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ONIGOKKO ―Human Hunt―  作者: 山犬
序走
5/14

日常の最後



待ち合わせ場所には既に陽菜が来ていた。


「紗月ー!」


大きく手を振る陽菜を見つけ、紗月も軽く手を上げる。


「待った?」


「全然!」


陽菜は笑顔だった。

昨日まで怪しいと言っていたのが嘘のように上機嫌である。


だが紗月の視線は別のところに向いていた。


「……その荷物、何?」


陽菜の足元には大きなボストンバッグが置かれていた。


しかも陽菜自身も気合いが入っている。


淡い色の可愛らしいトップスにショートパンツ。

普段大学へ行く時よりも少しおしゃれをしているように見えた。


「え?」


陽菜は自分のバッグを見た。


「荷物だけど?」


「それは見れば分かる」


紗月は呆れたように言う。


「必要な物は向こうで用意されるから手ぶらでいいって言ってなかったっけ?」


「あー」


陽菜は少しだけ視線を逸らした。


「まあ、そうなんだけどー」


陽菜は少し照れ臭そうに笑う。


「一週間近く泊まり込みなんだよ?」

ちょっとした旅行みたいなもんじゃん」


紗月は思わずため息をついた。


「だからせっかくだし、おしゃれしたいなーって、

可愛い服とかメイク道具とか色々持ってきちゃった」


陽菜は自分の服を摘まみ、楽しそうに笑った。


「それに大輝もいるし」


紗月も呆れながらも笑ってしまう。

数日前までこのバイトを怪しいと言っていた人間とは思えない。


だが、その浮かれた様子はどこか陽菜らしかった。


「重そうだけど」


「超重い」


陽菜はきっぱりと言った。


「でもせっかくなら可愛くしてたいもん」


そう言ってバッグの持ち手を握り直す。

紗月は再び苦笑した。


怪しんではいる。だがそれ以上に、この一週間を楽しみにしているのだろう。

まるで本当に旅行へ行く前のように。


その時、一台の黒い車がゆっくりと近付いてきた。


陽菜の顔がぱっと明るくなる。


「あ、来た!」


嵐の車だった。


陽菜が嬉しそうに手を振る。

車が止まり、窓が開く。


「お待たせ」


嵐が穏やかに笑った。


「じゃあ行こうか」


助手席には既に大輝が乗っていた。

軽く手を上げる。


車に乗り込むと、大輝が陽菜の足元に置かれた大きなバッグを見て吹き出した。


「そんな荷物持ってきたのかよ」


「いいじゃん別に」


「荷物いらねぇって言われてただろ」


「だって一週間だよ?」


「だからって何入ってんだよ」


「色々」


「絶対いらねぇだろ」


「いるもん」


陽菜はそう言いながらバッグを抱き寄せる。

その様子に大輝は呆れたように笑った。


「旅行じゃねぇんだから」


「似たようなもんでしょ」


「違うだろ」


「似たようなもんだって」


二人がそんなやり取りをしている横で、嵐も苦笑していた。


車内では陽菜と大輝が楽しそうに話している。


だが紗月はどこか落ち着かなかった。

窓の外を流れる夜景をぼんやり見つめる。


心臓が少し早い。

違和感なのか。

緊張なのか。


自分でもよく分からない。


そんな紗月の様子に気付いたのか、大輝が声を掛けた。


「なんだよ紗月ちゃん」


「え?」


「顔固すぎ」


陽菜も覗き込む。


「確かに」


「そうかな」


「そうだよ」


陽菜は笑った。


「試合前みたいな顔してる」


「……そんなことない」


「してるしてる」


大輝も笑う。


「別に緊張してないですよ」


「嘘つけ」


即座に返される。


その時、運転席の嵐がバックミラー越しに紗月を見た。


「不安?」


紗月は少し考えた。


「……少し」


正直に答える。

嵐は小さく笑った。


「まぁ気持ちは分かる」


「でしょ?」


陽菜が言う。


「私も最初は結構怪しいと思ってたし」


「最初は、な」


大輝がにやにやする。


「今は?」


「今は楽しみ」


即答だった。


「お前なぁ」


車内に笑いが広がる。大輝は肩を竦めた。


「大丈夫だって」


「何が?」


「そんな緊張しなくてもさ」


そして軽い調子で続ける。


「別に死ぬわけじゃないんだから」


「そうそう」


陽菜も笑った。


「たかがバイトだよ」


