第4話:元王子、父と母、焚き火の告白
「あら。……今までの薄汚い連中とは違うわね」
眼下の光景を見下ろし、少女は品定めをするように目を細めた。
視界の先、木々が開けた狭い空き地で、一方的な狩りが行われていた。
包囲網の中心にいるのは二人の男。
泥と脂汗に塗れ、虚ろな目で蹲る青年と、それを背に庇い、全身から血を流しながらも油断なく剣を構える老人。
対する襲撃者たちの動きは、この一年で散々壊してきた粗雑な盗賊たちとは一線を画していた。
無駄のない足運び、連携の取れた配置。
身なりこそ地味な行商人を装っているが、その下から漂う殺気は、訓練された職業軍人か、あるいは専門の「始末屋」のそれだ。
(装備も良いわね。手入れされた革鎧に、銘の入っていそうな短剣……)
メリーのエメラルドグリーンの瞳が、獲物を狙う猛禽のように鋭く細められる。
彼女にとって、彼らが何者であるか、誰を殺そうとしているかなど、興味の対象ではない。
重要なのは、彼らが「持っている」ということだけ。
ここ数ヶ月、襲撃してくる盗賊の装備があまりに粗末で、資源としての旨味が減っていたところだ。そこへ現れた上等な獲物。
(中身の詰まった、上質な『貯金箱』に見えるわ)
彼女にとって、彼らは脅威ではない。
自ら管理不要で物資を運搬してくる、歩く貯金箱に過ぎないのだ。
メリーは隠れることもなく、岩陰から悠然と姿を現した。
殺気渦巻く死地には似つかわしくない、愛らしい編み上げブーツが、湿った腐葉土を踏みしめる。
「ごきげんよう、皆様」
鈴を転がしたような可憐な声が、張り詰めた空気を唐突に裂いた。
動きが止まる。
襲撃者たちの視線が、一斉に異物へと注がれた。
戦場に迷い込んだ少女。
泥に汚れているとはいえ、その顔立ちの整い方と、場違いなまでの落ち着きは、歴戦の暗殺者たちの思考すら、瞬きする間だけ凍結させるに十分だった。
だが、彼らはプロだった。
目配せ一つ。
最も近くにいた男が、無言のまま少女へと躍りかかる。
迷いのない刺突。
子供相手だろうと容赦なく心臓を穿つ、洗練された殺人剣。
慈悲も躊躇いもない。
目撃者は消す。
その単純なロジックのみで繰り出された一撃。
メリーは、無表情のまま右手を振った。
一閃。
大気が熱量に耐えきれず、低い唸りを上げる。
少女の白魚のような指先から噴き上がった『蒼紫の炎』は、瞬時に鋭利な剣の形を成した。
切っ先から長い尾を引くそれは、男の剣ごと胴体を薙ぎ払う。
硬質な金属音はしなかった。
ただ、熱したナイフがバターを断つような、滑らかな抵抗感だけがあった。
男が足を止める。
数歩、惰性で進み、立ち尽くす。
遅れて、その胴体が斜めにずれた。
断面から鮮血は噴き出さない。
代わりに、行き場を失って体内で膨張した蒼き火炎が、肉の裂け目から爆風となって激しく噴出した。
低い破裂音。
人体が内側から喰い破られる、おぞましくも鮮烈な燃焼現象。
男は悲鳴を上げる暇すらなく、二つの肉塊となって泥へと崩れ落ちた。
傷口は瞬時に炭化し、一滴の血も流れない。
あまりに清潔で、それゆえに冒涜的な死。
静寂。
森のざわめきすら消えたかのような沈黙が落ちる。
もはや、誰も彼女をただの子供とは見ていなかった。
指揮官格の男が、わずかに目を見開く。
恐怖による硬直ではない。
理解の範疇を超えた「死」そのものに対する、極めて合理的なリスク評価。
勝てない。
いや、関われば任務の遂行どころか、全滅する。
即座に手信号が送られる。
任務達成不可能――即時撤退。
彼らは一瞬で闇に溶け、足音もなくその場から消え失せた。
回収したかった装備品も、彼らの命と共に闇の向こうへと消えていく。
「あら。……ずいぶんと淡白な連中ね」
メリーは揺らめく炎の剣をふっと霧散させると、少し残念そうにその背中を見送った。
深追いはリスクが高い。
それに、逃げる背中を焼けば装備品まで燃えてしまう。
今回は縁がなかったということだ。
