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第二章 懐古

僕はその日、面談を受けるために家を出た。


前回の調停の際に日程を調整して決まった面談だ。


開始は昼からだったので、いつものように身支度を整え、十時過ぎには家を出る。


そして、いつものようにカツ丼を食べる。


もはや験担ぎなのか習慣なのか、自分でもよく分からない。


食事を終えると、そのまま家庭裁判所へ向かった。


最近になって気付いたことがある。


家庭裁判所へ行くことが、少しずつ日常の中に入り込み始めているということだ。


以前なら縁のなかった場所だった。


けれど今では、見慣れたロビーがあり、見慣れた廊下がある。


そんな自分に気付き、思わず苦笑した。


裁判所に慣れる人生など、できれば経験したくなかった。


受付を済ませると、僕は迷うことなく案内された部屋へ向かう。


慣れてしまったからこそ、足取りに迷いはない。


だが、心の中には相変わらず疑問が残っていた。


この面談に、一体どれほどの意味があるのだろうか。


何が決まり、何が変わるのだろうか。


正直なところ、大きな期待はしていなかった。


どうせ今回も平行線のまま終わるのではないか。


そんな諦めにも似た気持ちを抱えながら、僕は面談の始まりを待っていた。



面談は、簡単な挨拶から始まった。


担当は、これまでの調停でも何度か顔を合わせていた女性の調査官だった。


今日は彼女と僕の一対一での面談らしい。


まず調査官から説明があった。


今回の面談で話した内容は報告書としてまとめられ、裁判官へ提出されること。


そして、その内容は相手方にも共有されること。

そんな前置きを聞いたあと、面談は始まった。


調査官は、まず僕自身のことから尋ねてきた。


生まれた土地。


育った場所。


家族構成。


兄弟や実家の状況。


僕は聞かれたことに素直に答えていった。


特に話に詰まることもなかった。


事実をそのまま話すだけだったからだ。


やがて話題は結婚後の生活へ移っていった。


妻とはどう出会ったのか。


子どもが生まれてからどんな家庭だったのか。


一人目の時はどうだったのか。

二人目の時は。

三人目の時は。


大変だったこと。


辛かったこと。


その時々の家庭の様子。


僕は順を追って話していった。


長男の話では、発達障害のことを話した。


次男の話では、イヤイヤ期の頃の出来事を話した。


そして三男は、比較的手の掛からない子だったことを伝えた。


その中でも、調査官が特に反応を示したのは次男の話だった。


妻が次男の首を絞めていたという話だ。


調査官はそこで手を止め、詳しく聞かせてほしいと言った。


僕は当時の状況を説明した。


仕事中でも頻繁に送られてきたLINE。


「死にたい」


「もう無理」


「このままじゃ殺してしまうかもしれない」


そんな内容のメッセージが何度も送られてきていたこと。


当時の僕は、通知音が鳴るたびに身構えていた。


今度は何が起きたのだろう。


子どもたちは大丈夫だろうか。


そんなことばかり考えていた。


そして、それらのやり取りが残っているLINEの記録も見せた。


調査官は黙って画面を見ていた。


表情は大きく変わらなかった。


けれど、わずかな空気の変化は感じた。


正直なところ、少し引いているようにも見えた。

その時、僕は思った。


調査官も裁判所の職員である前に、一人の人間なのだと。


そこから先は、比較的スムーズに話せたと思う。

妻が入院したこと。


その間、僕が仕事を休みながら育児に専念していたこと。


妻が運動したいと言い出し、僕がジムへ通うことを勧めたこと。


そして、そのジムのインストラクターと不倫したこと。


これまでの経緯を順を追って説明していった。


調査官も子どもがいると言っていた。


だからなのか、子育ての大変さについては理解を示してくれていたように思う。


実家の支援を受けずに子育てを続けること。


夫婦で協力しながら日々を乗り切ること。


子どもが三人いる家庭を回していくこと。


その大変さは、少なくとも伝わっているように感じた。


だからこそ、話は次第に核心へと向かっていく。


なぜ不倫に至ったのか。


なぜ僕がDV加害者として扱われ、ここまで孤立することになったのか。


話せば話すほど、僕自身も改めて考えさせられた。


客観的に見れば、どこかおかしい。


少なくとも僕にはそう思えた。


そして、その違和感には調査官も気付いてくれたように感じた。


もちろん、それが僕の思い込みかもしれない。


この後、調査官は妻とも面談を行う。


その上で何を感じ、どんな報告をまとめるのかは分からない。


けれど、少なくとも僕が伝えるべきことは伝えられた。


そう思えただけでも、この面談には意味があったのかもしれない。



気が付けば、時計の針は十六時を回っていた。


十三時半から始まった面談は、いつの間にか四時間を超えようとしていた。


ここまで長い時間、誰かと話したのはいつぶりだろう。


そんなことを思った。


そして改めて気付く。


この面談で僕が話していたのは、単なる離婚や調停の話ではなかった。


僕の人生そのものだった。


生まれ育った環境。


結婚。


子育て。


苦しかったこと。


嬉しかったこと。


そして今に至るまでのこと。


四時間という時間を掛けて、僕は自分の人生をぶつけていたのだ。


次の調停で何が起こるのかは分からない。


状況が好転するのか、それとも変わらないのか。


それすら分からない。


それでも、この面談には意味があったと僕は思いたかった。


面談の最後に聞いた話では、調査官は幼稚園や小学校にも聞き取りを行うらしい。


先生たちから見た子どもたちの様子。


そして保護者としての僕や妻の様子。


そういった話も調査の対象になるとのことだった。


だが、その点について僕は特に不安を感じていなかった。


少なくとも、幼稚園や学校での僕の評価について疑う理由はなかったからだ。


何がどう転ぶのか、本当に分からない。


けれど、この日の面談は今までの調停とはどこか違っていた。


もしかしたら次の調停が、大きな分岐点になるのかもしれない。


そんな予感を抱かせるような面談だった。


期待してはいけない。


これまで何度もそう思って裏切られてきた。


それでも――。

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