「1週間遊んで200万もらえるかもしれないし」



そのやり取りに、紗月も少しだけ口元が緩んだ。

馬鹿みたいな会話だった。だが不思議と気が楽になる。


知らない場所へ向かう不安はある。それでも一人ではない。

そう思うと、少しだけ肩の力が抜けた。


やがて車は大きな競技場へ到着した。

夜の競技場は薄暗く、不気味なほど静かだった。


駐車場には既に何台か車が停まっている。

人影も多い。


若い者もいれば、老人らしき者もいる。

皆どこか期待と緊張が入り混じった表情を浮かべていた。


「結構いるな」


大輝が呟く。


「本当だ」


陽菜も辺りを見回した。

嵐が車を降りる。


「行こうか」


四人は競技場の入口へ向かった。

スタッフらしき人間たちが受付を行っている。


参加者たちは次々と中へ入っていく。

紗月は立ち止まりそうになる足を一歩前へ出した。


ここをくぐれば始まる。一週間の高額バイト。


そう思いながら、陽菜たちと共に競技場の入り口へと足を踏み入れた。

受付に行くと紗月達はカードを受け取る。


厚紙でできた小さなカードだった。表面には大きく黒い色が塗られている。


隣では陽菜が自分のカードを見つめていた。


「私、赤だ」


「俺は白」


大輝がカードをひらひらと振る。

続いて嵐も確認する。


「黄色だね」


四人とも違う色だった。

紗月は自分の黒いカードを見下ろした。

何のための色分けなのかは分からない。


「そちらをお持ちになってお進みください」


受付の女性は事務的な笑顔のままそう言った。


四人は顔を見合わせる。


「進めば分かるってことかな」


陽菜が首を傾げながら歩き出した。

紗月も後を追う。


通路を抜けると、視界が一気に開けた。


「うわ……」


陽菜が思わず声を漏らす。巨大な競技場だった。


観客席が何層にも連なり、その中央に広いスペースが設けられている。


そして。


そこには大型トラックが五台並んでいた。







それぞれ車体全体が鮮やかに塗装されている。


遠目からでも色の違いがはっきり分かった。


「なんだろう、あれ」


大輝が目を細める。


「色がカードと同じだな」


嵐の言葉に、紗月も改めてカードへ視線を落とした。

陽菜もそれに気付いたらしい。


「それぞれの色のところに集まるのかな?」


「かもしれないね」


嵐が答える。

だが確証はない。


誰も詳しいことは知らない。


競技場の入口付近を見ると、後から続々と人が入ってきていた。

皆どこか落ち着かない様子で辺りを見回している。


自分たちと同じなのだろう。


高額報酬に惹かれ、集められた人間たち。


その時だった。


突然、競技場内に電子音が鳴り響く。


『――ご来場ありがとうございます』


機械的な女性の声。


競技場全体に反響する。


ざわついていた参加者たちが一斉に静かになった。


『受付で配布されたカードをご確認ください』


紗月は黒いカードを握り直す。


『カードの色と同じ色のトラックへお集まりください』


やっぱり。


陽菜と目が合った。


『繰り返します。カードの色と同じ色のトラックへお集まりください』


放送が終わる。


再びざわめきが広がった。


参加者たちは手元のカードを確認しながら、それぞれの色のトラックへ向かい始める。


「どうやら本当に分かれるみたいだね」


嵐が苦笑した。


大輝は白いトラックの方を見て肩をすくめる。


「なんか修学旅行の班分けみたいだな」


「全然楽しくないんだけど」


陽菜は不満そうに唇を尖らせた。


そして不安そうに紗月を見る。


「別々かぁ……」


その声に、紗月も胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。


ここまでずっと一緒だった。


だからこそ、急に引き離されることに妙な心細さを覚える。


「すぐ合流するんじゃない?」


大輝が言う。


「説明だけだろ」


「そうだといいけど」


陽菜は小さく笑った。


だがその笑顔はどこかぎこちない。


紗月も同じ気持ちだった。


ただのアルバイト。


そう自分に言い聞かせている。


それなのに。


胸の奥で何かが引っかかっていた。


理由の分からない不安。


「じゃあ、また後で」


嵐が手を軽く上げる。


大輝も白いトラックへ向かって歩き出した。


