第87話:住民台帳、毛玉一族、騎士団長は手段を選ばない
「寒い……寒すぎるわ」
王都北側のスラム。
黄金の鷲を刻んだ漆黒の馬車が、硬く凍てついた大地の上に止まった。
扉が開くと同時に、白く濁った呼気が吐き出される。
過剰なまでの毛皮に包まれ、輪郭を失ったモコモコの塊が、一歩、外へと踏み出した。
たっぷりの毛皮に包まれたエメラルドグリーンの瞳が、立ち並ぶ廃墟の影を射抜く。
「メリーちゃん、今日もまたモコモコですね。そんなに寒いですか?」
駆け寄る足音が響く。
パトリックは、寒風など意に介さぬ軽装を纏っている。
「寒いわよ。あんた、なんでそんな薄着で生きていられるの?」
毛皮の塊が、呆れたように眼前の男を見る。
パトリックは苦笑を浮かべ、逞しい肩を小さくすくめて見せる。
「……そこまでですか? まぁ、自分は鍛えてますし、現場では動きっぱなしですからね」
「そうなのね。状況はどう? 今日から王国軍が来ているんでしょ?」
メリーの声は、マフラーの奥で僅かに籠もる。
周囲では、忙しなく立ち働く王国兵たちが、熱気を上げる大釜を囲んでいた。
「はい。すでに王国軍が炊き出しを開始しています。こうなると、我々の出番はほとんどありませんね」
「目的を見失ってはダメよ。私たちの目的は、労働力の確保なんだから」
メリーが厳しく指摘する。
「……そうでした。住民に飯を振る舞うことに充実感を得ていました。……で、実際、どうやって住民をセレスタイン領に連れて行くんです?」
「そこも王国にやらせるわ。スラムの住居を解体する。そうすれば住む場所がなくなる。じゃあどうすればいいの? セレスタイン領には家も仕事もある。こういう話の流れを王国として公式に出すわ」
パトリックは一瞬、言葉を失ったように瞬きを繰り返した。
視線を周囲の廃墟へと戻し、短く問いを重ねる。
「なるほど。住民の移送は?」
「もちろん王国がやるわよ。馬車の用意、移送、護衛も全部王国持ちよ」
「うわぁ……。さすがに、それはちょっと悪どくないですか?」
「その悪どさも必要なのよ。特に、期間限定で事業を推し進めないといけない時にはね」
パトリックは重い溜息を吐き、後頭部を掻いた。
「なるほど。そこも慣れですか……」
「そこは別に慣れなくてもいいわ。悪どいことをするのは、私とレイモンド、そしてアルの役目よ。あなたは元軍人としての正しさを持ち続けなさい」
「はい。そう言ってもらえると救われます。……さ、炊き出しの現場へまいりましょう」
パトリックが先行し、メリーと『海鳥』の赤毛がその後を追う。
三人がスラムの中へと足を踏み入れると、冷たい風が細い路地を吹き抜けた。
「あら、なんだか街が綺麗になってるわね」
周囲を見渡すメリー。
確かに、先日訪れた時とは段違いに綺麗になっている。
「飯を食って元気になった住民と、炊き出しに参加してくれた非番の軍人が、手すきの時に掃除をしました。少し綺麗にすると、継続して掃除されるものですね。放置が最悪、ということが良くわかります」
「そうね。いい傾向だわ」
メリーの満足げな眼差しが路地を走る。
やがて辿り着いたのは、比較的広い通りの交差点だった。
すでに王国軍が炊き出しを始めており、住民たちが発する熱気が冬の空気を僅かに緩めている。
その群衆の中から、一人の子供が声を上げた。
「あ、メリーちゃんだ!」
「んん? あれは本当にメリーちゃんか?」
「ただの毛玉だな。あのメリーちゃんには見えないぞ?」
「あの、はみ出した髪の色、あの瞳、メリーちゃんだろ?」
「本当だ! メリーちゃんだ!」
住民たちの視線が一斉にメリーへと注がれる。
(……誰が毛玉よ!)
