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僕の物語― それでも、前へ ―  作者: シロイルカ
第四幕 孤独な抗戦
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第五章 ホームワークが終わらない 前編

楽しかったゴールデンウィークも終わり、仕事が始まった。


だが、五月の僕には、どうしても片づけなければならない“宿題”が残っていた。


目を逸らしていた訳ではない。 ちゃんと覚えていた。


ただ、まだ向き合う時ではないと思っていただけだ。


けれど、その“時”は来た。


締切まで、あと二週間。

僕はようやく机の上に書類を並べる。


白い紙の束を前にして、小さく息を吐いた。


――陳述書。


家庭裁判所へ提出する、自分のこれまでをまとめた書類だった。


一枚目は、僕自身の略歴や、収入、借財について記入する書類だった。


そこに迷いはなかった。 特に深く考えることもなく、ありのままを書いていった。


二枚目は、生活状況についての書類だった。


一日のスケジュール。 同居人の有無。 普段の生活リズム。

これも、それほど時間はかからなかった。


問題は、三枚目からだった。

子どもに関する書類。


出生時のこと。

乳幼児期のこと。

小学校に入ってからのこと。


その時期に心配していたこと。


当時の家庭環境や周囲の状況。


そして、自分がどのように子どもの養育に関わってきたのか――。


書こうとして、何度も手が止まった。

今の僕にとって、それはあまりにも辛い書類だった。


まずは長男だ。


この子の時は難産だった。

出産までに二十五時間近くかかり、もう少し長引けば帝王切開になると言われていた。


妻の陣痛が来るたびに、僕は腰をさすり、お尻を押し、少しでも苦痛を和らげようと寄り添った。


そして二人ともフラフラになりながら、無事に長男が誕生した。


あの時の感動は、今でも忘れられない。

初めて抱っこした時の嬉しさは、一生忘れないと思う。


だが、生後すぐに黄疸があらわれた。


保育器の中で光線治療を受けている姿を見た時は、とても不安だった。


その後、ミルクをあげた時のことも覚えている。

小さな身体で、一生懸命ミルクを飲んでいた。


こんなに小さいのに、必死に生きようとしている。


その姿を見て、僕は――


気づけば、泣いていた。


書けば書くほど、当時の記憶が鮮明によみがえる。


僕は涙を拭いながら書き続けた。


楽しかったこと。

辛かったこと。


長男に発達障害があると分かってから、育児はさらに大変になっていった。


妻は精神を病み、育児ができない日もあった。


その時は仕事を休み、妻のケアをしながら家庭を優先してきた。


周囲の理解を得られず、家庭と仕事の間に挟まれながら、一人で苦しみ続けたことも書いた。



二人目のことも書いた。


長男が幼稚園に入り、少し生活が落ち着いてきた頃、妻の妊娠が分かった。


日を重ねるにつれ、僕はなるべく妻に家事をさせないようにしていた。


そして、出産予定日を目前に控えた最後の一ヶ月。

妻は切迫早産と診断され、そのまま入院することになった。


そこから僕の生活は一変した。


朝六時に起きて長男を起こし、着替えをさせ、幼稚園の準備をする。


七時に送り届け、一度帰宅してから出勤。


夕方に退勤すると、そのまま幼稚園へ迎えに行った。


帰宅後は入浴と夕食を済ませ、今度は病院へ向かう。


妻の着替えを届け、必要なものを補充し、面会を終えて帰宅する。


それから子どもを寝かしつけ、洗濯を回し、翌日の弁当を作る。


気づけば毎日、日付が変わっていた。

今振り返っても、あの頃が一番辛かったと思う。

頼れる人はいなかった。


職場では出張にも行けず、夜勤にも入れなかった。

そのたびに頭を下げ、同僚たちに勤務を調整してもらっていた。


申し訳なさを感じながらも、そうするしかなかった。


それも全部、妻と子どものためだった。


