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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
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第3話:ヒャッハー!、黄金の港を目指して、パンツがないのは死活問題

「ヒャッハー! お前ら、全財産置いていきやがれ!」


 春の陽気が差し込む山岳地帯。

 岩壁を穿って作られた天然の要塞、盗賊団のアジトに、少女の怪鳥のごとき絶叫が響き渡った。

 昼下がりの弛緩した空気が、ガラス細工のように砕け散る。

 岩の扉を蹴り破り、舞い上がる土煙の中から現れたのは、泥だらけのボロ布を纏った小さな影だった。

 メリーは裏声で叫びながら、唖然とする男たちの群れへ突っ込んだ。

 挨拶も、名乗りも、警告もない。

 あるのは、純粋な略奪の意志のみ。


「あぁ? なんだこのガキ……」


 見張りの男が反応し、腰の手斧に手を伸ばす。

 遅い。

 生存競争において、認識の遅れは即ち死だ。

 メリーの右手に、周囲の影を濃くするほどの鮮烈な『蒼紫の炎』が灯る。

 揺らめく炎ではない。

 圧縮され、固定された、凶悪な爪の形。


 一閃。


 すれ違いざま、横薙ぎに振るわれた熱量が、鋼鉄の斧ごと男の胴体を両断した。

 硬質な金属音も、肉を断つ湿った音もしない。

 ただ、空気が焼ける「ジュッ」という短い音だけが残る。

 切断面から、血の代わりに蒼紫の炎が噴き出す。

 悲鳴を上げる間すらない。

 男は、自身が死んだことさえ理解できず、二つの肉塊となって転がった。

 断面は瞬時に炭化し、一滴の血も流れない。

 あまりに清潔で、それゆえに冒涜的な死。


「な、なんだコリャあ!?」

「敵襲! 敵襲だぁ!」


 ようやく事態を飲み込んだ盗賊たちが色めき立つ。

 怒号と共に、薄汚れた男たちが武器を手にわらわらと湧いてくる。

 剣、槍、棍棒。

 殺意の壁が少女を取り囲む。

 だが、メリーの瞳は男たちの命など見ていない。

 その視線は、彼らが守る奥の洞窟、そのさらに奥にあるであろう倉庫の木箱に釘付けだった。


「靴! 塩! あと調味料!」


 彼女は炎を振るい、邪魔な障害物(山賊)を次々と排除していく。

 殺戮を楽しんでいるわけではない。

 ただ、生活必需品への渇望が、彼女を修羅に変えていた。

 襲い掛かる刃を紙一重で躱し、あるいは炎で焼き払い、喉を、心臓を、手足を焼却する。

 圧倒的な暴力の嵐。

 数分の後、アジトには動くものがいなくなった。

 黒焦げの死体と、鼻をつく脂の臭いだけが残された静寂。


「……ふぅ」


 メリーは炎を消すと、埃を払って洞窟の奥へと進む。

 制圧した倉庫。

 そこには、近隣の村や旅人から略奪されたであろう物資が乱雑に積まれていた。

 腐りかけた野菜、安酒の樽、そしてガラクタの山。

 メリーは必死の形相で木箱をこじ開け、中身を漁る。

 ない。

 金貨や宝石はあるが、今の彼女には石ころと同義だ。もらうけど。

 欲しいのは、明日を生きるための糧。

 そして、ついに見つけた。

 一番奥の小さな木箱の中に、小瓶に入った薄ピンクの結晶が鎮座していた。


「……し、塩だぁぁぁ!」


 小瓶を抱きしめ、メリーはむせび泣いた。

 岩塩。

 ただの鉱物ではない。

 これで、ただ焼いただけの肉が「料理」になる。

 泥の味がするスープが「食事」になる。

 文明の味が、この手にある。

 彼女は涙を袖で乱暴に拭うと、死体から剥ぎ取った男物のブーツ(サイズが合わないので紐で無理やり固定)を履き、戦利品を抱えて山へと消えた。

 背後で燃え上がる砦の炎が、彼女の小さな背中を赤く照らしていた。


     ──────


 夏。

 うだるような暑さが渓谷を支配していた。

 原生林の湿度は不快指数を限界まで押し上げ、まとわりつく羽虫の羽音が神経を逆撫でする。

 メリーは汗だくになりながら、川岸に立っていた。

 肌に張り付くボロ布。

 伸び放題の髪。

 かつての深窓の令嬢の面影は、もはやその色素の薄い髪と瞳の色に残るのみだ。


「……暑い。臭い。虫うざい」


 呪詛のように呟きながら、彼女は川面を睨みつける。

 繊細な魔法? 優雅な水魔法で涼む?