メリーは興味を失ったように闇から視線を外し、血の臭いが充満する足元へと向き直った。
「そちらの方は、どういう事情かしら」
問いかけに、老人は警戒を解かず、けれど荒い息の下から畏怖の籠もった視線を返した。
無理もない。
死地を脱したと思えば、そこに立っていたのは、あまりに不釣り合いな美貌を持つ、規格外の「暴力」だったのだから。
メリーは彼らの返答を待たず、鼻を鳴らす。
血の臭いが濃すぎる。
このままでは、夜行性の獣たちが寄ってくるだろう。
せっかく確保したこの場所が、死肉あさりの宴会場になるのは御免だ。
「ここは血の臭いが強すぎるわ。獣が寄ってきます。……移動しなさい」
それは提案ではなく、この場の支配者としての命令だった。
──────
風を遮る岩の背。
夜の山は静まり返り、時折聞こえる遠い遠吠えだけが、この世界の冷たさを告げていた。
メリーは手慣れた様子で焚き火を起こすと、重傷を負い岩にもたれかかる老人の前に屈み込んだ。
その脇腹は鎧ごと抉れ、内臓が覗くほどの惨状だった。
常人ならショック死していてもおかしくはない。
老人は脂汗を流しながらも、まだ意識を保っている。
その精神力だけは称賛に値する。
「少し、痛むわよ」
メリーは手当ての道具を取り出すこともなく、無造作に傷口へと手をかざした。
消毒も、麻酔もない。
あるのは、物理的な熱量による強制的な閉鎖だけ。
「いえ……かなり、かもしれないわね」
「……う、ぐ……ッ!?」
言葉が終わるより早く、老人の喉から空気を絞り出すような絶叫が漏れた。
指先から溢れ出した蒼紫の炎が、裂けた肉へと直接侵食する。
それは慈悲深い癒やしの光などではない。
高熱による組織の強制活性と、物理的な接合。
ジジ、ジジジッ。
脂が爆ぜ、肉が焼ける音が岩陰に響く。
焦げたタンパク質の臭いが鼻をつく。
傷口の断面が黒い泡のように沸き立ち、千切れた血管が生きた蛇のようにのたうち回って、無理やり対岸の肉へと食らいつく。
それは治療というよりは、溶接に近い「修繕」工事だった。
細胞を焼き、癒着させ、無理やり塞ぐ。
やがて沸騰が収まり、赤黒い再生皮膚が傷を塞ぐと、メリーは興味を失ったように手を引いた。
「荒っぽいけど、これで血は止まったわ」
荒い息を吐き、脂汗に塗れて虚空を睨む老人。
その目前に、メリーは腰の袋から取り出した干し肉を放った。
無造作に、まるで野良犬に餌をやるように。
「私はメリー。お二人とも、お腹は空いているんでしょう? 生きるつもりなら、食べなさい」
──────
焚き火の爆ぜる音が、沈黙を際立たせる。
干し肉を差し出された老人は、すぐに食らいつくことはせず、驚愕に見開いた目で彼女を見上げていた。
震える手で地面を突き、這いつくばるようにして顔を覗き込む。
焚き火に照らされたピンクブロンドの髪と、宝石のような瞳。
その特徴的な色彩が、彼の記憶の底にある高貴な面影と重なる。
「……メリー? まさか……その髪と瞳、そしてその名は……」
何かを確信したように、老人は深く、深く頭を垂れた。
それは命の恩人に対する感謝の礼ではなく、主君に対する臣下の礼そのものだった。
「……メリュジーヌお嬢様。このような場所で、お会いできるとは」
その呼び名に、メリーはわずかに眉をひそめた。
不快、というよりも、捨て去ったはずの古着を押し付けられたような居心地の悪さ。
「メリーでいいわ。その名前は捨てた……いえ、捨てられたと言った方が正確かしらね」
老人が痛ましげに目を伏せるのを余所に、彼女は指先に小さな火を灯し、自身の分の干し肉を炙り始めた。
パチパチと爆ぜる脂の音。
炎の揺らめきが、捨て去ったはずの記憶を呼び起こす。
──────
ギルガルド伯爵邸。
あの広大な屋敷は、黄金の鳥籠ですらなかった。
ただの針のむしろだ。
後妻に入った義母からは汚物を見るような目を向けられ、その子供たちである異母姉弟からは嘲笑を買う日々。
