第十三話『猫宮紺の買い物』
「では行ってくるぞ」
「行ってらっしゃいませ、紺様」
「うむ」
紺は鈴音に見送られながら神社を後にする。
今日は久しぶりに商店街へ買い物に行く予定であった。貉とは違い、意識せずとも住人に姿が見えるくらい力が強い。裏を返せば誰にでも見えてしまう神様であった。商店街の人間とは殆ど面識がある。当然だ、彼等が生まれた時から紺は存在している。それに神社へ参拝するときも顔を合わせる機会はある。情報化社会となった現代、各種SNSなどで情報が直ぐに出回ってしまうが、紺達が住む地域には暗黙の了解が深く根を張っている。
『猫宮神社と犬飼寺について口外することなかれ』そんな不文律。だが破るものはいない。何故なら地域の住人達に愛されている存在だからだ。
子どもから大人まで、老若男女問わず紺や貉の存在を認知している。時々外の人間も観光で来る事はあるが、その時は何とも言わずに住人が配慮してくれる。紺と貉、それに猫宮と犬飼の両家が尽力した結果であった。
「あ、こんさまだー。こんにちはー。きょうもちっちゃいねー」
「うむ。元気で宜しい、気をつけて行けよ。あと小さい言うな」
「あら、紺様。お出掛けですか。変な人に付いていったら駄目ですよ?」
「そうだ。今から商店街に行くつもりだ。あと子ども扱いするな」
「紺様、飴ちゃんでも食べますかの?」
「奉納を許す。何味があるんだ?‥‥‥あ、みかん味だ。これが良い」
すれ違う人々から声を掛けられる。お互いに顔見知りであり、気軽に挨拶を交わす関係。今日も平和である。
近所の年寄りから貰った飴を口の中で転がしながら目的の場所へ向かう。
「ふむ。今日はやっているな」
足を止め、店先にある看板を見つめる『おいなり豆腐店』ここが紺の目的の場所であった。
店の中に入り、財布から取り出した千円札2枚を店主に手渡しながら目的のものを注文する。
「店主、いつもの」
「おお、紺様。いつものですね。毎度ありがとうございます」
「うむ。引き継いだ味を守り、精進し続ける心を忘れぬ限りはここに来るからな」
「ありがたきお言葉に御座います。それでは10分程お待ち下さい。もうすぐ揚がりますので」
「よきにはからえ」
すっかり顔なじみとなった店主と慣れた遣り取りを交わす。いつもの‥‥‥油揚げ20枚。狐だから油揚げが好きという訳では無い。ただ紺の好みに合っているだけである。
「‥‥‥少し時間があるな」
油揚げの出来上がりを待っている間、手持ち無沙汰になってしまった紺は周囲を見渡す。見慣れた商店街の一角、普段は見かけないものを視界に入れる。
「ほう、屋台か‥‥‥」
最近はめっきり見なくなってしまった屋台‥‥‥正確に言えば移動販売の車なのだが、紺はそんな事は気にしない。何故なら『たい焼き』の文字が大きく掲げられていたからだ。紺は甘いものが大好きである。特にあんこには目がない。そんな彼女が視界の中にたい焼きの文字を入れてしまったら、何をするかは明白である。
「1個150円か‥‥‥よし、買って帰るか‥‥‥いや、しかし‥‥‥」
数歩進んだところで足が止まる。たい焼きに釣られて冷静さを失っていた事に気が付く。懐から財布を取り出し、中身を検める。
「‥‥‥」
―――――110円
あまりにも貧弱な全財産。自動販売機ですら飲み物を買えるかどうか分からない額だ。冷たい現実を見せられ、静かに財布を閉じる。
「‥‥‥」
―――――無力
獣の身を捨て、力ある神に至った自分に出来ないことは無いと思っていた。事実、この町にいる限りそれに近いことは可能。
だが、下手なことをしたら鈴音に気づかれる。それはまずい。何せ怒るよりも泣く女だ。始末に負えない。そんな事をされたら勝てないのだ。
無論、金銭を不当に得ることも同じこと。一応、貯蓄というものはあるが基本的に猫宮家に財布の紐を握られている。
「何故我は‥‥‥お小遣い制なのか‥‥‥っ」
世の中の理不尽さに身を震わせる。齢700を超える神たる自分が資本主義に膝を屈さねばならぬのかと。
原因はお金があったら際限なく使ってしまう紺にあるのだが。それが原因で昔痛い目に遭っている。当時の猫宮家に泣きつき事なきを得たが、素直に助けを求めなければ見世物小屋に売り飛ばされていた可能性すらある。
『時々馬鹿になるのぉ‥‥‥お前は』
貉の呆れた顔と言葉は今も忘れられない。紺の軽いトラウマになっている。そんな事があったので猫宮家では紺に財布を握らせないという家訓が出来た。つまり自業自得なのだ。
