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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
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第3話:貯金箱、紅茶、水平線は蒼く

「ヒャッハーッ! お前ら、全財産置いてきなさいですわ!」


 岩壁に穿たれた、盗賊団の砦。

 昼間から弛緩していた空気が、あまりに場違いな絶叫によって凍りついた。


 正面から突っ込んでくる、小さな影。

 問答無用。躊躇皆無。

 彼女は挨拶代わりに地面を蹴り、砲弾のごとき速度で肉薄していた。


「あぁ? なんだこのガキ……」


 見張りの男が反応し、手斧を持ち上げようとする。

 遅い。


 一閃。


 すれ違いざま、横薙ぎに振るわれた熱量が、鋼鉄の斧ごと男の胴体を両断した。

 切断面から、血の代わりに蒼紫の炎が噴き出す。

 悲鳴を上げる間すらない。男は、自身が死んだことさえ理解できぬまま、二つの肉塊となって転がった。


     ──────


「……あら。これは」


 制圧した倉庫の奥。

 彼女のエメラルドグリーンの瞳が、宝石を見つけたように輝いた。

 乱雑に積まれた木箱の中に、小瓶に詰められた岩塩、胡椒、そして乾燥ハーブの束が鎮座していた。

 その隣には、小柄な斥候用と思われる、丈夫な革の旅装一式。


 (素晴らしい。あのような不潔な場所に死蔵させておくなど、資源への冒涜ですもの)