 そんなモノはない。

 蒼紫の炎は破壊と燃焼しかできない。

 彼女の視線の先、深緑色の淀んだ水面の下を、巨大な魚影が悠然と横切る。

 この川の主か。

 メリーの口元が歪む。

 食料だ。


「……せーのっ!」


 ドォォォン!


 彼女は叫びと共に、蒼紫の炎の剣を水面に叩きつけた。

 水柱が高く上がり、周囲の木々を濡らす。

 衝撃と熱。

 物理的な破壊力が水圧となって伝播し、哀れな魚たちを襲う。

 数秒後。

 プカリ、プカリと、白い腹を見せた魚たちが次々と浮き上がってきた。

 メリー式ガチンコ漁法である。


「よっし! 大漁」


 浮いてきた魚を雑に回収する。

 その場でナイフを振るい、鱗を落とし、内臓を抜く。

 手慣れたものだ。

 最初は生臭さに吐き気を催していた作業も、今ではただの工程に過ぎない。

 枯れ木を集め、蒼紫の炎で豪快に着火する。

 串刺しにした魚を火にかざし、春に奪った「宝物」を取り出す。

 岩塩を指先で摘まみ、パラパラと振る。

 たったそれだけの行為が、神聖な儀式のように思えた。


 脂が炭に落ち、ジュウと音を立てて香ばしい煙が立ち上る。

 皮がパリッと焼け、身が白く弾ける。

 焼きあがった魚にかぶりつく。


「……っ!」


 パリッという食感。

 溢れる脂の甘み。

 そして何より、塩の味。

 脳髄に直接響くような塩分が、疲弊した体に染み渡っていく。


「……あ……味がする……!」


 感動に打ち震えながら、彼女は魚を頭から尻尾まで貪り食った。

 骨の一本も残さない。

 泥臭いサバイバルにも、確かな生活の向上があった。

 だが、同時に虚しさも募る。

 いつまで、こんな生活を続けるのか。

 彼女は懐から、ボロボロになった羊皮紙を取り出した。

 どこかの盗賊のアジトで拾ってきた古い地図の切れ端。

 そこに描かれた大陸の南西端。

 海。

 そして、黄金の港レグス。

 指先でなぞる。

 ここに行けば。

 メリーは立ち上がり、南西の空を見上げた。

 入道雲の向こうに、まだ見ぬ海を幻視して。


     ──────


 そして、冬。

 山は雪に閉ざされ、静寂と死が支配する季節。

 世界は白一色に塗りつぶされ、生物の気配が消える。

 街道を行く一台の馬車が、雪に足を取られて立ち往生していた。

 それを取り囲むように、十数人の男たちが下卑た笑いを浮かべている。

 盗賊団だ。

 冬の間、獲物が減るこの時期に、カモが向こうからやってきたのだ。

 彼らにとっては僥倖以外の何物でもない。


「命が惜しけりゃ荷物を置いていきな! 身ぐるみ置いてけば、命だけは助けてやらぁ!」


 嘘だ。

 その目には殺意と嗜虐の色が浮かんでいる。

 奪った後に殺す。

 それが彼らのやり方だ。

 御者台の青年商人は、青ざめた顔で震えていた。

 護衛として雇った傭兵たちは、既に雪の上で物言わぬ死体となっている。

 逃げ場はない。

 商人は覚悟を決めたように目を閉じ、神に祈った。


「……寒い」


 不意に、底冷えするような声が響いた。

 風の音ではない。

 幼く、しかし絶対的な不機嫌さを孕んだ少女の声。

 男たちが振り返る。

 雪原の向こうから、一人の子供が歩いてきていた。

 毛皮を蓑虫のように何重にも重ね着し、雪だるまのようなシルエットになっている。

