第十一話『猫宮鈴音の羨望』
「帰ったぞ」
「おかえりなさいませ紺様」
「うむ。待たせたな」
「それでは紺様。膝枕にしますか?抱っこにしますか?それとも‥‥‥」
「馬鹿な事を言っていないでさっさと部屋に行くぞ」
「あ、お待ち下さい」
今となっては古風な遣り取りをしてくる鈴音を適当にあしらい、さっさと約束を果たすため自室へ戻る紺。鈴音の方もぞんざいに扱われる事に慣れているため気にせず後を追う。
「ほれ、後は勝手に寝ろ‥‥‥早いな?」
「むふー」
自室のベッドに座り、鈴音に向けて声を掛けた瞬間、膝の上に鈴音の頭が滑り込んできた。食い気味の動作に少しだけ驚くが、鈴音が満足そうであったため良しとする。
「‥‥‥膝枕の何が良いんだか」
「紺様のお膝の上だからこそ喜びもひとしおなんです」
「はぁ‥‥‥暫くは膝を貸してやるから、満足したら部屋に戻れよ」
「それでは1日中ここにいることになってしまいます‥‥‥」
「人間とは欲深い生き物だ‥‥‥」
人間の欲深さを垣間見た紺は更に深い溜息をつく。悪態は付くが実は満更でもない。
「紺様撫でてっ、子守唄歌って!」
「阿呆。そこまでやってやる義理はないわ」
「‥‥‥‥‥‥ごはん」
「‥‥‥」
静かな脅迫に対し、無言のまま頭を撫でることで恭順を示す。流石に子守唄は恥ずかしい。
鈴音の方もそこが落とし所と判断し、そのまま小さく柔らかな感触を堪能する。
「あぁぁ‥‥‥ごくらくー‥‥‥」
「神を脅す奴なんぞお主の他には‥‥‥いや、いたな」
“今頃奴も小僧の我儘に付き合っている頃合いだろう”と思いつつ眼下の我儘娘に付き合ってやることにする。
「だっこー‥‥‥」
「馬鹿者。こっちを向くな、抱きつくな」
「すー‥‥‥はー‥‥‥」
「深呼吸するでない」
「すぅ‥‥‥すぅ‥‥‥はぁ‥‥」
「狸寝入りはやめろ。それは奴の専売特許だ」
”狐神を信奉する猫宮の巫女が馬鹿な事を“とぶちぶち文句を言いながら鈴音の耳を引っ張る。鈴音は以外にも素直に従い、元の向きに戻る。紺が嫌がるぎりぎりを見極め、理性で抑える事が出来る鈴音ならではの紺専用の処世術。
だからこそ怒るに怒れない。そもそも機嫌を損ねてしまえばごはんもおやつも抜きになるのだが。
「‥‥‥ところで紺様。つかぬことをお聞きします」
「なんだ?」
「‥‥‥最後にお風呂に入ったのはいつ頃でしょうか?」
じとっとした目で見上げながら重要な事を指摘する鈴音。その視線に身体を強張らせる紺。どうにかしてこの場を切り抜けたい紺は誤魔化せそうなラインを見極めて言葉を選ぶ。
「‥‥‥‥‥‥一昨日、だったか?」
「私の記憶が正しければ4日前ですね」
「くっ‥‥‥」
誤魔化しは無駄であった。端正な眉を顰めながら更に圧を掛ける鈴音。どのように返答したらこの場を丸く収めることが出来るかと数秒検討し、威厳に任せた言葉で押し切ることにした。
「‥‥‥‥‥‥神の身体を悪く言うのは頂けないな」
「お風呂も入らない神様に反論する権利はありませんよ?」
「‥‥‥そもそもだ。元は獣とはいえ神たる我は、湯で身を清めずとも汚れなんぞ付かん。だから‥‥‥」
「自発的に入らないのであれば犬用シャンプーで洗いますよ?」
「入るからそれだけはご勘弁を‥‥‥」
神の威厳は犬用シャンプーの前に崩れ去った。
風呂も面倒だが、犬用シャンプーで洗われる屈辱に比べたらまだましだという単純明快な事実に全面降伏せざるを得なかった。
◆ ◆ ◆
猫宮家にはお風呂が2つある。住居スペースである母屋には一般家庭で使われるバスタブが1つ。そして紺の部屋の近くには2〜3人は入ることの出来る檜風呂が設置されていた。