メリーは一喝したい衝動を抑え込んだ。
周囲に、自然と人だかりができる。
「メリーちゃん!」
「なんでメリーちゃんがここに?」
「ここの復興を、セレスタイン公爵である私が主導しているからよ」
メリーが単純明快な回答を突きつける。
「そうだったんだ! やっぱりメリーちゃんは救世主だ!」
「大袈裟よ。それより、炊き出しだけじゃなく、喫緊で足りていないものとかない? 全部は無理かもしれないけど、ある程度は要望を聞くわよ」
メリーの言葉に住民たちは顔を見合わせ、胸を張って答えた。
「メリーちゃんが来てくれたので、胸がいっぱいです」
「ええ、満たされました。これからも足を運んでください」
「……そ、そう? ……じゃないわよ! この冬を生き延びるために必要なものを要求しなさいって言ってるのよ!」
たじろぎを強引に撥ね退け、メリーは鋭い声を響かせた。
「メリーちゃんです!」
「だよな? 必要なのはメリーちゃんだ!」
まだ言い続ける住民に、メリーの心の防波堤が決壊する。
「そうじゃないって言ってるでしょ!」
激しいやり取りの中、一人の女の子がメリーに近寄った。
「ねぇ、メリーちゃん。そのモコモコ触らせて」
突然の女の子の言葉に、メリーの怒りが霧散する。
「……え? ええ、いいわよ」
女の子の小さな手が、コートの裾のファーへと伸びる。
指先が埋もれるほどの厚みに、子供の瞳が輝いた。
「わぁ、モコモコだぁ」
「ここの手触りは格別よね。私もこのモコモコを触るのは好きよ」
メリーは慈愛に満ちた表情で子供の頭をなでる。
「うん、モコモコ好き!」
子供の笑顔には、さすがのメリーもかなわないらしい。
「こういう、モコモコのついたコートを配るってのはどう? コートに限らず、毛布でも……」
背後に控えていた赤毛が即答する。
「可能ッスね。早速手配します。請求はアルベルト様に回せばいいッスよね」
「ええ、お願いするわ。――もうちょっと待っててね。なるべく急いでモコモコを支給するわ」
メリーの言葉に、周囲の子供たちが歓声を上げる。
「本当!? ありがとう! モコモコメリーちゃん!」
素直に全身で喜びを表現する女の子に、メリーの心も緩んだ。
が、その矢先、住民の無遠慮な声が叩き付けられる。
「なんだって? 毛玉の親分が毛玉を分けてくれるって?」
「おお! ありがたい。これでオレらも毛玉一族の一員だな」
メリーの怒りがまた沸騰した。
「誰が毛玉の親分よ! 毛玉一族って何よ!」
「毛玉じゃなかったら何だというんだ?」
「……珍獣モコモコ、かな?」
「誰が珍獣よ!」
セレスタイン公爵の喝が、冬空に空しく響く。
「珍獣モコモコメリーちゃん! 毛玉を分けてくれるの嬉しい!」
(毛玉を分ける珍獣って何よ……私はそんな奇怪な生物なわけ?)
女の子が飛び跳ねて喜ぶ姿を見つめ、メリーは深い溜息を吐いた。
「ま、まあまあ。こうして喜んでくれているわけですし、急いで毛玉を用意しましょう」
(……毛玉を用意って)
パトリックの言葉に、メリーはただ虚空を仰ぐしかなかった。
──────
鉛色の空から降り注ぐ冷気は、さらにその鋭さを増していた。
炊き出しの湯気が、細く高く、王都の空へ立ち上る。
「お疲れさま。状況はどう?」
メリーは防寒具の隙間から、周囲を睥睨する一人の男へと声を掛けた。
その胸には、王国騎士団の紋章が刻まれている。
「メリーちゃん! 早速視察に来てくれたんですね。状況は見ての通り、特に問題は出ていません」
振り返ったのは、王国騎士団の団長であった。
彼は土に汚れた手袋を脱ぎ、居住まいを正す。
「そう。住民との衝突とか起きていないわよね?」
「それは大丈夫です。大きな声では言えませんが、ガーディスの時とは違いますからね」
騎士団長は、メリーにだけ聞こえる声で話した。
「そうね。こうやってすんなり我々を受け入れてくれると、いろいろとやり易いわね」
「はい。……では、実務の話に入らせていただきます」
団長は姿勢を正した。
「まず、セレスタイン領への住民の移送ですが、希望者を募っています。我々を窓口にし、ほぼ無条件、無審査でセレスタイン領へ送り込みます」
