第三章 心身
去年の年末からジムに通い始めて、早いもので半年が経った。
最初は何気なく鍛えていた。
ただ、持て余した時間を埋めるように、惰性で通っていただけだった。
しかし、続けるうちに身体は確実に変わっていった。
少しずつ太くなる腕。 隆起していく胸筋。 引き締まっていく太もも。
努力した分だけ目に見えて変化する身体は、思っていた以上に面白かった。
先日、ベンチプレスがついに100kgを超えた。
ひとつの目標を達成した瞬間だった。
始めた頃は70kgでも限界だと思っていた。 だが、人間やればできるものらしい。
今ではジムに着くと、一通りのマシンをこなし、その後にランニングをするというルーチンが出来上がっている。
体重も10kg近く増えた。
痩せているのか太っているのか、自分でもよく分からない。
ただ、腹筋だけは一向に割れる気配がなかった。
あれだけ鍛えているのだから、そろそろ顔を出してくれてもいいと思うのだが、どうやら腹筋には腹筋なりの事情があるらしい。
それでも筋肉はいい。
なぜなら裏切らないからだ。
可愛がった分だけ応えてくれる。
重量という分かりやすい結果で返してくれるし、鏡の中の姿でも答えてくれる。
その代わり、少しでも構わなくなるとすぐにへそを曲げる。
筋肉とは、実に手のかかる存在だった。
だが、それがいい。
可愛いやつだ。
最近は筋肉痛すら心地よく感じるようになった。
身体を動かした翌日、腕や胸、脚に残る鈍い痛み。
以前なら嫌だったはずのその感覚が、今では少し嬉しい。
生きている実感があるからだ。
そして何より、その痛みは自分を育ててくれる。
痛みの先には新しい出会いがある。
誰かとの出会いではない。
新しい自分との出会いだ。
そう思うと自然と気合いも入る。
ダンベルを持ち上げる一回一回が、自分自身との対話のように思えた。
「もうちょっと、あと少し――」
「世界中に二人だけみたいだね――」
そんな言葉を心の中で交わしながら、心と身が対話する。
いや、対話というよりダンスかもしれない。
ガシャン、ガシャンと鳴るトレーニング器具の音をバックミュージックにして、呼吸を合わせ、重さに合わせ、己と向き合う。
そんな時間が嫌いではなかった。
最近はプロテインにも少しずつこだわり始めている。
筋トレ直後はホエイプロテイン。
寝る前はカゼインプロテイン。
どちらも同じプロテインだが、吸収速度が違う。
そんな話をしても、多くの人には「へぇ、そうなんだ」くらいの反応しか返ってこない。
正直、自分でも少し面倒くさいと思う。
だが、きっと僕は何かにハマると、とことんこだわる性格なのだろう。
料理を始めれば、カレーのスパイスを一から調合し始めるタイプだと思う。
そんなだから女に逃げられるんだよ、と笑われるかもしれない。
だが、それが僕なのだから仕方がない。
けれど、そのくらいのこだわりがなければ、
ベンチプレス100kgの壁は越えられなかった気もする。
大抵のことは、少しだけ好きな程度では続かない。
夢中になって、こだわって、積み重ねて。
その先にようやく結果がある。
100kgという数字は、そんな半年間の積み重ねが形になったものだった。
僕の中の時間は、まだ止まったままかもしれない。
だが、筋肉は待ってくれない。
こちらの事情などお構いなしだ。
悲しみに浸ろうが、黄昏れようが、サボれば容赦なく小さくなる。
まったく薄情なやつである。
けれど、そのおかげで今日もジムへ向かう。
僕の時間は止まっていても、筋肉は止まらないのだから。
そしてこの話は、きっとみんなにも共感してもらえるだろう。
そうだろう?
・・・・・・いや、多分しない。




