第十九話『猫宮紺の料理』
暑さと湿気が混じる空間。手の中で熱を持つそれを握りながら、生温かな吐息を漏らす。
不慣れな子をリードするように、2つの影が仲睦まじく重なり合った。その手を取り、秘密の場所へと誘う。彼女の手の先には白の曲線があった。それを手で握り、打つ。
優しく開くと中身が露わになる。
水気があり滑らか、弾力と瑞々しい程の張りがある。若さ故のものであろう。
無遠慮に棒を突き立てる。
割れ目を起点にかき混ぜ、回し、掬う。
時には弄ぶかのように撫ぜる。
大分こなれてた感じになった所で白い液体を注ぎ、余韻を感じながら優しく棒を抜く。
先からてらてらと粘り気のあるものが一筋の光を残し、ゆっくりと下へ垂れてゆく。
次のステップだ。
熱を帯びた器へ固いものを入れる。じわじわと原型を失い、そして溶けていく。それを丁寧になぞるように満遍なく伸ばす。
―――そこからは早かった。
入れる―――ぐじゅぐじゅと音を立てるそれに棒を突き立て、ぐちゃぐちゃにした。次第に硬くなるそれは一気に形を成し、白いものへとぶちまけられた。
「くっ‥‥‥」
「‥‥‥あっ」
緊張からか息が上がる。
途絶えて久しい行為。その倦怠感の中には、やりきったという満足感が確かに存在していた。
同じく緊張で身を強張らせていた年若い女性に対し、初めての感想を尋ねる。
「‥‥‥どうだ?」
「••••••もう‥‥‥訳が分かりません」
「‥‥‥オムレツって、難しいな」
「そうですね、基本ですが一番難しいという人もいるくらいなので」
オムレツになる予定であったものを見下ろす。
形は整っておらず、ぼそぼそでぐちゃぐちゃ。
ほぼスクランブルエッグである。
朝食の一品として食べるため、邪魔にならない場所へ皿ごと移動させる紺の背中には哀愁が漂う。
炊事洗濯掃除全般を目の敵にしていたが、その中でも特に炊事が特に苦手であった。
猫宮家の女性は代々、紺に料理を教えるしきたりがある。先祖曰く『自分の事は自分で出来るようになって欲しい』との事。
しかし紺はここ数百年間まともに料理を作ることが出来ていない。本人のやる気の問題では無い。原因は圧倒的な料理センスの無さ。
ゆでたまごを作ると中身ごと爆発四散し、魚を焼くと暗黒物質が完成する。猫宮家七不思議の一つであった。
なお、洗濯と掃除については単純にやる気が無い。面倒臭がりなのである。
あまり責めると拗ねてしまうため、何事も程々が肝要。また小さなことでも褒めて伸ばし、時にはやんわりと注意を促す。それが紺の取り扱い説明書(家伝)にも書いてある。
鈴音はその教えに従い、暇な時は紺をおやつで釣って台所に立たせていた。
「もう一度やりましょう。最初から始めて下さい」
「そうだ、まだ始めたばかりよ‥‥‥では卵を••••••‥‥‥あ」
―――ぐしゃぁ、べちゃっ。
そんな擬音を立てながらステンレス製のボウルに落ちていく。白い殻はトッピングのよう。
「丸くて弾力も張りもある新鮮な卵‥‥‥‥‥‥でしたね」
「どうせ混ぜるし‥‥‥」
「では、菜箸で混ぜて下さい」
少しだけしょんぼりしている紺に声を掛け、ボウルに入れた卵を混ぜてもらう。途中で塩胡椒と牛乳少々を入れ、更に混ぜ合わせていた。卵白を混ぜすぎない事がコツだ。
菜箸をボウルから取り出し、卵液を熱したステンレスのフライパンの近くへ移動。フライパンにはバター一欠片。じゅわじゅわと音を立てながら、フライパン全体に行き渡らせる。
「‥‥‥ここからが本番だ」
「手早くしなければ半熟にはならないので大変なところではありますね」
紺はタイミングを見計らって卵液をフライパンに投入。菜箸の動きだけは機敏に見えるが、どこかたどたどしい印象が拭えない。
「丁寧に、手早く箸でかき混ぜて下さい。外側が先に固まりやすいのでそこの部分を中央に寄せる事を意識すると綺麗に纏める事ができますよ」
じゅうじゅうと音を立てて火が通っていく卵。
教えてもらった通り手前から奥へと寄せ、奥の方も中央に寄せるようにして楕円形に近い形に整えようとしていた。
「くっ••••••卵風情がっ‥‥‥!」
上手く寄せることが出来ず、徐々にぐちゃぐちゃな姿に変わっていく卵。
「そこまで気にしなくても大丈夫です。先程お伝えした通り、火が通り過ぎない内にひっくり返して形を整えましょう」
鈴音の指示に従い、フライパンの持ち手の部分を軽く叩くようにとんとんする紺。
腕から伝わる振動で卵が動き、フライパンの縁から少しずつひっくり返る。
「よしっ、これで止めだっ!‥‥‥あ」
火の通りが甘かったのか上手くひっくり返らず中身が飛び出てしまう。
「あぁぁっ••••••!」
「あー••••••」
とりあえず焼けるだけ焼き、白い皿の上に乗せる。僅かな沈黙の後、紺が一言呟いた。
「‥‥‥‥‥‥卵の死体が出来た」
「なんとも言い難いお言葉ですね」
皿に乗せた瞬間、固まり切っていない繋ぎ目から中身がはみ出てしまう。火が通り過ぎた所はぼそぼそで、所々焦げている部分もある。
流石の紺も殺人現場のような惨状に自信を無くしてしまった。
「我はいつまで経っても成長せんな‥‥‥」
「‥‥‥オムレツ作りは初めてなので仕方がないですよ。慣れない頃は焼き始めると余裕が無くなってしまって訳が分からなくなりますから」
自尊心の塊である紺が珍しくへこんでいる。その姿にほんの少しだけ興奮しながら励ましの言葉を送る。
「慰めは無用だ‥‥‥あと、どさくさに紛れて頭撫でるな」
「あ、申し訳ありません。紺様のしょんぼりした表情があまりにも可愛くて‥‥‥」
「本音が漏れとるぞ‥‥‥何、我の事いじめて楽しいか?」
「はい、楽しいです」
紺の頭を撫でながら、つい本音が出てしまった。普段は表情の変化に乏しい鈴音もこの時ばかりは口元を緩めてしまう。
「くっそう‥‥‥可愛い笑顔を向けおって‥‥‥今に見ていろよぉ‥‥‥」
「ありがとうございます」
己の10分の1も生きていない小娘にいじめられて泣きそうになるが、満面の笑みを見ていると少しだけ嬉しい気持ちになる紺。
今日も猫宮家は平和であった。




