第二十三話『猫宮鈴音と猫宮紺の休日』
「紺様、暇です。遊んで下さい」
「貉にでも遊んでもらえ」
休日。紺の部屋を訪れた鈴音は挨拶はそこそこにすぐさまベッドへダイブ。残り香を一通り堪能した後、真剣な表情で紺へ語りかけていた。
紺にとってはいつものことなので適当に相手をするが、今日の鈴音は一味違った。1ヶ月に1度の『我儘鈴音の日』である。いつもよりも甘え上手になるが、その弊害として鈴音の精神年齢と知能指数が10くらい下がるのだ。
「今日は紺様と遊びたいんですぅ」
「‥‥‥いつまで経っても子どもだな」
「ばぶー」
「プライドを捨ておった‥‥‥」
紺に遊んでもらうため成人女性としての尊厳を軽々と超える鈴音に末恐ろしいものを感じてしまう。純粋無垢な瞳で指をしゃぶり始めた彼女を前にして、紺は断るわけにはいかなくなってしまった。これ以上放っておくと何をするか分からないからだ。
「はぁ‥‥‥よかろう‥‥‥で、何をすると言うんだ」
「一緒にお出掛けしましょう」
「まあ、そのくらいなら‥‥‥」
「おめかしして」
「断る」
「‥‥‥ふ‥‥‥ふぇっ‥‥‥」
「分かったから泣くなぐずるな暴れるな」
目尻に涙を溜め始めた鈴音を見た瞬間、嫌な予感が頭をよぎる―――“本気でやる”と。
外行きの準備をするのは非常に面倒だが、ここは鈴音に従うほか無かった。
◆ ◆ ◆
数十分後、外出用の準備を終えた2人は駅に向かって歩いていた。
鈴音は薄手のカーディガンに白のシャツ、水色のデニムパンツ姿。茶色のローファーを履き、ショルダーバッグを肩に掛けたカジュアルなファッション。何処の街中でも自然に溶け込めるものであった。一方、紺の方は鈴音の服装とは方向性が全く違うものであった。
「すーすーする‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
紺は煩わしいものを見るかの様に自分の服装を見下ろす。
紺の服装はアイボリー色のブラウスに紺色のギャザースカート。丸みを帯びた可愛らしい帽子に肩掛けのポシェット。足元は黒のパンプスで足元を飾る。帽子とスカートには狐耳と尻尾用の穴が施されているが、一時的に人化した際には穴を自然に塞ぐ事の出来る優れもの。
『人化するのであれば最初から穴はいらないだろ?』と言う紺に対し『狐耳と尻尾用の穴は必要不可欠、可愛いは正義です』と押し切り、認めさせた逸品。
トップスはスマートに、ボトムスは柔らかなシルエットを意識した、落ち着きと可愛らしさを両立した品の良いファッションであった。ちなみに髪は鈴音が丹念に梳き、耳も尻尾も入念にもふもふした。
「‥‥‥さっきから何故喋らない。鈴音が選んだのであろう?」
「‥‥‥すみません、少しでも記憶に焼き付けておこうかと必死に見つめていました」
「えぇ‥‥‥」
言葉の上ではただ夢中になって見つめていたと解する事が出来るが、見られている紺にとってはそんな生易しいものではなかった。
鈴音は自然な動きで紺の回りをぐるぐると回り、一部分を眺めたかと思えば、デジタルカメラのシャッターを切る。何回も何回も執拗に。
紺が視線を感じる場所は絶えず変わる。耳から髪、首元胸元腹背中腰尻脚腿‥‥‥はっきり言って異常である。
「撮影するなとは言わん‥‥‥‥‥‥無駄だからな‥‥‥だが、同じものを撮ったところで面白みはないだろうに‥‥‥」
「時間軸が違います。同じ構図、場所、部位であってもその時の紺様はその一瞬にしか見ることが出来ませんから」
「ひぇっ‥‥‥」
言葉は淡々としているが、その裏の熱意は本物である。紺が思わず小さな悲鳴をあげてしまう程度には。
「‥‥‥ふぅ‥‥‥このままではいけませんね。申し訳ありません紺様。どうやらあまりの可愛らしさと嬉しさに我を忘れかけていたようです」
額に手を当てたまま空を仰ぐ鈴音。自分の行為で紺を困らせていると自覚した彼女は紺へ襲いかかる直前でなんとか踏みとどまる。近くに休憩所が無くて良かった。
「‥‥‥‥‥‥鈴音の嗜好にはとやかくは言わんが‥‥‥あまりひけらかすのは良くないと思う」