 顔は見えない。目深に被ったフードの下から、白い吐息だけが漏れている。


「あぁ? なんだテメェは。迷子か?」


「……邪魔。そこ、私の通り道なんだけど」


 メリーは不機嫌そうに鼻をすすった。

 実際、彼女は機嫌が悪かった。

 寒い。

 ひもじい。

 冬眠に失敗した熊のように、食料と暖を求めて彷徨っていたのだ。

 そこへ現れた、絶好の「物資」。

 盗賊たちの装備は暖かそうだ。

 馬車の荷台には食料がありそうだ。

 彼女の目には、彼らが人間ではなく、歩く補給物資にしか見えていなかった。


「ガキが……舐めた口きいてんじゃねえぞ!」


 男の一人が剣を抜き、威嚇する。

 だが、次の瞬間、世界が紫に染まった。


 ヒュン。


 風を裂く音。

 剣を構えた男の首が、音もなく落ちた。

 断面が焼き塞がれ、血も出ない。

 雪の上に、ぽとりと生首が落ちる音だけが響く。


「ひっ……!?」


 残りの男たちが悲鳴を上げる間もなく、殺戮の宴が始まった。

 メリーは雪の上を滑るように疾走する。

 重厚な毛皮を纏っているとは思えない速度。

 右手に灯った蒼紫の爪が、舞うように振るわれる。

 一閃ごとに、一人が肉塊へと変わる。

 抵抗など許さない。

 防御の上から焼き切り、武器ごと溶解させ、悲鳴ごと喉を焼く。

 圧倒的な暴力。

 冬の寒さよりも冷酷な、紫の炎。


 数分後。

 雪原には、物言わぬ死体と、腰を抜かした商人だけが残された。

 死体は皆、奇妙なほど綺麗だった。

 血の海はなく、ただ焼けた肉の臭いだけが漂っている。


「あ、あ……」


 商人は震える声で呻く。

 目の前の少女が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 フードの下から覗くエメラルドグリーンの瞳が、商人を値踏みするように見つめた。


「……僕、助かった、んですか?」


「そうみたいね。運が良かったわ」


 メリーは無造作に答えると、死体から毛皮のコートを剥ぎ取り始めた。

 手慣れた様子だ。

 商人は呆気にとられながらも、慌てて馬車から降り、深々と頭を下げた。


「あ、ありがとうございます! 命の恩人です! 私はベルンと申します!」


「……ふーん」


 メリーは興味なさげに鼻を鳴らす。

 ベルンと名乗った商人は、目の前の異様な少女――死体を漁る幼子に戦慄しつつも、どこか既視感を覚えていた。

 この特徴的な炎の色。

 そして、情け容赦のない殺害手口。

 商人のネットワークで囁かれている噂話が、脳裏をよぎる。


「ま、まさか……貴女が、噂の『紫の死神』……!?」


 ベルンの言葉に、メリーの手がピタリと止まった。

 彼女はゆっくりと振り返り、心底嫌そうな顔をした。


「……なによ? その、お尻がムズムズするような二つ名は」


「え、あ、すみません! てっきりそういう通り名なのかと……! 山岳部に出没し、盗賊だけを狩っては身ぐるみ剥いでいく、子供の姿をした死神……」


「失礼ね。私はただの通りすがりの、善良な一般市民よ」


 善良な一般市民は人の首を焼いて飛ばしたりしない。

 ベルンはツッコミを飲み込み、必死に愛想笑いを浮かべた。


「は、はい! おっしゃる通りです! ……あ、あの、お礼をさせてください! 金貨でも、食料でも! こちとら弱小商会ですので大したことはできませんが、命には代えられません!」


