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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第3部:西からの風は大陸全土を優しく包み込む
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第58話:王命、跡取り問題、なんで私がセレスタイン公爵に?

「いや、別に君たちを咎めようとは思っていない」


 その声は、惨劇の残滓が濃厚に漂う応接室の重苦しい空気を、冷ややかな刃のように切り裂いた。

 アステリア王国の頂点に君臨する男、ヴォルガン。

 彼は返り血の飛沫が点在する豪奢なソファに、さも当然の権利を享受するかのように深く腰を下ろしている。

 その背後には、抜き身の殺気と洗練された規律を放つ近衛兵たちが、静止した彫像のごとく直立していた。

 部屋の隅々には、先ほどまで繰り広げられていた「駆除」の生々しい痕跡が刻まれている。

 拭いきれぬ鉄錆の匂いと、メリーが放った蒼紫の炎が焼き尽くした肉の焦げる臭い。

 その中央で、王は退屈そうに指先を組み、目の前の凄惨な光景を、あたかも舞台劇の一幕を鑑賞するかのような眼差しで眺めていた。

 向かいのソファには、呼吸すら忘れたかのように硬直したバルカスと、その隣でどこか上の空な表情を浮かべるメリー。

 そして、一族の誇りも未来も、今この瞬間に完全に砕け散ったことを悟ったデムハイト伯爵が、魂を抜かれた泥人形のように沈み込んでいる。


「どうしてヴォルガン陛下が、このような場所に……」


 バルカスがようやく絞り出した声は、自らの喉を震わせるのが精一杯といった様子であった。

 稀代の策士として西側にその知勇を轟かせる彼でさえ、この盤面に現れた最大の不確定要素を前に、額に冷たい汗を滲ませている。

 ヴォルガンは、その狼狽を愉しむ風でもなく、淡々と言葉を継いだ。


「『梟』が機能している、と言えばわかるだろう? ジャック」


 壁際に、闇の一部となって溶け込んでいた影が、わずかに揺れた。


「は」


 ジャックの短く、無機質な応諾。

 かつて王宮の暗部を支えた諜報網の残党と、現国王が手懐けた耳目。

 交わされた視線の火花は、この部屋の温度をさらに数度下げたようであった。

 ヴォルガンは視線を室内へ戻し、絨毯に染み込んだ血の跡を一瞥する。


「君たちがここで何をしていたのか、すべて把握している。夜襲、暗殺、貴族邸の蹂躙。本来ならば即刻処刑に値する大罪だ。だが、このデムハイト伯爵の無惨な姿を見れば、これを『救出』と呼び替えることも不可能ではないな。……そうだろう、伯爵?」


