいの年の女の子が立っていた。その両脇には優しそうな男の人と女の人が寄り添っている。
両親が彼等と親しい様子で挨拶を交わした後“雲雀も鈴音ちゃんに挨拶しようね”と言われた。
最初はとても恥ずかしかった。でも女の子の方がもっと恥ずかしそうに見えたので勇気を出して声を掛けた。
『はじめまして、いぬかいひばりです。すずねちゃん、ぼくとなかよくしてください』
そんな事を話した覚えがある。鈴音と呼ばれた女の子は女の人の背中に隠れながらも小さく頷き、返事をしてくれていた。
『ねこみやすずねです。ひばりくん、これからよろしくおねがいします』
子どもながらとても丁寧な返事をしてくれたと思う。最初は恐る恐るといった様子で女の人の背中から出てきた。とても可愛らしい女の子であったため雲雀もとても緊張していたが、神社の案内をお願いしたら素直に受け入れてくれた。自分の家がお寺であることから、古い建物に見慣れている雲雀は、お寺とは趣の違う建物に興味があった。
鬼ごっこやかくれんぼにぴったりな場所。秘密基地に出来そうな場所。景色の綺麗な場所‥‥‥見るもの全てがとても新鮮であった。
『じんじゃってすごいね。すごくきれいだし、とってもひろいからあそびほうだいだよ』
『‥‥‥そう?わたしにとってはふつうなんだけど‥‥‥でも、ありがとう』
『こんどはぼくのおうちにもあそびにきてね。うちにもあそべるところがいっぱいあるんだよ。やさしい‥‥‥さまもいるし』
『え?‥‥‥さま?‥‥‥う、うん。おとうさんとおかあさんにいいよっていわれたらいくね』
新しい事に興奮していた雲雀は、上手く口が回っていなかったようだ。鈴音は聞き取れなかった言葉をもう一度尋ねようかと思ったが、話の流れで聞けずじまいとなってしまった。
「うん。やくそくだよ?すずねちゃんははじめてのおともだちだから、とってもたのしみだよ」
「‥‥‥ともだち‥‥‥そうね。ともだちだもんね」
その後は神社の境内で仲良くおやつを食べたり、神社の敷地内を探検したりと楽しい時間を過ごしした。気があったのか、この頃にはすっかり打ち解けていた記憶がある。
暫く遊んだ後、鈴音が小さな声で秘密を教えてくれた。
『あのね、わたしのうちにはとってもすごいかたがいるんだよ』
『こわいひと?』
『ううん、なんだかえらそうなかただけど、とってもやさしいの。ちっちゃいけど』
『へー、ちっちゃくてやさしいひとならあいたいなぁ』
『それならとくべつに、こんさまにあわせてあげる』
『こんさま?‥‥‥わっ!?』
こんさまとは何かと考える間もなく、鈴音は雲雀の手を掴んで神社の裏手にある木の下まで案内してくれた。
そこには黒い髪の小さな女の子が佇んでいた。
最初は鈴音の姉妹かと思ったが、その予想は直ぐに裏切られる。
黒く艷やかな長髪を綺麗に束ねており、頭の所から黒いふわふわとした獣耳が生えている。腰の辺りからは同じ色の束‥‥‥尻尾がすらっと流れ落ちていた。
一目見て自分達とは違うものだと気が付く。
時々、寺の周りでも似たようなものを見るが、それとは全く違うもの。雲雀の目にはとても綺麗で神々しいものに見えた。
『こんさまー、わたしのおともだちのひばりくんなんだよ。よろしくおねがいしまーす』
少し前のしおらしさは何処へ行ったのか、大人しそうな雰囲気から一転、子どもらしい元気な声でその女の子に声を掛ける。
女の子は静かに木の下からこちらに歩いてくる。
そして鈴音の近くまで来たところで彼女の頭を優しく撫でながら言い放った。
『雲雀か‥‥‥なるほど、次代の犬飼家の跡継ぎは随分とぼんやりした奴だな』
初対面の相手、ましてや年端もいかぬ子どもに対しやや辛辣な物言いである。だがその言葉を呟く彼女にはまったく悪意は感じられない。それどころか何処か優しく包んでくれる雰囲気すらある。
そこで目の前にいる女の子は只者では無いと気が付いた。見た目は少女にしか見えなくても、鈴音が“こんさま”と慕うくらいには年上の女性。