「ほぼ無審査って、それで大丈夫なわけ?」
当然の疑問がメリーの口をつく。
「住民の経歴、人となりはわからないですからね。重病人でもない限り、ほぼ無条件です」
「まあ、それは仕方ないわね。それでも、重大犯罪人とかが混ざるのは避けてほしいわ」
「それは可能な限り、としか言えないですね。なにしろ、スラムには住民台帳が存在しないという致命的な欠陥がありますからね」
まさかの住民台帳の不在。
王都の管理の杜撰さにメリーは頭を抱える。
「……ヴォルガンは何をやっていたのよ? ガーディスの復興も大事だけど、足元を疎かにしすぎよ」
「そう言わんでください。その指摘は、我ら王国騎士団にも刺さります。過去にできていなかった物は仕方ない。ここから始めましょう」
「あら、ずいぶんと出来た人物ね、騎士団長」
メリーの口から感嘆の言葉が漏れる。
騎士団長は、未来を見る側の人間だった。
「……あの時、ガーディスで、ベルン殿の働きをこの目で見ましたからね。できないことを嘆くより、できることをやろう。こう考えられるようになったのはあの時からです」
メリーは目を細め、立ち上る湯気の向こうを見つめた。
騎士団長は言葉を継ぐ。
「続きを。直近の炊き出し、住民の保護は我らにお任せください。医療機関との連携も取っています。メリーちゃんはセレスタイン領での受け入れの準備と、この場への視察と称した顔出しをやってください」
「ありがとう。お任せするわ。私が顔出しするのはアレよね? 『メリーちゃん』の利用よね?」
「ええ、『メリーちゃん』が足を運んでくれる。これは何よりも活力の源になります。利用するのは心苦しく思いますが、手段を選ばないと決めていますので」
「潔いわね。その手段の選ばなさもベルンから?」
「はい。住民の命が懸かっている現場において、手段を選ぶことは命を見捨てることと学びました。できることはすべてやる、利用できるものは何でも利用する。あの時、帝国に救援を求めたベルン殿は、一切手段を選んでいなかった」
大釜から立ち上る湯気が二人の間に漂う。
騎士団長はただ静かに、揺るぎない視線をメリーへと向けた。
「そうね。それは正しいわ。正しいことに利用されるのならかまわない。私も『メリーちゃん』として顔を出しましょう」
「ありがとうございます。この場は王国軍第三軍に任せましょう。メリーちゃんは移住希望の住民と会ってみてください。……こちらへ」
******
案内された先には、幕舎が整然と立ち並んでいた。
その一角、入り口を跳ね上げられた天幕へと足を踏み入れる。
内部には簡易的な受付が設けられ、数名の軍人が書類の山と格闘していた。
「団長。早速、移住希望者がお越しになられました」
「ほう。ちゃんと説明したか?」
「説明中です」
兵士が天幕の奥を指し示す。
「ちょうどいい。メリーちゃん、説明を頼めますか?」
「ええ、いいわよ」
奥に用意されたテーブルには、三人家族が肩を寄せ合って座っていた。
夫婦と、その間に挟まれた幼い少年。
メリーは彼らの向かいに腰を下ろした。
「セレスタイン公爵よ。あなたたちをセレスタイン領で受け入れるわ。聞きたいことはある?」
「メリーちゃん!?」
妻が弾かれたように顔を上げ、驚愕の声を漏らす。
隣の夫も、信じられないものを見るかのように目を剥いた。
「メリーちゃん? 彼女があの『メリーちゃん』か? セレスタイン公爵って名乗ったぞ?」
「ひとまず『メリーちゃん』は置いておきましょう。説明は受けたわよね?」
メリーは、『メリーちゃん』にいろいろ削られるのを拒み、実務的な話に戻す。
「受けました。ですが……」
夫が言葉を濁し、膝の上で手を握りしめる。
「私たちは、デムハイト領北部の山村で食い詰め、出稼ぎで王都に来ました。仕事があるから、と言われ……」
「来てみたらそうじゃなかった、ということ?」
メリーの静かな問いに、妻は膝の上で固く結んだ拳を見つめ、消え入るような声で応じた。
「最初は仕事がありました。ですが、王都での住居代、生活費を賄うとカツカツでした」
