第十六話『猫宮鈴音の一日』
猫宮鈴音は地元から2駅離れた大学に通っている。特殊な分野を扱っている訳では無いが、一部では神職を志す人間が集まる事で有名な大学であった。
元々、鈴音はあまり進学に興味は無かった。家が神社であるため、いずれは家を継ぐ必要がある。そのための修行や習い事は子どもの頃から続けていた。
鈴音は非常に要領が良く、特に躓くこと無く神職としての心構えや作法を身に着けていた。
高校を卒業したらそのまま神社で奉職しようかなと考えていた彼女に対し、家族が進学してからでも遅くはないと説得していた。神社の1人娘とはいえ、自ら可能性を狭めることは無いというのが家族の意見であったが、驚くことに紺の方からも強い希望があった。
『人間の一生は短いものだ。若いうちに色々な経験を積むことでより良い人生を送ることが出来るだろう。悪いことは言わん。今を楽しむと良いぞ』
と、真面目な表情で説得されてしまったので特に断る理由は無かった。
かくして鈴音は高校生活を送りつつ受験勉強と修行に励むという中々ハードなスケジュールをこなすことになったが、紺が傍で応援してくれていたため苦にはならなかった。それに大抵の疲れは紺か貉に甘えることで解決する。
『ここの土地には我らと同じような存在が憑いていると見える。我に比べれば鼠くらいのものであるが‥‥‥安心しろ、悪さはしないようだ』
『‥‥‥寧ろ、大学内にいる限り災いを寄せ付けない程度の力はあるか‥‥‥姿を見せんのは気になるが、相当な引きこもりだな』
受験前、紺を連れて大学の下見に向かった際、珍しいものを見るような目で大学を評価していた。力あるものがいるのであろう。紺が良い意味で関心を寄せていたため、その大学に進学することを決めた。
問題なく受験を通過した鈴音は晴れて大学生となった。大学生活はそれなりに楽しいが、紺に会えない時間でもあるため少しだけ寂しさを感じてしまう。大学で出来た友人以外にも大学に憑いている神様にお目見え出来ないかと期待をしていたが、予想以上に恥ずかしがり屋であるのか未だにその姿を見たことはなかった。
そんなこんなで人生を謳歌している鈴音であったが少しだけ困った事があった。
「紺様、猫を拾ってしまいました」
「にゃん‥‥‥」
「‥‥‥は?」
自室の縁側でお茶を啜っていた紺の目の前には少しだけぼろぼろになった鈴音と腕に抱かれている薄汚れた三毛猫が気まずい雰囲気を醸し出していた。
◆ ◆ ◆
「元の場所に捨ててこい」
「‥‥‥」
最低限の身だしなみを整えた鈴音は猫を適当な箱に入れ、餌と水を与えていた。そんな彼女に紺は厳しいことを言い放つ。鈴音はその言葉に黙って耐えるしか無い。
駄目なことは駄目と言える紺ではあるが普段であればありえない光景。貉が傍にいたら『なんじゃ、更年期か?』と鈴音を庇いながら横槍を入れていただろう。しかし実際はもっと複雑な事情ああった。
「そやつはあやかしだ。それもそれなりのな」
「でも、可愛いんですよ?」
「阿呆。我が見た所そやつは近いうちに我らと同じものへと昇華する筈だ。それほど永い時を生きている。放っておいてもなんとかなるだろうよ」
「にゃぁん‥‥‥」
鈴音が拾ってきた三毛猫は所謂化け猫であった。それもかなりの年月を生きた、力あるもの。
それでも紺や貉の足元にも及ばない程度のものであったが。
「知ってます。でも可愛かったので、つい‥‥‥」
「‥‥‥子どもかっ!?」
「にゃぁー‥‥‥」
目を逸しながら口を尖らせる鈴音。そんな珍しい表情に紺は思わず突っ込みを入れざるを得ない。
猫も何処か気まずい雰囲気を察したのか、居心地の良い箱の中からするんと飛び出し、鈴音と紺の間で静かに佇む。
「そもそもっ!?どうしてこやつを持ってきたんだ?鈴音は分からんかもしれんが”あのう、僕、帰ってもいいですか?“と先程から気まずそうに訴えておるぞ?」
「にゃん!」