だがそれ以上に衝撃的であったのはその女の美しさ。いつも傍にいてくれる女性とはまったくの別物。人外のものと分かる黒い耳と尻尾。父親が着ているものとは違うが、それ以上に侵し難い雰囲気の服‥‥‥表衣と袴であるが、子どもの感性にも訴えかけるほど楚々とした衣装。均整のとれた肢体にはこれ以上無いほど似合っている。
例えるなら、人の手によらず自然が作り出した孤高の花。もしくは人の手が作り出した名刀のように冷たさを内包した鋭さ。飾り気が無いからこそ映える美しさを備えたものであった。
彼女の神性を確固たるものに押し上げているものは、どこまでも深い漆黒の瞳である。
心の底を見透かし、嘘を付くことすら許さぬほど冷徹なものである一方、その瞳で見つめられること自体が至上の喜びとも感じられそうな感覚に陥る。
厳しくも優しい、まさに自然そのものといった雄大で威厳のある存在であることを本能に訴えかける力強さがあった。
『はじめまして、いぬかいひばりです。よろしくおねがいします』
鈴音の真似をして丁寧に挨拶をする。自然とそうさせてしまうほどの何かが彼女にはあった。
『まあ、それなりに礼儀とやらは弁えているようだな。我に対する畏敬の念を忘れなければ、貴様がこの世での役目を終えるまで見守ることぐらいはしてやる』
尊大な口調と態度で呟く。
あんまりな言い方だが不思議と悪い気はしない。鈴音の方は“こんさまえらそー”と尻尾をなでなでしながら気安く声を掛けていた。
”よくわからないけど、たぶんありがたいことをいわれているんだろうなー“と思いつつ、目の前の綺麗な狐神様を見つめていた所、雲雀の横をふんわりとした風が通り抜ける。
『おいおい、幼子に対してそんな言い方は良くないじゃろ‥‥‥相変わらず偉そうな奴だのぉ』
『貉か‥‥‥貴様の方こそ相変わらず呑気な奴だな。わざわざここまで来るとはな』
風の流れる方を向けば、そこにはいつも傍にいてくれる女性の姿があった。
『あ、むじなさま。きょうはいそがしいといってたのに。どうして?』
『いや、まあ、そうなんじゃが‥‥‥そのぉ‥‥‥眠たかったので嘘をつきました‥‥‥』
『またおねぼうですか。おとななんですから、あさはきちんとおきてくださいね』
『うぅ‥‥‥ごめんなさい‥‥‥って、何で美鞠みたいなことを言うんじゃ!?‥‥‥‥‥‥ああ、毎日同じことをしていたら覚えるかぁ‥‥‥』
母親が話していた事を真似して言ってみる。予想以上にあたふたしていて面白いと思った。
知っている人が来たので安心しながらいつもどおりの遣り取り交わす。雲雀や貉にとって当たり前の遣り取りであったが、鈴音はびっくりした表情で見つめていた。
『ひ、ひばりくん。そのとてもきれいなおかたは‥‥‥』
『むじなさまだよ。うちのおてらにいるかみさまなんだって。すっごくやさしいんだよ』
『おや?‥‥‥お主が次代の猫宮の巫女かの?はじめまして、儂は犬飼寺の神をやっておる犬飼貉と申す。それとこっちの雲雀はとても良い子じゃ。良ければ仲良くしてやってくれんかのぉ』
貉は雲雀の頭を撫でた後、鈴音に向き直り挨拶をする。神様という割には見た目は普通。自然体で自己紹介をし、朗らかに笑う。
顔つきが整っていることは分かるが、それ以上に笑顔に惹きつけられる。いつまでも見ていたいと思う程度には。
貉は紺とは違い、まったく偉そうな雰囲気は無い。肩まで届く黒い髪は、光の加減でどことなく茶色みがかった艷めきも見えている。染めているようなものではなく彼女本来の色味。秋と冬を連想させるような趣がある。
母親よりも少しだけ背が高く、体男の人が着ているような服に身を包んでいる。鈴音には作務衣という衣装が分からなかったが、そんな服装であっても隠しきれない程の母性を感じる。思わず抱きしめてもらいたくなる魅力‥‥‥ずっとその腕の中に居たいと思えるほどの絶対的な安心感。
言語化は出来ないが”最期を看取ってもらえるのであればこの女性が良い“と自然に考えてしまうくらい包容力に溢れていた。
貉という女性が人の枠組みでは到底計り知れない程の器を持つ存在である事を、幼い鈴音は本能で理解していた。
『ふん、貴様が言わんでも鈴音は仲良くやるわ‥‥‥器量良しだからな‥‥‥それよりもそんなだらしがない姿を見せるでない。鈴音の教育に悪い』
