終章 パラベラム
陳述書を送付してから数日後、弁護士から連絡が入った。
まず伝えられたのは、僕が作成した陳述書についてだった。
「いい感じに書いていただいてありがとうございます」
そう評価してもらえた。
本来なら、自分の離婚や親権を巡る争いのために書いた文章を褒められて喜ぶのも妙な話かもしれない。
それでも、時間をかけて書き上げたものを評価されたことは素直に嬉しかった。
しかし、弁護士からの連絡はそれだけでは終わらなかった。
相手方の陳述書も届いたため、データを送るという。
さらに弁護士は、現在の悩ましい問題について説明した。
それは、不貞のやり取りを示すLINEやメッセージの証拠を裁判所へ提出するかどうかだった。
証拠を提出する場合、裁判所だけに見せることはできない。 相手方にも同じ証拠が開示される。
子どもたちのことを考えれば、相手が精神的に不安定であることを裁判所に理解してもらう必要はある。
しかし一方で、不貞の証拠を突きつけることで相手がさらに感情的になり、そのしわ寄せが子どもたちへ向かう可能性もあった。
だが、相手方の陳述書には、僕が子どもたちへ危害を加えていたかのような内容まで書かれているらしい。
言われっぱなしで終わるべきではない。
そんな弁護士の考えも添えられていた。
最後に、相手方の陳述書を読んだうえで僕の意見を聞かせてほしいと締めくくられていた。
その文面を読みながら、僕はため息をついた。
――相当酷いことが書かれているのだろう。
そう思いながら、僕は送られてきたデータを開らいた。
相手方の陳述書は、一言で言えば一方的なものだった。
そこに書かれていたのは、僕が加害者であり、妻が被害者であるという構図だった。
子どもたちは僕を怖がっている。 別居後の現在の生活は安定していて、子どもたちも落ち着いて暮らしている。
だから今の環境を変えるべきではない。
おおよそ、そんな内容だった。
ある程度は予想していた。
だが、実際に文章として突き付けられると、想像以上に酷い話だった。
特に目を引いたのは、妻の不倫についての記載が一切なかったことだ。
あれほど大きな出来事だったにもかかわらず、その事実には微塵も触れられていない。
陳述書の中の妻は、終始一貫して被害者だった。
そして僕は、終始一貫して加害者だった。
まるで最初から結論が決まっているかのように、頑なに僕が悪であると主張し続けていた。
読み進めながら、僕は考えた。
果たして交渉の余地はあるのだろうか、と。
僕なりに譲歩できるところは譲歩してきたつもりだった。
婚姻費用についても受け入れた。
感情的な反論も抑えてきた。
それでもなお、相手は一歩たりとも譲る気配を見せない。
これ以上、僕が下がれる余地は残っていなかった。
このまま何度調停を重ねたところで、きっと平行線なのだろう。
そんな予感を抱かせるには十分すぎる内容だった。
相手方の陳述書を最後まで読み終えたあと、僕は弁護士へ返事を送った。
まずは率直な感想からだった。
「なんか不毛ですね」
それが正直な気持ちだった。
不貞をして家を出て行ったことは、まるで存在しなかったことになっている。
陳述書から伝わってくるのは、あくまでも自分は被害者であり続けるという姿勢だった。
どれだけ読み返しても、その印象は変わらなかった。
そして僕は、自分の考えを続けた。
僕の最終的な目標は、子どもたちとの面会交流、もしくは親権にある。
そのために、不貞の証拠を提出したほうが裁判所の理解を得られ、手続きが前に進むのであれば提出してほしい。
調停で解決できるのであれば、それに越したことはない。
だが、この陳述書を読んだ今となっては、簡単に歩み寄れるとは思えなかった。
もし調停で解決しないのであれば、裁判になることも辞さない。
そんな心境だった。
だから最後に、僕はこう伝えた。
「なので思いっきりやってください」
感情に任せて書いた言葉ではなかった。
むしろ逆だった。
何度も譲歩し、何度も考え、それでもなお交わらない現実を見たうえで出した結論だった。
平和的な解決を望まないわけではない。
だが、相手にその意思がないのであれば、こちらも覚悟を決めるしかない。
その瞬間だった。
僕の中で、この争いは調停の段階を越えたのだと感じた。
メールを送ってから、それほど時間はかからなかった。
弁護士からすぐに返事が届いた。
「おっしゃる通り、不貞はなかったもの、また、自身はあくまでも被害者側として考えているようですね。
では、預かりしたLINE画像は、本日のうちに、裁判所と相手方代理人あてに送付しておきますね」
短い文章だった。
だが、その内容は重かった。
つまり、不貞のやり取りを記録したLINEの画像が、正式な証拠として提出されるということだった。
裁判所へ。
そして相手方へ。
これまで僕の手元にあっただけの証拠が、公の場へ出ることになる。
相手方の陳述書には、不貞の事実は一切書かれていなかった。
だが、証拠が提出されれば、そのまま無かったことにはできない。
もちろん、それで状況が好転する保証などなかった。
親権や面会交流の判断は、不貞の有無だけで決まるものではない。
それでも少なくとも、一方的な主張だけが事実として扱われる状況にはならないはずだ。
証拠は提出される。
もう後戻りはできない。
本当は、こんなことはしたくなかった。
不貞の証拠を突き付けることも、過去を掘り返すことも、本来なら望んでいたことではない。
できることなら話し合いで解決したかった。
子どもたちのためにも、その方が良かったはずだ。
しかし、僕をここまで駆り立てたのは向こうだった。
僕は何度も譲歩した。
話し合おうともした。
それでも相手は、自らの不貞には触れず、僕だけを加害者として描き続けた。
ならば、僕にはもう残された手札を使うしかなかった。
――不毛だ。
僕は改めて思った。
結局のところ、こんな争いに勝者などいないのだ。
僕は最後に、ひとつ気になっていたことを弁護士に聞いた。
これから先の流れについてだった。
このまま裁判になるのか。
それとも調停のまま進むのか。
正直なところ、僕にはよく分からなかった。
しばらくして、弁護士から返事が届いた。
「いえ、調停のまま進みますね。
なぜなら相手方は有責配偶者(不貞をした側)なので、離婚裁判をしても棄却、つまり相手方からの離婚申し出は認められません。
DVとか色々言っていますけど、相手方は証拠も何もないですし。
争いになっているのは、面会交流です。
これは『審判』といって、最終的には裁判官が決めます。裁判ではなく『審判』は調停の流れを引き継ぐので、別で面会交流だけの裁判はしません」
その文章を読みながら、僕は内容を整理した。
つまり、離婚そのものについては大きく争う段階ではないらしい。
相手方が離婚を求めて裁判を起こそうとしても、不貞という事実がある以上、それがそのまま認められる可能性は低いということだった。
そして、今本当に争点になっているのは面会交流だった。
子どもたちと会えるのか。
どのような形で関わっていけるのか。
それを最終的に決めるのは裁判ではなく、裁判官による審判だという。
少しだけ肩の力が抜けた。
少なくとも、すぐに離婚裁判へ突入するわけではないらしい。
だが同時に理解もした。
結局のところ、この争いの本質は離婚ではない。
僕にとって最も重要なのは、最初から変わらず子どもたちだった。
そして、その一点こそが最後まで争われることになるのだろう。




