第十四話『猫宮紺の昔話』
「ただいま帰りました」
「おぉ、雲雀や。たい焼きは買って‥‥‥なんじゃ、屋台で狐でも売っていたのかの?」
「阿呆な事を『はい、お買い得でした』言ぅ‥‥‥で‥‥‥」
「そうか‥‥‥それは良かったのぉ‥‥‥」
たい焼きを買いに出掛けた筈の雲雀がたい焼きの紙袋と紺を持って帰ってきた。紺は小さな紙袋を携えており、とても恥ずかしそうな表情を浮かべている。そこで全てを察した貉は憐れみの視線を彼女に送る。
「くっ‥‥‥貴様も似たようなものであろう!」
「儂は良いんですぅ。犬飼家の神様だもん」
「そうです。貉様は別なんです。ペット枠ですから、おやつを与えられることは当然なんです」
「‥‥‥えっ、やっぱりペットなの、儂?」
「ふっ‥‥‥大層な神だな」
「お前も同じだろぉ!?」
争いは同じレベルの者同士でしか発生しないということは事実であった。低レベルな事でやいのやいの言い争う二柱の神様を眺めながら震えるスマートフォンを手に取る。画面には[鈴音]の名が。
『紺様いないと寂しい。早く返してね。それと貉様が空いていたら貸して』
『良いよ。目の前にいるから鈴音のところに行くように伝えておく。あんまり虐めないでね』
『安心して頂戴。一緒に料理を作ろうかと思っているだけだから』
『分かったよ。ただし餌付けは駄目だぞ。管理しないとすぐ太るから。それと最近運動不足だからこき使っても良いよ』
『承知したわ。あと私の方からもお願いがあるの。紺様にお灸を据えておいてもらえるかしら。最近おやつに釣られる事が多くって。あんまり酷いことでなければおもちゃにしても良いから』
『俺、生きてて良かった』
鈴音との連絡を終えるが、2人はまだ言い合いをしていた。”よく飽きないなあ“と思いつつ、貉へ声を掛ける。
「貉様、鈴音が今から会いたいそうなので猫宮神社に行ってもらってもいいですか?いや、行って下さい。約束したので」
「いきなりじゃのうっ!?それにお主らだけで軽く決めるなよぉ‥‥‥儂、ここの神様じゃぞ?」
「猫宮神社なら近いだろう。それに鈴音とも遊んでやれ。毎日のように会っているとはいえ、たまには2人きりというのも悪くはないだろうよ」
雲雀の一方的なお願いに貉は少しだけ焦りを見せるが、決して嫌がっている訳ではない。紺がいる手前、即答するわけにもいかないのだろう。そんな彼女に対し、紺が溜息をつきながら後押しをする。
「まあ‥‥‥それもそうじゃが‥‥‥分かった。お主らがそこまで言うのであれば‥‥‥」
「紺様、ありがとうございます」
「ふん‥‥‥鈴音のためだからな」
「‥‥‥」
「こら、頭を撫でっ‥‥‥くぅぅ‥‥‥んっ‥‥‥」
無言で頭を撫でられたため反射的に払おうとするが、寸でのところで踏みとどまる。たい焼きを買って貰った恩があるからだ。
”気安く頭を触りおって“と悔しそうに歯噛みする一方で、髪と耳から伝わる優しい手の感触に少しだけ力が抜けてしまう。自慢の耳は敏感なのだ。
「‥‥‥たい焼きは凄いのぉ‥‥‥あの紺が黙って頭を撫でさせるとは」
「定期的にたい焼きを買ってあげなきゃ‥‥‥!
