第二十話『猫宮鈴音の贈り物』
とある日の大学構内。鈴音は予定していた講義を全て受講し、いつもより早い時間に帰宅しようとしていた。同じような考えを持つ学生を横目に歩いていると人と建物の間に小さく白いものを見つける。
「‥‥‥?」
直ぐに建物の隙間に入ってしまったため一瞬しか姿を確認出来なかったが、悪いものでは無いと気が付く。もとより大学には力あるものが憑いており、人に害を成す存在は入ることが出来ないようになっていた。
少しだけ興味を惹かれた鈴音はその白いものが入っていった場所に向かって進行方向を変える。向かう先は建物と建物の間の隙間だが狭くて暗いという訳でも無い。あえて入ろうとする人間がいないだけであって人通りの多い場所からもしっかり見える場所であった。だからこそ鈴音の行動を気にするものはいなかった。
その場所に一歩踏み入れた瞬間、周囲の空気が変わる感覚を得る。
「‥‥‥ここは」
建物の間には、草花が無造作に生い茂る猫の額ほどの空き地が広がっていた。
日常生活を送る中でもたまに見かける場所。一見何も無い場所であっても人が通らない場所が存在する。そういった場所には”目に入るけれども気にならない”という自然発生した無意識に訴える力が働いている。
一方、鈴音が足を踏み入れた場所は“見えてはいるけれどもその場所に行くほどのものではない”という認識を刷り込むものである。紺から知識として教えて貰っていた鈴音は何者かが人払いの目的を持って施したものであることを察知していた。
「‥‥‥にゃぁん」
「あ‥‥‥三毛猫さん?」
「にゃん」
鳴き声のする方向へ目を向けると見覚えのある三毛猫が小さな石の上で静かに佇んでいた。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「にゃ」
石の上で佇みながら尻尾をぱたんと動かす。鈴音には肯定を示す動作であるように見えていた。
「‥‥‥ここの猫さんだったのですね」
「にゃぁん」
もう一度尻尾をぱたん。鈴音は意思疎通が出来ると考え、話を続けることにした。
「もしかして紺様がおっしゃっていた、大学に憑いているものとは三毛猫さんのことでしょうか?」
「くぅ‥‥‥にゃん」
くぐもった鳴き声の後に短い鳴き声。その変化に対し、鈴音は少しだけ考えを巡らせる。三毛猫の反応から推察した答えを口にする。
「なるほど‥‥‥最初はその気がなかったけれどもいつの間にか自然とそうなっていた‥‥‥ということですね」
「にゃん」
「‥‥‥もしかして私は無礼を働いてしまったのでしょうか?ご迷惑でしたら直ぐに立ち去りますが‥‥‥」
「なやん‥‥‥にゃぁ」
これまた違った反応であったが恐らく否定の意思を示すものであると解釈する“縄張りに足を踏み入れてしまった事を怒っているのかも”と考えていた鈴音は三毛猫の反応に安心感を覚える。
「あ、そうですか。それは安心しました‥‥‥それでは、私に何か御用でしょうか?」
「にゃぁん‥‥‥にゃ」
頭を下げた三毛猫は何かを咥え、石の上から軽やかに飛び降りる。そのままゆっくりと鈴音の足元に近づき、咥えていたものを地面にぽとりと落とす。
「これは‥‥‥私に?」
「にゃん」
地面に落ちたものを拾えと言わんばかりに鈴音の顔を見つめる三毛猫。促されるままその場でしゃがみ込み、三毛猫の落としたものを手に取る。
「‥‥‥‥‥‥毛玉?」
「にゃぁん‥‥‥」
白と茶と黒の混じった毛玉。猫は毛繕いした際に自身の毛を飲み込み、その後に吐き出すものであるが、その毛玉はそのようなものでは無かった。
きちんと色の変化が分かるように色分けされていることから、明らかに三毛猫自身が意識して丸めたものである。微々たるものであるが、毛玉から紺や貉に似た力を感じる。
“もしかしてお守りかな?”と考えていた鈴音に対し、三毛猫は心配そうな雰囲気で“汚くないよ?”と小さく鳴いていた。
「あ、ごめんなさい。三毛猫さんが意図して作ってくれたものであることは分かります。ありがとうございます。三毛猫さん」
「にゃん」
鈴音の返答に対し、満足そうな様子で鳴き声をあげる三毛猫。鈴音はその場で立ち上がり、三毛猫に頭を下げてお礼を伝える。
毛玉は小物類を入れているポーチの中へ。三毛猫は“用事は済んだ”と言わんばかりに石の上に戻り、そのまま丸くなっていた。撫でたい衝動に駆られるが流石にそれは失礼だと踏みとどまり、軽い会釈をしてからその場を立ち去ることにした。