陽菜は何度か振り返りながら赤いトラックへ向かう。


「紗月」


「ん?」


「終わったら絶対ご飯行こうね」


陽菜は無理やり明るく言った。


紗月は小さく笑う。


「うん」


短く答える。


それだけだった。


陽菜は安心したように頷き、赤いトラックへ走っていった。紗月はその背中を見送る。


そして一人、黒いトラックへ向かって歩き出した。

黒い車体は近くで見ると異様なほど大きかった。


まるで口を開けて待つ巨大な獣のように見える。

紗月は無意識にカードを握り締める。


その時はまだ知らなかった。


この別れが。

自分たちの日常との最後の別れになることを。


紗月が黒いトラックへ近づくにつれ、周囲の様子が少しずつ見えてきた。

同じ黒いカードを持った人間たちが、次々と集まっている。


紗月は何となく人数を数える。


15人。


16人。


17人――。


最終的に20人前後になったところで、人の流れが止まった。


他の色のトラックを見ても似たようなものだ。

どこも20人程度。


紗月は小さく眉をひそめた。


(全部で100人くらい……?)

一週間で200万円。その報酬を受け取る人間が100人いる。


単純計算で2億円。それだけでも異常な金額だった。


だが周囲の参加者たちは、そんなことよりもこれから始まる仕事内容の方が気になっているらしい。

あちこちから小声が聞こえてくる。


「研修か何かかな」


「テレビの企画とか?」


「サバイバル体験じゃね?」


誰も正解を知らない。

皆、不安と期待が入り混じった表情をしていた。


その時だった。


黒いトラックの前に、一人の男が立った。


黒いスーツ。

黒いネクタイ。

整えられた髪。

特徴のない顔。


先ほど受付にいた職員たちとよく似ている。


妙に印象に残らない顔だった。


「カードを回収いたします」


抑揚のない声。男は一人ずつカードを受け取っていく。


紗月も黒いカードを差し出した。

男は無言で受け取り、機械のような動作で次の人へ移る。


どこか人間味が薄い。

接客をしているというより、決められた作業をこなしているだけに見えた。


全員のカードが回収されると、男はトラックの後部を指差した。


「ご乗車ください」


ガシャン、と重い音を立てて扉が開く。


中を見た瞬間。紗月は思わず足を止めた。


「……」


想像していたものと違う。

中は長方形の空間になっており、左右の壁際に長いベンチが設置されている。


向かい合うように座る構造。まるで囚人護送車だった。


左右それぞれ十人ほどが並んで座れるようになっている。

窓はない。外は見えない。

天井には白い蛍光灯が取り付けられ、無機質な光を放っていた。


鉄の匂い。わずかに油の匂い。閉塞感。


決して乗りたいと思えるような空間ではない。


参加者たちも戸惑っているようだった。


「なんか思ってたのと違くね?」


若い男が苦笑する。


「閉じ込められるみたいだな」


別の男も不安そうに言った。


紗月も同じことを思っていた。


なぜ車を使う必要があるのだろうか。


その時。

列の後ろから声が上がった。


「あの」


50代くらいの男だった。


少し苛立った様子でスーツの男を見る。


「なんでこれに乗るんですか?」


周囲の視線が集まる。

皆、同じ疑問を抱いていたのだろう。


スーツの男は一瞬も表情を変えなかった。


「これより実際の業務を行う場所へ移動していただきます」


事務的な口調。


「業務内容の説明も現地にて行います」


それだけだった。


質問した男は納得していない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。

周囲にも微妙な空気が流れる。


しかし。


ここまで来て帰る者はいない。


200万円。


その金額は大きすぎた。


「……行くか」


誰かが呟く。それをきっかけに参加者たちが次々と乗り込み始めた。


紗月も最後にもう一度だけ周囲を見回した。


赤いトラック。


白いトラック。


黄色いトラック。


どこかに陽菜たちもいるはずだ。だがもう姿は見えない。紗月は小さく息を吐く。


そして覚悟を決めるようにトラックへ足を踏み入れた。

金属製の床が重い音を鳴らす。

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