「出稼ぎなのに、お金を持って帰るに至らなかった、ということなのね?」
「はい。そして仕事もなくなり、帰るお金もない、帰る場所もない……」
スラムへ転落した家族の様子を、メリーは静かに見据え、言葉を継いだ。
「そしてスラムへ……。なるほど。騙された、と思ってるのね?」
「……はい。今回の話も、あまりにも出来過ぎた話な気がして……」
妻の言葉に、メリーは小さく首を振った。
「言ってることはわかるわ。でも、実際はそんな出来過ぎた話でもないわよ。目先の仕事はセレスタイン領の復興関連しかないし、なんなら住居は、自分たちで仮設住宅を建てるところからスタートよ」
「……そうなんですか? 住居も仕事も提供する、という話ですが……」
「するわよ。私たちは、セレスタイン領の復興のための労働者が欲しいのよ。なので、仕事は復興事業、住居はセレスタイン領の東側。これは大前提よ」
「でも、仮設住宅って……」
「それはそうでしょう。立派な家が立ち並ぶ住宅街に復興事業なんかないわよ」
「……なるほど。出来過ぎた話じゃないのは分かりました。現実的な話が出たことで、話の信憑性が高まりますね」
納得の表情を見せた夫に対し、妻は不安を拭いきれない様子で問いを重ねる。
「でも、復興事業とおっしゃいましたが、復興が終わったらどうなるんです? また仕事にあぶれることになるのでは……?」
息子を抱き寄せた妻が、縋るような視線をメリーへ向けた。
「そうね。でも、そんな簡単に復興は終わらないわよ。先の大戦で焼け野原になった広大な荒れ地を全部復興するからね。それだけでも、いつまでかかるかわからない大事業よ」
「それはまた……」
想像を絶する規模の大きさに、妻はただ息を呑むことしかできなかった。
「それだけじゃないわ。その地に伯爵領を造る、もちろん街も造るわ。そして、その街の北側と東側を全部農地にする。そこの農夫になるもよし、土木・建築の技師になるもよし、街で商人になってもいいわ。選択肢はいくつか与える、支援もするわ」
「選択肢があるのはありがたいが、何者にもなれずに食いっぱぐれることもあるんじゃ……」
夫の心配は尽きない。
それは当然だが、メリーは現実的な話を突きつけ続ける。
「ないとは言えないわね。お金を稼ぐにあたり、才覚は必要だわ。でもチャンスは与える。言ったように、支援もする。最悪、健康な体さえあれば、雇われとして生きていくことは可能な制度も作るわ」
「……なるほど。でも、私たちは、新しい地で生活をするための資金も何もない」
「そこは大丈夫よ。セレスタイン領の復興資金として、王国からお金が出るわ。あなたたちが自分で稼げるようになるまで面倒を見るわよ」
メリーは淡々と事実を告げた。
夫は妻の顔を覗き込む。
「……そうなんですね。――どう思う?」
「ここにいるよりはマシ……と思うしかないんじゃない?」
夫の投げかけに、妻は腹を括ったように返答する。
「その考え方は間違ってないわ。でも、どうせ新天地で心機一転、人生をやり直すのなら、もっと欲を持って上を目指しなさい。そのための支援をする、と言っているでしょう?」
そのメリーの言葉に、夫妻は顔を見合わせ頷いた。
「はい! ありがとうございます」
「私たちは、そのセレスタイン領の東……? に移住します。よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いするわ。定期便が出るまでは、ここで支援を受けなさい。体を壊さないようにね」
立ち上がった家族は、幾度も頭を下げて天幕を後にした。
メリーは一度だけその背を見送ると、静かに歩き出す。
事業は動き出した。
労働力の確保。
その第一歩を踏み出した実感が、冷たい風と共に身体を抜ける。
メリーは立ち止まり、北の空を見上げた。
「姐さん。今日一日、ずっとセレスタイン公爵って名乗ってたのに、誰も『公爵』、『閣下』って呼ばないッスね」
後ろを歩く赤毛が呟いた。
「ホントよね。どういうこと?」
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