 ベルンは必死に頭を下げる。

 この少女の機嫌を損ねれば、自分も「物資」として処理されかねないという本能的な恐怖があった。

 メリーは彼をじっと見つめ、そして馬車の荷台を指さした。


「いいわよ、そちらの事情は。それより……パンツ、ある?」


「は?」


 ベルンの思考が停止した。

 死神の口から出た単語があまりに予想外すぎた。


「あと石鹸。タオルも。……この一年、ボロ布で拭くのはもう限界なのよ。ゴワゴワするし……」


 切実な要求だった。

 少女の顔には、殺戮者の冷徹さではなく、年相応の恥じらいと、衛生環境への深刻な不満が滲んでいた。

 ベルンは呆気にとられたが、すぐに商人のスイッチが入った。

 荷台を漁り、女性用の高級肌着一式(売り物だった最高級品)と、香りのよい石鹸、ふかふかのタオルを取り出す。


「こ、これくらいで良ければ! 全部差し上げます! 最高級のシルクですよ!」


「……! 上物じゃない」


 メリーの瞳が輝いた。

 金貨を見た時よりも、食料を見た時よりも遥かに嬉しそうだ。

 彼女はひったくるようにそれを受け取ると、大事そうに胸に抱きしめた。

 頬ずりしそうな勢いだ。


「ありがとう。お礼ならこれで十分。私はもう行くわ。『稼ぐに追いつく貧乏なし』よ。励みなさい」


 彼女は踵を返した。

 その背中に、ベルンが声をかける。


「あ、あの! せめてお名前を!」


 メリーは振り返り、ニカっと笑った。

 それは、死神ではなく、ただの少女の無邪気な笑顔だった。

 笑顔の残滓だけを残し、彼女は雪の山道へと戻っていく。

 その足取りは軽い。

 顔はニマニマと緩み、鼻歌まで聞こえてきそうだ。


(ふふっ、パンツ♪ 石鹸♪ これで今日から文明的な生活よ!)


 我が家(岩穴)への帰路。

 過酷な雪山など、パンツを手に入れた今の彼女には快適な庭でしかなかった。

 残されたベルンは、呆然とその小さな背中を見送っていた。

 雪の中に残された、焦げた死体の山と、高級下着を抱えて喜ぶ死神の姿。

 そのシュールな光景は、彼の記憶に深く、深く刻まれることになった。


     ──────


 岩穴に戻ったメリーは、早速「文明」を堪能した。

 雪を溶かして沸かしたお湯。

 名前は忘れたけど、あの商人から奪った(もらった)石鹸を泡立てる。

 甘い花の香り。

 一年ぶりに嗅ぐ、清潔な匂い。

 ゴシゴシと体を洗い、タオルで拭く。

 そして、シルクの肌着に足を通す。


「……んあぁぁ……」


 恍惚のため息が漏れる。

 滑らかな感触。優しく包み込まれる安心感。

 葉っぱや粗末な布とは次元が違う。

 彼女は毛皮にくるまり、あの商人の馬車からくすねてきた紅茶の葉で淹れた熱い茶を啜った。


「ふぅ……。生き返る」


 揺らめく焚き火を見つめながら、思う。

 あの商人が言っていた『紫の死神』。

 そんな風に呼ばれているのか。

 まあいい。

 舐められるよりはマシだ。

 そんなことを考えながら、メリーは深い眠りへと落ちていった。


     ──────


 春。

 雪解け水が流れる頃、メリーは山頂付近の峠に立っていた。

 ボロボロになったブーツ。

 伸びた髪。

 だが、その瞳は澄み渡っていた。

 冬を越えた。

 生き延びた。

 そして今、目の前には終わりの景色が広がっている。


「……終わった」


 眼下に広がる圧倒的な「青」。

 水平線。

 一年間の過酷な山岳生活の果てに、ついに海へと辿り着いたのだ。

 空の青をすべて飲み干したような、濃紺の海。

 太陽の光を浴びて煌めく波。


「終わったんだ……山暮らし……」


 彼女は膝をつき、解放感に震えた。

 もう、泥水を啜らなくていい。

 寒さに震えて眠らなくていい。

 彼女は視線を巡らせる。

 海岸線にへばりつくように広がる、巨大な港町。

 無数の家々、停泊する船。


「あれが……」


 記憶の底から、絵本の挿絵を引っ張り出す。

 そこに描かれていた輝かしい港町が、いまや眼前に。


「黄金の港、レグス」


 メリーは立ち上がり、スカートの土を払った。

 目的地は目の前だ。

 そこには、温かいベッドと、美味しい食事と、人間らしい生活が待っているはずだ。

 そして、この世界で生き抜くための、新しい戦場でもある。


「待ってて。今行くから……!」


 文明への渇望を胸に、少女は南西へ、一直線に駆け出した。

 その背中には、山で培った強さと、未来への希望が翼のように広がっていた。


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