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犬飼さん家のたぬきと猫宮さん家のきつね   作者: 岩波備前


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第二十四話『犬飼雲雀と犬飼貉の晩酌』

とある日。寺の1日を終えた雲雀は夕方の挨拶をするために貉の部屋へと訪れていた。

挨拶が終われば夕食となり、その後は大学の課題を進めるか貉と遊ぶかの二択である。

代わり映えは無いがとても充実した一時‥‥‥しかし、今日の夜はいつもと様子が違うものであった。


「雲雀や、今日の夜は空いているかの?」


「いつでも空いていますが‥‥‥そんな、貉様からなんて‥‥‥」


”夜のお誘いかしら“と、どきどきしながら期待に満ちた熱視線を送る雲雀。そんな彼の反応を予想していたのか、貉は呆れた様子で言葉を返す。


「残念だが雲雀が思っているような事は無いぞ」


「‥‥‥更に上を‥‥‥!?」


「阿呆な事ばかり言っとらんで、年長者の話はきちんと聞くもんじゃ」


勝手に盛り上がる雲雀を優しくいさめつつ”そこに座れ“と手振りで伝える。

雲雀は素直に従い、居住まいを正す。話を聞けと言われたら真面目に聞く程度には貉を上に見ている。


「お聞きしましょう」


「いやな?‥‥‥雲雀も二十歳はたちを過ぎておるじゃろ?‥‥‥今晩、一緒に酒でも飲まんか?」


何を伝えられるのかと身構えていたところ”晩酌ばんしゃくに付き合え“と提案される。

貉は下戸であるが酒は大好き。たまにちびちびと飲む程度で楽しんでいた。そのことは雲雀も知っている。そしていつかは一緒にお酒を飲み交わしたいとすら思っていた。


「良いですよ。では、夕食とお風呂が終わったらでよろしいでしょうか?」


「うむ。そうしようかの。酒とつまみは儂が用意しておく。時間はそうだのぉ‥‥‥夜の9時頃でどうじゃ?」


「分かりました。ではその時間にお邪魔します」


「あい分かった。それとつまみを作るから儂も後で台所に向かう。ついでに夕食の下ごしらえも手伝ってやろうかの」


「ありがとうございます。助かりますよ」


「良し‥‥‥では、また後でじゃな。今晩は楽しみにしておるぞ」


「はい俺も楽しみです。では、失礼します」


晩食の予定が決まり、お互いに準備を進める事になった。雲雀が夕食の支度を始めてから少し経った後、貉も台所にやってくる。久しぶりに2人で立つ台所はとても賑やかで、美味しい料理の気配が色濃く漂っていた。




◆  ◆  ◆




軽めの夕食と入浴を終えた雲雀は、約束の時間まで自室で課題を進めていた。少しの間パソコンとにらめっこをしていると、手元のスマートフォンが新着メッセージを表示する。送り主は[鈴音]


課題の手を止めてメッセージを開く。そこには見慣れた狐神の可愛らしい写真が十数枚程添付(てんぷ)されていた。本文は『きょうのこんさま』と言う一文だけであったが、それである程度事情を察する。


「お出掛けでもしたのかな。それにしても‥‥‥‥‥‥うん、実に良い紺様だ。びゅーてぃふぉー‥‥‥」


10年に一度の出来栄えと呼ばれた昨日の紺とは違ったおもむきを見せてくれる。オンリーワンでナンバーワン。被写体も当然ながら、撮影者の腕も相当であると分かる逸品。雲雀は心と電子のフォルダにそっと収める事にした。

ふと画面上部の時間を確認する―――午後8時53分。思っていたよりも長い時間を写真鑑賞に費やしていたと気が付く。課題も切りの良いところまで進んでいたため何もかもが丁度良かった。