 彼女にとって、砦の蹂躙は戦闘ではない。

 単なる、正当な「物資調達」だ。


 その夜。

 焚き火の前で、メリュジーヌは新しい旅装に袖を通していた。

 動きやすいチュニックに、機能的な革のベルト。ボロボロのドレスは、焚き火の燃料として最後の役目を終え、灰になった。


 香草と岩塩で味付けされ、完璧に焼き上げられた鹿肉。

 一口齧る。

 口内に広がる複雑な香り。塩味が引き立てる肉の旨味。


「……美味しい」


 ただの焼肉が、料理へと昇華された瞬間だった。

 震えるような吐息が漏れる。文明の味が、荒んだ心に染み渡っていく。


「ふふ。あの方々は、素晴らしい『貯金箱』ですわね。中身が貯まった頃に、また回収に伺いましょう」


 パチパチと爆ぜる火を見つめながら、彼女の中で一つの真理が確定した。

 この山には、勝手に物資を集め、管理してくれる便利なシステムが存在するのだと。


     ──────


「……不快指数が、許容値を超えていますわ」


 うだるような熱気が、緑鬱とした原生林を満たしていた。

 夏。

 容赦なく降り注ぐ陽光と、肌にまとわりつく湿気。そして、耳元で絶え間なく鳴り響く羽虫の羽音。

 深窓の令嬢にとって、そこは地獄の釜の底にも等しい環境だった。


 だが、メリュジーヌの歩みに停滞はない。

 彼女は肌の表面に、目に見えない極薄の魔力膜を展開していた。

 外気との熱交換を遮断し、自身の周囲数センチだけを常に最適な室温に保つ。いわば、歩く空調設備。

 額に汗一つ浮かべることなく、彼女は涼やかな顔で、道なき道を進んでいく。


 バサリ。

 行く手を阻む蔦をナイフで切断する。

 だが、その切断面は瞬時に泥で塗り固められ、足跡は風魔法による塵の再配置によって、数秒後には「獣の踏み荒らした跡」へと偽装される。


 お父様の放った追手は、未だ執拗にこの山脈を捜索しているはずだ。

 ゆえに、直進はしても、痕跡は残さない。

 それは逃亡者の臆病さではなく、捕食者の慎重さだった。


「さて。本日のランチといたしましょう」


 渓流のほとり、視界が開けた岩場で彼女は足を止めた。

 川面を走る魚影に向け、指先を軽く弾く。

 水音すら立てず、蒼い光弾が水面を穿ち、数匹の銀鱗が白い腹を見せて浮き上がった。


 手際よく内臓を処理し、春に「回収」した岩塩と乾燥ハーブを腹に詰める。

 串を打ち、遠火の強火でじっくりと炙る。

 やがて、皮がパリパリと焼け、香ばしい煙が立ち上った。


「いただきます」


 一口。

 パリッという音と共に、淡白な白身の甘みと、ハーブの清涼感が口いっぱいに広がる。

 ただ焼いただけの餌ではない。計算された「料理」の味。


「……ん。悪くありません」


 冷たい川水で喉を潤し、彼女は満足げに息を吐く。

 ドレスを捨て、旅装に着替えたあの日から、生活の質は劇的に向上していた。

 衣食住の安定は、精神の余裕を生む。

 彼女は懐から、くしゃくしゃになった羊皮紙を取り出した。どこの誰から奪ったかも覚えていない、雑な地図だ。


 現在地と太陽の位置を照合する。

 目指すは南西。この果てしない山脈を越えた先にある、大陸の端。

 道程は遠い。だが、焦りはない。

 今日を優雅に生き延びることの積み重ねだけが、彼女をまだ見ぬ景色へと運んでいく。


     ──────


 木々の緑が色褪せ、燃えるような赤や黄色が山肌を染め始めた頃。

 メリュジーヌは、見晴らしの良い尾根に立っていた。


「……ぁ」


 視界の果て。

 幾重にも重なる稜線の向こうに、真っ赤な夕日が沈もうとしていた。


 太陽は西に沈む。

 ならば、あの輝きの真下に、目指すべき海がある。

 かつて家庭教師が広げた古い地図の記憶と、目の前の光景が合致する。方向は間違っていない。


 ただひたすらに、あの太陽を追い続ければいい。

 彼女は夕闇に沈みゆく山並みを、瞳に焼き付けるように見つめ続けた。


 だが、太陽が姿を隠すと同時に、世界は牙を剥いた。


「……寒っ」


 急激な気温の低下。

 吹き付ける風が、夏仕様の薄い革鎧を容赦なく突き抜け、体温を奪っていく。

 吐く息が白い。

 岩肌に霜が降りるほどの冷気が、山の冬の到来を告げていた。


 (魔力による断熱も、寝ている間までは維持できませんわね)