「にゃぁん」
「‥‥‥?」
建物の隙間から出る際に背後で鳴き声が聞こえた。ふと気になって振り返るが、そこには建物の隙間以外には何も無かった。三毛猫は勿論、草花の生い茂る空き地や猫が座っていた石すら見当たらない。
「‥‥‥」
鈴音はそれ以上深入りすることはせず、そのまま最初の目的を果たす事にした。いつもより早く大学を出るため、商店街で買い物をする時間はある。夕食の材料と紺へのお土産を考えながら、再び帰路につくことにした。
◆ ◆ ◆
「ただいま帰りました」
「‥‥‥‥‥‥」
「紺様?」
「‥‥‥‥‥‥」
買い物を済ませてから自宅に戻った鈴音は、離れにいる紺へと帰宅の挨拶をする。
いつも通りの遣り取りであるはずが、その日は少し違う雰囲気が流れていた。
ぴりぴりとどんよりの中間。ジト目で気難しい表情。犬用シャンプーで洗ったり、おやつを抜きにした後によく起きる現象。
「もしかして、怒っていらっしゃいますか?」
「怒ってない」
「‥‥‥‥‥‥拗ねてます?」
「‥‥‥‥‥‥拗ねてない」
拗ねているらしい。原因は何であろうかと考えるまでもなく心当たりが思い浮かぶ。
「‥‥‥あ、もしかして‥‥‥紺さま、これを見ていただけますか?」
「見ずとも分かる。あの三毛猫とやらの毛だろうよ‥‥‥悪意は無いものだ。寧ろそれを携帯していたほうが鈴音には都合が良かろう‥‥‥良かったな、大学にいる間はあやつの守りを保証されたようなものだ」
鞄の中のポーチから取り出そうとするが先に手で制される。神社の敷地内に入った時点で鈴音が誰から何を貰ったのか把握していたのである。悪意あるものであれば問答無用で祓うが、そうでは無い気配を感じたためそのままにしていたのであった。
「‥‥‥やはりお守りでしたか‥‥‥では、後で相応の入れ物に入れておきますね」
「‥‥‥そうしろ」
“良いものだから持っていろ”と言う割には、ややつっけんどんな態度を崩さない紺。
それもその筈。神や神に近い存在が己の一部を下賜することにはそれなりの意味がある。
三毛猫自身は大学にいる間は目をかけてやるといった意味合いで鈴音に毛玉を授けていた。当然、紺はその事をしっかり理解しているが、鈴音にこれ以上余計な虫がくっつくことは好ましく思っていない。猫宮家の氏神はとても嫉妬深いのである。
そんな紺の心情を読み取った鈴音は、誤解を解くために弁解を伝える。
「‥‥‥‥‥‥浮気した訳ではありませんよ?‥‥‥紺様が不動の一番なので」
「知っとるわ阿呆」
「‥‥‥嫉妬する紺様‥‥‥可愛すぎる‥‥‥」
「嫉妬なぞしとらんわ、馬鹿者‥‥‥」
「‥‥‥こんさまだいすきー‥‥‥」
「こら抱っこするな撫でるなっ」
あまりにも可愛い反応を見せてくれるので鈴音は我慢できず、目の前の紺を抱きしめながら頭を撫でる。ふわふわともちもちが同時に鈴音を襲う。紺の方も口では嫌がるが鈴音のされるがままにされている。
鈴音からの愛情もしっかりと理解しているので素直に甘えられて悪い気はしない。
「‥‥‥今日はおいなりさんを奉納いたします」
「おいなりさん‥‥‥だと?」
「はい。紺様からご容赦いただければ‥‥‥」
「くっ‥‥‥小癪なぁ‥‥‥」
「お風呂も寝床も一緒にして頂けるのであれば、更にお酒もお付け致します」
「酒‥‥‥まさか、あれか!?」
自分だけが幸せになるには忍びないため、予め準備しておいた貢物の存在を囁く。
それだけで紺は鈴音の用意したものが分かってしまい、それ以上は文句を言うことができなくなってしまった。
おいなりさんは行きつけのお豆腐屋さんで購入した油揚げを使用した鈴音の手作り。
紺は鈴音が作るおいなりさんには目が無かった。それに加えて鈴音が購入したお酒は『狐の嫁入り』という吟醸酒。
普通酒よりも高級品であるが、さらりとした飲み口に花や果実を思わせる芳醇な香り。切れのある甘みが特徴的な佳酒であった。無類の酒好きでもある紺にとってはまさに垂涎ものの提案である。
「‥‥‥‥‥‥ふん、仕方がないな。たまには鈴音の願いを叶えてやることにしよう」
「わーい、こんさまあいしてますー」
難しい交渉であったが無事に紺の機嫌を取りつつ欲望の一端を叶えることが出来た鈴音。
紺が“あれ?そうなると我、今日一日抱き枕?”と気が付くのはそれから少し後のことであった。




