表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
97/103

第97話 月曜日の約束

 柚月からのLINEが届いたのは、透子が自宅のキッチンで夕食の後片付けを終えたころだった。


 食器を拭き、決まった場所に戻す。


 シンクの水滴を布巾で拭き取っていると、テーブルに置いたスマートフォンが小さく震えた。


 画面を見る。


『高山柚月』


 その名前に、指先がほんの少しだけ止まる。


 届いていたのは、映画の日程についての連絡だった。


『春野さん、お疲れ様です。映画の件なんですが、春野さんのお休みや、ご都合のいい曜日ってありますか?』


 続けて、もう一文。


『上映時間が長いので、できるだけ無理のない日に相談できたら嬉しいです』


 透子は、ゆっくりとその文章を読み返した。


 相変わらず丁寧な文章だった。


 けれど、最初に届いた挨拶だけのメッセージよりも、少しだけ言葉の端がやわらかい気がする。


(予定の確認、ですね)


 そういえば、映画に行くと決めた時、具体的な日程までは決めていなかった。


 家事代行の仕事なら、訪問日も時間も、必要な確認は最初に済ませる。


 それなのに、あの時はすっかりそこまで頭が回っていなかった。


(少し浮かれていたのかもしれませんね)


 そう思うと、少しだけ頬が熱くなる。


 月曜日は、基本的に休みだ。


 日曜日も休みではあるが、来週の月曜日は特に予定もない。


 映画に行くなら、ちょうどいい。


 透子はスマートフォンを手に取り、返信欄に文字を打つ。


『承知しました。基本的には日曜と月曜が休みです。来週月曜日でしたら空いております』


 そこまで打って、小さく眉を下げた。


 仕事の連絡のようだ。


 消す。


 もう一度、ゆっくり入力する。


『ご連絡ありがとうございます。基本的には日曜と月曜がお休みです。来週でしたら、月曜日は空いています。高山さんのご都合が合えば、その日にしましょうか』


 読み返す。


 少しだけ、やわらかい。


 けれど、砕けすぎてはいない。


 今の自分には、このくらいがちょうどいい気がした。


「……送信」


 画面の中で、自分の言葉が柚月の言葉の下に並んだ。


 すぐに既読がつく。


 数分ほど間が空いた。


 きっと今ごろ、高山さんも予定を確認しているのだろう。


 そう思うと、透子の口元に自然と小さな笑みが浮かんだ。


 やがて、次のメッセージが届く。


『ありがとうございます!それなら、来週月曜日のお昼の回はどうでしょうか?昼過ぎからの上映なので、終わるのが夕方前くらいです』


 続けて、もう一文。


『もし大丈夫そうでしたら、その日でお願いしたいです』


 透子は文面を見つめ、静かにうなずいた。


(昼の回なら、よさそうですね)