たい焼きの偉大さに驚く貉と新たな使命感に目覚めた雲雀。2人がそれぞれの行動を思い出すには、少しだけ時が必要であった。
◆ ◆ ◆
貉にちょっとしたお菓子を持たせて猫宮神社へ向かわせた後、紺は雲雀に出して貰ったお茶を飲みながらたい焼きに舌鼓を打っていた。幸せそうな彼女の表情を眺めているだけでも楽しいが、本来は紺と触れ合うためにこの状況を作り上げたのだ。もっと楽しい事がしたいと考える一方で、中々考えがまとまらない。
「‥‥‥抱っこ、膝枕‥‥‥魅力的ではあるが」
「なんだ?我の膝枕では不満があるのか?」
「いえ、そういう訳ではありませんが。こうして紺様と家で2人きりというのも久々ですから」
「そうだな。大体は貉か鈴音がいるな」
2個目のたい焼きを食べながら紺は思う。犬飼神社で雲雀と2人きり‥‥‥確かに珍しい状況だ。餌付けをされる時にはお返しとして雲雀が喜びそうな事をしていたが大体は鈴音か貉が近くにいた。その2人にからかわれないというのも不思議な気持ちであった。
「そうです。だから普段と違った事が出来ないかと考えていたんですが‥‥‥何か案はありませんか?」
「何故我に聞く‥‥‥‥‥‥では、何もせず神社に帰すのはどうだ?」
「駄目ですねぇ‥‥‥」
「そうか、一番楽で良いのだが‥‥‥」
一番おすすめしたい案を却下されてしまう。只では帰してくれないようだ。紺が少し残念そうにしながらお茶を飲んでいると、雲雀の方から疑問を投げかけられる。
「逆にどういったことなら紺様的に許容出来ますか?」
「普通なら神に対して何かをするということ自体が間違っているが‥‥‥まあ、そうだな‥‥‥なら‥‥‥」
あんまりにも素直な表情で聞いてくるものなので、紺の中で悪戯心が鎌首を擡げる。小さく歪む唇を悟られないよう湯呑で隠しながら考える振りをする。
雲雀の意識が逸れた瞬間、湯呑を静かに置き、そのまま隣へと手を伸ばす。
「‥‥‥こういったことはどうだ?」
「ひゅっ‥‥‥!?」
首元に絡みつく紺に驚き、変な声とともに息を飲む。柔らかで軽い身体から伝わる体温と花のような香り。さらさらとして髪とふわふわする耳が雲雀の頬を撫でる。
「‥‥‥ふふっ‥‥‥あやつとは違った魅力があるだろう?」
「‥‥‥紺様は正統派美人ですからね‥‥‥」
数秒間身体を密着させた後、ゆっくりと身体を離す。そこには顔を赤くしながら目を泳がせている雲雀がいた。動揺を隠しきれていない未熟な彼に対し、更に追撃を加える。
「そうだろう‥‥‥だから‥‥‥」
「‥‥‥っ!?」
頬を両手で挟み、そのまま顔を近づける。徐々に近づいてくる紺の顔から目が離せない彼は、そのまま固まってしまう。
「我も久しぶりだからな‥‥‥ま、最初は手加減くらいはしてやる」
「いや‥‥‥その‥‥‥紺様、何を‥‥‥?」
「‥‥‥その口、塞いでやろうか?」
「‥‥‥っ!?」
人を堕落させる力を持つと言われても納得するしかない漆黒の瞳に射抜かれる。
逃げ場を求めても艶めかしい色香を漂わせる唇に目を奪われてしまう。
つまり、今の雲雀はまな板の上の鯉に等しい。
傾国の美女というものがいるのであれば目の前の狐神に他ならない。そのまま流されてしまうのも悪くはないと考えた瞬間、額に硬いものがぶつかる。
微かな痛みで正気を取り戻すと、目の前の美女は額をくっつけたまま嫌らしい笑みを浮かべていた。
”やられた“と思った時には既に身体が離れている。
「‥‥‥ふふふっ‥‥‥この阿呆め。何を期待しているんだか‥‥‥ほれ、少しは良い夢が見られただろう?」
「‥‥‥ふぅぅ‥‥‥はぁぁ‥‥‥ここまでされると怒りとか驚きとかそういった感情は浮かばないですね‥‥‥只々、夢みたいというか‥‥‥‥‥‥紺様凄い‥‥‥」