 王の鋭い視線が、震えるデムハイトを射抜いた。

 デムハイトは、ただガチガチと歯を鳴らし、何も答えることができない。

 寄生虫に食い荒らされた名家の残骸を、王は慈悲ではなく、ただ機能的な欠陥を精査するような目で見つめている。

 王は指先でソファの肘掛けを軽く叩き、言葉を重ねた。


「伯爵の身柄をどうするつもりだったんだ?」


 その問いに、メリーが事も無げに応じた。


「アイゼンハイド侯爵に保護してもらう手はずになっているわ」


「悪くないな」


 ヴォルガンは小さく頷いた。

 だが、その瞳の奥には、彼方の戦場を見据えるような鋭い光が宿っている。


「だが、足りていない。アルベルトの軍を今すぐにでもここに呼ぶくらいしなければ、デムハイト領は守れんぞ」


 その言葉に、バルカスが目を見開いた。


「陛下、自領が西側に……事実上の反乱勢力に取られても構わないとおっしゃるおつもりですか?」


「戦争とは、常にそういうものだろう。君たちの真の目的は、この地の略奪ではない。かつて不当に奪われた旧セレスタイン公爵領の完全奪還ではないのかね?」


「いえ、そこまでは……」


 バルカスの慎重な言葉を、ヴォルガンは鼻で笑って切り捨てた。

 その仕草には、小細工を弄する臣下を叱咤するような、王としての苛烈な覇気が籠もっていた。


「ふむ、ガーディスを駆逐するだけか。足りておらん」


 ヴォルガンは立ち上がり、ゆっくりと窓際へ歩み寄った。

 厚いカーテンの隙間から、死に絶えたような静寂に包まれたデムハイトの街並みを見下ろす。

 月光が、彼の王冠なき頭を青白く照らし出していた。


「アルベルトが王になった後のことまで考えているのか? 私が言っているのはそういうことだ。現在のアステリア王国は、アステリア王家のみが唯一の王室となっている。かつて国を支えた柱は折れ、腐り果てた。王都の南、現ヴェリウス侯爵領だけが王家直轄の地として辛うじて機能しているが、これでは国という器は支えられん」


 王は一歩、メリーの方へと歩みを進めた。

 その足取りに、近衛兵たちの鎧が微かな金属音を立てて共鳴する。


「ゆえに、セレスタイン公爵家を復興せねばならん。私は、君たちがそのために動いていると思っていたよ。そこに座る娘を、公爵家の正当な後継者として擁立し、失われた秩序を取り戻すために。王国を支える、新たな二本目の柱としてな」


「私はセレスタインの娘らしいけれど、公爵になろうなんてこれっぽっちも思っていないわ」


 メリーは心底迷惑そうに、ピンクブロンドの髪をかき上げた。

 王の威光を前にしても、彼女の態度は変わらない。

 むしろ、面倒な仕事を押し付けようとする大人を蔑むような、透明な拒絶がそこにはあった。


「別に君じゃなくてもいい。アルベルトの娘がセレスタイン公爵になるのでも構わない。正当な血筋であることは間違いないのだろう?」


「……そうだけど。でも、あの子はまだ小さいわ」


「もう一つ、西側全域を強固に束ねる新たな公爵家が必要だ。これはアイゼンハイド侯爵がその任に相応しいと考えているが、あの男には跡取りの問題があったな。……あの偏屈な男が、後継を残そうとせぬのが難点だ」


 ヴォルガンの言葉に、メリーは不意にアイゼンハイド侯爵の隙のない、しかしどこか堅物な顔を思い出した。

 西側の安定を一身に背負いながら、己の欲を一切見せないあの男。


「……そうね。あの男、あれでなかなか整った顔をしているのに、どうして結婚しないのかしらね。鉄の意志というより、ただの融通が利かない木石にしか見えないわ」


「元軍務局長だからな。脳の髄まで筋肉でできているのだろう」


「ぶふぉっ!」


 王の背後に控えていた近衛兵の一人が、堪えきれずに噴き出した。

 張り詰めていた空気が、その一瞬だけ、奇妙な弛緩を見せる。

 王の直属たる精鋭であっても、そのあまりに辛辣な、しかし的確な揶揄を前にしては耐えきれなかったらしい。


「あら、でも弟の筋肉だるま……マクシミリアンは結婚したじゃない。あちらの方がよほど重症に見えるけれど」


「ぐふっ!」


 今度は別の近衛兵が、必死に笑いを堪えて肩を震わせた。

 王の罵倒と、少女の毒舌。

 二つの強烈な個性が交錯する中で、近衛兵たちの理性の防壁は、音を立てて崩れていく。


「ああ、マクシミリアン・ノルトヴァルト侯爵がいたな。彼が子供をたくさん作れば、アイゼンハイドの血脈も、跡取りも問題ない。うむ、それはいい解決策だ」


 ヴォルガンは独り言のように頷き、再び深く背もたれに身を預けた。

 その目は、すでに数十年の時を越えた先にある、王国の設計図を描いているようだった。


「ノルトヴァルト侯爵は、勝手にあそこに住み着いて、勝手に名乗っているだけだけど、それでいいの? 」


「此度の飢饉から王国を救った功労者の一人だぞ。これ以上の実績が必要か? 先日の西側の視察の折に、私が直々に書類を作成し、正式に任命しておいた。法とは王が作るものだ。文句を言うやつもおるまい」


