マオリョー、求人募集します③ 福利厚生は、完備(当社比)
「安心して。うちの待遇は手厚いのよ。福利厚生も完備、なんといっても――」
リリは指を一本立て、得意げに発音した。
「リターン・オン・インベストメント、よ」
「…………は?」
「リタァァァン・オン・インヴェスメント!」
「そこだけ無駄に発音いいの、ずるいだろ! 単語の意味わかってんのか!」
「だから、リターン・オン・インベストメントよ。こう……投資が、その……リターンして、最終的にバーンとインベストメントするやつ!」
「お前、今ただ単語を並べ替えて擬音足しただけだろ!」
「と、とにかく、すごくお得なの! 略して、アール・オー・アイ! なんか、必殺技みたいで強そうでしょ?」
「略しても中身がないのは変わらないぞ! ビジネス用語使って有能ぶるのやめろポンコツ!」
ネイティブ発音だけは達者なくせに、肝心の意味は本人がまったく分かっていない。こいつ、絶対に頭が悪い。
「で、結局その投資なんとかは、俺にいくら払ってくれるんだよ」
「ふっ……お金じゃないわ。もっと価値のあるものよ」
「金がいい! 絶対に現金がいい!」
「住む場所と、三食と、そして……やりがいよ」
「やりがいを三食の横に並べて数えるな! ブラック企業のテンプレじゃねえか! 大体、ちゃんと三食出るんだろうな?」
「し、失礼ね! ちゃんと、出るわよ。……たぶん」
「『たぶん』で三食を語るな! 命に関わるぞ!」
だが――「住む場所」と聞いて、俺の心が少しだけ動いた。今の俺は無職で、宿代どころかパンを買う金もない。野宿か、屋根のある廃城か。俺の心の天秤は、すでに就職へと傾き始めていた。
「さあ、ごちゃごちゃ言ってないでサインして」
リリが、墨のかすれた契約書とペンを強引に押しつけてきた。
俺はそのペンを受け取りながら、軸を指でそっとなぞる。ひんやりとして、適度な重み。
(……銀製か? だとしたら、質屋に売れば当面の飯代くらいに――)
ただの、銀色に塗装された木だった。冷たかったのは隙間風のせい。一瞬でも期待してしまった自分が、死ぬほど恥ずかしい。
ともあれ、サイン前に条件交渉だ。どうせ住み込みなら、ふんだくれるものは全部ふんだくっておくべきだ。
「いいか。まず三食、これは絶対条件だ。あと個室、初任給の前借り、城にある備品も自由に使わせてもらうからな。それと――」
「いいわよ」
「……は?」
「ぜーんぶ、いいわよ。そのかわり――」
リリの丸メガネの奥の瞳が、きらりと怪しく光った。
「契約は、今ここで。即決ね。今この瞬間にサインしないなら、この超絶好条件は、ぜんぶ取り下げよ」
「……は? ちょっと待て、いくらなんでも検討くらい――」
「いーち、にーい」
「お前、急にカウントダウン始めるな!」
「さーん!」
俺は猛烈に焦った。盛るだけ盛った好条件が全部パアになる。
「ああもう! 分かった! サインする!」
勢いに任せて、よれよれの羊皮紙に自分の名前を殴り書きした。
「ふっ。交渉成立ね」
リリが、これ以上ないほど勝ち誇ったドヤ顔を見せた。
「よし、じゃあ早速、前借りの金を頼む」
「あ、前借りね。もちろん出すわよ。この城に、お金が入ったらね」
「……入ったら?」
俺の顔からスッと血の気が引いた。
「ええ。マオリョーの再建が成功して、利益が出たら。そのとき、必ず支払うわ」
「それ、いつになるんだよ!」
「さあ? 神のみぞ知る、ってやつね。わたし女神じゃないけど」
やられた。「出す」とは言ったが、「いつ出す」とは一言も言っていなかった。
「……じゃあ、個室は」
「あるわよ。離れの社宅に。めちゃくちゃボロくて雨漏りするけど」
「城の備品は」
「ご自由にどうぞ。まあ、売れそうなろくな物なんて、ひとつも残ってないけどね」
俺が勝ち取ったはずの好条件は、すべて「空手形」だった。
このポンコツ人事、人を乗せて都合のいい契約書にサインさせる手際だけは、腹が立つほど一流だった。




