表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
4/21

第4話:元王子、父と母、焚き火の告白

「あら。少々、毛色の変わった貯金箱ですこと」


 眼下の光景を見下ろし、少女は品定めをするように目を細めた。

 包囲網の中心にいるのは二人の男。

 泥に塗れ、虚ろな目で蹲る男と、それを背に庇い、全身から血を流しながらも油断なく剣を構える老人。

 対する襲撃者たちの動きは、この一年で散々壊してきた粗雑な盗賊たちとは一線を画していた。

 無駄のない足運び、連携の取れた配置。

 身なりこそ薄汚れているが、漂う殺気は訓練された職業軍人のそれだ。


(中身の詰まった、上質な財布に見えますわ。……ええ、私に利益を吐き出すのであれば、それが盗賊だろうが軍人だろうが関係ありませんもの)


 彼女にとって、彼らは脅威ではない。

 自ら管理不要で物資を運搬してくる、便利な資源回収システムに過ぎないのだ。


 少女は隠れることもなく、岩陰から悠然と姿を現した。

 殺気渦巻く死地には似つかわしくない、愛らしい編み上げブーツが、湿った腐葉土を踏みしめる。


「ごきげんよう、皆様」


 鈴を転がしたような可憐な声が、張り詰めた空気を唐突に裂いた。

 動きが止まる。

 襲撃者たちの視線が、一斉に異物へと注がれた。

 戦場に迷い込んだ深窓の令嬢。そのあまりに場違いな光景は、歴戦の暗殺者たちの思考すら、瞬きする間だけ凍結させるに十分だった。


 だが、彼らはプロだった。

 目配せ一つ。最も近くにいた男が、無言のまま少女へと躍りかかる。

 迷いのない刺突。子供相手だろうと容赦なく心臓を穿つ、洗練された殺人剣。


 少女は、微笑んだまま右手を振った。


 一閃。


 大気が熱量に耐えきれず、低い唸りを上げる。


 少女の白魚のような指先から噴き上がった蒼紫の炎は、瞬時に鋭利な剣の形を成した。切っ先から長い尾を引くそれは、男の剣ごと胴体を薙ぎ払う。


 硬質な金属音はしなかった。

 ただ、熱したナイフがバターを断つような、滑らかな抵抗感だけがあった。


 男が足を止める。

 遅れて、その胴体が斜めにずれた。

 断面から鮮血は噴き出さない。代わりに、行き場を失って体内で膨張した蒼き火炎が、肉の裂け目から爆風となって激しく噴出した。


 人体が内側から喰い破られる、おぞましくも鮮烈な燃焼現象。

 男は悲鳴を上げる暇すらなく、泥へと崩れ落ちた。


 静寂。

 もはや、誰も彼女をただの子供とは見ていなかった。

 指揮官格の男が、わずかに目を見開き、即座に手信号を送る。

 恐怖による逃走ではない。

 理解の範疇を超えた「死」そのものに対する、極めて冷徹な回避判断。


 任務達成不可能。全機、撤退。


 彼らは一瞬で闇に溶け、足音もなくその場から消え失せた。


「あら。……ずいぶんと淡白な方たちですのね」


 少女は揺らめく炎の剣をふっと霧散させると、少し残念そうにその背中を見送った。


「深追いは無用ですわね。……さて」


 少女は興味を失ったように闇から視線を外し、血の臭いが充満する足元へと向き直った。


「そちらの方は、どのようなご事情かしら」


 問いかけに、老人は警戒を解かず、けれど荒い息の下から畏怖の籠もった視線を返した。

 無理もない。死地を脱したと思えば、そこに立っていたのは、あまりに不釣り合いな美貌を持つ、規格外の「暴力」だったのだから。


 少女は彼らの返答を待たず、顎で少し開けた岩陰をしゃくった。


「ここは血の臭いが強すぎますわ。獣が寄ってきます。……歩けまして?」


     ──────


 風を遮る岩の背。

 夜の山は静まり返り、時折聞こえる遠い遠吠えだけが、この世界の冷たさを告げていた。


 少女は、重傷を負い岩にもたれかかる老人の前に屈み込んだ。