「分かりました‥‥‥お答えしましょう。あれは私が商店街で夕食のお買い物をしていた時の話です」
紺と三毛猫の意見を半分無視しながら拾ってきた経緯を話す。鈴音にはどうしても譲れない事情があった。
◆ ◆ ◆
夕食を考えながら商店街を歩く。お肉か魚か、はたまた油揚げか。そんな事を考えながら馴染みの八百屋や魚屋を見て回る。スーパーも利用するが安さも鮮度も良いので大抵は商店街で済ませてしまう。
「お肉は昨日使ったし、魚も一昨日‥‥‥油揚げは‥‥‥‥‥‥良いか。少し飽きちゃったし‥‥‥あれ?」
紺が聞いていたら涙目になりそうな事を口にしながら商店街を歩いていると視界の端に一匹の三毛猫が通る。狐と狸の次に猫が好きな鈴音は、夕食の事を一旦頭から排除し、猫の後ろをついていくことにした。
「‥‥‥可愛い‥‥‥尻尾ふりふり‥‥‥ふわふわ‥‥‥‥‥‥?」
「‥‥‥にゃ?」
後ろからついてくる鈴音に気がついたのか、三毛猫がその場で歩みを止め、鈴音の方へ振り向く。
人馴れのしていない野良猫であれば近づいた瞬間に逃げてしまうだろう。しかし三毛猫は違った。
最初から何も出来ないだろうという自信すら窺える堂々とした雰囲気を醸し出していたからだ。
「‥‥‥えい」
「にゃっ?」
ぱふっと三毛猫の身体を両手で挟む。ふわふわとした感触に感動する鈴音。触れられた事に気が付かない三毛猫。一瞬、1人と1匹の間の時間が止まる。
「あったかふわふわぁ‥‥‥かわいい‥‥‥」
「にゃぁぁっん!?」
優しく身体を撫でたところで三毛猫が驚いたような鳴き声を挙げる。まさか捕まってしまうとは思っていなかったのであろう。三毛猫は身体を捩りながら鈴音の手の中から逃げようとする‥‥‥が、逃げられない。
「にげちゃ、だめ‥‥‥」
「にゃぁぁ‥‥‥」
絶妙な手管の前に逃げ道を塞がれる三毛猫。
あまりの可愛さに鈴音の本能が逃走を許さないのである。その視線は三毛猫の身体をしっかりと見据えていた。
「よーし、よしよし‥‥‥あ、やっぱり‥‥‥」
「‥‥‥にゃっ‥‥‥にゃあん」
「かわぃっ‥‥‥すりすりぃ‥‥‥‥‥‥あぁっ!?」
押して駄目なら引いてみろの精神。
三毛猫は力技では逃げられないことを悟り、鈴音に甘えるようにわざと鈴音の足元にすり寄る。あまりの可愛らしい仕草に油断した鈴音は思わず隙を見せてしまった。その隙を三毛猫は見逃さない。”ぬるん“と液体のような動きで身を捩り、鈴音の手から逃げ出すことに成功した。
「にゃっにゃぁぁっ!?」
「待って、三毛猫さん‥‥‥」
「にゃあああっ!」
しゅたたたっ、と逃げる三毛猫を追う鈴音。三毛猫は予想以上に食いついてくる鈴音に驚きながら、右に左に上に下にと様々な場所を駆け抜ける。
「逃げないで‥‥‥っ」
「にゃあんっ!?」
ひたすら追う鈴音。逃げる三毛猫。そんな遣り取りも終わりを告げる。
「にゃっ!?」
塀の上にいた三毛猫の身体が不自然に傾く。後ろ足ごと身体が地面に向かって落ちる瞬間、三毛猫の身体が柔らかいものに包まれた。
「‥‥‥っ!」
「にゃあっ!?」
三毛猫が気がついた時には鈴音の腕の中に抱きしめられていた。
反射的に前後の足でがりがりと鈴音の肌や服を引っ掻いても手の力を緩めようとしない。
抵抗を続ける三毛猫に対し、鈴音が小さく声を掛ける。
「さっきはごめんなさい。でも、あなたの足が心配で‥‥‥」
「にゃにゃ‥‥‥?」
三毛猫の動きが止まる。鈴音には猫語はわからないが”何故それを?“と驚きながら聞き返しているように感じられた。
「あなたが普通の猫さんでは無いことは知っています‥‥‥多分、力あるものなのでしょう‥‥‥でも、その足は‥‥‥」
「‥‥‥みゃぁお」
言葉が通じているのかは分からないが、鈴音の視線からそっと目を逸らす三毛猫。三毛猫の後ろ足に深い切り傷のようなものが深く刻み込まれていた。
「‥‥‥思わず捕まえてしまったことは謝ります‥‥‥でも、短期間で良いのでうちの神社に来ませんか?もしかしたらその傷を治せるかもしれません」
