マオリョー、新規事業を立ち上げます⑦ 泥の沼が、できた
俺が指差した先では、ミィナが、泥だらけの広場の中央で嬉しそうに両手を組んでいた。
「勇者様、見てください。村の不浄がすべて洗い流されました」
ミィナは静かに微笑んだ。
「これでアイシス様のお名前も、この美しい泥海と共に後世まで語り継がれることでしょう」
「ふふっ」
「語り継がれるのは大災害の記録としてだよ! 慰霊碑が建つレベルの惨状じゃねえか!」
俺は頭を抱えた。
「どこが綺麗になってんだ、完全に泥の沼だろ!」
「お前のその重すぎる愛のせいで村一つ沈んだんだぞ!!」
俺が血の涙を流して叫んでいると、全身泥まみれになったリリが、半泣きで抗議してきた。
「エ、エリートのわたしが、こんな泥だらけの服で……! 完全な労働環境の違反よ!」
リリは目を泳がせた。
「新入社員が欲をかいて『もっと水を出せ』なんて煽るから、ミィナが暴走したんじゃないの!」
「お前がそれを言うなあああ!」
俺は指を突きつけた。
「お前の『あくありうむ』とかいう変なブランド戦略のせいでもあるだろうが!」
「大体、あのルシフのキモいポスターはどうなった!」
「あいつ結局ポスターだけ押し付けてどこ行きやがったんだよ!」
「広告塔どころかただの呪いのアイテムだったじゃねえか!」
「おっちゃん、泥の中から魚出てきたで! これ焼いて食おや!」
ゼルが、泥まみれの魚を掴んで無邪気にはしゃいでいる。
「呑気にサバイバルしてんじゃねえよ! お前の火で焼いたら泥ごと炭になるだけだろ!」
そんな俺たちを、鍬を持った屈強な村人を引き連れた村長が、ぐるりと取り囲んだままだ。
「逃がさんぞ。さっきも言ったが、畑も家も滅茶苦茶だ。被害総額、金貨五十枚は下らん。耳を揃えて弁償してもらうからな!」
「だから手持ちはゼロだって言ってるだろ! 樽代で全財産すっ飛んだんだよ!」
俺が泥だらけの地面に突っ伏して泣き叫んでいた、まさにその時だった。
「――おやおや。なんという大惨事かと思えば、とんでもないお宝が眠っていたようですね」
泥海の向こうから、豪華な馬車から降り立った、身なりの良い初老の男が歩み寄ってきた。
仕立ての良い服。指にはめられた宝石の指輪。どう見てもこの寂れた村には不釣り合いな、裕福な商人だ。
「誰だアンタ!」
俺は声を張り上げた。
「今こっちは人生のどん底の真っ最中で、一生炭鉱送りのカウントダウンが始まってんだよ!」
「ツボでも羽毛布団でも買う金はねえぞ!」
「私は都の商会に所属する商人です。先ほど、あちらの倒壊した塀の陰で、奇跡的に無傷だった『小さな樽』を拾いましてね」
商人は、懐から小さな水筒サイズの樽を取り出した。
「それ……俺が三倍に薄める前に、ミィナが最初に出した、原液の極上水じゃねえか! 奇跡的に残ってたのか!」
「ええ。勝手ながら一口味見させていただいたのですが……驚きました」
「これほどの純度、これほどの魔力を秘めた清水、都の貴族たちでもそうそうお目にかかれません」
「飲んだ瞬間に長年の疲労が吹き飛び、肌のツヤまで良くなりましたよ」
「ま、マジかよ……」
「ええ。これほどの奇跡の水ならば、都の富裕層向けに金貨を積んででも売れます」
「……どうでしょう?」
「この水を定期的に我が商会に大量に卸していただけるなら、今回の村の賠償金は私が全額立て替えましょう」
「さらに、独占契約の手付金として……金貨百枚をお支払いしますが?」
俺と、リリと、村長は。
泥まみれのまま、完全に動きを止めた。
「…………き、きんか」
「ヒャクマイ!?」
「マジで言ってんのかあああああ!? あのただの水が金貨百枚!?」
俺は天を仰いだ。
「こっちの感覚で言やぁ、ざっと一千万円だぞ!? ただの水が、一千万!」
「どんだけボロい商売なんだよ!!」
俺の絶叫が、泥海となった村に木霊した。
だが、次の瞬間、俺の脳裏にある残酷な事実が閃いた。
「……ってことは!?」
俺は半目になった。
「俺が『水で三倍に薄めて量を増やそう』なんてセコい小細工をしなければ、最初からその原液の水だけで大富豪になれてたってことかよ!」
「!」
「……ふふっ。おっしゃる通りですね、勇者様。薄めたせいで不純物が混ざり、価値が下がっていたようです」