 その脇腹は鎧ごと抉れ、内臓が覗くほどの惨状だった。常人ならショック死していてもおかしくはない。


「少し、痛みますわよ」


 少女は手当ての道具を取り出すこともなく、無造作に傷口へと手をかざした。


「いえ……かなり、かもしれませんわね」


「……う、ぐ……ッ!?」


 言葉が終わるより早く、老人の喉から空気を絞り出すような絶叫が漏れた。


 指先から溢れ出した蒼紫の炎が、裂けた肉へと直接侵食する。

 それは慈悲深い癒やしの光などではない。

 高熱による組織の強制活性と、物理的な接合。


 ジジ、ジジジッ。


 脂が爆ぜ、肉が焼ける音が岩陰に響く。

 傷口の断面が黒い泡のように沸き立ち、千切れた血管が生きた蛇のようにのたうち回って、無理やり対岸の肉へと食らいつく。

 それは治療というよりは、溶接に近い「修繕」工事だった。


 やがて沸騰が収まり、赤黒い再生皮膚が傷を塞ぐと、少女は興味を失ったように手を引いた。


「荒っぽいですが、これで血は止まりましたわ」


 荒い息を吐き、脂汗に塗れて虚空を睨む老人。

 その目前に、少女は腰の袋から取り出した干し肉を放った。

 無造作に、まるで野良犬に餌をやるように。


「私はメリー。お二人とも、お腹は空いていますわね? 生きるつもりなら、食べなさい」


     ──────


 干し肉を差し出された老人は、驚愕に見開いた目で彼女を見上げていた。

 震える手で地面を突き、這いつくばるようにして顔を覗き込む。


「……メリー? まさか……その髪と瞳、そしてその名は……」


 何かを確信したように、老人は深く、深く頭を垂れた。


「……メリュジーヌお嬢様。このような場所で、お会いできるとは」


 その呼び名に、少女はわずかに眉をひそめた。


「メリーでいいわ。その長い名前は、もう捨てたのですから。……いえ、家からも名からも、捨てられたと言った方が正確かしらね」


 老人が痛ましげに目を伏せるのを余所に、彼女は指先に小さな火を灯し、自身の分の干し肉を炙り始めた。

 パチパチと爆ぜる脂の音。

 炎の揺らめきが、捨て去ったはずの記憶を呼び起こす。


     ──────


 ギルガルド伯爵邸。

 あの広大な屋敷は、黄金の鳥籠ですらなかった。ただの針のむしろだ。

 後妻に入った義母からは汚物を見るような目を向けられ、その子供たちである異母姉弟からは嘲笑を買う日々。


 ――不吉な色だ。その髪も、瞳も、その忌々しい魔法も。

 ――前妻の亡霊が、いつまでこの家に居座るつもりだ。


 浴びせられる呪詛。逃げ込んだ先の蔵だけが、埃と紙の匂いに満ちた聖域だった。

 そこで出会った一冊の古書。『蒼き境界の向こう側』。

 水平線の彼方に眠る、底知れぬ美しさと恐ろしさを秘めた青。誰からも干渉されないその世界に、幼い魂は焦がれるような憧れを抱いた。


 そんな色のない世界で、唯一、体温を感じさせてくれたのは父だった。


 ――すまない、メリー。いつか、お前を自由にしてやるからな。


 大きな、温かい手。

 深夜、人目を忍んで頭を撫でられた温もりだけが、彼女を「娘」として繋ぎ止めていた。


 だというのに。

 あの追放の日、父が見せたのは、氷のように冷徹な眼差しだった。


「メリュジーヌ。お前をこの家から追放する」


 父はそれきり口を閉ざし、無言で一枚の硬貨を放った。

 チャリ、と乾いた音が石床を滑る。その冷たい銀色の残響が止まる瞬間こそが、この家の娘としての、終わりの合図だった。


 なぜ父は、あれほど急いで、無残に私を切り捨てたのか。

 無言のまま投げ与えられた銀貨からは、その真意を読み取ることはできなかった。

 ただ一つ確かなのは、あの瞬間、「家族」という幻想は完膚なきまでに砕け散ったということだ。