「‥‥‥にゃあお?」
腕の中の三毛猫を真剣な眼差しで見つめながら小さく声を掛ける。最初に猫の身体に触れた時に足に傷が付いていることに気が付いていた。
力ある猫なので傷くらいなら直ぐに治せる事は鈴音にも分かっている。そんな猫が逃げる最中でも傷を治そうとしないことに強い違和感があった。
改めて腕の中にいる猫を見てみるとその違和感の正体がはっきりした。傷には呪いが掛かっている。自然のものでもあやかし由来のものではない。人為的なものである。それが三毛猫の身体を少しずつ蝕んでいた。だからこそ鈴音は三毛猫を執拗に追いかけていた。
「お願いします‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥にゃお」
思いが通じたのか三毛猫は身体から力を抜き、鈴音の懇願に応えるように小さく鳴き声を挙げる。その声で自分の意思がしっかりと伝わっていた事を理解する。
「分かって下さってありがとうございます」
「にゃ‥‥‥」
「では、このまま‥‥‥ふわふわぁ‥‥‥」
「にゃー‥‥‥」
三毛猫を優しく抱きつつ帰路につく。その間、しっかりと三毛猫の感触を堪能していたが、その事について三毛猫はせめてもの礼代わりだと言わんばかりに好き勝手にさせていた。
◆ ◆ ◆
「‥‥‥ということなのです。だから治してあげて下さい」
「‥‥‥鈴音よ。我は便利な青狸では無いんだぞ‥‥‥」
「にゃぁ‥‥‥」
鈴音の口から三毛猫との出会いと拾ってきた理由を聞いた紺は、溜息を付きながら呆れたように呟く。三毛猫もなんだか申し訳なさそうに小さく鳴いていた。
「‥‥‥お願いします。おやつを奉納させて頂きますから‥‥‥」
「うむぅ‥‥‥それは、まあ‥‥‥魅力的な話ではあるが‥‥‥うぅん‥‥‥」
おやつの奉納を約束しながら畳の上で綺麗な礼の形をとる鈴音。そこまでされると紺の方も嫌とは言いにくい。揺らぐ心を自覚しながら当事者の意思を確認した。
「‥‥‥貴様はどうなんだ?」
「‥‥‥‥‥‥にゃぁ‥‥‥」
「‥‥‥三毛猫さんは何と言っておられるのでしょうか?」
「‥‥‥‥‥‥“正直な話、傷については治さなくても良いんですが”と言っておるな」
自分のためを思って頼み込んでいることを理解しているのか、どことなく言いにくそうな雰囲気で小さく鳴く三毛猫。対して鳴き声の意味を理解し、寸分違わず三毛猫の思いを代弁する紺。
いつもは冷静であるはずの鈴音もそんな2匹?の反応には戸惑いを隠せない。
「‥‥‥何故、でしょうか?」
「‥‥‥なやん‥‥‥にゃー‥‥‥」
「“これは勲章と言うか思い出と言うか‥‥‥まあ、そんなものです”と」
「ですが‥‥‥そのままでは‥‥‥」
三毛猫が抱えている傷は相当古いものであるが、未だに完治していない。それだけ強い力で刻み込まれたものである証拠。たまたま三毛猫自身に抵抗する力があったため今日まで生き延びていることが出来ているが、それも終わりが近いことを鈴音は気が付いている。
「鈴音も勘が働くようになったな‥‥‥考えている通り、我らと同じ存在になる前にこやつは死ぬな」
「‥‥‥にゃぁん」
「“まあ、仕方ないですね”と言っておるが?」
「‥‥‥‥‥‥」
「鈴音よ。今我が代弁したことに嘘偽りは無いぞ。こやつ自身がそう考えている‥‥‥それに水を差すのか?」
“覚悟を決めている者の意思を踏みにじるのか”と端的に尋ねる。過去の行いや繋がりがその者の生き方に影響を与えている場合も往々にしてあるものだ。本来であれば他人が口出しするような事では無い。鈴音にはそれが痛いほど分かる。
だが‥‥‥
「‥‥‥‥‥‥可能性があるのなら。それに縋り付きます‥‥‥」
「にゃっ!」
かつて自分にも手を差し伸べてくれた者がいる。
自分が抱えていたもの全てを掬い上げ、そのまま受け入れてくれると約束してくれた。
鈴音は迷うことなく目の前の可能性に手を伸ばす。