『これから貉様と合コン開始。ほろ酔いの貉様を期待していてくれ』


紺のおめかし写真を送ってくれた鈴音に対し、お返しの写真を匂わせるメッセージを送る。鈴音も貉が大好きなので喜んでくれる筈だと確信していた。


「よし、とりあえず鈴音にはこれで良いかな?」


画面をスリープモードに変え、軽く支度をしてから自室を出る。目指すは離れにある貉の部屋。

夕食を作る雲雀の横で貉が作っていた美味しそうなおつまみを思い出す。とてもお酒に合いそうなものであった。


「貉様とお酒を飲めるなんて‥‥‥いやあ楽しみだなぁ」


期待に胸を膨らませながら離れに向かう。

浮かれきっていた雲雀は、自分のスマートフォンに届いた新着メッセージに気が付いていなかった。




『写真は何枚でも送ってきてもいいからね?それと紺様から伝言だよ”酔った貉には気をつけろ“だって』




◆  ◆  ◆




「‥‥‥‥‥‥あの、貉様?」


「ん?なんじゃ雲雀?」


「なんでこんな状況になっているんでしょうか?」


「気にするでない。なんじゃ?‥‥‥嫌だったかの?」


「いえ、単純に嬉死うれしにそうです」


「死んでも連れ戻すから安心しろ」


「えぇ‥‥‥?」


“妙な事になってしまった”雲雀は貉の腕の中で強くそう思っていた。


―――――状況を整理する。


今の雲雀は背中から貉に抱きしめられている。痛くは無いが腕すら動かせないほど強い力で固定されていた。頭の上から熱い吐息を感じる。酒による酩酊めいていから呼吸が乱れているのであろう。特筆すべき点として後頭部から両耳辺りまで大きくて柔らかいものに挟まれている感覚がある。僅かに汗ばんでおりとても温かい。風呂上がりのため身体から石鹸せっけんの香りが漂っているが、その奥に興奮を掻き立てるものの一端が見え隠れしている。子どもの頃は甘い香りとしか思っていなかったが、大人になった今ではまさに劇薬。意識すると意識が遠のくため、意識的に考えないようにしていた。

雲雀の腕から腹にかけて、貉の細い腕が蛇のように這う。微妙に指先が動き、その都度甘い刺激が雲雀をさいなむ。背中には厚みのあるものが密着し、呼吸の動きとともになまめかしい感触を全身に伝えている。

浴衣のような薄い生地の間からまぶしい程白い脚が露わになっており、雲雀の足を巧妙こうみょうに絡めとっていた。どんな技術を使っているのかは分からないがまったく動かせない。

ここまでの状況を整理した雲雀は静かに目を閉じ、ひとつの答えを導き出す。


―――――今日が命日めいにち


数分前から興奮は過ぎ去っており、心は既に涅槃寂静ねはんじゃくじょうの境地に近づいている。生きている間に真理を垣間見る事が出来るとは思っていなかった。


何故こうなってしまったのか。

話は数十分前に戻る。




◆  ◆  ◆




約束の時間に離れの部屋を訪れていた雲雀は、先に準備をしていた貉に迎えられていた。

ちゃぶ台の上には2人分のお猪口ちょこと数本の徳利とっくり。それと数枚の小皿が並んでいる。床には直置きされた『狸酒』の一升瓶。徳利の中身であることを示唆していた。

小皿の中には夕食の残りや貉が作ったつまみが乗せられている。見た目は素朴だが絶対に美味いものであることは一目で分かっていた。もとより貉の料理の腕については雲雀は熟知じゅくちしている••••••何せ料理のだ。彼女であれば毎日食べても飽きないくらい美味しい料理を作る事など朝飯前あさめしまえである。


「おお、時間通りじゃのぉ‥‥‥では早速始めるとするか‥‥‥ほれ、ここ座れ」


「失礼します」


ちゃぶ台を囲んで対面に座る。普段であればとこに付いている時間なので貉は寝間着に身を包んでいた。いつもよりなんとなく涼しげに見える。恐らく食後はそのまま眠ろうという魂胆こんたんだ。だらしがないと思うが相手は神様なので何も問題は無い。


はいを持て、一杯目はいでやる」


「ありがとうございます‥‥‥では俺も」


「すまんのぉ‥‥‥よし、お互いに酒が行き渡ったな。では‥‥‥乾杯」


「乾杯‥‥‥」


お互いに杯を掲げながら中身を飲み干す。

水のようなのどごしとともに濃い甘みが口内に広がる。水のような薄味かと思いきや、米の甘みと芯のある旨味が舌の奥までじんわりと染み込む感覚を覚える。僅かな酒精しゅせい灼熱しゃくねつ感の残滓を漂わせつつ、ふんわりと喉の奥へと姿を消していく。


