第四章 オンリーロンリーゴールデンウィーク(ORGW)前編
桜の季節も終わりを迎えた。
冷え込む日は少しずつ減り、代わりに暖かな陽気な日が増えていく。
寒くもなく、暑くもない。
一年の中でも、いちばん過ごしやすい季節だった。
そして、ついにその時期がやってきた。
――ゴールデンウィーク。
黄金週間、か。
なんとも景気のいい名前だと思った。
以前の僕にとって、ゴールデンウィークは特別なイベントだった。
家族で遠出をしたり、キャンプへ行ったり、子どもたちを連れて遊びに行ったり。
毎年、何かしらの思い出が増えていく、そんな時間だった。
だが、今年は違う。
独りだった。
家にいても息が詰まるようで外へ出た。
だが、街へ出れば出たで、そこには観光客、家族連れ、恋人同士――楽しそうな人たちで溢れていた。
笑い声が飛び交い、賑やかな空気が街全体を包んでいる。
その光景を見ていると、まるで自分だけが、みんなから置いていかれてしまったような気分になった。
――いや、待て。
そんなふうに考える必要はない。
僕が置いていかれたんじゃない。
僕が、みんなを置いて先に進んだんだ。
そう考えることにした。
不思議なものだった。
視点を少し変えただけで、あれほど重かった気持ちが少し軽くなる。
改めて思う。
自分自身を俯瞰して見ることは、本当に大事なのだと。
そうと決まれば、このゴールデンウィークを最高にクールな一週間にしてやろう。
その日は街をぶらつき、外食をして帰宅した。
特別なことをしたわけではない。
だが、「どうせ最悪の連休だ」と部屋で腐っているよりは、ずっとマシだった。
さて、明日から何をしようか。
今まで出来なかったこと。
やろうとしなかったこと。
独りになった今だからこそ出来ること。
そこで、ふと頭に閃いた。
――弾丸旅行。
まるで頭上に稲妻でも落ちたかのような衝撃だった。
いいじゃないか。
だったら、遠くへ行こう。
弾丸になるんだ。
弾丸旅行。
弾丸といえば速い。
速いといえば新幹線。
新幹線といえば東京。
そんな、マジカルバナナみたいな発想で、僕は関東へ行くことを決めた。
とはいえ、東京はあまり行ったことがない。
人も多いし、いきなり乗り込むには少しハードルが高かった。
だから、その手前。
神奈川へ行くことにした。
思い立ったら早かった。
その日のうちに新幹線とホテルを予約し、布団へ潜り込む。
――明日から、僕は弾丸だ。
翌朝、六時に起床。
支度を済ませ、八時には家を出た。
持ち物は最低限。
下着が三枚。
Tシャツが二枚。
靴下が三足。
実に、弾丸らしい装備だった。
それらを大きめのリュックに放り込み、スカスカの荷物を背負う。
乗り込むのは、九時発の新幹線。
なんだか少しだけ、自分が自由な人間になった気がした。
駅に到着すると、まずは新幹線乗り場を探した。
案内表示を見ながら歩くものの、少し迷う。
だが、時間には余裕を持って来ていたおかげで、焦ることなくホームへ辿り着けた。
座席を確認すると、運よく窓際だった。
その瞬間、少し嬉しくなっている自分に気づく。
――いい歳して、窓際で喜んでる自分に、心の中で苦笑した。
ホームで新幹線を待ちながら、ぼんやりと車両を眺める。
「ひかり」と「のぞみ」と「こだま」の違いは何なんだろう、と観察してみたが、結局よく分からなかった。
見た目、だいたい同じである。
そんなふうに時間を潰しているうちに、僕の乗る新幹線がホームへ滑り込んできた。
乗り込み、自分の席へ座る。
ほどなくして、新幹線は静かに動き出した。
そして、みるみるうちに加速していく。
窓の外の景色が、ゆっくりと流れ、やがて一気に飛び去っていく。
その速度に、妙にワクワクしている自分がいた。
流れていく景色を眺めながら、僕は考える。
――着いたら、何をしようか。
横浜と聞いて、真っ先に思い浮かぶもの。
レンガ。
港。
そして、中華街だ。
――よし、今日は全部やろう。
まずは中華街で食べ歩き。
そのあと赤レンガ倉庫をぶらつき、最後は港の辺りを適当に歩いてみる。
細かい計画なんてない。
だが、そのくらいの雑さが今はちょうど良かった。
予定は、なんとなく決まった。
そういえば、新幹線に乗るのは十年以上ぶりだった。
窓の外を流れていく景色を眺めながら、時折うとうとする。
そんなふうに揺られていると、車内アナウンスが流れた。
――ただいま、富士山がご覧いただけます。