 上映時間の長い映画だ。


 夜よりは、その方が落ち着いて観られるかもしれない。


 予定としても、無理はない。


 返信を打とうとして、ふと指が止まった。


 場所をまだ聞いていない。


 同じ映画でも、都内なら上映している映画館はいくつもある。


 透子は入力欄に、まず了承の言葉を打った。


『来週月曜日のお昼の回、大丈夫です』


 そこで一度区切り、続きを入力する。


『ちなみに、映画館はどちらですか?』


 短く、けれど必要な確認。


 それを送信すると、すぐに既読がついた。


 少しして、柚月から返事が届く。


『場所言うの忘れてました!中央駅の駅ビルに入ってる映画館です!大丈夫そうですか?』


 中央駅。


 都内の主要駅のひとつで、透子も何度か行ったことがある。


 駅に直結しているビルなら、雨でも移動しやすい。


 人は多いだろうが、昼の時間なら夜よりは落ち着いて動けるかもしれない。


『はい。中央駅でしたら大丈夫です』


 そう返そうとしてから、透子は念のため駅ビルのページを開いた。


 映画館のある階。


 待ち合わせをするなら、映画館の前よりも、少し手前の広い場所の方がいいかもしれない。


 そんなことを考えながら画面を下へ送っていると、施設のお知らせ欄に新しい項目が並んでいた。


『新規店舗オープンのお知らせ』


 何気なく目を通した一覧の中に、見覚えのある店名を見つけて、透子の指が止まった。


「……あ」


 小さく声が漏れる。


 それは、以前、職場への差し入れでもらった瓶詰めプリンの店だった。


 近くに店舗がなく、取り寄せようかと考えていた店名。その名前が、映画館と同じ駅ビルの新規店舗一覧に載っている。


「……ここに、できたんですね」


 思わず、画面を見つめる。


 皆でじゃんけんをして選んだ小さな瓶。


 派手ではないのに、ひと口で丁寧に作られているのがわかる味だった。


 その記憶に重なるように、高山さんの声がよみがえる。


『最近、プリンにハマってて』


 とろとろのもの。固めのもの。カラメルが苦いもの。


 楽しそうに話していた顔を思い出す。


『春野さんのおすすめ、食べたいなって』


 そのあと、高山さんは笑って言った。


 次は、ぷりん会でお願いします、と。


 あの約束は、まだそのままだ。


 映画館と同じ駅ビルなら、外に出る必要もない。


 映画のあとに少し寄るくらいなら、予定としても重くなりすぎない気がした。


 透子はLINEの画面に戻った。


 中央駅の駅ビルなら大丈夫だと送ったあと、次の文章をどう続けるか、少しだけ迷う。


 映画だけでも、約束としては十分だ。


 けれど、せっかく同じ建物に、あのプリンの店がある。


 そして、ぷりん会の約束もまだ残っている。


 透子はゆっくりと文字を打った。


『それと、駅ビルのページを見ていたら、以前お話ししたおすすめのプリンのお店が新しく入っているのを見つけました。映画のあと、少し寄ってみませんか?』


 送信する前に、もう一度読み返した。


 急に予定を増やしている気もする。


 けれど、同じ建物内なら、少し立ち寄るくらいはできるかもしれない。


「……送信」


 画面の中で、自分のメッセージが送られていく。


 来週月曜日の映画。


 それから、もしかしたら、ぷりん会の続き。


 約束がひとつ、静かに形を変えていく。


 すぐに既読がついた。


 透子はスマートフォンをテーブルに置こうとして、置けなかった。


 画面を見つめたまま、返事を待つ。


 少しの間を置いて、メッセージが届いた。


『行きたいです!前に話してたぷりん会、まだでしたし』


 さらに少し間があいて。


『でも、春野さんが疲れていたら別の日でも大丈夫です』


 透子は、目元を緩めた。


 喜びが先に出て、それから遠慮が追いかけてくる。


 その順番が、なんとも高山さんらしい。


『ありがとうございます。では、当日の様子を見て決めましょう』


 そう返すと、すぐに既読がついた。


 そして、小さなプリンのスタンプが送られてくる。


 黄色いプリンが、皿の上でぷるんと揺れている絵だった。


 透子は思わず、ふっと笑ってしまった。


 高山さんが選んだスタンプだと思うと、それだけで少し可愛らしい。


『楽しみにしています』


 短く返す。


 しばらくして、今度は柚月から文字だけの返信が届いた。


『私も楽しみにしています』


 丁寧で、少し硬くて、でも最初よりずっとまっすぐな言葉。


 透子はその文章をしばらく見つめていた。


 同じ画面に並ぶ、二人の言葉。


 仕事の連絡ではない。


 けれど、まだ完全にくだけたやり取りでもない。


 その中間にある、慎重で、やわらかな距離。


 今は、その距離がとても心地よかった。


 スマートフォンを置き、透子はカレンダーアプリを開いた。


 来週月曜日の欄に、予定を入力する。


『映画』


 少し迷ってから、その後ろに小さく付け加えた。


『高山さんと』


 それだけでも十分なはずなのに、指がもう一度動く。


『プリン』


 続けて入力した三文字を見て、透子は小さく息を吐いた。


 予定表の中の文字が、いつもより少しだけ特別に見える。


 日曜日と月曜日は、基本的に休みだ。


 洗濯をして、作り置きをして、買い出しを済ませて、本を読む。


 そんなふうに整えてきた休日の中に、誰かと出かける予定が入ることは、透子にとってそれほど多くない。


 それが、高山さんとの映画で。


 そのあとに、ぷりん会の続きが少しだけ加わった。


(……月曜日)


 心の中でその曜日をなぞる。


 まだ、待ち合わせ場所も細かい時間も決まっていない。


 服装も、ルートも、映画館の混み具合も、考えることはたくさんある。


 けれど、今はそれらすべてが、面倒ではなく、少しずつ楽しみに変わっていく。


 透子はスマートフォンの画面を消し、テーブルの上にそっと伏せた。


 キッチンには、洗い終えた食器が静かに並んでいる。


 部屋はいつも通り整っている。


 けれど、その静けさの中に、来週の月曜日へ向かう小さな灯りがひとつ増えていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