「落ち着く味ですよね、このお酒」


「そうじゃのぉ‥‥‥儂も色々と飲んできたが、こういった風味が舌に合うんじゃ。馴染みの味は中々に手放しがたいわい‥‥‥」


”儂はともかく作る人間が変わるからのぉ“と2杯目を飲み進めながら呟く。貉や紺のように永い時を過ごしている存在にとって変わらぬ味はとても貴重なものである。

雲雀も手酌で2杯目を注ぐ。少し前に先に飲み干した貉の杯に注ごうとしたが、それを手で制されていた。

”気を使わずにお互い好きに飲もう“といった無言の意思表示。雲雀への細かい配慮も欠かさない。

肩肘かたひじ張らずに酒を愉しむ。2杯目の半ばを飲み干し、貉の言葉に思いを馳せる。


「‥‥‥永い時を過ごすことは良いことばかりでは無いんでしょうね‥‥‥」


「いや、そうでもないぞ?紺の奴はどうだか知らんが、少なくとも儂は良いことだとは思っておる。人は変わるが変わらないまま残るものもある‥‥‥雲雀の祖先に当たる人間とも交流はあったが、今の雲雀にもその面影おもかげが確かに残っておるよ」


「‥‥‥それなら、良かったです」


「心配せずとも儂は不幸にはならんさ‥‥‥雲雀がこの世を去ったとて、儂にはきっと新しい出会いはあるだろうからのぉ」


「貉様が幸せであれば俺も嬉しいです••••••••••••ですが正直な所、少し複雑な気持ちもありますね‥‥‥」


貉にも苦悩や悲しさといった経験はあった筈だがそれをものともしない。ありとあらゆるものを自然の移り変わりと考えている貉ならではの強さ。

喜びも悲しみも、彼女にとっては大切な思い出であった。

貉が全てをとしている事が分かり、雲雀は心底安堵する。一方で自分は数ある思い出の中の一つでしかないのかなと何気なく考えてしまう。それを貉は見逃さず、大きく溜息を付きながら諭すように言葉を紡ぐ。


「‥‥‥阿呆。言葉の上辺ばかりを捉えるな。儂はそこまで薄情では無いわ‥‥‥過去も未来も全て儂の宝物じゃ。これまで何人もの人生を見守ってきたが、その中の一つとて忘れたことも無いし、儂という存在が消え去るその瞬間まで手放す気などさらさら無いわ‥‥‥‥‥‥それにのぉ、今ここにいる儂にとっては今の雲雀が一番大切なんじゃよ」


「••••••貉様‥‥‥ありがとうございます」


「うむ。分かればよろしい。神の慈愛は無尽蔵だから安心せい」


”ふふん“と自信満々に微笑みながら3杯目を飲み進める。つまみも合わせるとなおのこと酒が進む。それは雲雀も同じ。貉が作った煮付けを食べると口の中が一気に幸せになり、更に酒が進む。そして身体は再びつまみを求める。まさに飲兵衛のんべえ永久機関えいきゅうきかん。酒の風味と濃い目の味付けが絶妙な相乗そうじょう効果を作り出していた。


だからこそ思い出すまでに時間が掛かってしまった。貉は酒が好きな下戸であり、普段は少しずつ酒を飲んでいることを。


そして気が付くことが出来なかった。

そんな彼女が数分も経たずに既に4杯目に突入していることを。




―――――事件はいつも突然始まるもの。




貉が犬飼寺の神として祀られてから立ち会った十人の剣客けんかくとの仕合しあい『鹿島の十番勝負』について話をしていた時に事件は起きた。


「それでな?‥‥‥5人目の相手は儂の狸寝入りに、一瞬の隙を見せおってのぉ‥‥‥相手にしてみれば無自覚と言って良いくらい刹那の油断であっただろうが、儂にとっては欠伸あくびが出るほどの致命ちめいの隙にしか見えなんだ‥‥‥ま、殺しはせんかったがの‥‥‥」