 彼女は眉をひそめ、冷え切った二の腕をさすった。

 現状の装備では、越冬は不可能。

 凍死という無粋な結末を避けるためには、新たな資源が必要だ。


 彼女の視線が、眼下の山道を捉えた。

 商人の荷馬車。それを取り囲むガラの悪い集団。

 新たな資源、「歩く貯金箱」が、そこにあった。


     ──────


「ありがとうございます、『紫の死神』さん!」


「……んん!? なんですか、その、お尻がムズムズするような二つ名は」


 返り血を拭いながら、メリュジーヌは顔をしかめた。

 商人は命拾いした興奮からか、街まで送らせてほしいとしつこく提案してきたが、こちらは潜伏中の身だ。

 目立つ真似はしたくないので、そこは丁重にお断り差し上げた。


「いやぁ、本当に助かりましたよ。こちとら弱小商会ですので、奪われていれば破産するところでした」


「いいわよ、そちらの事情は。お礼ならさっきの品で十分。私はもう行くわ。『稼ぐに追いつく貧乏なし』よ。励みなさい」


 それだけ言い残し、彼女は颯爽と踵を返す。

 だが、見えなくなるまで歩いたところで、その表情は一変した。


「……ふふ、ふふふっ。大収穫だわ」


 腕に抱えているのは、真新しい肌着類一式。

 メリュジーヌは手に入れたばかりの戦利品を愛おしそうに抱き、ほくほくとした顔で山に入っていった。


     ──────


「……聞いたか。近頃、この山脈を徘徊する『紫の死神』の噂を」


 季節が巡り、山に慈悲なき冬が訪れた。

 凍てつく風鳴りが響く砦の中、男たちは暖炉の残り火にすがりつくようにして声を潜めている。


「ああ。子供の姿をした悪魔だ。金と物資だけを奪い、抵抗する者は気付く間もなく燃やされるとか……」


 刹那、轟音が静寂を粉砕した。

 堅牢なはずの扉が、枯れ木のように弾け飛び、猛吹雪が室内の熱を一瞬で奪い去る。


「ごきげんよう。ずいぶんと冷えますわね」


 白き闇の中から現れたのは、噂の主。

 逆巻く風雪を従え、蒼紫の炎を灯りのように浮かべた少女が、淑やかに微笑んでいた。


「暖かそうな毛皮に、上等な寝袋。……それに、その香り。まさか本物の茶葉をお持ちで?」


 悲鳴を上げる間すらなかった。

 彼女が去った後には、身ぐるみ剥がれて震える男たちと、空っぽになった倉庫だけが残された。



 岩穴の拠点に戻ったメリュジーヌは、奪い取った厚手の毛皮コートに包まり、湯気を立てるカップを傾けた。

 口の中に広がるのは、いつぞやの不穏な色のハーブティーもどきではない、芳醇な紅茶の香り。


「ふぅ……。やはり、冬はこうでなくては」


 貴族の嗜みを思い出す、豊かな香気。

 上質な寝袋の温かさに包まれ、彼女は安らかに瞳を閉じた。

 外は吹雪。だが、今の彼女の安眠を妨げるものは何もない。


     ──────


「……痛い」


 そして、再び春が来た。

 岩場に腰掛けたメリュジーヌは、眉間に深い皺を寄せていた。


 不揃いだったショートヘアは肩まで伸び、少女らしい柔らかさを帯び始めている。

 だが、今の彼女にとって深刻な問題は、髪型ではなかった。


 一年前に奪った革靴が、完全にサイズアウトしていた。

 成長の証。だが、機動力を損なう足元の不備は、この山では死に直結する。


「最後の仕上げと参りましょうか」


 彼女は慣れた足取りで、眼下の砦へと向かった。

 ここへ至る道中、幾度繰り返したか記憶にもない、単なる「資源の回収」作業。

 もはや襲撃ですらない。

 抵抗する気力すら失い、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う盗賊たちを横目に、彼女は最奥の宝物庫へと足を踏み入れる。


 目当ての品はすぐに見つかった。

 おそらくは、商会の馬車から略奪され、売り物として厳重に保管されていただろう、最高級の編み上げブーツ。

 しなやかな革は足に吸い付くように馴染み、靴底は岩場をも掴むほどに堅牢だ。


「完璧ですわ」


 ついでに、大陸全土を記した地図と、当面の路銀となる金貨袋も回収する。

 空っぽになった木箱を眺め、彼女は小さく嘆息した。


「最近、盗賊の方々が減っている気がしますわ。狩りすぎたせいかしら? それとも、あの変な二つ名のせい?」


 いずれにせよ、この山脈にもう用はない。

 メリュジーヌは、物言わぬ屍と化した砦に背を向け、山頂への道を歩き出す。

 その足取りは、一年前、雨の中に放り出された無力な子供とは違う。

 確かな装備と、生き抜く力を身につけた、冒険者の足音だった。


 やがて。

 最後の岩壁を越え、視界が一気に開けた。


「……ああ」


 白く凍る吐息と共に、感嘆が漏れる。

 そこには、これまで見てきた岩肌や深い緑とは隔絶した世界があった。

 陽光を反射し、鱗のように煌めく、圧倒的な質量を持った「青」。


 水平線。

 狭い山岳領地に閉じ込められていた彼女が、物語の中でしか知らなかった景色。

 本物の海が、そこにあった。


「なんて……。なんて広くて、美しいのかしら」


 しばし、立ち尽くす。

 新しいブーツで大地を踏みしめ、風に伸びた髪を遊ばせる。

 山での一年。血と泥、そして略奪によって積み上げた日々の果てに、彼女はここに立っている。


 眼下には、海岸線にへばりつくように広がる巨大な港町。

 無数の家々。停泊する船。人の営みの気配。


 行き先は、定まった。


 彼女は年相応の、無邪気な笑みを浮かべる。

 憧れの海を抱くその街へ向け、下山の一歩を踏み出した。


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