――不吉な色だ。その髪も、瞳も。
――前妻の亡霊が、いつまでこの家に居座るつもりだ。
浴びせられる呪詛。
逃げ込んだ先の蔵だけが、埃と紙の匂いに満ちた聖域だった。
そんな色のない世界で、唯一、体温を感じさせてくれたのは父だった。
深夜、人目を忍んで頭を撫でられた温もりだけが、彼女を「娘」として繋ぎ止めていた。
だというのに。
あの追放の日、父が見せたのは、氷のような眼差しだった。
無言のまま投げ与えられた銀貨。
あの瞬間、「家族」という幻想は完膚なきまでに砕け散ったのだ。
──────
「……メリー様。我々のことも、お話しせねばなりますまい」
肉を嚥下し、一通りの呼吸を整えた老人が、真剣な面持ちで正座し直した。
その姿からは、先ほどまでの手負いの弱々しさは消え、ただの老人とは思えぬ、研ぎ澄まされた鋭さが戻っている。
「私はジャック。……かつてはアステリア王国の諜報部『梟』に籍を置いておりました」
「『梟』……。おとぎ話に出てくる、王家の影のこと? 実在していたのね」
メリーは炙り終えた肉を齧りながら、感心したように頷く。
諜報員。
なるほど、どうりで先程の治療の際も、悲鳴を上げずに耐えられたわけだ。
痛みに耐性がある。
「今は一線を退き、このアルベルト様の側近を務めております」
ジャックの視線の先。
岩にもたれかかり、泥のように座り込んでいた男が、虚ろな瞳を上げた。
豪奢な服は泥に汚れ、見る影もないが、その骨格や顔立ちには隠しきれない気品が残っている。
「……アステリア王国第一王子、アルベルト・アステリアだ。第二王子派の謀略により両親を殺され、死地を逃れ……こうして醜く生き長らえている」
重い告白。
国を揺るがす重大な秘密。
だが、メリーは肉を咀嚼し、短く鼻を鳴らしただけだった。
「……ふーん」
あまりの無関心さにアルが絶句する。
驚きも、同情もない。
メリーは構わず、ジャックへと視線を戻した。
「それで? その落ちぶれた王子様の側近が、なぜ私の名を知っているのかしら。あのような連中に囲まれる事情よりも、そちらの方が私にとっては重要だわ」
ジャックは一度天を仰ぎ、決意を固めたようにメリーを直視した。
「メリー様。……あなたの亡き母君であるエリナス様は、ある高貴な血筋の出でした。十数年前、戦火の王都からエリナス様をお逃がしし、ギルガルド伯爵家へとお送りしたのは、この私なのです」
唐突な母親の名前に、肉を口へ運ぶ手が、止まる。
「一年前、ギルガルド家が第二王子派へ鞍替えした際、政争に敗れた側の血筋であったエリナス様の子――あなたを、存在してはならない『負の遺産』として処理したのです。あなたが追放されたのは、その政治的な清算に他なりません」
「お前らのせいか!」
喉から、とっさに言葉が爆ぜていた。
怒りではない。
あまりに理不尽で、あまりにくだらない「正解」を突きつけられたことへの、反射的な拒絶。
自分が無価値だったから捨てられたわけではない。
ただ、大人の都合で、政治の駒として弾き出されただけ。
「な、なんだと……?」
アルが狼狽えるが、メリーの乾いた笑いがそれを遮った。
「……はは。なるほど、そう言われれば、すべて合点が行くわ。負け犬の派閥の血筋で、しかも前妻の子。それは私も、さっさと捨てられるはずね」
吐き捨てるように言い、再び肉を齧る。
胸のつかえが取れた気分だった。
父の愛が嘘だったわけではない。
ただ、家の存続という天秤の前で、私が軽かっただけの話だ。
それならそれでいい。
私はもう、あの家とは無関係なのだから。
メリーは、魂が抜けたように項垂れるアルを一瞥し、ジャックを見据えた。
「ジャック、と言ったわね。あなたは優秀なようね。さきほどの治療……常人ならショック死してもおかしくない激痛だったはずよ。それをあなたは耐え抜いた」
「……お褒めに預かり恐悦至極。しかし、あれは治療と呼ぶにはあまりに……」