「手に汗握る展開ですよ‥‥‥それで、どうなったんですか?」


剣と拳のぶつかり合いはいつの時代でも男心をくすぐるものである。現代人の雲雀とてその例外では無い。寧ろ浪漫ロマン派を自称する彼にとっては垂涎ものの語りである。貉による玄人跣くろうとはだしの話術も雲雀の興味を強く刺激していた。期待に胸を膨らませ、早く早くとせがむ瞳を見ていると貉の中で一寸ちょっとした悪戯心が顔を出す。


―――“一寸”の度合いが雲雀にとって致命的なものであったが。


「そうじゃのぉ‥‥‥こんな感じじゃったか?」


「‥‥‥へ?」


目の前にいた貉の姿が消える。

代わりに視線がぐるりと回り、何をされたか理解する前に天井の景色が目の前に広がっていた。

“酔い過ぎたか?”とぼんやりする頭で思考した直後、頭の上から解答が降りそそぐ。


「油断大敵じゃ‥‥‥」


「‥‥‥あの、どういうことでしょうか?」


「ふふっ‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥あれ?」


貉の言葉が頭の奥に染み込む。

“あ、何だかふわふわ”すると考えた瞬間、今の現状を理解する―――酩酊めいていによるものではなく、物理的にふわふわであると。


「貉様‥‥‥俺の頭に柔らかいものが‥‥‥」


「まあ、頭の半分は埋もれているからのぉ‥‥‥儂のものも悪くないじゃろ?」


埋もれているという言葉に先程の貉の姿を思い出す。元々、寝る前は色々と緩い‥‥‥だが、酒を飲む前の彼女はあまりにも涼やかな姿であったと。


「‥‥‥つかぬことをお聞きします‥‥‥‥‥‥下は‥‥‥?」


「そのまま寝るつもりじゃったから着けておらんぞ?」


「マ゜ッ」


横目で貉の顔をうかがおうとするが、その前に肌色が目のはしに入る。同時に子どもの頃の記憶が色鮮やかに蘇った‥‥‥求めてはいたが、実際手に取ってみると話は別。

心の準備が追いつかない雲雀は、そのまま息を引き取った―――犬飼雲雀、享年20歳。


「これ、そうそう死ぬでないわ‥‥‥ほれほれ、柔らかいじゃろぉ?」


「っはぁ!?‥‥‥あれ、ここ、どこ?‥‥‥天国ぅ‥‥‥かなぁ‥‥‥?」


大きなものでむにむにと後頭部を圧迫され、息を吹き返す。この感触をのこして死ぬわけにはいかないと生存本能が心臓を動かしていた。


「お、蘇ったのぉ。こうして抱きしめてやるのも子どもの頃以来じゃ‥‥‥そう思うと小さい頃の雲雀に見えてきおったわい」


「ちょっ!?‥‥‥待ってくだ‥‥‥」


「ひばりはかわいいのぉ」


「いやぁ‥‥‥うごかないでください‥‥‥素肌が背中を‥‥‥足を‥‥‥」


子どもをからかうように全身で雲雀をいじる貉。

雲雀にとってはこの上ない程センシティブ。

乱れた寝間着から素肌が露出し、雲雀の身体に抗い難い心地よさを与えていた。


ここまでの行為や言動には裏も悪意も無い。

貉は自身の思うがまま徹底的に甘えさせる、特殊すぎるからみ酒であった。


「だれかたすけてぇ‥‥‥しあわせすぎてしぬぅ‥‥‥」


助けを求める声は、無情むじょうにも虚空こくうへ溶ける。

貉に抱き枕にされたまま無限とも思われる時間を経て、最初の場面に時間軸が合わさるのであった。




◆  ◆  ◆




抱き枕となってから幾星霜いくせいそう(体感)


悟りの境地を飛ばし、欲が一周回って帰ってきた。未熟な人の身では悟りを開く事が出来なかった様である。そんな未熟者の雲雀は、現状を打破するための方法を模索もさくしていた。


「おや、寝てしもうたか?‥‥‥起きろーい、ひーばーりーっ‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥」


