第6話 静寂の対面
インターホンの電子音が、廊下の静けさを小さく揺らした。
押したボタンをそっと離し、透子は姿勢を正す。モニター越しに映る玄関内は暗い。数秒の沈黙――そのあと、控えめな呼吸音とともに、かすれた声が聞こえた。
「はい」
オートロックが解除されるカチリという音。エレベーターに乗り、指定された階へ上がる間も、透子は脳内で手順を再確認する。片付け優先、ごみ分類、可燃・不燃の袋を玄関に設置――。
指定階へ到着し足音を吸い込む厚いカーペットの廊下を進み、部屋番号の前へ立つ。インターホンを再度軽く押すと、内側でわずかな物音。
数センチだけ開いたドアの隙間から、黒いマスクと大きめの眼鏡、そして影のように落ちる前髪。ラフなスウェット姿の女性が、透子の顔を見ずに小さく会釈した。
「どうぞ」
蚊の鳴くような声。扉がさらに開き、透子は一歩踏み入れる。
「クリーン・コンフォートの春野と申します。本日はよろしくお願いいたします」
玄関に頭を下げながら視界を素早く巡らせる。床には靴が三足、適当に並び、脱ぎかけのパーカーが寄り掛かっている。ポリエチレンのレジ袋がくしゃりと潰れ、ごみ箱代わりになっているらしい。
玄関脇で上履き用スリッパに履き替え、透子は笑顔を保ったまま「お邪魔いたします」と告げた。
案内は無言のまま。女性――高山柚月は振り向きざま、肩をすぼめるようにしてリビングへ向かう。透子が数歩後ろをついていくと、廊下の片側すべてが積み上げられた雑誌とダンボールに占拠され、反対側には洗濯物とペットボトルの山。
(まずは動線の確保ですね)
リビングに入ると、部屋の中央にローテーブル、その周囲を円を描くように服と食べかすの入った容器が散らばる。窓は半分カーテンで覆われ、朝の光が埃を白く浮かせていた。
透子はバッグをそっと床に置き、改めて柚月へ身を向けた。
「本日は初回ですので、改めて自己紹介いたします。春野透子と申します。まずはお部屋全体を拝見し、片付けと清掃の方針を相談できればと思います」
柚月は緊張で声が出ないのか、ただこくりと頷くだけ。
「こちらにある衣類や容器類で、明らかに不要なものは私の判断で処分して構いませんか? 迷うものは随時お伺いします」
少し間を置き、また頷き。
「立ち入りを避けた方が良いお部屋やスペースはございますか?」
「奥の部屋は、入らないでください」
指先で示されたドアに目をやり、透子は軽く会釈する。
「かしこまりました。本日はまず通路の確保と、不要なゴミの分別・撤去を優先いたしますね」
作業開始を告げると、柚月はリビングの隅――かろうじて物が退けられたソファーの一角に、小さく体を丸めて座った。膝に抱えたクッションの端を指先で弄び、視線は床を彷徨うばかり。
重い沈黙。しかし、透子は慣れていた。
ポリ袋を広げ、可燃と不燃のラベルを貼った箱を玄関に素早く設置。次に、動線確保のため、廊下の山を左側と右側に分けながら、“確実に捨てられる”袋と“保留”箱へ仕分けてゆく。
手袋越しに感じるペットボトルの微かな湿り気。床が見えるたびに、柚月の肩がほんの少しだけ上下している。
(焦らせないように、でもテンポは維持)
透子は胸の中で段取りを反芻する。まず玄関から廊下までの通路を開け、可燃・不燃・リサイクルの三種に分けたゴミ袋を満たす――今日はそこまで進めば上出来だ。
時計の針が静かに進む音と、ビニール袋が揺れる微かなざわめきだけが、部屋の空気をかすかに動かしていた。