「おや、意外と嬉しそうだな?」
「ええ、予想以上にどきどきしました。より一層紺様が好きになりそうです」
からかわれた事に変わりはないが嫌な気分ではない。寧ろ良い夢を見せてもらったという満足感が全身を駆け巡る。
年の功というものをまざまざと見せられた雲雀は目の前の狐神の認識を新たにする。貉が母性の塊とするのであれば、紺は魔性の女。長く傍にいてもまだまだ気付きがあることに驚く。これだから神様の傍から離れることが出来ない。
「なら、たい焼きの礼はこれで良いか」
「‥‥‥‥‥‥もっと夢を見たいです」
「欲張りだな‥‥‥なら、ほれ‥‥‥ここに頭でも乗せろ」
「‥‥‥紺様しゅきぃ‥‥‥」
小柄ながらも寝心地の良い膝の上に頭を乗せ、サービス精神旺盛な神様に心の底から感謝した。
貉がその場に居たら”恋する乙女みたいになっとるぞ“と突っ込まれた事に違いない。
うっとりしながら素直な気持ちを吐露する雲雀に対し、心底嫌そうな表情を浮かべながら注意を促す。
「阿呆なことばかり言うようなら止めるぞ?」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥急に黙るな、気持ち悪い」
止められたら困ると言わんばかりに急ブレーキを掛ける。あまりの緩急の激しさに、紺ですら若干引いていた。
「あぁ‥‥‥このまま死にそう‥‥‥」
「‥‥‥せっかくこのまま昔話でもしてやろうかと思ったのになあ」
「お願いします」
「現金な奴だな‥‥‥まあ、良い。それなら我と貉の出会いについて話をしてやろう」
穏やかな陽気の中、雲雀に膝枕をしながら昔話を語る紺。
「我が神となる前‥‥‥この身が獣の身体であった頃、我はこの土地で他の獣と変わらぬ生活を送っていた。糧を得ながら野を駆け回る日々‥‥‥死が身近にある生活であったが、あの時ほど自由を感じたことはなかった」
紺は一匹の狐としてこの世に生を受け、獣として育った。それは自然なことであり、いずれは獣として死ぬ運命にあった。
「ある時、我の前に一匹の狸が近づいてきてな。獣の身なれど、そいつはどうも気に食わんと思っていた記憶がある。腹も減っていたし、丁度良い飯も無い。なら、目の前の獣でも喰ってやろうかと思った」
木の実や小動物を求めて草むらを這っていた狐の前に一匹の狸が現れる。その時は何も考えず、目の前の狸の肉でも齧ってやろうとした。
「だが狸の方も只ではやられまいとし、我の尻尾に噛み付いてきおった‥‥‥あの時は腹が立ったな‥‥‥まあ、今となっては笑い話にしかならんが‥‥‥」
結局、狐も狸もお互いを糧に出来ず、どちらともなくその場を離れる。これが紺と貉の出会い。
この時は何百年も続く腐れ縁になるとは考えもしていなかった。
「その後も獲物を探す度に奴が現れる。種族は違えど考えは似通っていたのか‥‥‥まったく、迷惑この上ないと思ったものだ」
その後も狐と狸の争いは続く。齧って齧られ。逃げて逃げられ‥‥‥いつしかお互いに見慣れた存在となっていた。
「結局は獣同士。仲間意識などまったく無かった。だが‥‥‥」
それまで懐かしそうに語っていた紺の口が止まる。当時の事を忘れた訳ではない。ここで語るには少しだけ気が引けるためだ。それを悟られないように話を飛ばす。
「‥‥‥まあ、なんだかんだあって我も奴も獣としての生を終える。だが、そこで生まれ変わることもなく、只々何者にも見えず触れることも出来ない存在へと変わった」
生を終えた狐はそのままこの世に囚われる。理由は分からない。只々己が死んだ後の世界を見せつけられる。自然や時代の移り変わり、人の営みや愚かさ‥‥‥最初は感じることも触ることも出来なかった。