あまりにも可愛らしい仕草で腹をぺしぺしされてしまい、心が折れてしまいそうになる。

貉が動けば動くほど素肌の接触面や密着度が大きくなる。そんな過酷かこくな状況の中、寝た振りでやり過ごす事に光明こうみょうを見出す。反応が無くなれば飽きて放り出すであろうとの考えだ。


「‥‥‥むぅ‥‥‥動かなくなってしもうた‥‥‥はぁぁ、つまらん‥‥‥このまま儂も寝るか‥‥‥」


反応のない雲雀に飽きたのか、そのままぱたんと天井を仰ぐ。貉に腕枕をされてるような形―――脱出の光明が見えた。


「っ!?今ならっ‥‥‥って、わぷぅ!?」


「やはり起きておったな?‥‥‥狸寝入りは儂の専売特許。通じるわけが無かろうに‥‥‥」


一瞬の隙を見て腕の中から脱出を試みるが、健闘虚しく徒労とろうに終わる。それもその筈、隙では無く単に姿勢を変えるためにわざと力を緩めただけであった‥‥‥当然、狸寝入りをしている雲雀がそれを隙と見て逃げ出そうとすることはお見通し。腕の中から出るための力を逆手に取り、彼の身体の向きを反転させる。結果、後頭部があった位置に顔面が綺麗に収まることになった。


「ふじなはま、ほへまふいでふっへ」


“貉様、これ不味いですって”と必死に伝えるが肉の厚みで上手く声が出せない。予想以上に柔らかな感触と汗で湿った素肌の熱が、おろし金のように雲雀の理性を削り取る。羞恥と酸欠でぼんやりしている頭のまま、残り僅かな力で抵抗をこころみる。しかし貉はそれすらも許さない。