「大丈夫です。紺様と貉様以外には絶対に曝け出しませんし、他の女の身体には興味もありませんから」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
久方ぶりに身の危険を感じて身体を震わせてしまった。自身の美貌を自覚し、利用する術を知り尽くしている紺であっても怖いものはある。今のところは鈴音がその筆頭だ。
産まれた頃から知っている娘が変な方向に育ってしまった事に物悲しさを感じつつも、その愛情が真っ直ぐ自分に向けられていること対し、心の何処かで安心感がある。
同時に、千年という永い時間を過ごしてきたが、純粋な嬉しさと“こいつを野に離したら駄目だ”という感情が両立する事に初めて気が付いた。
保護者責任という言葉が紺の脳裏をよぎる―――無断放流。ダメ、ゼッタイ。
「何だか失礼な事を考えていませんか?」
「それが分かる鈴音で良かったと思う」
「‥‥‥褒められているのでしょうか?」
「わーすずねすごいねーえらいえらい」
「‥‥‥むふー」
勘の鋭い鈴音に対し、心を殺しながら頭を撫でつつ褒め称える紺。鈴音は得意げな表情で胸を張る。まさに大満足。
“ちょろすぎんか?”と思いつつ、危機が去った事を悟った紺は外出する前から気になっていた事を尋ねることにした。
「ところで何処に行くつもりなんだ?」
「今日は電車で街の方まで行こうかと。後は適当に買い物でもして‥‥‥最後は昼食を食べてから帰りましょうか」
「目的は無い訳か‥‥‥まあ、良いだろう。気楽な方が我にとっても都合が良い」
「それは良かったです。ただ紺様から希望があればそちらを優先しますが」
「我も特には‥‥‥‥‥‥あ、1ヶ所だけ行きたいところがある」
「ええ、良いですよ‥‥‥どちらに向かいましょうか?」
「手芸店だ‥‥‥新しい糸と布が欲しくてな」
◆ ◆ ◆
鈴音の通っている大学周辺にはショッピングモールや専門店が数多く出店している。商店街で手に入らないものもここでは全て揃えることが出来るため、大学から帰る途中や友人と出掛けた際には時々利用することがあった。そのため鈴音は歩き慣れてはいたが、紺の方はそうでは無かった。
「こうして来てみると、やはり商店街の方が落ち着く事が分かるな‥‥‥」
「紺様が直近で来たのは‥‥‥私の大学受験の前でしょうか?」
「ああ、面倒ではあったが鈴音が通う大学とやらが気になったからな‥‥‥何せ四年も世話になる場所だ。鈴音に危険が無い場所か我の目でも見極めねばならぬ」
「‥‥‥紺様ってたまに大人になりますよね」
「大人どころか神様なんだが‥‥‥」
感心する鈴音の言葉に対し、ややげんなりしながら答える。普段からどう思われているのか透けて見えるのでなおのこと切ない気持ちを抱く。
しょんぼりしている紺を慰めるため、周囲を見回しながら彼女の喜びそうなものを探し始めた。
「あれを見て下さい紺様。子犬ちゃんですよ。可愛いですねー」
鈴音の言葉に釣られて視線を向ける。そこにはふわふわの子犬を連れた若い女性が散歩していた。
そこに子ども連れの家族が遭遇。子犬の可愛らしさに釣られて子どもが子犬とじゃれ合っている。女性も子犬も家族も全員和気あいあい。実ににほのぼのとした空間。
「‥‥‥‥‥‥我は子どもじゃないぞ」
目尻にうっすら涙を溜め、スカートの裾を握りながらぷるぷるし始めた紺。今の流れで馬鹿にされたと勘違いしてしまったようだ。
紺は人間とは比べ物にならないほど器の大きい神様であり、決して揺らぐことの無い精神性を持っている‥‥‥しかし、打たれ弱いのである。
例えるなら体力は無尽蔵に近いが防御力が紙であり、ダメージを受けた際の硬直も長い‥‥‥といったところ。
「あ、ごめんなさい、つい‥‥‥ですが、あれを‥‥‥」
「いい加減にせんと泣くぞ‥‥‥って、なんじゃ、あれは‥‥‥」
鈴音は言葉では謝りつつも見たかった表情を見ることが出来て満足していた。
だが、単純に紺をいじめたかった訳では無い。目的は子犬連れの人がいた場所から少し奥。移動販売の車であった。
「おわびにお飲み物を奉納致しますので、お許しいただけないでしょうか?」
「‥‥‥‥‥‥ふん、まあ、いいだろう許す」