その言葉に顔を上げ、窓の外を見る。
そこには、綺麗な形をした立派な富士山が見えていた。
なんだか少し、縁起がいい気がした。
――これは、幸先がいいかもしれない。
そう思うと、不思議と気分が高揚してくる。
旅というものは、目的地に着く前からもう始まっているのだと、その時少しだけ思った。
横浜に到着して、最初に思ったこと。
――でかい。
そして、
――人、多い。
だった。
駅の広さも、人の流れも、何もかもが普段見ている景色よりひと回り大きい。
スマホのマップを確認しながら電車を乗り換える。
新横浜から、さらにみなとみらい線へ。
目指すは、中華街だ。
移動中、僕はスマホで「横浜 中華街 食べ歩き」などと検索しながら、今の人気店をチェックしていた。
せっかく来たのだ。
どうせなら、うまいものを食べたい。
そうして何軒か目星を付け、いざ中華街へ突撃した。
そして、中華街に着いて最初に抱いた感想。
――やっぱり、人多い。
とにかく人が多かった。
観光客、カップル、家族連れ。
通りは人で埋まり、あちこちから湯気と匂いが漂ってくる。
だが、それが逆に楽しかった。
まずは気になっていた店の小籠包を食べるため、列に並ぶ。
熱々の小籠包を平らげる。
すると今度は、やたらデカい唐揚げが目に入る。
当然、並ぶ。
そして平らげる。
さらに肉まんを見つける。
もちろん並ぶ。
そして平らげる。
そんなことをしばらく繰り返しているうちに、気づけば腹はかなり満たされていた。
――さて、次はレンガだ。
そう思い、僕は赤レンガ倉庫の方へ向かって歩き始めた。
赤レンガ倉庫へ到着すると、何やらやたらと賑やかなエリアが見えた。
音楽。
笑い声。
そして、漂ってくるビールの香り。
どうやら、ビールフェスが開催されているらしい。
それを理解した瞬間、僕は誘蛾灯に吸い寄せられる虫のように、ふらふらと会場へ吸い込まれていった。
まずはドイツ産のビール。
そしてベルギー産。
さらにドイツ産。
後半になる頃には、もう産地などあまり気にしていなかった。
――とりあえず、気になるやつを飲む。
その精神である。
昼過ぎから夕方まで、僕はそこで飲み続けた。
陽気な空気の中で酒を飲み、人混みに紛れ、笑い声を聞いていると、不思議と孤独感は薄れていった。
そしてふと、まだ港へ行っていなかったことを思い出す。
酔い覚ましも兼ねて、港の方まで歩くことにした。
潮風を浴びながら歩いていくと、夕日に照らされた横浜の街並みが目に飛び込んでくる。
大きな観覧車。
分度器みたいな形をしたビル。
そして、そびえ立つランドマークタワー。
――なんだここは。
こんなオシャレな街、本当に存在するのかと思った。
まるでドラマの中にでも入り込んだような景色だった。
そして気づけば、周囲にはカップルばかりいた。
どこか甘ったるい空気が漂っている。
以前の僕なら、その光景を見て落ち込んでいたかもしれない。
だが、不思議と今は違った。
――僕は、みんなより先に進んでいる。
結婚、出産、育児、そして調停、、、そう、最先端を突き進んでいる。
そう思うと、周りのカップルたちが少しだけ微笑ましく見えた。
その日は、驚くほどよく眠れた。
帰り道にコンビニでビールを一本買い、ホテルへ戻る。
シャワーを浴び、ベッドに腰掛けながら缶を開けた。
今日一日、海外のビールを散々飲んだ。
ドイツだのベルギーだの、色々飲んだ。
だが、結局こうして飲む日本のビールが、いちばん落ち着く。
――やっぱり、日本のビールが一番うまい。
そんなことを実感しながら、僕は眠りについた。
翌朝は、ゆっくり目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む光を眺めながら、ぼんやり考える。
――今日は、どこへ行こうか。
支度をしながら考えていると、ふと思い出した。
そうだ。
神奈川には、“聖地”があるじゃないか。
偉大なミュージシャンの聖地。
――江ノ島だ。
思い立ったら即行動。
弾丸に迷いはない。
今回は江ノ電ではなく、なんとなく気分でモノレールに乗ることにした。
揺られる車内から窓の外をぼんやり眺める。
住宅街の上を滑るように進んでいく景色は、なんだか少し不思議だった。
そんな景色を見ながら、ふと思う。
――物を運ぶのがモノレールなら、人を運ぶのはヒトレールなんじゃないか。
その方が、もっと人々に定着する気がする。
……いや、たぶんしない。