「これ、暴れるでない。せっかく雲雀が好きそうな事をしてやっているというのに‥‥‥あまり言うことを聞かないと‥‥‥」


腕の拘束が緩む。

勝機を感じ取った雲雀は、すぐさま谷間から顔を引き抜き一気に身体を離そうと試みる。

‥‥‥だが、逃げられない。背中に回された腕が雲雀の身体を完全に拘束していた。


身体を離した一瞬、貉と目が合う。

今迄に見たことが無いほど妖艶な微笑みを浮かべ、舌なめずりをした後に一言呟く。




「‥‥‥‥‥‥食べちゃうぞ?」


「こんさま、たすけてぇっ!‥‥‥おれ、だめになっちゃう!!」




後数分で心と身体が堕ちてしまうと確信してしまった雲雀は最後の力を振り絞り、もう一柱の神様に助けを求めた。


「そこまでにしておけ、馬鹿狸」


「むぎゅっ!?」


「紺様ぁ!」


何処からともなく現れた紺が今にも襲いかかろうとしている貉の顔を踏んづける。どんな力を掛けているのか分からないが、そのまま貉は静かになっていた。

その間に腕の中から抜け出し、貉と距離を取る。安全な位置まで移動する事が出来た雲雀は、助けに入ってくれた紺に向けて拝むようにお礼を伝えた。


「本当にありがとうございます。紺様が来なければとんでもないことに‥‥‥‥‥‥そうなったら明日から俗世ぞくせを断ち切って修行の人生を送る事になっていましたよ」


「いや、それは元からだろう?‥‥‥はぁぁ••••••貉も馬鹿だが雲雀も阿呆だ。鈴音経由で警告をした筈なんだが‥‥‥見ていなかったのか?」


「警告?‥‥‥‥‥‥あ」


余裕があるのかないのか分からない戯言たわごとを口走る雲雀に対し、呆れた様子でスマートフォンを見ろと促す。そこでようやく連絡が入っていた事に気が付いた。


「阿呆、早く気が付いておれば我が出ずとも済んだものを‥‥‥貉も雲雀も何故メッセージを確認せんのだ、まったく‥‥‥」


「ご迷惑をおかけ致しました‥‥‥」


「ふん、たい焼きと団子で手を打ってやる」


「後日奉納させて頂きます」


「あまり待たせるなよ?‥‥‥それと••••••ほれ、起きろ馬鹿狸••••••酔いは覚めただろう」


雲雀の謝罪と礼を受け、満足そうな表情を浮かべる紺。雲雀の件は済んだとばかりに今度は足元へ視線を移し、そのまま小さな素足の下にある貉の頬ををぐりぐりと押し潰す。


「ふが?‥‥‥ありゃ?紺か‥‥‥何故こんな夜更よふけに‥‥‥‥‥‥あー‥‥‥」


「‥‥‥何か言うことはないのか?」


「‥‥‥すまん‥‥‥やってもうた‥‥‥」


足蹴あしげにされていても怒ることなく、そのまま会話を続ける貉。状況を把握する前はぼんやりとしていたが、把握出来た後は自分の非を素直に認めている様子であった。基本的に相手の無礼にも寛容な神様達。怒る時は自分達の家族とも呼べる人間達に危害があった時だけなのである。


紺は深い溜息をつきながら貉の顔から足をどかし、そのまま2人の間で仁王におう立ち。雲雀と貉は誰に言われるまでもなく、そのまま紺の前で正座の姿勢になる。


「はぁぁ‥‥‥雲雀と飲めることが嬉しいからといって羽目はめを外すなこの馬鹿」


「だって‥‥••••••••雲雀が成人したら一緒に飲もうとずっと楽しみにしておったんじゃ‥‥‥」


「••••••飲むなとは言わんが加減しろ‥‥‥もしくは我を呼べ‥‥‥止めるものがおらねば同じことの繰り返しだぞ。ただでさえ酒癖さけぐせが悪いのだからな」


「••••••••••••そうします」


貉の酒癖の悪さを熟知している紺は、神様らしくない至極まっとうな意見の述べる。流石の貉も自分が原因である事を理解していたため、しゅんとしながらも素直にいさめを受け入れる。悪戯をした子どもを大人が諭すような場面。感動した雲雀は思わず余計な口を挟んでしまう。


「紺様‥‥‥凄く大人っぽい‥‥‥」


「くっ‥‥‥どいつもこいつも同じことを‥‥‥っ!」


眉をひそめながら歯噛みする紺。文句を言ってやろうかと思ったが、直ぐに気を取り直す。なにしろ、たい焼きと団子が待っている。密かに1個ずつ余計にふんだくってやろうと考えつつ、話題を切り替える。


「‥‥‥まあいい、今日はおひらきにしてさっさと寝ろ。我も眠たいんだ‥‥‥ただでさえ抱き枕代わりにされて寝不足気味だというのに‥‥‥」


「‥‥‥それで可愛らしい帽子をかぶっていらっしゃるのですね‥‥‥本当にご迷惑を‥‥‥」


「‥‥‥‥‥‥捨て置いても良かったが、一応な」


寝間着に耳穴付きナイトキャップ姿の理由を悟る。恐らく鈴音の我儘に付き合っているのであろうと。

それほど大変な状況の中でも心配して駆けつけてくれた紺に対し、改めて深い感謝の念を込めて頭を下げる。


「なんか済まん‥‥‥儂も後日、礼をしようかの」


「礼は酒のつまみでいい‥‥‥その時は雲雀も来い。お前らに酒の飲み方を教えてやる」


悪気はないとはいえ当事者である貉の方もいたたまれなくなり、謝罪と礼を約束する。殊勝しゅしょうな心掛けを認めた紺は、小さく鼻を鳴らしながら改めて酒の席を準備しろと伝える。その真意を悟った2人は、紺のいきはからいに素直な感謝を述べた。


「紺様‥‥‥ありがとうございます」


「‥‥‥たまには粋な事をするのぉ‥‥‥お前、本当に紺か?」


「もう一度踏んでやろうか?」


「冗談じゃ‥‥‥痛いからやめれ」


少しだけ舐めた態度を取る貉に対し、真顔で足を上げる紺。酔い覚ましの気付けとは違う、本気の折檻せっかんの気配を感じた貉は、うっすら冷や汗を掻きながら直ぐに態度を改める。


