第四章 トライアングラー 中編
待合室へ戻ると、僕は弁護士と婚姻費用について話をした。
弁護士によれば、相手側が主張する十六万円という金額には妻の生活費も含まれているらしい。
そのため、妻の扶養分を差し引いて計算すると、おおよそ十四万円程度になるという。
さらに、妻に就労能力があると判断された場合は、その額は十一万円前後まで下がる可能性があるとのことだった。
僕としては、妻には十分に働く力も時間もあると思っていた。
少なくとも、働けないほど心身が弱っているようには見えない。
ジムに通う時間があり、不倫をする時間や行動力があるのだ。
それだけの余力があるのなら、働くことだってできるはずだ。
もちろん、それは僕の考えでしかない。
実際にどう判断されるかは分からない。
だが、少なくとも僕には、
「働けないから扶養してほしい」
という主張には、どうしても納得ができなかった。
弁護士も、法律論だけではなく、心情的な部分でも僕に寄り添って話をしてくれる。
それが本当に嬉しかった。
あの頃の僕は、誰も味方なんていないと思っていた。
家族を失い、子どもたちにも会えず、相手側からは加害者のように扱われる。
世の中すべてが敵に見えていた時期もあった。
だが、弁護士は違った。
僕の話をきちんと聞き、事実を整理し、納得できない部分については一緒に考えてくれる。
ただそれだけのことが、今の僕にはとても心強かった。
待合室で雑談をしながら次の呼び出しを待っていた時、ふと気になっていたことを聞いてみた。
「僕みたいなケースって、業界ではよくあるんですか?」
自分では判断がつかなかった。
僕の状況が珍しいのか、それとも意外とよくある話なのか。
何気なく尋ねてみたのだ。
すると弁護士は少し考える素振りを見せた後、短く答えた。
「スーパーマイノリティですね」
僕は思わず吹き出した。
ただのマイノリティではない。
スーパーマイノリティである。
なかなか聞く機会のない称号だ。
だが、不思議と嫌な気分はしなかった。
むしろ妙に納得してしまった。
そして同時に思った。
もし僕のケースがマジョリティなら、この世の中は本当に終わっているだろう。
さらに弁護士によれば、理不尽さという意味でもかなり上位に入る案件らしかった。
経験豊富な弁護士のお墨付きをもらったような気分でなんか自信がついた。
しばらくして、再び呼ばれた。
部屋へ案内され、席に着く。
そして今度は、妻側の主張が伝えられた。
細かな説明はあったが、要約するとこういう内容だった。
妻は障害者手帳二級を所持しており、働くことができない。
そして今回の別居に至った原因は、僕のDVにある。
だから責任は僕にあり、妻の生活費も含めて面倒を見るべきだ。
――そういう主張だった。
話を聞きながら、僕は思った。
やはりスーパーマイノリティだな、と。
そして同時に、こんな主張だけでここまで話が進んでいく現状に、司法制度の理不尽さを感じずにはいられなかった。
もちろん、僕としては納得できない。
そのため、こちらは妻の扶養分を考慮した減額案を提示した。
さらに、
「週に一回でもいいので働くことはできないのでしょうか」
という点も伝えた。
僕にはどうしても疑問だった。
働くこともままならない状態で、子ども三人を育てていくことは本当に現実的なのだろうか。
そして、働く姿を見せられない環境の中で育つ子どもたちは、将来どうなるのだろうか。
もちろん、働いていない親のもとで育ったからといって必ず問題が起きるわけではない。
だが僕は、子どもたちの将来を考えた時、不安を感じずにはいられなかった。
だから調停委員に、自分の考えを率直に伝えた。
今はいい。
だが、一年後はどうなのか。
五年後はどうなのか。
十年後はどうなのか。
一般的に、女性から離婚を切り出す場合は、自立するための準備や生活の見通しを立てていることが多い。
だが今回の件では、僕にはそうは見えなかった。
嫌になったから家を出た。
けれど働けない。
だから生活費を支払ってほしい。
少なくとも、僕にはそう映っていた。
だからこそ思う。
せめて働こうとする姿勢を見せてほしい。
少しでも前へ進もうという意思を見せてほしい。
子どもたちを育てていく覚悟を見せてほしい。
それが僕の正直な気持ちだった。
調停委員には、わずかながらその思いが伝わったように感じた。
数秒間、沈黙が続く。
考え込んでいるような。
あるいは返答に困っているような。
そんな沈黙だった。
だが、この話を続けても結論は出ないと判断したのだろう。
弁護士が話題を切り替えた。
その後は、調停委員と弁護士の間で実務的な話が続いた。
DVについての反論書面を提出するかどうか。
調査官の報告書が完成してから陳述書をまとめて提出するかどうか。
正直なところ、僕にはよく分からない話ばかりだった。
さらに裁判官へ確認する事項もあるとのことで、話は一旦そこで区切られた。
妻側の弁護士にも予定があったため、次回の日程だけを決める。
こうして三回目の調停は終了した。
調停後、待合室で弁護士から説明を受けた。
次回の調停でもまとまらなければ、婚姻費用については審判へ移行する可能性が高いという。
そして、その場合は正直こちらにとって厳しい結果になるかもしれないとも言われた。
理由は担当裁判官だった。
どうやら今回の担当裁判官は、かなり保守的な判断をする人物らしい。
個別事情よりも、過去の判例や算定基準を重視する傾向があるという。
弁護士は以前担当した別の案件の話をしてくれた。
その案件では、妻が包丁を振り回した動画や証拠が多数残っていたにもかかわらず、婚姻費用については通常の算定表どおりの判断が下されたらしい。
今回も同じような流れになる可能性がある。
そう説明された。




