第二十二話『犬飼雲雀と劇物』
最近になって犬飼家には家族が増えた。
茶色と黒の毛皮に丸みを帯びた耳と尻尾が特徴的なふわもこ―――犬飼こわみである。
「あ、こわみおはよう」
「ぽん」
早朝。母屋の部屋から離れにいる貉へ挨拶に向かう途中、境内に一匹のたぬきがいた。
器用に前足で箒を持ち、後ろ足でちょこちょこ歩いている姿はとても癒やされる。
このたぬき、二足歩行が可能などころか掃除やお遣いすら可能なのである。
「働き者だなぁ‥‥‥」
「ぽん」
掃除の手を止め、雲雀に向けて一礼をする。術者よりも丁寧な仕草に少しだけ感動する。
「今日も朝早くから掃除をしてくれてありがとう。あとで朝ごはんを用意しておくよ」
「ぽぽん」
元気な返事をしたあと再び境内の掃除に戻るこわみ。身体は野生のたぬきサイズなので広範囲の掃除は難しいが、それでも綺麗に掃除をしてくれるため雲雀的には非常に助かっていた。
「あとで俺も合流しよう」
こわみだけに掃除をさせるわけにはいかないと思い、先に果たさなければならないお勤めに戻る。
いつものように貉を叩き起こして掃除をさせなければいけないのだ。
「‥‥‥‥‥‥そういえば、貉様って元は狸なんだよな‥‥‥?」
こわみを見ていてふと思う。
貉の狸らしい所を見たことが無いと。
◆ ◆ ◆
「ぬあ?儂の狸らしいところを見たことが無いと?」
「はい、俺が子どもの頃からずっと今の貉様しか見たことがないなあと」
「まあ、確かにこの姿のままじゃのぉ‥‥‥」
朝食後、貉へ尋ねてみたところ彼女も狸らしい姿を見せたことが無いことに気が付く。
基本的に一般人には見えないとはいえ、彼女の見た目は20代中頃から後半くらいの女性にしか見えない。雲雀ですら元は狸であると忘れてしまう事もあるくらいだ。
「もし差し支えが無ければ、狸らしいところを見てみたいのですが」
「別に構わんが‥‥‥ほれ」
特に嫌がる様子もなく雲雀の希望に応える貉。
“ぽん”という音ともに微かな煙が貉を包む。
煙の晴れた後、雲雀の目の前には狸耳を生やした貉の姿があった。
茶と黒の丸みを帯びた獣耳が頭の上からぴょこんと飛び出していた。紺のものよりも柔らかい印象を受ける、モヘアの様なふわふわ感。狸っぽさを象徴する尻尾は残念ながら見ることは出来ない。何故なら••••••
「アッ」
「この耳と尻尾を出すのは久しぶりじゃのぉ‥‥‥どうじゃ?何か感想はあるかいの?」
雲雀の反応を期待してにやにやしている貉。
いつものようにくだらない戯言でも言うのかと身構えていたがその予想は少しだけ裏切られる。
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥あれ?どうしたんじゃ?」
「‥‥‥‥‥‥」
正座の姿勢のまま動かなくなってしまった雲雀。
心配した貉は彼の顔の前で手をふりふりするが全く反応が無い。
「‥‥‥あれ?もしかして‥‥‥」
雲雀の様子に何かを感じ取った貉は、彼の首と手首に手を添える。
―――――脈がない
「••••••死におった」
犬飼雲雀。享年20歳。
おわり。
「いやいやっ!!早う戻ってこんかい!?」
正気を取り戻した貉は急いで雲雀の胸に喝を入れる。神様の力が込められた一撃は雲雀の心臓を再起動させ、彼の意識を取り戻させた。
「かはっ!?‥‥‥あれ?••••••綺麗な川とお花が‥‥‥」
「ふぃぃぃ‥‥‥よかったぁ‥‥‥間に合ったぁ‥‥‥」
「むじっ!?‥‥‥ぐぁっ‥‥‥胸が‥‥‥」