「はぁぁ‥‥‥お前らももう寝ろ‥‥‥ではな」


「ありがとうございました」


「ありがとよぉ」


まばたきの間に紺の姿が消える。どんな術を使ったのかは知らないが、相当高位な術を使ってまで駆けつけてくれたことは理解が出来た。

紺が帰った後は、先程まで残っていたにぎやかさの熱が冷める。少しだけ気まずい雰囲気の中、貉が先に口を開いていた。


「‥‥‥‥‥‥なんか、すまんかったのぉ‥‥‥下戸なのは分かっておったが、あれほどタガが外れるとは思わなんだ‥‥‥」


「いえ、別に嫌なことがあった訳ではありませんし、寧ろ気持ち良すぎるくらいで‥‥‥」


「まあ、抱き心地は良いだろうな‥‥‥はぁぁ‥‥‥浮かれすぎたのぉ」


“いやぁ、失敗失敗”と頬を掻きながら呟く。自身の行為に情けなさはあれど、満更でも無かったなと思っていた。

そんな事には気が付かず、貉の言葉から気になる部分を見出した雲雀はそのことについて尋ねてみる。


「そういえば先程の事を覚えていらっしゃるのですか?」


「儂は酒には弱いが記憶はしっかりしておる方でな。最初から最後まで覚えておるよ‥‥‥まあ、夢うつつ、といった感覚か‥‥‥酒が回ると自制できんのも考えものじゃのぉ‥‥‥」


「まさか貉様に襲われるとは思いませんでした‥‥‥」


「紺が止めに入らなければ間違いなくっておったの‥‥‥••••••あ、人喰いの方じゃないぞ?男女のまぐわいの方じゃ」


貉は恥ずかし気もなくはっきりと断言する。

紺が駆けつけなければ、翌朝には隣で眠る貉に気まずさを覚えながら、俗世との関係を断ち切ることを選んでいたであろうと確信していた。

ただ、それはそれで本懐ほんかいげた事にはなるが、そうならなかった事に対しても確かな安心感がある。


「そのまま流されたかった気持ちはありますが‥‥‥でも、それはまだですね」


「なんじゃ?思ったよりも落ち着いておるの••••••儂の身体には興味はあるんじゃろ?惜しくはないのか」


乱れた寝間着を整えながら悪戯っぽい笑みを向ける貉。色々とよろしくない目で見ている事も見られていることもお互いに知り尽くしている。雲雀は隙あらばぐいぐい距離を詰めるが、それは貉が適当にあしらってくれるという信頼で成り立っているもの―――いわば様式美プロレスである。実際には覚悟が出来ていない状態でむじなに手を出す事は雲雀的には許せない。その場合、一度の過ちを胸に、残りの人生を修行に捧げて即身仏そくしんぶつになるところまで容易に想像が出来てしまう。


「‥‥‥まあ、そのとおりです‥‥‥ですが、俺自身、貉様を受け止めるだけの心身に至っていませんから‥‥‥••••••未熟なものをお出しする訳にはいきません」


「そこかぁ‥‥‥なんかこわい‥‥‥」


「一日も早くそこに至らないと‥‥‥」


「えぇ‥‥‥?」


「それと身体だけでは無く”貉様“に興味津々ですよ。そこは間違えないで下さい。俺はそのような軽い男ではありません」


「‥‥‥ひぇぇ‥‥‥‥‥‥嬉しさと怖気おぞけは両立するんじゃのぉ‥‥‥初めて知ったわい‥‥‥」


必死さの質が違うと悟った貉は雲雀の言葉に戸惑いを見せる。ゆくゆくはとんでもない怪物を誕生させてしまうのではないかといった一抹の不安を感じ取っていた。


「ま、まあ途中でぐだついてしまったが酒は飲み交わす事は出来た。とりあえずは満足じゃ‥‥‥今日はお開きとするかのぉ」


「そうですね‥‥‥途中からどたばたしましたが、俺も一緒に飲むことが出来て楽しかったです。今度は紺様や鈴音も入れて飲みましょうか。その時はお話の続きもお願いします」


「よかろう。では、後片付けでもしようかのぉ」


「手伝います」


「ふふ‥‥‥実に楽しい夜であったな‥‥‥」


「まったくです‥‥‥」


どちらともなく小さく笑いながら腰を上げる。

飲み食いした後の後片付けすら酒宴しゅえんの一部であるかのように、楽しい一時を名残惜しみながら空になった杯や皿を纏めるのであった。


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