 王の言葉には、もはや私情を超えた、国家の正常化への執念が滲んでいた。

 それは、腐った土壌を掘り返し、無理やりにでも新しい苗を植え付けようとする、荒々しいまでの生命力だった。


「ところで陛下。このような話をするために、わざわざここへいらしたわけではないでしょう」


 バルカスが、慎重に話の核心を突いた。

 ヴォルガンは薄く笑みを浮かべ、メリーを、そしてバルカスを順に見つめた。


「いや、この話がしたかったのだ。主に、セレスタインの復興の話がな」


「私たちは敵よ。敵があなたの領地を食い荒らしているというのが、今の現実ではなくて?」


 メリーの指摘にヴォルガンは首を振った。

 その瞳には、敵味方の境界すら超越した、巨大な器としての王の自意識が宿っていた。


「辺境伯の在り方と同じだと思えば、何も問題はない。王族に傅かずとも、王国に忠誠を誓っているのであれば、それはもう敵ではない。同胞だ。私は、国を食い潰す寄生虫より、国を支える不遜な牙を愛好する」


「我々がこのままガーディス狩りを継続し、陛下の忠臣たちを排除しても、目をつぶってくださる、と?」


 バルカスが確認するように問う。


「目をつぶるどころか、協力しよう。……だが、目的が小さいと言っているのだ。ガーディスを駆逐し、セレスタイン公爵家を復興させろ。そして、そこの娘をセレスタイン公爵に据えろ。そこまでやる覚悟があるならば、私は君たちの牙を研ぐ手伝いをしてもいい」


「メリー君が、セレスタイン公爵に……」


 バルカスの視線が、どこか現実味を欠いた表情のメリーへと向けられた。

 一国の公爵。

 かつて栄華を誇り、そして悲劇に消えたその位。


「アステリア、セレスタイン、アイゼンハイド。この三家が今後の王国を支える。悪くない話だと思うがな」


「ガーディスを潰すというのは、宰相ガメルを討つということよ。本当にそれでいいの?」


「かまわん。あれはただの使い捨ての道具だ。今の王国には、それだけの荒療治が必要だ。……何なら、ついでに私を討ってもいいぞ」


 室内の空気が、凍りついた。

 近衛兵たちの顔から色が消え、ジャックの気配すら一瞬揺らいだ。


「ただし、私を討つのであれば、アルベルトを連れて玉座の間まで来い。そこで私を討ち、アルベルトがその玉座に座るというのなら、それは奪還ではなく、正当な王位の継承だ。私はそれを受け入れよう。……だが、それまでは私は王として、この国を崩壊から守り抜く」


「陛下……!」


 近衛兵が悲痛な声を上げたが、ヴォルガンはそれを手で制した。

 その顔には、死を恐れる気配など微塵もなかった。


「だが、今はそれどころではない。まずはこの飢饉を脱すること。これが王国の最優先事項だと先日確認したはずだ。まずは食料、これなしに人の営みはあり得ない」


「そうね。そのためには、まずガーディスを討つ。この飢饉を利用して国力を削ぐような連中は、我々西側の、いえ、私の目的に反するわ。生かしておくわけにはいかない」


 メリーの瞳に、蒼紫の炎に似た、透徹した殺意が宿った。

 ヴォルガンの提示した「王国の正常化」という大義。

 メリーの持つ「アルを王にする」という執念。

 二つの異なる意志が、今、ガーディスという共通の敵を前にして、歪に融合した。


「西側の、ではない。王国に反する。生かしておいていいわけがない」


 ヴォルガンは一度言葉を切り、メリーとバルカスを見据えた。


「例年までとは言わずとも、中央で麦が穫れるようになれば飢饉は脱したと言える。そうなれば、先ほど言ったように、アイゼンハイドを公爵家とし、セレスタイン家を復興させる準備は整う。時間はないぞ。今この瞬間から動け」


