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ONIGOKKO ―Human Hunt―  作者: 山犬
序走
6/14

運ばれる者たち



左右のベンチには既に何人かが腰掛けていた。


紗月も空いている席へ座る。

向かい側には見知らぬ男。

隣には見知らぬ女。


誰もが落ち着かない様子で黙っていた。


やがて全員が乗り込む。その直後。


後部扉がゆっくりと閉まり始めた。


外から差し込んでいた光が細くなり、最後には完全に消えた。


ガンッ――。


重い音が響く。逃げ場のない密室。

白い蛍光灯だけが静かに車内を照らしていた。


トラックがゆっくりと動き出した。車体がわずかに揺れる。

エンジン音が密閉された車内に低く響いた。


紗月は反射的に後ろを振り返る。当然ながら、閉ざされた扉しか見えない。


外の景色も分からない。今どこへ向かっているのかも。どれくらいの距離を移動するのかも。

何も分からなかった。


車内にはしばらく重苦しい沈黙が流れていた。


皆、同じような気持ちなのだろう。知らない場所へ連れて行かれる不安。高額報酬への期待。


その両方を抱えている。


だが十分ほど経った頃だろうか。少しずつ空気が変わり始めた。


「そういえば、みんな何で応募したんだ?」


誰かが口を開く。それをきっかけにあちこちで会話が生まれ始めた。


「金だよ金」


「そりゃそうだろ」


「俺、借金あってさ」


笑い声が上がる。別の場所でも雑談が始まっている。


閉鎖空間の居心地の悪さを誤魔化すためなのかもしれない。


紗月は静かに座ったまま前を見ていた。

その時だった。


「ねぇ」


隣から声がした。紗月が顔を向ける。


隣に座っていた女性が微笑んでいた。


茶髪を肩の辺りでまとめた落ち着いた雰囲気の女性だった。


「大学生?」


「はい」


紗月が答えると、女性は少し驚いたように目を丸くした。


「やっぱり若いと思った」


柔らかな笑みを浮かべる。


「私、美穂。27歳。会社員やってる」


「紗月です」


紗月も頭を下げる。


「19歳で大学2年生です」


女性は少しだけ周囲を見回した。




「本当は旦那と一緒に来てたんだけどね」


「え?」


「色が違っちゃって」


そう言いながら手を広げる。


「まさかいきなり別行動になるとは思わなかった」


紗月も陽菜たちのことを思い出した。


「私も友達と別になりました」


「やっぱり?」


「はい」


「不安になるよね」


美穂はそう言って小さくため息をついた。


だがすぐに明るい表情へ戻る。


「まぁでも一週間くらいだし」


「そうですね」


「何かスポーツとかやってる?」


突然の質問だった。紗月は少し考えて答える。


「空手やってます」


「えっ」


女性が驚いたように目を見開いた。


「強そう」


「そんなことないです」


紗月が苦笑する。


すると女性は楽しそうに笑った。


「いやいや、十分強そうだよ」


そして自分の胸を軽く叩く。


「私は昔バレーボールやってたんだ」


「バレーですか」


「中学から社会人まで」


少し得意げな顔。


「だから体力には結構自信ある」


確かにそう言われてみれば背も高く、姿勢も良い。

運動経験者特有の雰囲気があった。


「でも武道の方が強そう」


美穂は楽しそうに笑った。


紗月も少しだけ肩の力が抜ける。


知らない場所へ向かっている不安は変わらない。


それでも誰かと話していると気が紛れた。


その時。


「ねぇ」


二人が振り向く。近くに座っていた女性がこちらを見ていた。


年齢は二十代前半くらい。明るい茶色の髪を肩まで伸ばしている。


人懐っこそうな顔立ちだった。


女性は席を立つ。


「ちょっと混ざっていい?」


「もちろん」


二十七歳の女性が答える。


女性はほっとしたように笑った。


「よかった」


そして紗月を見る。


「私、萌子。22歳。なんか年齢近そうだったから声かけてみた」


「紗月です」


「美穂です」


それぞれ挨拶を交わすと萌子は周囲を見回した。


「思ったより女の人少なくない?」


その言葉に紗月は改めて車内を見回した。

確かに女性は少ない。だが、全くいないわけではなかった。


向かい側の奥には、四十代くらいの女性が腕を組んで座っている。


短く切り揃えた髪。日に焼けた肌。


肩幅も広く、作業着姿がよく似合う体格だった。

男性たちに混ざっていても違和感がないほどがっしりとしている。


誰とも話さず黙って座っていたが、その落ち着いた様子から妙な頼もしさを感じた。


さらにその隣には、五十代くらいの女性がいた。


長身だが痩せている。膝の上で両手を握り締め、不安そうに俯いていた。


時折バッグの持ち手を撫でる仕草を繰り返している。


こういう場所にはあまり慣れていないのかもしれない。


そして車内後方には、三十代半ばほどの女性が一人。


スーツ姿で眼鏡を掛けていた。スマートフォンを眺めていたが、電波が入らないことに気付いたのか、小さくため息をついて画面を消す。


周囲に興味がないのか、それとも警戒しているのか。誰とも会話をしていなかった。


こうして見れば女性は全部で六、七人ほど。二十人近くいる参加者の中ではやはり少数だった。


