第十七話『犬飼貉の式神』
「ぽん」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥ぽ、ぽん?」
目を開けると、そこにはたぬきがいた。
向こうから”ぽん“と挨拶?をされたため眠気の残る瞼を擦りながら雲雀も挨拶を返す。挨拶として適当なものであるかは分からないが同じ言語で返すことが礼儀であると考えた。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
たぬきと雲雀は静かに見つめ合う。ふわもこした黒と茶色の毛皮に丸みを帯びた可愛らしい耳と尻尾。見たところ山や畑でよく見る方のたぬきである。野生のものが寺に入り込んだかと考えたが、流石に母屋の中で見たことは無かった。そうなると残された可能性は1つ。
「‥‥‥お労しや貉様‥‥‥こんなにも可愛らしくなってしまわれて‥‥‥」
「何処をどう見たらそれが儂に見えるんじゃ!?」
”スパーン“と小気味よい音を立てながら部屋の障子戸を開け放たれる。
目を向けるとそこには驚き7割、呆れ2割、悲しみ1割の配分の感情を表情に浮かべた貉が立っていた。
「‥‥‥偽物っ!?」
「ぽんっ!」
「‥‥‥‥‥‥儂だって傷つくんだぞ?」
たぬきを腕の中で庇いながら布団の上で身構える。ふわもこで頼りなくなった貉を守護らねばといった雰囲気を醸し出す雲雀に対し、貉は肩を落としながら少しだけ泣きそうな声で呟く。
「‥‥‥冗談ですよ‥‥‥ところでこの子は?」
「ぽぽん」
「儂の式神じゃよ、ここ数十年はまともに使っていなかったからの。布団の虫干しのようなものじゃ」
式神を抱きかかえながら立ち上がり、貉の腕の中へ手渡す。彼女の腕の中に収まった直後、式神の大きさが掌大まで小さくなり貉の腕を伝って肩に引っ付く。
「随分可愛らしい式神ですね」
「だが役には立つぞ?」
「えっ、可愛いだけで十分ですよ。それ以上必要な事がありますか?」
「そっかぁ‥‥‥必要ないかぁ‥‥‥結構凄い術なんじゃがのぉ‥‥‥」
努力の賜物である式神の存在を軽く一蹴されてしまい少しだけへこむ。雲雀にとって可愛いは正義だ。
「それにしても何故、俺の部屋に来たんでしょうか?」
「さあの。儂の力で形を成す式神ではあるが、ある程度の自我は持っておる‥‥‥大方、次代の跡継ぎでも見たかったんじゃないかの?」
「その式神‥‥‥どうするんですか?」
「必要がなければ依代に戻すが‥‥‥ほれ、この通り」
”ぽん“と微かな煙を纏いながらたぬきのぬいぐるみに姿を変える。それが依代なのであろう。雲雀はデフォルメされたたぬきに見覚えがあった。
「あ、このぬいぐるみって俺が小さい時に奉納した‥‥‥」
「うむ、幼き頃の雲雀が小銭を握りしめながら頑張って取ってきてくれたものじゃ」
「‥‥‥大事にして下さっていたんですね」
「当然じゃ。儂の大切な宝物の1つじゃよ」
掌大のたぬきのぬいぐるみは小さかった頃の雲雀が縁日の屋台で頑張って手に入れたものであり、貉への初めての奉納品でもある。
実物を見るまでは忘れていたが貉は片時も忘れた事は無かった。それ程、思い出深い一品。数十年ぶりの術式に使用する依代としてはこれ以上のものは無い。
懐かしい思い出に浸りながら依代に力を込める。同じ音と煙を立てながら再び命を吹き込まれるた式神。今度は手の中から腕を伝って首元に引っ付く。