「あと半年……。やれるのか?」


 バルカスが自問するように呟く。

 それは、不可能に近い過酷な行程だ。


「可能だろう。そのために、まずアルベルトの軍をこのデムハイトへ呼べ。アイゼンハイドと協力し、この要衝を守り抜きながら、旧セレスタインの領地をすべて奪い返せ。それが済んだその時こそ、改めて私とアルベルトで、この国の未来を賭けた頂上決戦だ」


 ヴォルガンの宣言は、血に塗れた応接室に、不気味なほど鮮明な未来図を描き出した。

 それは、崩壊へのカウントダウンであり、同時に新生への産声でもあった。


「ミディア王太后はいかがいたしましょう」


 ジャックが、影の中から鋭い問いを投げかけた。

 復讐に狂った、王の母。

 この歪な均衡を破壊し得る、不発弾。


「母上はもはや何もできん。妄言を吐き続けるだけの無害な女だ。放っておけ。彼女の時間は、すでに止まっている」


 ヴォルガンの声音には、実の母に対する憐憫も憎悪も、すべてを削ぎ落とした、冷たい諦観が籠もっていた。

 それは、肉親としての情すら国家という祭壇に捧げた男の、乾いた響きだった。


「は」


「それよりもジャック、お前は一度王城に来い。『梟』と情報の擦り合わせをする必要がある。……お前たちは、『鉄屑の誓い』という組織にまで辿り着いているか?」


「レイモンド伯爵がその窓口として動いている、としか。その奥までは、まだ」


「そうだろうな。レイモンドはただの看板に過ぎん。組織の深層は、さらに暗く、深い。だからこそ情報を擦り合わせろと言っている。奴らこそが、この王国の真の膿だ」


 王の言葉に、ジャックの目が僅かに細められた。

 未知なる敵。

 王国の暗部に根を張る、真の病理。


「畏まりました。この足で、そのまま王城へと向かいます。護衛として『海鳥』を数人連れて行くことになりますが、よろしいですか?」


「かまわん。だが、まずはアイゼンハイド侯爵のところへ行く」


「畏まりました」


 王は一歩、踏み出す。

 その足元には、先ほど処刑された執事の炭化した指先が転がっていたが、彼はそれを顧みることすらなく、堂々とした足取りで、惨劇の現場を後にした。

 残されたメリーは、開け放たれた扉から流れ込む、冷たい夜風に目を細めた。

 外の闇は深く、しかし微かに白み始めている。


     ──────


「朝早くからすまないな。今回は急用だ」


 その言葉は、静謐に包まれていたアイゼンハイド侯爵邸の玄関ホールに、石を投げ込むような無遠慮な響きを伴って落とされた。

 夜明け前の蒼い霧がまだ庭園の木々にまとわりつく時刻。

 夜通し馬車を走らせてきたその一行は、纏う空気そのものが峻烈な闘争の余韻を帯びていた。

 先頭に立つのは、国王ヴォルガン。

 その後ろには、夜闇に溶け込むような漆黒のドレスを纏ったメリーと、疲労を隠しきれぬバルカス。

 そして、己の足元すらおぼつかない様子で連行されてきたデムハイト伯爵の無惨な姿があった。


「予定通り、デムハイト伯爵を連れてきたわよ。……ヴォルガンは、まあ、予定外だけれど」


 メリーは欠伸を噛み殺しながら、出迎えた執事の硬直を無視して屋内へと足を踏み入れた。

 ピンクブロンドの髪には朝露が光り、その美貌には一睡もしていないはずの衰えなど微塵も見られない。

 むしろ、ひと仕事を終えた後の、研ぎ澄まされた刃のような鋭利な美しさが際立っていた。

 侯爵邸の主、エーベルハルトが執務室から姿を現したのは、それから間もなくのことだった。

 常に隙のない身だしなみを崩さない彼でさえ、応接室に鎮座する「現国王」という最大の不確定要素を目の当たりにし、眼鏡の奥の瞳を一瞬だけ驚愕に揺らした。


「……どういうことだ? なぜヴォルガン陛下が、君たちと一緒に我が邸を訪れている」