「‥‥‥はぁぁぁ‥‥まだまだ子どもだな‥‥‥仕方がないか‥‥‥猫よ、鈴音に見つかったことが運の付きだ、諦めろ‥‥‥」
「にゃぁっ!?」
深い溜息をつきながら三毛猫の意思を無視する紺。傷の残る足に手を触れたかと思った瞬間、鏡が割れるかのような小さな音とともにゆっくりと傷口が塞がる。
三毛猫は全身に流れる力と傷口の治癒による痛痒感に驚き、全身の毛を逆立てながら四足でぴょんと跳ねる。
反射的に傷口を舐めようとしたが、そこで永い付き合いであった傷口が無いことに気が付く。今の一瞬の動作で呪いごと傷が完治したのであった。呆然としている三毛猫の対し”もう用は済んだから帰れ“とでも言うかのように手をひらひらとさせている。
「ほれ、終わりだ‥‥‥‥‥‥きちんと呪いは解いてやったが傷痕は残した‥‥‥こやつの思い出とやらを全て奪うわけにはいかぬからな」
紺の言葉で鈴音は気が付いた。三毛猫の足の傷は治っているが、皮膚や毛が引きつったかのような傷痕が薄く残っていた。
紺の力が通用が通用しなかった訳では無い。紺の力を十分に理解していた鈴音はその意図を正確に汲み取る。
三毛猫にも分かっていたのであろう。どことなく安心したかのような鳴き声を漏らしながら紺の方へと向き直っていた。
「‥‥‥にゃあ‥‥‥」
「‥‥‥ありがとうございます、紺様‥‥‥」
「ふん‥‥‥おやつの奉納、忘れるなよ」
「はい‥‥‥紺様が喜ぶものを必ず‥‥‥」
「期待している‥‥‥‥‥‥さて猫よ、さっさと帰れ‥‥‥お主には帰る場所があるだろう」
鈴音と三毛猫の反応を見て、満足そうに鼻を鳴らす。紺にしてみれば容易いことであったが、純粋な感謝を向けられて悪い気はしない。小さな喜びを隠したまま三毛猫に声を掛ける。
「‥‥‥にゃん」
「えっ?‥‥‥それは‥‥‥?」
「直接相まみえる事で分かることもある‥‥‥安心しろ鈴音。お主が思っているほど、悪い場所ではあるまいて」
三毛猫の姿を認めた時から大体の素性を見抜いていた。それなりに永い時を生きた化け猫の類ではあるが決して悪い存在では無いと。確かな実績はある。その場所を見てきた紺には分かっていた。
一方で鈴音は紺の真意を全て理解していた訳ではない。しかし彼女が自信を持って大丈夫というのであれば文句は無い。鈴音にとって何よりも信用できる言葉であるからだ。
「‥‥‥紺様がそうおっしゃられるのであれば‥‥‥」
「‥‥‥にゃん」
「礼を言うなら鈴音に言え‥‥‥そやつの頼みでなければ助けることもなかったからな」
「‥‥‥にゃぁ‥‥‥」
思うところはあるが命を救われた事については謝意を見せる三毛猫。だが紺は自分だけの功績では無いことをしっかりと告げた上で鈴音の方を指し示す。三毛猫も素直に従い、鈴音の方へ向き直り”ありがとう“と伝えるかのように小さく鳴き声をあげる。
「いえ、私にはお礼を言われる筋合いはありません‥‥‥あ、でもたまに触らせてくれるのであれば嬉しいです。ごはんもお持ちいたしますので」
「‥‥‥‥‥‥にゃ」
「あ、駄目ですか‥‥‥」
「考えておく、だそうだ‥‥‥ま、その辺りは心配いらないだろうよ」
「‥‥‥?」
助けてもらった以上は駄目とは言えない三毛猫。
ごはんの提供は少しだけ魅力的な提案であったが”あまりべたべた触られるのも嫌かも“と考えていた三毛猫は言葉を濁しながら返事をしていたようだ。その事に勘付いた鈴音は少しだけ肩を落とすが、紺がすかさずフォローを入れる。
「‥‥‥助けてやったんだ、そのくらいは期待しても良いだろう‥‥‥なぁ?」
「‥‥‥にゃぁん」
紺の言葉に対し、ぴくんと身体を震わせながら振り絞るような鳴き声を挙げる三毛猫。
紺は”まあ、そのくらいで手打ちにしておいてやろう“と言いながら満足そうに頷いている。
そそくさと境内の方へ向かう三毛猫を見送りながら、今の遣り取りの意味を理解していない鈴音は只々不思議そうに首を傾げることしか出来なかった。