『はっ!‥‥‥偉そうにふんぞりかえるだけが仕事の狐には言われたくないわい。素直で良い子の雲雀には反面教師とさせてもらうからのぉ』
自己紹介が終わった途端、お互いにふんわりと罵倒し始める。やいのやいの言いながら自分のところの子どもを前面に推す姿は微笑ましいものであった。
『けんかしないでください。こんさま』
『よくわからないけどだめですよ、むじなさま』
2人の関係を良く知らない雲雀と鈴音はお互いの家の神様を止めに入る。
『いや、喧嘩をしているわけではないが‥‥‥』
『儂らはいつもこんな感じだがのぉ‥‥‥』
子どもに止められてしまい、軽口を叩き合う気が失せてしまった貉と紺はお互いに矛を収める。
言葉通り、喧嘩をしているわけでは無い。ただ自分達が可愛がっている子どもの良い所を示したかっただけである。
『はぁ‥‥‥気が削がれた‥‥‥雲雀、とりあえず鈴音と仲良くするのであれば特別に目をかけてやる。神である我の庇護を受けることが出来るんだ。一日たりとも忘れずに感謝しろ』
『だからその言い方よ‥‥‥素直によろしくと言えんのかお前は‥‥‥それとな鈴音。お主も今日から儂の家族みたいなようなものじゃ。寺にはいつでも遊びに来ると良いぞ。雲雀も儂もいるのでな。これからも仲良くしようかの』
貉と紺の言葉を聞き、二柱の神様がとても優しい存在であることをお互いに理解する。
そしてここから十数年間、家族ぐるみの付き合いの中で更に親交を深めることとなる。
これが犬飼雲雀と猫宮鈴音が友達になった日。
そして、お寺と神社の垣根を越えた神様達との初めての出会いでもあった。
◆ ◆ ◆
「もはや紺様は空前絶後の芸術品なのでは?いや、そうに違いない。異論を唱える奴は俺が許さない」
「貉様は母なる大地、母なる海といっても良い存在ね。母性が爆発して星が出来るわ」
猫宮神社の離れ。紺の部屋の縁側に腰を掛けてお互い持参した写真を眺める。
雲雀は初めて酒を飲み交わし、後片付けをした後に2人で仲良く撮影したもの。鈴音は我儘を貫き通し、紺にナイトキャップを被らせて抱き枕にした時の記録を。2人の間で交わされる写真と感想。
自身の家に居座る神様が一番ではあるが、もう片方の神様が下であるとは限らない。寧ろ、その魅力は遜色無いものといっても良いくらいである。
それはそれ、これはこれの精神。とてもではないが優劣はつけがたい。つまりどちらの神様も大好きなのである。
「それにしても大変だったみたいね。私としてはとても羨ましい状況ではあるんだけど‥‥‥貉様に襲われるって、前世でどれだけ徳を積んだらそうなるのよ」
「ああ、危うくこの町から出奔して俗世との縁を断ち切る所だったよ‥‥‥心身ともに成熟していたら間違いなく受け入れていたね、俺は」
紺へのお礼を済ませた雲雀は、鈴音に誘われるまま縁側でお茶を啜り、昨夜の出来事を振り返っていた。鈴音も一連の騒ぎについては既に知っている。大変だったと同情する反面、実に羨ましいとも思っている鈴音は、雲雀の正直過ぎる返答に対し一抹の寂しさを感じていた。
「‥‥‥それは少し寂しいわ」
「そう言ってくれると悪い気はしないな」
「当たり前でしょ。雲雀君は私の初めてのお友達よ?‥‥‥とても大切な人なんだから」
「凄く嬉しいことを言われているなぁ」
初めての友達で大切な人という言葉に素直に喜ぶ。嬉しさはあるが気恥ずかしさは無い。雲雀もまったく同じことを考えているからである。
彼の心情を理解している鈴音はなんてことの無いように言葉を続ける。
「まあ、私は友達以上の関係でも構わないんだけどね‥‥‥寧ろ今の内に籍でも入れる?その気があればお父さんに話しておくし、今日にでも市役所に行っても良いんだけど」
「俺も構わないけど‥‥‥出来れば大学を卒業してからが良いな‥‥‥生活が出来るくらいには一人前にならないと鈴音に失礼だし。それに在学中にでもお互いに素晴らしい出会いがあるかもしれないから」
「雲雀君は予定でもあるの?ちなみに私は無いんだけど‥‥‥性癖的に」