 エーベルハルトの声は、努めて平坦を保っていたが、その指先は無意識に執務服の襟元を正していた。

 論理と数理で世界を解釈する彼にとって、この光景はあまりに計算外の暴力的な現実であった。


「いいから、早く中に入れなさい。立ち話で済むような、そんな安っぽい話をしに来たわけじゃないのよ」


 メリーは主であるエーベルハルトの許可を待たず、重厚な扉を押し開いて応接室の奥へと進む。

 ヴォルガンもまた、我が家のように自然な足取りで、部屋の中央にある上座の椅子を占拠した。

 バルカスが静かに扉を閉め、ジャックと『海鳥』たちが影のように壁際に配置される。

 室内には、暖炉の火が爆ぜる音だけが、不自然なほど大きく響き渡った。


「まずは、デムハイト伯爵の身柄を預かってほしい。そしてアイゼンハイドの権限でデムハイト領を保護してちょうだい」


 メリーがソファに深く腰を下ろし、有無を言わせぬ響きで切り出した。

 彼女の指し示す先には、一晩で十歳は老け込んだかのようなデムハイト伯爵が、震える手で膝を抱えて座っている。

 かつての名家の当主は、今や西側の「駆除」によって中身を空にされた、ただの抜け殻に過ぎなかった。


「……なるほど、予定通りだな。それは構わない。すでに準備は進めている。だが、それだけではあるまい」


 エーベルハルトは、上座に座るヴォルガンへと視線を向けた。

 王は沈黙を守っていたが、その存在自体が部屋の重力場を歪めているかのようだった。


「アルの軍にも来てもらうように手配するわ」


「アルベルト殿下の軍を動かすだと? それは、事実上の全面衝突を意味するのではないか。デムハイトを境界線として固定するはずでは……」


 エーベルハルトの懸念に、ヴォルガンが低く、しかし地の底から響くような声で応じた。


「ああ、それなんだがな。侯爵、君たちの目的が致命的に足りていない。……だから、アルベルトに出てもらうことにした」


「ガーディスを攻めるだけでは足りないと。セレスタイン公爵家の復興でもお望みですか? メリー殿を擁立して」


「その通りだ。相変わらず話が早いな」


 その宣言に、エーベルハルトは息を呑んだ。

 セレスタイン公爵家。

 かつて王国を支えた名門であり、今は歴史の闇に消えたはずの名。

 それを、目の前の少女に継がせるという狂気。


「……メリー殿を公爵に。本気で仰っているのですか。それは王国の勢力図を根底から覆す、あまりに危険な一手だ」


「もう一つだ、アイゼンハイド侯爵。貴公は、西側全域を領地とする公爵になれ。……これは、王命だ」


 続けざまに放たれた言葉は、エーベルハルトの理性を物理的に叩き潰すほどの重みを持っていた。

 一介の侯爵から、王国の三柱の一角を担う公爵へ。

 それは栄転などという生易しいものではなく、王国の命運を、その両肩に強制的に載せるという「呪い」に近い宣告であった。


「……ガーディスを完全に切り捨て、新たな秩序を私に構築せよと。かつて、そんな夢物語を語り合ったこともありましたが……まさか、このような形で現実になるとは」


 エーベルハルトの声は、乾いた風のように虚ろに響いた。

 彼は視線を彷徨わせ、最後にメリーを見つめた。


「メリー殿は……承諾したのか?」


「逆らえるわけないじゃない」


 メリーは、まるで今日の夕食の献立でも告げるような無関心さで肩を竦めた。


「私が逆らったら、西側に関係する人たちは全員、その瞬間に反逆罪として処刑よ。アルの娘が育つまでの、短い間の繋ぎだと思って諦めることにしたわ」


 少女の言葉には、権力への執着も、地位への誇りも、一滴も混じっていない。


「セレスタインを継ぐ娘が見つかったのは僥倖だったな。王国の再建に必要な『器』が、こうして目の前に揃っている。ガーディスの連中に食い荒らされる前に、我々の手で保護する。……そのためには、貴公という柱がどうしても必要なのだ」