「でしょ?」


萌子が声を潜める。


「なんか男の人ばっかりだよね」


「確かに」


美穂も頷いた。


「女同士で固まっちゃう気持ち分かるかも」


その言葉に萌子は笑う。


その一言で三人の間の空気が少し和らぐ。


知らない者同士。

だが同じ場所へ向かう仲間。

そんな感覚が少しだけ芽生え始めていた。


トラックは相変わらず走り続けている。


窓のない車内では時間の感覚も曖昧だった。

どこへ向かっているのか。何をさせられるのか。誰も知らない。


だが三人での会話が、その不安をわずかに忘れさせていた。



紗月はポケットからスマートフォンを取り出した。当然ながら電波は入らない。

画面の隅には圏外の表示が出たままだった。


待ち受けを見る。母と祖父母と一緒に撮った写真。

見慣れた顔を眺めていると、少しだけ気持ちが落ち着いた。


何気なく画面上部の時計へ視線を向ける。


紗月は小さく眉をひそめた。


――そんなに経ったの?


トラックに乗り込んだ時刻を思い返す。

正確ではないが、およそ一時間半ほど経過している。


窓がない。白い蛍光灯だけが一定の明るさで車内を照らし続けている。

そのせいか、昼なのか夜なのかさえ分からなくなりそうだった。


会話も少しずつ途切れ始めていた頃だった。


トラックがゆっくりと減速する。エンジン音が変わる。

車体の振動も小さくなった。


紗月は自然と顔を上げた。


周囲でも何人かが同じように反応している。


そして。トラックは完全に停止した。

車内に小さなどよめきが広がる。


「着いた?」


誰かが呟く。

向い側に座っていた男が腰を浮かせる。


美穂も目を開いた。

萌子も首を伸ばして後部扉を見ている。


全員が無意識に同じ方向を見ていた。


だが。


一分。


二分。


待っても何も起こらない。


扉は開かない。誰も来ない。説明もない。


車内の空気が少しずつざわつき始めた。


「なんだ?」


「故障?」


「説明くらいしてほしいんだけど」


不安げな声があちこちから聞こえる。その時だった。


ぐらり。


車体が横に揺れた。紗月は思わず座席に手をつく。


そしてまた。ゆっくり。

左右に揺れる。


道路の段差を越えるような揺れではない。

もっと不規則で。もっとゆったりした感覚だった。


ガコン、と鈍い衝撃が伝わる。その後にわずかな浮遊感。


車内の会話が止まる。皆が違和感を覚えたらしい。


「……なんだこれ」


誰かが呟いた。静まり返った車内。


耳を澄ますと、低い振動音が足元から伝わってくる。


エンジンとも少し違う。


重く。遠くで響いているような音だった。


「もしかして」


向かい側に座っていた男が口を開く。


「船とかに乗せられた?」


その言葉に何人かが顔を見合わせる。


「船?」


「フェリーみたいなやつ?」


「トラックごと?」


誰も分からない。


だが今の揺れを説明するなら、それが一番しっくりくるようにも思えた。

すると後方から別の男の声が上がる。


「え、大丈夫だよな?」


半分冗談のような声だった。しかし笑いは起きなかった。


「外国とか連れて行かれたりしないよな」


「それは流石にないだろ」


「いや、でも仕事内容まだ聞いてないし」


「200万だぞ?」


車内が少し静かになる。


200万。


改めて考えると異常な金額だ。


「臓器とか売られたりしないよな……」


誰かがそう言った。


今度は何人かが苦笑した。


「映画の見すぎだろ」


「そんなわけないって」


そう返す声もある。

だが完全には笑い飛ばせない空気があった。


仕事内容を知らない。目的地も知らない。窓もない。スマートフォンも圏外。


状況だけを切り取れば十分に怪しかった。


「まぁでも」


美穂が小さく笑った。


「そんなことするなら100人も集めないでしょ」


「確かに」


萌子も苦笑する。


「それはそうかも」


少しだけ空気が和らぐ。だが不安が消えたわけではない。


車内には再び静かな時間が流れ始めた。

揺れは続いている。


ゆっくり。ゆっくりと。


一定ではないリズムで。


紗月は壁にもたれた。

気付けば会話も減っていた。


最初は警戒していた参加者たちも、長時間の移動で疲れ始めている。


向かいの男性は腕を組んだまま目を閉じていた。


後方では壁に頭を預けて眠っている者もいる。


美穂もいつの間にか目を閉じていた。


萌子も欠伸を繰り返している。


「なんかもう……」


萌子が眠そうに呟く。

返事を待たないまま壁にもたれた。


しばらくすると規則正しい寝息が聞こえ始める。


車内のあちこちからも同じような寝息が聞こえてきた。


話し疲れた者。

考えることに疲れた者。

不安より先に眠気が勝った者。


一人、また一人と静かになっていく。


紗月は眠れなかった。


それでも瞼は少しずつ重くなっていく。


揺れが一定のリズムを刻んでいるからかもしれない。


船なのか。違うのか。


どこへ向かっているのか。答えは分からない。


ただ確かなのは。


自分たちが、もう簡単には引き返せない場所へ向かっているということだけだった。

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