「俺も無いなあ‥‥‥鈴音もいるし‥‥‥そう思うと俺の周りって美人が多いな?」
「ありがと‥‥‥って、まあ、紺様や貉様の存在が大きいのよね‥‥‥あの方達の傍にいるとどうにもこうにも興味が外に向かないと言うか‥‥‥」
「基準が高すぎるというのも問題だよなぁ‥‥‥まあ、一向に構わないけど‥‥‥」
「私もよ‥‥‥奇遇ね‥‥‥」
他人もさることながら、友人が聞いたとて耳を疑うような言葉が2人の間で飛び交う。お互いにそういった関係になったとしてもまったく抵抗は無い。それどころか大学を卒業した後に気が向いたらそのまま籍を入れても構わないとすら考えていた。
一方で、お互いに良い人に出会うことが出来ればそれはそれで祝福をする心づもりである。
だが実際には理想の女性が貉である雲雀と、紺以外の存在にはあまり興味の無い鈴音にはそういった出会いは皆無であった。
「まあ、とりあえず暫くはお友達のままね」
「そうだな。大学を卒業するまではお互いに好きにしようか」
「もしも私に悪い虫が付いたらどうするの?」
「それは残念な事だけど鈴音が幸せなら良いよ、祝福する‥‥‥でも相手が出来たら俺に会わせてくれないか?万が一、鈴音が悪い男に脅迫されていたり、騙されているようなら俺が拳で話をつけるからさ」
「そうなったら只では済まなくなるわ‥‥‥相手が‥‥‥‥‥‥まあ、そんな機会は無いから安心して頂戴」
「知ってる。鈴音になら何をされても構わないくらいには信頼しているからね」
鈴音が振った仮定の話に対し、雲雀は至極真面目に答えを返す。男相手なら肉体言語で語り合うのが一番だと考えている節がある。
しかし、その根底には鈴音に対する絶対的な信頼感がある事を彼女も熟知している。感情に任せて無茶をする人ではないと。
冷静に話をした上で駄目だと判断したら即、動くだけで。
「はぁ‥‥‥重たい信頼ね、雲雀君らしいわ‥‥‥まあ、そこも好きなんだけど」
「鈴音だからこそだよ。それだけ大事なんだ」
神様達に対する感情と同じくらい、身内にはとても愛情深い2人。特に初めての友達で、今なお続く友情を何よりも大切にしているからこそ、お互いに重い感情を抱いていた。
「本当に‥‥‥猫宮の家に産まれてきて良かったわ」
「俺も犬飼家の子どもとして産まれて良かったよ‥‥‥」
2人はお寺と神社というまったく別の神様を信奉する家に産まれながらも、一族や縁の垣根を越えて見守ってくれる神様が二柱もいるという事実に対し、一日たりとも感謝と幸運を忘れた事は無かった。
◆ ◆ ◆
「‥‥‥何か熟年夫婦の遣り取りみたいな事をしとる‥‥‥あやつら、二十歳そこそこだよな?」
「縁側に座りながら、そのまま仲良く逝きそうな雰囲気じゃの‥‥‥仲良きことは素晴らしいが、まったくもって新鮮味が無いのぉ‥‥‥」
縁側で仲良くお茶を啜る雲雀と鈴音。貉も紺も、縁側にいる2人が互いの沈黙すら気まずいものとも思わず、いつまでも共に過ごすことが出来る事を知っている。
雲雀も鈴音もお互いに異性として意識しているが、気恥ずかしさは当の昔に無くなっている。かといって馴れあっているわけでもなし。お互いの良い所、悪い所を熟知しているからこそ言いたいことも言えるし、尊重し合う事が出来ていた。
例え友達から関係が変わり、夫婦になったとて、その関係性に揺るぎは無い。寧ろ実家が近いので子どもが出来ても便利だと思っている節すらある。
2人にとって貉や紺との出会いが奇跡であったと同じくらい、雲雀と鈴音も運命的な出会いを果たしていたのである。
「それにしても‥‥‥私も貉様を抱きたいわ‥‥‥全てを曝け出して、一緒に朝を迎えたい‥‥‥」
「諦めない‥‥‥紺様もいずれ‥‥‥抱き枕にして、ふわふわでさらさらな一夜を‥‥‥っ!」
穏やかな陽だまりの中、隣り合わせに座りながら少しだけ黒い野望に思いを馳せる。
そんな2人の背中を見ながら、二柱の神様も素直な気持ちを呟いていた。
「‥‥‥のう、やはり儂らって2人の育て方間違ったか?」
「我も認めたくは無いが、多分な‥‥‥」
背筋に薄ら寒いものを感じつつ、少しだけ残念な気持ちになる貉と紺であった。




