鬼ごっこ開始
誰もすぐには動かなかった。参加者たちは顔を見合わせる。
「……始まった?」
「どうする?」
「とりあえず銅像探すか?」
「鬼ってどこにいるんだよ」
緊張はしている。だがまだ現実感がない。つい先ほどまで説明を聞いていたばかりなのだ。
紗月も周囲を見回した。美穂が苦笑する。
「とりあえず移動した方がいいかな」
「そうですね」
萌子も不安そうに頷く。その時だった。
何かが飛んできた。黒い塊。
男性陣が集まっている方向へ。
地面を跳ねる。ころころと転がる。
「ん?」
「何だあれ」
誰かが呟いた。次の瞬間。轟音が響いた。
ドォンッ!!
大地が揺れる。衝撃波が押し寄せる。
紗月の髪が大きく揺れた。
その瞬間。何かが頬に当たった。
ぺたり、と。
温かい。紗月は無意識に手で触れた。
赤かった。血だった。誰かのものだ。
耳がキーンと鳴る。土煙が舞い上がる。
一瞬。誰も理解できなかった。
何が起きたのか。頭が追いつかない。
「え……?」
萌子が呆然と呟く。
近くにいた男性が腰を抜かしたように座り込んでいる。
顔面は真っ青だった。
煙の中はわからない。
まるで現実を認識できていない。
その時。再び何かが飛んできた。
放物線を描いて。今度は全員が見た。
黒い球体。金属製。地面へ落ちる。転がる。
そして。
誰かが叫んだ。
「手榴弾だ!!」
空気が凍り付く。次の瞬間。
ドォン!!
再び爆発。悲鳴が上がる。
「うわあああっ!!」
「逃げろ!!」
「本物だ!!」
「冗談じゃねぇぞ!!」
パニックは一瞬だった。
人間が一斉に走り出す。
押し合う。ぶつかる。転ぶ。叫ぶ。泣く。怒鳴る。
誰も状況を理解できていない。
ただ一つ。理解できたことがある。
これは遊びではない。
「紗月ちゃん!!」
美穂の叫び声で我に返る。その直後だった。
パンッ!
乾いた音が響いた。爆発音とは違う。
短く鋭い音。一人の男性が前のめりに倒れた。
パンッ!
再び音が鳴る。今度は別の方向。
悲鳴が上がる。
「撃たれてる!!」
誰かが転ぶ。誰かが助けを求める。誰かが泣き叫ぶ。阿鼻叫喚だった。
周囲では人の流れが四方八方へ散っていく。
誰も後ろを振り返らない。振り返る余裕などなかった。
「こっち!!」
紗月が叫ぶ。
萌子は半泣きだった。
「いやっ……いやぁ……!」
三人は建物の陰へ向かって全力で走る。その途中。
紗月は振り返ってしまった。
そして見た。
道路の向こう側。
建物の陰からゆっくりと現れた人影を。
全身黒づくめ。黒い戦闘服。黒い手袋。黒いブーツ。
そして。顔を覆う黒い鬼の面。異様だった。
人間の姿をしているのに、人間には見えない。
鬼は落ち着いた足取りで歩いていた。
逃げ惑う人々とは対照的に。
その手には銃が握られていた。
パンッ。
また一発。
遠くで悲鳴が上がる。鬼は慌てる様子もない。
逃げる参加者を見回しながら、ゆっくりと歩いている。
その視線は主に男性たちへ向いていた。
近くで固まって逃げている集団を追っている。
紗月たちとは少し距離があった。
「走って!!」
紗月は萌子の腕を引いた。
「止まらないで!」
三人は脇道へ飛び込む。心臓が破裂しそうだった。
後ろからは悲鳴が聞こえる。
発砲音も聞こえる。だが振り返らない。
振り返れば足が止まる。足が止まれば終わる。
三人はただ必死に走った。
7日間の鬼ごっこ。そんなものではなかった。
始まってわずか数分。紗月はようやく理解した。
自分たちは今。本当に命を狙われているのだと。




