第102話 お互いに一つずつ
列が進み、二人は並んでメニューを覗き込んだ。
ショーケースの中には、小さなガラス瓶に入ったプリンが一つずつ並べられている。
定番のカスタード。
昔ながらの固めプリン。
とろりとしたミルクプリン。
果物を使った季節限定のものもある。
瓶の形は同じでも、中身の色や蓋に貼られたラベルが少しずつ違っていた。
「……かわいいですね」
柚月は棚を端から眺める。
「瓶も味ごとに違うんですね」
「そうですね」
「並べて写真を撮りたくなります」
柚月はもう一度メニューへ目を戻した。
かわいい。
どれもおいしそうだ。
そして、思っていた以上に種類が多い。
「春野さんが前に食べたのは、どれですか?」
「こちらです」
春野さんが指したのは、昔ながらの固めプリンだった。
卵の色が濃く、瓶の底には暗い色のカラメルが入っている。
「カラメルが少し苦くて、おいしかったです」
「じゃあ、店で食べるのはこれにします」
「ほかのものを見なくても大丈夫ですか?」
「春野さんがおすすめしてたものを食べに来たので」
柚月が答えると、春野さんはわずかに目を丸くした。
「気に入っていただけるとよいのですが」
「春野さんは、どれにしますか?」
「私は……」
春野さんの視線が、メニューの上をゆっくりと動く。
定番のカスタードで止まり、季節限定の白桃ミルクへ移る。
そこから、とろりとしたミルクプリンへ。
柚月はしばらく待った。
それでも、春野さんは決めない。
「迷ってます?」
「……少しだけ」
素直に認められ、柚月は口元を緩めた。
「春野さんでも迷うんですね」
「選択肢が多いので」
「いつもは、すぐ決めてるイメージがあります」
「仕事中は、必要なものを選んでいるだけですから」
「プリンは違うんですか?」
春野さんは、もう一度メニューを見る。
「できれば後悔のないように選びたいです」
声は真剣だった。
「……大事なんですね」
「はい」
迷いのない返事だった。
柚月が小さく笑うと、春野さんがこちらを見る。
「何かおかしかったでしょうか」
「すみません。春野さんらしいなと思って」
「そうでしょうか」
「すごく真剣だったので」
春野さんは少しだけ視線を逸らし、季節限定の白桃ミルクを指した。
「こちらにします」
「白桃ミルクですか」
「せっかくなので、以前とは違うものを食べてみようかと」
「あとで感想を教えてください」
「高山さんもお願いします」
「はい」
二人の順番が近づく。
メニューの端には、持ち帰りについての案内も載っていた。
保冷剤を付ければ、店内用と一緒に注文できるらしい。
「持ち帰りも買いますか?」
柚月が尋ねる。
「二つほど買おうと思っています」
「私も二つにします」
店で一つ食べて、家へ二つ持ち帰る。
そう決めてから、柚月は再び迷い始めた。
店内用は決まっている。
けれど、持ち帰る二つも自分で選ぶとなると難しい。
今日食べるものとは違う味にしたい。
定番も気になる。
季節限定も捨てがたい。
隣を見ると、春野さんもメニューを見つめたまま動いていなかった。
「春野さん」
「はい」
「持ち帰りの二つなんですけど、一つずつ選びませんか?」
「一つずつ、ですか?」
「自分で一つ選んで、もう一つは相手に選んでもらうんです」
春野さんが少しだけ瞬きをする。
「私が、高山さんの分を選ぶということですか?」
「はい。私も春野さんのを選びます」
「高山さんが、私のものを」
「嫌ですか?」
「いいえ」
春野さんはすぐに首を振った。
「少し意外だっただけです」
「自分では選ばなさそうなものが入ってた方が、楽しいかなって」
「なるほど」
春野さんはメニューを見直し、静かに頷いた。
「では、お願いします」
「はい」
まずは、持ち帰りの一つを自分で選ぶ。
柚月は濃厚カスタード。
春野さんは、とろりとしたミルクプリンに決めた。
残る一つは、相手のために選ぶ。
柚月はメニューを端から見直した。
春野さんが甘いものを好きなことは知っている。
一緒に食事やお菓子を食べたことも、何度もある。
けれど、どの味を一番好むのかまでは聞いたことがなかった。
定番なら外しにくい。
ただ、それでは自分が選ぶ意味があまりない気もする。
「決まりましたか?」
「もう少しです」
「ゆっくりで大丈夫です」
柚月は瓶の写真を一つずつ見比べ、淡い色のラベルが貼られたものを指した。
「これにします」
「苺と練乳のプリンですか?」
「はい」
白いプリンの上に、赤い苺のソースが重なっている。
蓋のラベルには、小さな苺の絵が描かれていた。
「どうして、こちらを?」
「……瓶が一番かわいかったので」
「味ではないのですね」
「味もおいしそうです」
「そうですか」
「それに」
柚月はメニューの写真と春野さんを見比べた。
「春野さんに似合うと思ったんです」
「私に、ですか?」
「はい」
口にしたあとで、少し変な選び方だったかもしれないと思った。
食べ物に似合うも似合わないもない。
けれど、この瓶を春野さんが持っているところを想像した時、ほかのものよりしっくりきた。
「すみません。変な理由で」
「いいえ」
春野さんは、メニューに載った苺と練乳のプリンを見る。
「自分では、おそらく選ばなかったと思います」
「やっぱり、嫌でした?」
「そうではありません」
春野さんは静かに首を振った。