紺や猫宮家の巫女が身を清める為に使う風呂であるとされているが、実際は誰が使っても問題は無い。単純に使った後の掃除と乾燥が面倒なだけである。
そのため紺の入浴以外ではあまり使われることの無い風呂であるが、今は温かなお湯で満たされていた。
「‥‥‥何で鈴音も入っているんだ?」
「気持ち良いですよね、お風呂」
「いや、気持ち良いからじゃなくて‥‥‥はぁ‥‥‥まあ良いや‥‥‥」
髪と身体を洗い、風呂に身を沈めた頃になって初めて指摘する。一緒に服を脱いだ時からおかしいとは思っていたが、鈴音の自然過ぎる行動の前には言葉を挟む隙が無かった。
”まあ、最初から指摘したところで言うことは聞いてくれなかっただろうな“と、目の前にいる鈴音の返答を聞き、瞬時に悟る。神も人間も諦めが肝心な事には変わりはない。
「お湯を飲まないだけありがたいと思ってほしいのですが‥‥‥」
「そんな事をしたら問答無用で風呂から叩き出すぞ‥‥‥いや、そもそも人として駄目だろ?」
「神様が人間の事を語るんですね‥‥‥笑止」
「何で我に当たりきついの?」
人間の立場でものを言う自分にも情けなくなるが、それを鼻で笑われながら指摘されると少ししょんぼりしてしまう。思春期に無かった反抗期が今になって発揮され始めたのかと思うがそうではない。子どもの頃から現在に至るまで、鈴音の舐めた態度は一貫して変わっていないからだ。
「愛情の裏返しです。どちらも愛情しかありませんが‥‥‥」
「我としたことが、育て方を間違えたか‥‥‥」
「そうですよ紺お母様」
「お主を産んだ憶えは無いんだが‥‥‥」
重すぎる愛情が限界を越え、事実を捻じ曲げるに至った鈴音に対し、げんなりしながらなんとか否定する。放っておくと娘が誕生しかねない。
「‥‥‥まあ、そうですよね‥‥‥」
「‥‥‥何処を見て言っているんだ」
「紺様のお胸です」
「馬鹿正直に言いおったわ‥‥‥こんなものあろうがなかろうが同じことではないか‥‥‥そも、鈴音も立派に女性らしい身体付きだろうに」
「‥‥‥近くにとんでもないほど美しいものがあったら一言物申したくなるものですよ‥‥‥」
紺は自前の胸を腕で持ち上げながら呆れたように言葉を返す。紺の言う通り、鈴音も均整のとれた体型をしている。美人といっても差し支えない。
しかし鈴音の言うこともまた真実であった。普段は子ども体型にしか見えないが、服を脱ぐと悲鳴を上げるさらしと褌が露わになる。その下には黄金比の肉体が隠されており、鈴音よりも一部分が大きく一部分は細い。
「外見よりも中身を磨くほうが大事だろう。まあ、鈴音はどちらも優秀だがな」
「‥‥‥ありがとうございます」
「‥‥‥まだ何か言いたいようだな?」
紺に褒められて素直に嬉しい鈴音。しかし他にも気になる部分はあった。しかもそれは努力ではどうにもならない代物であり、小さな頃から密かに羨ましいと思っていたものであった。
「‥‥‥紺様の髪と耳と尻尾が凄く綺麗なので‥‥‥実はそちらの方が羨ましくて‥‥‥」
「‥‥‥まあ、褒められると悪い気はしないな」
「少し分けてくださいよ」
「無理なこと言うなよ‥‥‥」
”こんさまけちー“と呟きながら湯に顔を沈める鈴音。後半がぶくぶく音に掻き消され何を言っているのか分からなくなっていたが、紺には恥ずかしさを紛らわすための行動であることが分かっていた。
子どもの頃と変わらず、言いたいことははっきりと言い、思った事は素直に表す。そんな鈴音を見ながら、もう1人の神と同じ想いに至る。
「変わらないものも、大切にせんとな‥‥‥」
水音のせいで何を呟いているのかは分からなかったが、大好きな神様の優しい微笑みを見ると鈴音の方も何だか嬉しくなってしまうのであった。