紺は“寛大な心で許してやる”と偉そうな様子で答えていた。恐らく看板に書かれていた『黒糖キャラメル』という文言に惹かれていた事を鈴音は理解していた。
黒糖キャラメルマキアートなるものを2人分購入し、飲み歩きながら専門店街を練り歩く。
衣料品店や雑貨屋、小物や鞄などの取扱店が2人の目を引く。流行りのものにはそこまで興味は無いが、様々なものを見ること自体は嫌いでは無かった。
「たまの外出も‥‥‥暇つぶしにはなるか」
「ですね。何か欲しいものとかはありますか?」
甘味を愉しみながら店内の様子を眺める紺。乗り気では無いと思っていたが、予想よりも楽しんでいる姿を見て一安心する。
あまり高いものでなければお土産に買ってあげようと考えた鈴音は欲しいものが無いかと尋ねてみる。
「いや、そこまでは必要ない。ただ‥‥‥」
「ええ、そろそろ行きましょうか。適当な店で良いでしょうか?」
「構わない。奇を衒ったものではなく、まっさらなものがあればそれでいいからな」
歩き回っていたらいつの間にか昼近くになっていた。元々昼食を食べた後に軽い腹ごなしをしてから神社へ帰る予定である。
紺の希望通り適当な手芸用品店を探し、そこで買い物をする方向に舵を切る。
少し歩いたところで目的の店を発見。メルヘンチックなフォントで『眠り姫手芸店』と看板に書かれている。こじんまりいているが和洋問わず色々な材料が置いてあるように見える。針刺し厳禁な名前はどうかと思うが。
「ああ、ここなら良いものがありそうだな」
「私もお供します」
「当然だ。店内に鈴音の好みのもがあれば言うと良い。それに合わせて材料を揃える」
「はい、お願いします」
2人で店内に入る。手慣れた手と目つきでお眼鏡にかなうものを物色する。
紺は炊事洗濯掃除の家事全般が壊滅的ではあるが、手芸だけは他の追随を許さない程の腕前を持つ。しかも和裁洋裁をはじめ、編み物や特殊な生地を使った小物など、針と糸を使うものであれば何でも作ることが出来る程。極稀にではあるが猫宮の女性に手ほどきをすることもある。鈴音も一時期、紺に師事していた時期があった。
そのおかげで鈴音も簡単な服や小物であれば手作り出来る。この間、三毛猫に貰った毛玉入れ用のお守り袋も作ったばかりだ。
「それにしても久々ですね、今回は何をお作りになるのですか?」
「ああ、特に何を作るということでも無いが‥‥‥まあ、気が向いたら声を掛ける」
「分かりました。お作りになったものは見せてくださいね」
「うむ。期待して待っていろ」
年長者らしい余裕のある微笑みを見せた後、再び材料探しへ没頭する。鈴音はその一瞬の遣り取りだけでも2人で外出したかいがあったと思えるほどであった。
「‥‥‥はぁぁぁ‥‥‥‥‥‥油断しているとこれだから困る‥‥‥普段からこうしていれば良いのに‥‥‥」
「‥‥‥何か失礼な事を考えておらんか?」
「紺様は分からなくても良いんです」
「えぇ‥‥‥?」
にべもない返事をされてしまい困惑する紺。
紺は無自覚だからこそ良い‥‥‥寧ろ自覚されると困る。邪念や堕落を振り切った本来の紺は、幼かった鈴音が一目惚れしてしまうくらい格好良いのである。彼女の真面目な姿ばかり見せられるとなると心臓が保たないと鈴音は思っていた。
◆ ◆ ◆
「今日の外出は実りあるものだったぞ‥‥‥褒めて遣わす、鈴音よ」
手芸用品店で良いものを買うことが出来たため、紺はとてもほくほく顔。買い物袋をぶらんぶらんさせながら鈴音の隣を歩いていた。
紺の買い物を済ませた後はお洒落なお店で昼食を食べたり、大学にいる三毛猫に高級猫缶『鯖寿司』(米・酢不使用)を奉納したりと割と充実した1日であった。今は家路に着くところである。
「喜んで貰えてなによりです。私も凄く楽しかったので、また一緒にお出掛けしましょうね」
「気が向いたらな」
「気が向かなくてもです。泣きますよ?」
「やめろ」
「‥‥‥ふふっ」
「まったく、仕方の無い子だ‥‥‥‥‥‥まあ、我も楽しみにしておいてやろうか‥‥‥」
泣き真似をした鈴音に対し、呆れた様に言葉を返す紺。思わず笑ってしまった鈴音を見つめながら、次のお出掛けに思いを馳せるのであった。