     ──────


「……メリー様。我々のことも、お話しせねばなりますまい」


 肉を嚥下した老人が、真剣な面持ちで正座し直した。


「私はジャック。……かつてはアステリア王国の諜報部『ふくろう』に籍を置いておりました。今は一線を退き、このアルベルト様の側近を務めております」


 ジャックの視線の先。

 岩にもたれかかり、泥のように座り込んでいた男が、虚ろな瞳を上げた。


「……アステリア王国第一王子、アルベルト・アステリアだ。第二王子派の謀略により両親を殺され、死地を逃れ……こうして醜く生き長らえている」


 重い告白。

 だが、メリーは肉を咀嚼し、短く鼻を鳴らしただけだった。


「……ふぅん」


 あまりの無関心さにアルが絶句する。

 メリーは構わず、ジャックへと視線を戻した。


「それで? その落ちぶれた王子様の側近が、なぜ私の名を知っているのかしら。あのような連中に囲まれる事情よりも、そちらの方が私にとっては重要ですわ」


 ジャックは一度天を仰ぎ、決意を固めたようにメリーを直視した。


「メリー様。……あなたの亡き母君であるエリナス様は、王妃様のご実家に連なる高貴な血筋でした。十数年前、戦火の王都からエリナス様をお逃がしし、ギルガルド伯爵家へとお送りしたのは、この私なのです」


 肉を口へ運ぶ手が、止まる。


「一年前、ギルガルド家が第二王子派へ鞍替えした際、第一王子派の象徴であったエリナス様の子――あなたを、存在してはならない『負の遺産』として処理したのです。あなたが追放されたのは、その政治的な清算に他なりません」


「お前らのせいか!」


 喉から、とっさに言葉が爆ぜていた。

 怒りではない。あまりに理不尽で、あまりにくだらない「正解」を突きつけられたことへの、反射的な拒絶。


「な、なんだと……?」


 アルが狼狽えるが、メリーの乾いた笑いがそれを遮った。


「……はは。なるほど、そう言われれば、すべて合点がいきますわ。負け犬の派閥の血筋で、しかも前妻の子。それは私も、さっさと捨てられるはずですわね」


 吐き捨てるように言い、再び肉を齧る。

 胸のつかえが取れた気分だった。

 父の愛が嘘だったわけではない。ただ、家の存続という天秤の前で、私が軽かっただけの話だ。


 彼女は、魂が抜けたように項垂れるアルを一瞥し、ジャックを見据えた。


「いいですか。私は見ての通りただの子供です。街へ降りれば、宿を借りるにも拠点を構えるにも、子供一人ではまともに相手にもされませんわ」


 彼女の脳内で、即座に損益計算が弾かれる。

 この二人は「負債」ではない。「資産」だ。


「あなたたちは私の手足として、その『大人の役割』を完璧にこなしなさい。ジャック、あなたは元『梟』としての隠密技術と情報収集を。アル、あなたは……精々、私の『父親』として不自然でない振る舞いを。私があなたたちの存在を隠れ蓑にする代わりに、あなたたちは追っ手の目を逃れるための新しい身分と居場所を得る。合理的な取引ですわ」


 焚き火の炎が、彼女のエメラルドグリーンの瞳を揺らす。


「共倒れになるつもりがないのなら、精々うまく立ち回りなさい」


 ジャックの目に、鋭い光が戻った。

 彼は膝をつき、深く頭を下げた。それは、主君に対する礼そのものであった。


「……承知いたしました。エリナス様の忘れ形見であるあなたを、二度も危うい目に遭わせるわけにはまいりません。盤石な生活の基盤を、私が築いてみせましょう」


 契約は成立した。

 メリーは再び、山の下に広がる港町の輝きを見つめる。


(港町……。そこへ行けば、あの本にあった『海』が見られるのかしら)


 誰にも悟られぬよう、小さく息を吐く。

 奇妙な三人旅が、ここから始まる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