僕がやらなければ家庭が回らない。

崩れてしまう。


だから必死に歯を食いしばって耐えた。


そして、その甲斐あって二人目は無事に生まれてきてくれた。


長男の時とは違い、陣痛が始まってから出産までは二、三時間ほどだった。


初めて抱っこした時のことを、今でも覚えている。

腕の中の小さな命を見た瞬間、それまでの苦労がすべて報われたような気がした。


あの時に感じた安堵も、喜びも、胸いっぱいに広がった幸福感も、僕は一つひとつ思い出しながら書いた。



二人目については、発達のことも書いた。


正直に言うと、驚くほど普通だった。


寝返り、ハイハイ、つかまり立ち、言葉を覚えていく過程。


どれも教科書に書いてある通りに成長していった。


長男の育児しか知らなかった僕にとって、それは新鮮な驚きだった。


定型発達の子どもが、これほど自然に成長していくものだとは思わなかった。


もちろん大変なことがなかった訳ではない。


それでも長男の時とは違う景色があり、僕は育児にも様々な形があることを知った。


そんなことも陳述書には書いた。


そして三人目のことも書いた。


長男が小学校へ入学し、次男が二歳になった頃、妻は三人目となる長女を出産した。


その頃には長男も少しずつ落ち着きを見せるようになっていた。


一方で、次男は少しずつイヤイヤ期に入り始めていた。


長女の世話をしながら、長男を学校へ送り出し、次男を保育園へ送って行く。


相変わらず慌ただしい毎日だった。

それでも、不思議と以前とは違っていた。

忙しい。


だが、先の見えない苦しさではなかった。


振り返れば、あの頃の僕は感じていた。


――一番苦しい時期は越えたのかもしれない、と。

もちろん育児が楽になった訳ではない。


三人の子どもに囲まれれば、毎日が戦争のようなものだった。


それでも、家族五人で過ごす日々の中に、少しずつ余裕と笑顔が戻り始めていた。


そんなふうに感じていたことも、僕は書き残した。



そう思った矢先のことだった。


新型コロナウイルスが流行した。


学校も幼稚園も次々と休校になり、子どもたちは家で過ごす時間が圧倒的に増えた。


家庭保育の日々が始まった。


だが、それは想像以上に過酷なものだった。


妻からは毎日のように電話やLINEが届いた。


「もう限界だ」


「子どもを殺してしまうかもしれない」


「もう逃げたい」


そんな言葉ばかりだった。


連絡が来るたびに、僕は職場へ事情を説明し、時間休を取って帰宅した。


子どもの世話を代わり、妻を休ませた。


昼休みも毎日のように家へ戻り、食事の準備や子どもの世話を手伝った。


仕事中も気が休まることはなかった。


いつ電話が鳴るか分からない。


家で何か起きていないか。


妻は大丈夫だろうか。


子どもたちは無事だろうか。


そんなことばかり考えていた。


まともに仕事へ集中できる状態ではなかった。


職場から退職を勧められたこともあった。

だが、仕事を辞めたところで何も解決しない。


生活を支えるためには収入が必要だった。

だから辞めるという選択肢はなかった。


毎日が苦しかった。


家庭を守りたい。


仕事も失いたくない。


その二つの間で揺れ続けていた。


当時のことも、陳述書には書いた。


書きながら、ふと思った。


自分はよく頑張ったのではないだろうか、と。

決して完璧だったとは思わない。

失敗もあっただろう。


もっと良いやり方もあったのかもしれない。


それでも、あの時の自分なりに精一杯やってきた。


思い返してみれば、結婚してから自分のためだけに生きた時間はほとんどなかった気がする。


妻のために。


子どもたちのために。


家庭のために。


ただ、それだけを考えて走り続けてきた。


そして同時に、こんなことも思った。


この結婚生活は遅かれ早かれ、いつか破綻したのかもしれない。


そんな気がした。

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