「おっと、危ないのぉ‥‥‥っと、ありゃ?」
引っ付く力が甘かったのか”ぽすん“と貉の胸と腕の間に収まる式神。最初はもぞもぞ動いていたが予想以上に居心地が良いのか、柔らかな隙間に頭を突っ込みそのまま落ち着いてしまう。
「おい、そこ代われ」
「式神に嫉妬するなよぉ‥‥‥」
「ぽぬっ」
桃源郷に至った式神に対し、やや血走った眼で手を伸ばす雲雀と反射的に式神を抱きしめながら背中を向ける貉。
「‥‥‥かはっ‥‥‥っぐ、ぎぃ‥‥‥!」
「必死すぎて怖い‥‥‥ほれ、頭撫でてやるからのぉ‥‥‥よしよし」
「ぁっ‥‥‥妬みと癒やしが‥‥‥あっ‥身体を駆け巡るっ!‥‥何これ新感覚‥‥‥くぅっ‥‥‥!?」
「‥‥‥うわぁ」
背中を向ける一瞬、柔らかいものに埋もれる式神の姿をしっかりと目に焼き付けてしまった雲雀はあまりの嫉妬に胸を握りしめながら内なる自分を必死に抑える。要するに式神が羨ましすぎて辛い。
あまりの大人気なさに若干引き気味ながらも、雲雀を落ち着かせるために頭を撫でてみる。
雲雀は内と外から生じた相反する刺激に耐えられず、身体が痙攣し始める。貉はとても可愛そうなものを見る目で眺めながら、式神が懐から抜け出すまでの間は我慢して癒やしを与え続けるのであった。
◆ ◆ ◆
「鳴き声以外は完全にたぬきですね‥‥‥あ、餌食べた」
「そちらの方が都合が良いからのぉ。形を成している間は餌も食べるし、寝たり排泄したりもする。正直、生物と変わらん」
「それ凄くないですか?」
「凄いんじゃよ」
雲雀の手の中からドッグフード(貉の餌では無い)を食べながらお尻をふりふりしている式神と本気で感心している雲雀を眺めながら”むふー“と胸を張る貉。彼女の自信に溢れた態度に見合う程度には高等な術式である。
「暫くはこのまま形を与えておくからペット感覚で面倒をみると良い。世話については暇な時で構わんからの」
「貉様とは違った可愛さがあって良いですね‥‥‥分かりました。新しいペットとしてお世話をさせて頂きます」
「‥‥‥引っかかる部分はあるが、まあ今更かぁ‥‥‥雲雀の好きなようにすると良い。もしかしたらお主の愛情に応えてくれるかもしれんしのぉ」
雲雀の言葉にアイデンティティの揺らぎを感じつつも彼の好きなようにさせる貉。
対して、犬飼家の2匹目のペットとして面倒をみようと考え始めていた雲雀はそこであることに気が付く。
「ところで名前はあるんですか?」
「名前‥‥‥いや、式神だからなぁ‥‥‥どうせなら雲雀が付けても良いぞ」
「そうですか?‥‥‥では‥‥‥たぬきなべ‥‥‥どんべ‥‥‥たぬ‥ち‥‥‥」
「頼むからその名前だけは止めるんじゃ」
雲雀には特別甘く、その他にも寛容な態度を示す貉であるが、安直かつ不穏な名前候補には流石に待ったを掛ける。
「駄目ですか‥‥‥‥‥‥なら”こわみ“ではどうでしょうか?分かりやすいですし、響きがどことなく可愛いので」
「ぽん」
「そのまんまの名前じゃのぉ‥‥‥いや、儂の言えた義理では無いか‥‥‥こやつも”分かりやすくて良い“と言っておる‥‥‥お主ら、独特な感性を持っておるのぉ‥‥‥」
「では今日からこわみだな。宜しく」
「ぽん‥‥‥」
差し出された雲雀の手に前足を乗せるこわみ。お手本にしたいくらい綺麗な”お手“の形だが、彼等にとっては握手に相違無い。
こわみは犬飼家の2匹目のペットとして、小さくも堂々とした一歩を歩み始めていた。




