第三章 黄昏
長らく投稿してなくてすみません、色々考えながら書いてたらかなり遅れました。
再び呼ばれて部屋に戻ると、子どもたちの生活費として月七万円の婚姻費用で、相手側は納得したと伝えられた。
だが、こちらが求めていた面会交流については、何ひとつ進展はなかった。
相変わらず向こうは、「怖い」の一点張りだった。
その後、調停官から“誓約書”の話が出た。
しかし、それを弁護士は即座に拒否した。
いや、“拒否した”というより、“蹴った”という表現の方が近かったかもしれない。
後で聞けば、その誓約書にこちらが署名してしまうと、もし調停が決裂して離婚裁判へ進んだ際、不利に働く可能性があるらしい。
つまり、承諾することは、DVを認めたと受け取られかねないということだった。
なるほど、と僕は思った。
そして同時に、この問題は簡単には終わらないとも悟った。
出口の見えないトンネルに、一歩足を踏み入れてしまった。
そんな気分だった。
それから先の話は、どこか単調だった。
今回の調停内容の確認と整理が行われ、次回と次々回の調停日程が決められていった。
次回は六月、そしてその次は七月。
一体、どこまで続くのだろうか。
その時、頭に浮かんだ言葉があった。
――消耗戦。
まさに、それだった。
消耗戦の後に残るのは、焼けた国土と疲弊した経済。
そんなイメージが頭に浮かんだ。
互いに傷つき、削られ、長い時間をかけた末に残るものは何なのか。
強いて言うなら、得られるものは“教訓”くらいなのかもしれない。
そんなことを、ぼんやりと思っていた。
今回の調停は、ひとまずそこまでだった。
この後、“陳述書”なるものが送られてくるらしい。
親権判断にも関わる重要な書類だと説明を受けた。
そこまで弁護士と話をして、僕は裁判所を後にした。
帰宅してシャワーを浴びた後、馴染みの居酒屋へ向かった。
酒を飲みながら、今日一日のことを頭の中で整理していた。
いわゆる――戦況分析だった。
今の状況。
こちらの戦力。
相手側の主張。
そして、今後どう動いてくる可能性があるのか。
そんなことを、ひとつずつ考えていた。
その中で、まず最初に引っかかったのが、面会交流の件だった。
正直、そこさえ認めてしまえば、今回の調停はかなり収まりがつく。
少なくとも、ここまで長引く理由は薄くなる。
なのに、なぜそこまで頑なに拒むのか。
なぜ、そこだけは絶対に譲ろうとしないのか。
面会交流をすることに、何かデメリットでもあるのだろうか。
ジョッキの中のビールの泡を眺めながら、僕はそんなことを考えていた。
まず思い浮かんだのは、妻が「怖い」と言っていることだった。
子どもたちとの会話の中で、通っている小学校や普段の生活の様子から、居場所がこちらに知られることを警戒しているのかもしれない。
だが、その可能性を考えても、どこか腑に落ちなかった。
仮に場所が分かったとしても、こちらから会いに行くつもりはない。
そんなことをすれば、こちら側にとっても不利になる。
何より僕は、「探すつもりはない」と再三伝えている。
だから理由として無くはない。
だが、決定的な理由としては少し弱い気がした。
次に考えたのは、本当に子どもたち自身が怖がっていて、会いたくないと思っている可能性だった。
しかし、それも違う気がした。
仮に上の子たちがそう思っていたとしても、一番下の娘だけは別だ。
少なくとも、娘が僕を怖がっているという話は聞いていない。
なら、娘とすら会わせない理由にはならない。
じゃあ、なぜなのか。
そこまで考えた時、不意に“勘”が働いた。
――ああ、この感覚を僕は知っている。
以前にも、同じ感覚を味わったことがあった。
今回のすべての発端になった、あの時だ。
胸の奥で、何かが繋がった気がした。
そして僕は、ひとつの仮定を立てた。
それは――妻が、まだ彼と会っている可能性だった。
もしそうだとしたら、面会交流を避ける理由にも説明がつく。
子どもたちと会えば、何気ない会話の中から生活の情報が漏れる可能性がある。
そして、その中には“彼”の存在を匂わせる何かが含まれてしまうかもしれない。
そう考えた瞬間、いくつかの点が頭の中で繋がり始めた。
さらに、その仮定を後押しする要素があった。
今日は平日だった。
上の子二人は小学校へ行っている時間だ。
だが、一番下の娘はまだ幼稚園に通っていない。
それなのに、今日の調停の場に娘の姿はなかった。
なら、あの時間、誰が娘を見ていたのか。
妻には、こちらで頼れる人間なんてほとんどいない。
少なくとも、僕が知る限りでは。
――彼以外には。
そこまで考えた時、バラバラだった話が、ひとつの線になった気がした。
その考えを否定するために、僕はスポーツジムのウェブサイトを開き、彼のシフトも確認した。
すると、その日はシフトに入っていなかった。
まるで、仮定を肯定する材料ばかりが揃っていく。
ジョッキの泡は、いつの間にか静かに消えていた。
もし、まだ彼と会っているのだとしたら――。
それは、彼が僕との示談内容に違反していることになる。
そうなれば、追加で百万円を支払う義務が発生する。
さらに、残っている示談金も即時一括払いになる。
そう考えれば、面会交流を頑なに拒む理由としては十分だった。
そこまで考えたところで、僕は思考を止めた。
……いや、違う。
止めることにした。
所詮は仮定に過ぎない。
証拠があるわけでもない。
考え続けたところで、答えが出る話でもなかった。
すっかり泡の消えたビールを飲みながら、僕は小さくため息を吐いた。
結局のところ、面会交流さえ実現すれば、いずれ分かることだ。
もし本当にそうなら、その時に考えればいい。
今ここで答えの出ないことを考えても、仕方がない。
今は、とりあえず一つの節目が終わったことを労おう。
そう思いながら、僕はジョッキを静かに飲み干した。