 ヴォルガンの言葉は、もはや交渉ではない。

 未来を確定させるための、絶対的な意志の表出であった。

 エーベルハルトは深い溜息をつき、眼鏡を外して目元を押さえた。

 彼の脳内では、すでに幾千もの計算が走り、この王命がもたらす地殻変動の影響を弾き出しているはずだった。


「……わかりました。アイゼンハイドの名において、その重責を拝命しましょう」


「それと、もう一つ、王命がある」


 ヴォルガンの口角が、不気味なほど微かに上がった。

 それは、獲物を逃さない網を完成させた狩人の笑みであった。


「アイゼンハイド侯爵。……貴公は、嫁をとれ」


 応接室の空気が、一瞬で凍りついた。

 エーベルハルトは、まるで理解できない言語を耳にしたかのような表情で固まった。


「……は? い、今、なんと」


「聞こえなかったか? 結婚しろと言っているのだ。公爵になるのであれば、跡取りの問題は避けられんと言っている」


「そ、それは……」


「王命だ。なんなら、ヴェリウスあたりから適当に連れてきてやってもいいぞ。あそこには、貴公に相応しい、よく躾けられた令嬢が多い」


 ヴォルガンの追撃に、エーベルハルトは言葉を失った。

 合理性。

 彼が最も重んじるその言葉が、今、自分自身の首を絞めている。

 跡継ぎがいなければ、新たな公爵家は一代で破綻する。

 その欠陥を突かれ、反論の余地を奪われていた。

 そこに、メリーが愉悦を孕んだ声音で横槍を入れた。


「あら。それなら、私の姉はどうかしら?」


 エーベルハルトが、弾かれたようにメリーを振り向いた。

 その瞳には、嫌な予感というよりも、確信に近い恐怖が宿っている。


「君の、姉……?」


「ええ。フェリシア・ギルガルド。公爵夫人として相応しい美人よ。……見た目と、その圧倒的な質量だけは保証するわ。胸の谷間のアピールが少し強すぎて、時々視線のやり場に困るけれどね」


 メリーの言葉に、ヴォルガンが興味深げに身を乗り出した。


「ほう。あのレグス商会で見かけた、あの娘か。確かに、あれは凄まじいな。生命力の塊のような女だった。……スタイルも良く、何より男を惹きつける魔力のようなものを備えていたな」


「そうよ。ガメルの姪に当たるのかしら? でも、もうそんなの関係ないわ。母のビオラは処分したし、彼女自身、ガーディスの権威なんて微塵も興味がないわよ。ただ、その美貌にものを言わせて、いい男を捕まえたいだけなんですもの」


「……待ってくれ。メリー殿」


「ガメルを討てば、姉さまはガーディスの後ろ盾を失う。ただの身寄りのない、けれど血筋だけは確かな美貌の女よ」


 メリーの提案は、エーベルハルトの合理主義の隙間を、冷酷なまでに埋めていく。

 政略結婚としての価値。

 そして、何よりアイゼンハイドという堅物な男に不足している「世俗的な華」。


「そういうわけだ、腹をくくれ。貴公が選ぶのではない、私が、そしてこの娘が決めるのだ」


 ヴォルガンが、最後通牒を突きつけた。


「私の、私の意見は……!」


 エーベルハルトが、最後の抵抗を試みて口を開こうとした。

 しかし、その言葉が音になるよりも早く、二つの声が重なった。


「却下だ!」

「却下よ!」


 王の威厳と、少女の傲岸。

 二つの巨大な意志に挟み撃ちにされ、アイゼンハイド侯爵は、深い絶望と共にソファへと沈み込んだ。

 窓の外では、夜明けの光が急速に世界を塗り替えていく。


相変わらず不定期投稿中

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