「くっつけばいいのよ。過程はどうあれ、あなたは生き残った。その精神力と、『梟』としてのスキル。今の私には魅力的だわ」
メリーは品定めをするようにジャックを見る。
そして、隣のアルへと視線を移した。
「それに比べて、そちらの元王子様は……。生きる気概すら感じられない」
「……否定はしない」
アルが力なく答える。
その瞳は死んでいる。
かつての栄光も、家族も失い、ただ惰性で呼吸をしているだけの抜け殻。
「でも、顔は良いわね。それに体格も悪くない。磨けば光るかしら?」
「は?」
「いい? 私は見ての通りただの子供よ。街へ降りれば、宿を借りるにも拠点を構えるにも、子供一人ではまともに相手にもされないわ」
彼女の脳内で、即座に損益計算が弾かれる。
この二人は「負債」ではない、「資産」だ。
生家から、父からの追手に気を病むことなく、新たな生活を手に入れる。
彼らをうまく使えば、この逃亡生活を終わらせ、人間らしい生活を手に入れるための最強のカードになるかもしれない。
メリーは懐から、ずしりと重い革袋を取り出し、二人の前に放った。
ジャラリ。
袋の口が開き、中から溢れ出した金貨が焚き火の光を浴びて輝いた。
盗賊たちから巻き上げ、隠し持っていた「秘密の資産」の一部だ。
「……こ、これは……」
ジャックが目を見開く。子供が持っていていい金額ではない。
そこらの商人の一生分に匹敵する輝きが、泥だらけの地面に散らばる。
「あなたたちは私の手足として、その『大人の役割』を完璧にこなしなさい。ジャック、あなたは元『梟』としての隠密技術と情報収集を。アル、あなたは……精々、私の『父親』として不自然でない振る舞いを。私があなたたちの存在を隠れ蓑にする代わりに、あなたたちは追っ手の目を逃れるための新しい身分と居場所を得る。合理的な取引だわ」
「我々を、雇うと……? 逃亡者を匿うリスクを冒してまで?」
ジャックが信じられないといった顔で問う。
今の彼らは、関わるだけで死を招く爆弾のようなものだ。
「リスク? そんなもの、私がここにいる時点ですでにあるわ。それに、あなたたちの追っ手程度、今日の連中のように焼けば済む話でしょう?」
メリーは事も無げに言ってのけた。
圧倒的な自信。
いや、自らの力への絶対的な信頼。
焚き火の炎が、彼女のエメラルドグリーンの瞳を揺らす。
それは、か弱い令嬢の瞳ではなかった。
生存を勝ち取るために他者を喰らう、捕食者の瞳だ。
彼女は彼らを助けるのではない。雇うのだ。
自分の生存確率を上げるための道具として。
「共倒れになるつもりがないのなら、精々うまく立ち回りなさい」
ジャックの目に、鋭い光が戻った。
彼は金貨ではなく、その奥にある少女の覚悟を見たのだ。
この少女は、ただ守られるだけの姫ではない。
乱世を生き抜くための、強靭な意思を持っている。
そして何より、その「蒼紫の炎」という規格外の力。
この力があれば、あるいは――。
ジャックは膝をつき、深く頭を下げた。それは、主君に対する礼そのものであった。
「……承知いたしました。エリナス様の忘れ形見であるあなたを、二度も危うい目に遭わせるわけにはまいりません。盤石な生活の基盤を、私が築いてみせましょう」
「俺は……」
アルが戸惑うように呟く。
「あなたは黙ってついてくればいいのよ。死ぬのが怖いなら、私の後ろにいなさい」
突き放すような言葉。
だが、それは今のアルにとって、何よりの救いだったのかもしれない。
何も考えず、ただ従えば生きられる。
思考停止を許容する、強引な支配。
契約は成立した。
メリーは再び、山の下に広がる港町の輝きを見つめる。
ここから見える光の一つ一つに、温かいスープと柔らかいベッドがあるはずだ。
もう、泥水を啜らなくていい。
孤独に震えなくていい。
(港町……。そこへ行けば、あの本にあった『海』が見られるのかしら)
誰にも悟られぬよう、小さく息を吐く。
奇妙な三人旅が、ここから始まる。
すべては、生きるために。




