マオリョー、社員旅行します⑦ 背中を、流させろ
ゼルは竹垣越しのリリの言葉を完全に無視して、再びバシャバシャと湯の奥へ泳ぎ去っていった。
「き、聞きなさいよー! わたしの話を最後まで聞きなさい! 新入社員、あなたからも何とか言ってやってよ!」
「お前の仕切る力がゼロなのが露呈してるだけだろ! 誰も聞いてねえよ!」
俺は天を仰いだ。
「だいたいお前、偉そうに講義してるけど、結局『静かに入れ』って言いたいだけだろ!」
「普通に注意しろ!」
俺が竹垣越しにツッコミを入れていると、同じく女湯の方から、今度は全く別の不穏な会話が聞こえてきた。
「アイシス様、お背中をお流ししますね」
ミィナは静かに微笑んだ。
「ふふっ、アイシス様の美しいお肌が乾燥しないよう、わたしが心を込めてお世話いたします」
「ええ、すべてはアイシス様のために……」
ミィナの、声のトーンを一切変えないまま静かに放たれる、常軌を逸した重い忠誠心。
それに対するアイシスの反応は、冷ややかなものだった。
「……いらないわよ。近づくな、ただでさえこの熱い湯で不快なのに。わらわは氷の魔族よ?」
リリは得意げに鼻を鳴らした。
「温泉なんて微塵も興味なかったのよ、あの自称エリートが無理やり入浴を強要したから仕方なく……」
アイシスが塩対応でピシャリと撥ね付ける。
「ああっ……その素っ気ないお言葉、わたしへの深い愛の裏返しなのですね」
「は?」
「わたしがこれ以上お湯でのぼせないよう、あえて冷たい態度で距離を置こうとしてくださる……アイシス様の不器用な優しさ、わたしの胸に深く、深く沁み渡ります……ふふっ」
「ち、違うわよ! なんでそう勝手に全部ポジティブな解釈に変換するのよ!」
アイシスは冷たく目を細めた。
「単純に暑苦しいからこっちに来るなと言っているの!」
「わらわはお前のその重い世話焼きが苦手なのよ!」
アイシスが顔を真っ赤にして否定しているが、ミィナは「わかっております、ふふっ。照れ隠しですね」と全く聞く耳を持たない。
俺は、男湯の竹垣に寄りかかりながら、その不毛な会話を遠い目をして聞いていた。
「……あいつら、俺がツッコミ入れなくても勝手に話が転がっていくな」
俺は半目になった。
「完全に俺の存在が置いてけぼりじゃねえか」
「俺がいようがいまいが、アイシスは勝手に困惑してるし、ミィナは勝手に自己完結してる」
「……まあ、今日はミィナもアイシスも能力を暴走させて宿を全壊させてないだけ、圧倒的にマシか」
俺が少し離れた男湯の端っこでボヤいていると、今度はすぐ背後から、重厚な声が響いた。
「……ふぅ。良い湯だ」
分厚い湯あみ着姿になったCEOのゼノが、湯船の奥の大きな岩に寄りかかって堂々と腕を組んでいた。
その横では、完璧な従者であるノクテが、一言も発することなく、無言でスッ……とゼノの肩に冷たいタオルを乗せる。
「……うむ。ノクテはこう申しておる」
ゼノが、目を閉じたまま重々しく口を開いた。
「出たよ翻訳詐欺。今度はなんだよ。これ以上俺の財布にダメージを与えるようなことは言わないでくれよ」
俺が警戒して身構えると、ゼノは威厳たっぷりに告げた。
「『新入りよ、我らがCEOの背中を流させよ。さすれば、今後の人事評価も大いに上がろう』……とな」