「高山さんが選んでくださったものですから、楽しみにいただきます」
「……はい」
柚月は少しだけ顔を伏せた。
次は、春野さんが柚月の分を選ぶ。
春野さんはそれほど長く迷わず、とろけるミルクプリンを指した。
「高山さんには、こちらがよいと思います」
「とろけるミルク」
「はい」
「どうしてですか?」
「店内では固めのものを選ばれたので、持ち帰りは違う食感の方がよいかと思いました」
「あ」
「以前、固めのものと、とろりとしたものを食べ比べていると話されていましたので」
柚月は春野さんを見る。
自分でも忘れかけていた会話を、春野さんは覚えていた。
「……それにします」
「よろしいですか?」
「はい。春野さんが選んでくれたので」
二人は店員に注文を伝えた。
店内で食べるプリンを一つずつ。
持ち帰りを二つずつ。
店員は注文を確認すると、持ち帰り分には保冷剤を付けて、食後に渡すと説明してくれた。
二人は店の奥にある、窓際の席へ案内された。
しばらくして、プリンを載せたトレーが運ばれてくる。
小さなガラス瓶。
木製のスプーン。
味の名前が書かれた丸い札。
柚月は自分の固めプリンと、春野さんの白桃ミルクを並べ、スマートフォンを取り出した。
「撮ってもいいですか?」
「はい」
瓶を二つ並べて、一枚。
少し上から、もう一枚。
確認すると、濃い色のプリンと淡い桃色のプリンが、きれいに並んでいた。
「いい感じに撮れました」
「よかったです」
「二つ並んでる方が、今日っぽいです」
「今日っぽい、ですか?」
「一人で来たら、一つしかないので」
「なるほど」
春野さんは写真を見て、小さく頷いた。
二人で瓶の蓋を開ける。
柚月のプリンは、スプーンを入れると少しだけ抵抗があった。
形を保ったまま一口分をすくい、底のカラメルと一緒に口へ運ぶ。
「……」
卵の味がしっかりしている。
甘さは強すぎず、あとからカラメルの苦みが残った。
柚月が黙っていると、春野さんがこちらを見る。
「お口に合いませんでしたか?」
「違います」
柚月は慌てて首を振る。
「おいしくて、ちゃんと味わってました」
「そうでしたか」
春野さんの表情が、わずかにやわらかくなる。
「これ、好きです。カラメルも、プリンと一緒だとちょうどいいです」
「気に入っていただけたなら、よかったです」
「春野さんがおすすめしてた理由、わかりました」
柚月はもう一口食べてから、向かいの瓶へ視線を向ける。
「白桃の方は、どうですか?」
「桃の味が強すぎず、ミルクの甘さも残っています。上の果肉には少し食感がありお、美味しいです」
春野さんはそう答えて、もう一口食べる。
普段、一緒に食事をしている時と大きく違うわけではない。
食べ方はきれいで、急ぐこともない。
けれど今日は、二人ともプリンを食べるためにここへ来て、向かい合って座っている。
「今日は、本当にぷりん会ですね」
「そうですね」
春野さんは静かに頷いた。
それ以上、過去の話を蒸し返す必要はなかった。
目の前には二つのプリンがあって、映画の感想の続きもある。
柚月が思い出した場面を口にすると、春野さんも自分の感想を返してくれた。
話して、食べる。
少し黙って味わって、また話す。
そんなふうに過ごしているうちに、瓶の中は少しずつ空になっていった。
「……なくなりました」
「そうですね」
「もう少しあってもよかったです」
「それくらいが、ちょうどよいのかもしれません」
「また食べたいと思えるからですか?」
「はい」
春野さんの答えに、柚月は空になった瓶を見つめる。
たしかに、もう一つ食べたい気持ちは残っている。
けれど、帰ってから食べる楽しみも、もう用意されていた。
店を出る前に、二人は持ち帰り用の紙袋を受け取った。
瓶が動かないよう、中は厚紙で仕切られている。
柚月の袋には、自分で選んだ濃厚カスタードと、春野さんが選んだとろけるミルク。
春野さんの袋には、自分で選んだミルクプリンと、柚月が選んだ苺と練乳。
「食べたら、感想を送ってもいいですか?」
柚月が尋ねる。
「もちろんです」
「春野さんも送ってください」
「わかりました」
「瓶が似合ってたかも教えてください」
「似合ってたかどうかですか?」
「大事です」
「……考えてみます」
春野さんが真面目に答えたため、柚月は少し笑った。
二人はプリンの入った紙袋を手に、駅へ向かった。
映画館へ向かう時よりも、人は増えている。
今度は道を間違えることもなく、並んで改札まで歩いた。
「今日は、ありがとうございました」
改札の前で、春野さんが頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとうございました」
「映画、とてもよかったです」
「プリンもです」
「はい。プリンも」
二人で少しだけ笑う。
「原作は、次に伺う時にお持ちします」
「ありがとうございます。頑張って読みます」
映画は終わった。
けれど、次に話すことも、帰ってから食べるものも残っている。
「では、また」
「はい。また」
春野さんと別れ、柚月は一人で改札を通った。
少し歩いたところで、手にした紙袋が小さく揺れる。
中には、自分で選んだ一瓶と。
春野さんが、自分のために選んでくれた一瓶。
今日のお出かけは、これで終わる。
それでも、帰ってからの楽しみを一つずつ持ち帰れることが、柚月には少し嬉しかった。