「ああ、いかんいかん!?顔が青紫色になりおったわい!!」
現世に戻った雲雀が貉の姿を認めると再び死出の旅路に向かってしまう。
雲雀がこの世とあの世を2回往復したところで、貉は自分の狸耳と尻尾が死の原因であると気が付くのであった。
◆ ◆ ◆
「ケモナーの俺には劇物ですね‥‥‥」
「えぇ‥‥‥?」
蘇生した雲雀の第一声。
あまりにもあんまりな言葉に脱力してしまう貉。
しかしそれが原因と被害者に言われてしまえば納得する他無い。
「ならば二度とあの姿は‥‥‥」
「いえ、いつか必ず‥‥‥貉様の魅力に耐える事の出来るくらい強くなってみせますよ‥‥‥だから、その日まで‥‥‥見守っていて下さい‥‥‥っ!」
「そんなことで覚悟を決めるなよぉ‥‥‥」
未だかつて無いほど真剣な表情を浮かべながら決意を新たにしている雲雀を眺めつつ、げんなりしながら抗議の声をあげる。こんな事で覚悟を決める雲雀は見たくなかった。
「それに‥‥‥尻尾は見ることが出来ていませんから‥‥‥無念っ‥‥‥!」
「あー‥‥‥尻尾かぁ‥‥‥まあ、その‥‥‥」
「何か問題でも‥‥‥?」
尻尾を見ることが出来なかったと心底悔やむ雲雀に対し、頬を掻きながら歯切れの悪い様子で応える貉。その様子を不思議に思いながら理由を尋ねる。
「いやあ‥‥‥ほれ、紺の奴とは違っての‥‥‥服が‥‥‥」
「ああ、脱いでもらって結構ですよ」
「だから嫌なんじゃ!」
思わず大きな声をあげてしまう。紺の装束とは違い、貉の作務衣には尻尾穴は無い。無論無くても尻尾を出すことは出来るが、その場合は直に穴をあけるか下を下ろすかの二択。それは流石にみっともない。貉的には裸体を晒すよりも中途半端に尻を出すほうが恥ずかしいのである。
「見られて減るものじゃあ無いですよ」
「それはどちらかというと儂の台詞じゃぞ‥‥‥まあ、見られて恥ずかしい身体はしとらんが‥‥‥いや、そうでもないか‥‥‥」
最近になって再び勢力を増してきたぷにぷにを思い出しながら寂し気な表情を浮かべる。
対して雲雀は一向に気にせず、貉の言葉を鵜呑みにしていた。彼にとっては彼女のぷにぷにもまた正義である。
「見ても良いんですか‥‥‥!」
「いや駄目じゃろ。今のは言葉の綾じゃ‥‥‥それに子どもの時は散々見ただろうに‥‥‥」
「ちくしょうっ!‥‥‥ぅぅっ‥‥‥ゎぁ‥‥‥」
「うわぁ‥‥‥‥‥‥本気で泣いておる‥‥‥」
淡い期待はばっさりと切り捨てられる。
涙を流し打ちひしがれる雲雀であったが、貉の言葉で幼少期の記憶を想起する。
子どもの頃は貉と一緒にお風呂に入る事が多かった。
その頃の記憶は大分朧気ではあるが、非常に立派でとても美しいものを見た気がする。それどころか手や背中で触れていた記憶すらあるが、その感覚をどうにも思い出すことが出来ない。邪な考えが一切無かったからである。
結果、純粋無垢な幼少期の雲雀が今の雲雀を苦しめる。どうしてもっと堪能しておかなかったのか、と。
「‥‥‥‥‥‥子どもの頃と今とでは価値観が違いますから」
「急に悟りを開きおったわい‥‥‥こわ‥‥‥」
とても済んだ目で遠くを見つめ始める雲雀に対し、貉は底知れぬ恐怖を感じるのであった。
「こわみはかわいいなあ‥‥‥」
「ぽぉん‥‥‥」
「すまん、耐えてくれ‥‥‥こわみ‥‥‥っ!」
後日。貉の魅力に打ち勝つため、こわみで修行を重ねる雲雀と、それを草場の陰から涙ながらに見守る貉がいたとかいなかったとか。