「‥‥‥‥‥‥さらば、たいやき‥‥‥くっ‥‥‥!」
香ばしい香りを漂わせる屋台と別れを告げる。今迄幾度となく別れを経験してきた紺には当たり前になってしまった行為。
屋台に背を向けて豆腐店の店先で待つ。そして揚がったばかりの油揚げを持ち帰り、神社で味わう。今はそれだけが紺の救いであった。
「すみません、限定の黒糖入りたい焼きと栗入りたい焼き、あんことカスタードを下さい」
「黒糖に栗だとっ‥‥‥!?」
屋台の方から聞こえた言葉に思わず振り返る。黒糖入りのあんこに栗入りのあんこ。どちらも紺の大好物だ。しかも限定。
「はいよ。丁度焼きたてが出来たところだよ。どうぞっ」
「うんうん、これよこれ。ここの黒糖と栗、それにあんこもカスタードもとっても美味しいのよねぇ」
「はわぁ‥‥‥」
屋台の店主と買い物帰りの主婦の会話が紺の心をかき乱す。諦めた筈なのに足が動かない。
「‥‥‥はゎ、はわぁ‥‥‥われは‥‥‥くぅっ‥‥‥!?」
羨ましさと悔しさでどうしようもなくなり装束を握る。神としての誇りと威厳にひびが入り、少しだけ泣きそうになった
その時、子どもの頃から知っている付き合いの長い男が現れた。
「あれ、紺様?」
「雲雀かっ!?」
「はい。紺様、こんにちは。どうしました‥‥‥あ、油揚げですか?」
”情けない所を見られた“と驚き、思わず後退ってしまったが幸運にも雲雀は気が付いていなかった。紺は気を取り直し、冷静になろうと必死に努める。
「そ、そうだ。今揚がり終わるのを待っていてな‥‥‥して、お主は?」
「俺はこの辺りで販売しているたい焼きを買いに来たんです。貉様と一緒に食べようかと思いまして」
「た、たい焼きだとぉっ!?」
「わっ!?びっくりした。紺様、そんな大きな声を出してどうしま‥‥‥あっ」
「‥‥‥はっ!?」
“しまった”と思わず口を塞ぐが、一度出てしまった言葉は戻すことが出来ない。紺は目の前に意識を向けると、そこには全てを察した雲雀の顔があった。
「‥‥‥たい焼き‥‥‥紺さまも大好物でしたねぇ‥‥‥」
「ひっ‥‥‥そ、それは‥‥‥」
「まどろっこしい事は言いません。たい焼きを奉納するので抱っこ‥‥‥いや膝枕をお願いします」
「くぅぅ‥‥‥!」
朗らかな態度と優しい声色で紺に提案を持ちかける。内容は可愛らしいものであるが、雲雀の目は獲物を見つけた狼の様にぎらついていた。
必死な青年に詰め寄られる見目麗しい少女(700歳〜)端からみたら事案である。
「ここの黒糖入りあんこと栗入りあんこはとても美味しいらしいですよ」
「あぁっ‥‥‥あぁ‥‥‥」
「‥‥‥どうしますか?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥好きにしろ」
甘いあんこの香りと生地の香ばしさで骨抜きになっていた紺は、雲雀の責めには耐えることは出来なかった。目を逸しながらも小さな声で雲雀の取引を受け入れる。
「やったあ!」
「くっ‥‥‥我は‥‥‥我はっ‥‥‥」
恥ずかしそうに頬を赤らめ歯噛みする紺を見た雲雀は、思わず両手をあげて喜びを示していた。
―――――齢700を超える神様が、只の人間に膝を屈した瞬間であった。
◆ ◆ ◆
紺は雲雀を連れ立って神社へと帰ってきた。境内を箒で清めていた鈴音は直ぐに気が付き、2人の姿を視界に収める。
「あっ、おかえりなさいませ紺様‥‥‥あれ、雲雀君?」
「こんにちは、鈴音。悪いけど紺様を少し借りていくね」
「ええ、まあ、良いけど‥‥‥紺さま?」
雲雀の言葉に対し、二つ返事で応える。鈴音も貉を借りる事が良くあるのでお互い様だ。
そこで機嫌の良さそうな雲雀と無力感に苛まれている紺の表情に気が付く。
「‥‥‥‥‥‥我はたい焼きに屈したのだ‥‥‥決して雲雀なんぞに‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥ああ、なるほど」
餌付けされたんだなと瞬時に悟る。これもいつものことなので特に気にしない。大方、油揚げを買った帰りに雲雀に何かを貰ったのだろうと。油揚げの代金程度しか持たせていなかったので容易に想像がつく。
「ちゃんと合意の上だぞ?」
「あんまり虐めないでね。それと写真を撮るような事をしたら私にも送ってね」
「分かったよ」
「‥‥‥氏神が売られて行くところなのに、何故止めんのか‥‥‥」
咎めることもせず、なめらかな連携を図る2人に対し、悲しそうな表情を浮かべながらか弱い抗議の声を上げることしか出来なかった。




