マオリョー、業務改善します⑩ ちいさいことは、毎日ある
「定石って言葉を知ってるなら、まずこの天井の穴を塞げ! 雨漏りしてるだろうが!」
「……うむ。ノクテはこう申しておる。『CEOの頭上に落ちる雨だれは、風流である。塞ぐには及ばん』……とな」
「雨漏りを風流で済ませるな! 単純に直すのが面倒くさいだけだろ! ノクテも無言で空見上げて納得したフリすんな!」
俺が喚き散らしていると、ふと足元で「……ぴぃー」と気の抜けた声がした。
見ると、極度の寒がりである鶏のマスコット、ぴぃが、ゼルが点けたかまどの小さな火種の前で、気持ちよさそうに丸まっていた。
城一つ焼き払うはずのゼルの紅蓮が、今は一羽の寒がりな鶏を暖めるだけの、ちっぽけな火になっている。
それを見て、俺は小さく息を吐いた。
(……まあ、でも)
考えてみれば、今日は一度も、誰も世界を滅ぼさなかった。
代わりにこいつらがやったのは、寒がりのぴぃを暖め、アイシスがこっそりおかわりした茶を冷まし、俺の手の泥を落とし、照りつける街道で俺の頭に小さな日陰を作ること。
世界を滅ぼせる力の、とびきり下らない使い道だ。最強の無駄遣いにもほどがある。
……でも、火の海も、水没も、弁償金もない。こいつらと過ごす、ただの何でもない一日。
「……ちいさいことは、毎日ある、か」
俺は、適温に冷まされたお茶をすすりながら、誰に聞こえるでもなくポロッと呟いた。
倒産したブラック企業で、金もなくて、どうしようもないポンコツばかりだけど。
こういう、何の事件も起きない、ただの生活の積み重ねみたいなものも――。
「おっちゃん! まだか! 芋、生でもええから食わせろやー!」
「……うむ。ノクテはこう申しておる。『CEOの胃袋が限界を告げている。一秒でも早くバター芋を供せよ』とな」
「だから言ってねええええ!!」
俺の柄にもない感傷は、一瞬にして打ち砕かれた。
「生で食うなゼル! 腹壊すぞ! そしてゼノさんはいつまでバターに執着してんだ! 今バターなんて買う金ねえよ! 塩で我慢しろ塩で!」
結局、いつもの騒がしい大合唱の中、俺たちの業務改善の一日は幕を閉じた。
誰も暴走せず、城も無事で、賠償金も発生しない。1クールで唯一の、波乱のない日常。
だが、当然ながら、ただの雑用をこなしただけで売上が立つはずもない。
「……なあリリ。結局お前の言う『業務改善』で、なにか改善したか?」
俺がボソッと聞くと、それまでドヤ顔だったリリの動きが、ピタリと止まった。
「……え。あ、あれ? あんなにサクサク、キビキビ働いたのに……改善したの、お茶の温度と、手の清潔さくらいで……」
丸メガネの奥の瞳が、不安げに泳ぎ始める。
「で、利益は?」
「…………ゼロ、です」
「だろうな」
「うわーん! エリートのわたしの完璧な業務改善がぁーっ!」
リリがその場にしゃがみ込んで泣き出した。
本日の収支。
収入:ルシフのポスターの売上(雀の涙ほど)。
支出:夕食の野菜代と、荷物持ちで酷使した俺の背中。
差し引き――ポスター代と野菜代で、見事に相殺。プラスマイナス、ゼロ。
俺の全財産を溶かした元凶のあのポスターが、巡り巡って今日の飯代に化けるとはな。世の中、わからないもんだ。……まあ、今回だけは、あの自己中ナルシストを、ほんの少しだけ許してやるとするか。
*
夜。
隙間風が吹き込む自室で、俺は窓から冷たい秋の月を見上げていた。
「……にしても」
ふと、昼間に西の宿場町で小耳に挟んだ、商人たちの世間話を思い出す。
『西の商会が、あちこちの商売を手広く買い集めてるらしいぜ』
『きれいな水が湧く土地と、水を浄める力を持った連中を、血眼で探してるって噂だ』
あちこちの商売を買い集め、拡大を続ける巨大な商会。
あの村を水浸しにした時に聞いた「気象を操る術師」の影。
そして――きれいな水と、水を浄める力。
ふと、善意が暴走して湖を澄ませすぎ、城ごと水浸しにする、うちの残念な水の精霊の顔が浮かんだ。
「……いや、まさかな」
俺は、ペラペラの薄い毛布を被り直しながら、小さくあくびをした。
「あいつの浄化は、金になる前に城が沈むんだよ」
俺は頭を抱えた。
「水道も止まったうちみたいなボロ会社を、あんな巨大商会がわざわざ買いに来るはずもない」
明日はまた、どうやってこのすっからかんの財布で食いつないでいくかを考えなければならない。
最強の力を持て余した連中との、金のないほのぼのとした日常。
それが明日も、明後日も、ずっと続いていくのだと、俺はこの時まで信じて疑わなかった。