「だが、そんなものを見ていると一言物申したくなるものだ‥‥‥気がついた時には考えることが出来るようになっていた。何故自分はここにいるのであろう、とな。どこぞの哲学者が考えそうな事ではあるが、確かにそう考えた覚えはある」
生きていた時には知らなかった感覚に触れ、少しずつ人に近い思考を持つに至る。普通ではありえない奇跡。生前に経験したことも要因であったのかも知れないが、少なくとも紺にはそのような素養があった。
「いつしか思うようになった‥‥‥何故人間は愚かな事を繰り返すのか、と‥‥‥それが悪意であることに気がついたのはもっと先の事であったがな」
どのくらい自問自答を繰り返していたのかは定かでは無いがそれが終わる日が来た。
人間の悪意を見続けた事により少しずつ魂魄に穢れが溜まっていたのだろう。塵のようなものが少しずつ形を作り、ついには現し世に手を出せる存在に至る‥‥‥その時代を生きていた人間には災いであったが。
「いつの間にか獣とも人とも言えない存在として再びこの地に降り立つことになった。その後は‥‥‥‥‥‥まあ、色々とあったものよ‥‥‥ここでは語らぬが、我も若かったんだろうな‥‥‥雲雀も少しは知っているだろうよ」
「‥‥‥‥‥‥」
詳細は語らない。しかし雲雀は知っている。貉や鈴音から聞いた事があったからだ。曰く、この土地に災いを招いたと‥‥‥
「そんな時、我の前に1人の男が現れた‥‥‥いけ好かない男であった‥‥‥あの時の事を思い出すと腹が立つな‥‥‥」
災いを招く悪神として思うがままに力を奮っていた紺の前に1人の男が現れる。紺はいつものように呪い、衰弱しきったところで喰らい殺してやろうと思って襲いかかる。
男は人間の中でも異質な存在であった。人の中で生きることが出来ないため、各地を回りながら災いのものとなるものを調伏していた。それが‥‥‥
「‥‥‥まあ、それが猫宮の系譜のものであったがな」
男は代々神官の務めを果たす一族の人間であった。しかし異常とも言える力のせいで一族から追放同然の扱いを受けていた人物でもあった。たまたま故郷の災いの話を聞き、何年も掛けて生まれ故郷に戻ってきたが、そこで初めて紺に出会う。
男の方も何か感じるものがあったのだろう。逃げることもせず、ひたすら紺の調伏に全身全霊を賭けた。
「‥‥‥運が良かったのか悪かったの
かは分からん‥‥‥ただ、あの時の我であっても勝てなかった‥‥‥あれは所謂突然変異というやつであろうな‥‥‥あれ以来、同じような人間を見ることは無かったからな」
結果、紺は男の前に膝を屈する。死んでもなお、殺されることに対し恐怖はなかった。しかし、予想とは違う結果が待っていた。
「で‥‥‥こうなってしまった、という訳だ」
その後、なんだかんだあって猫宮家の氏神として祀られることになる。窮屈ではあるがそれほど嫌でもなかった。
「‥‥‥その後、猫宮家の子孫のお守りをしながらこの地を見守り、その中で再び貉とも再会‥‥‥奴とも一戦交えたが、その話はまた今度だな」
「‥‥‥‥‥‥無茶苦茶気になるところはありますが‥‥‥次の機会を楽しみにします」
「そうしろ。また甘味でも奉納した時にでも聞かせてやるさ」
「‥‥‥ありがとうございます‥‥‥すみません、少し眠く‥‥‥」
「ああ、そのまま寝ても良いぞ‥‥‥おやすみ、雲雀‥‥‥」
話は非常に面白いものであった。続きを聞きたいがこれ以上聞くと勿体ない気持ちもある。それに加え心地よい眠気が雲雀を襲っていた。確かな満足感を感じながら紺の膝の上で眠る。これ以上無い幸せに包まれながら雲雀は意識を手放していた。




