マオリョー、買収されかけます③ 一晩、考えるといい
「新入社員ー! 目を覚ましてー!」
リリが俺にしがみつく。
「使者さん、こいつの言うことは無視してください! このマオリョー、今すぐ喜んで西の商会の傘下に下ります!」
無給の地獄からの一発逆転。
このうまい話に乗らない手は、打算の塊である俺には一ミリも存在しなかった。
あの後、使者は「契約書はここに置いていく。一晩、ゆっくり考えるといい」と言い残して引き上げていった。
そして、夜。
「……ふふっ、ふははははっ! 金貨一万枚! ざっと十億円!」
ボロ城の中庭で、俺は一人、だらしない笑みを浮かべていた。
「明日サインすれば、晴れて俺は十億円の男だ!」
俺は拳を握りしめる。
「豪邸の次は何を買う? 馬車か? いや、専属のシェフを雇って毎日違う飯を食うのもいい……ああ、夢が広がるなぁ!」
足元では、ぴぃが「ぴぃぃ……」と震えている。
「お前もこんな隙間風だらけの城とはおさらばだぞ、ぴぃ!」
俺はぴぃを指差した。
「最高級の鳥カゴを買ってやる!」
「……何よ、新入社員。夜中に気持ち悪い笑い声上げちゃって」
振り返ると、リリが擦り切れた肩掛けを羽織って立っていた。
「ふっ。寝付けなくて夜のパトロールに来てあげたのよ。エリート人事は気配りが違うでしょ」
リリは丸メガネをクイッと押し上げ、薄い胸を張った。
「なんだポンコツ人事。お前も十億円の皮算用で眠れなくなったクチか?」
俺は鼻で笑った。
「安心しろ、会社が売れたらお前にもエステ通い放題の権利くらいはくれてやるよ。新しい丸メガネも買ってやる」
「だからそんな顔すんな」
「……正直に言うとね。金貨一万枚は、すっごく魅力的だわ」
リリが指を組んで、うっとりと宙を見る。お金の話になると途端に目が輝くのが、こいつの分かりやすいところだ。
「あれだけあれば、新しい日傘も、エステも、丸メガネだって……」
そこで、リリの声が、ふっと小さくなった。
「……でも。それでこの会社がなくなるなら、わたし、いらないかな」
「は……?」
「ここ……けっこう、好きなのよ」
ポロッと。リリの口から、そんな言葉がこぼれ落ちた。
「た、たしかに雨漏りはするし! 毎日イモばっかりだし! みんな全然わたしの言うこと聞いてくれないけど!」
リリは早口でまくし立て、照れ隠しみたいに肩掛けの裾をいじった。
「でも……わたしが人事として、みんなと契約魔法を結んで……」
リリの声が微かに震える。
「やっと、一緒にいられるようになったのに。売っちゃったら、この『マオリョー』って居場所、なくなっちゃうじゃない」
その言葉が、なぜか俺の胸の奥をチクッと刺した。
だが、打算の塊である俺は、その痛みを金貨の輝きで塗りつぶす。
「ば、馬鹿言ってんじゃねえ!」
俺は背を向けた。
「居場所なんて金でいくらでも買えるんだよ! 十億円だぞ十億円!」
俺は自室へと逃げるように歩き出す。
「お前の感傷で、俺の夢のステーキ生活を邪魔すんじゃねえ! 寝ろ!」
翌朝。
俺がサインする気満々で応接間へ向かうと——いや、よく考えたら俺にサイン権なんてないんだが、勢いとはそういうものだ——いつも通りの地獄が広がっていた。
「おいコラおっちゃん! 腹減ったんやー! 朝から塩イモなんか食えるか!」
ドカーン!
ゼルが癇癪を起こし、無差別に紅蓮の炎をぶっ放した。




