第94話:勝者、流血を背に
「うわっ!?」
ノイバートの大盾が支えを失い、倒れ込む。ケルベロスが突如として回避行動に変更し、こちらの体勢を崩しにかかったのかと、焦りも交えながら、仲間にも声をかけて急ぎ立ち上がる。
しかし、そんな彼の予想に反し、正面には番犬の姿はなかった。
「!周囲を警戒しろ!何か、まだ未知の能力を隠し持っていたのかもしれな──」
「いや、違う。空を見な」
ノイバート達防御隊はヴィルガの指す方を一斉に見上げる。
「空が…………晴れていく?」
暗闇に支配されていた空が、霧が晴れる様に消えていく。ノイズだらけの不安定な黄昏色の空ですらも、先程までと比べたら開放的で、不思議と美しく思えた。
毒されたかと冷静になった時にはそう考えたくなる感想だが、残りの番犬を使徒が倒れるまで船に近寄らせずに対処しなければならなかった彼等には、戦いの終わりを告げる光景に対して、その感想を抱くのも仕方のないものだった。
「勝った、勝ったんだ!!」
「使徒を倒したんだ!!使徒に勝ったんだ!!」
歓声が上がる、安堵しながら尻餅をつく者、拳を突き上げる者、反応はそれぞれだったが、確かに皆が勝利に喜んでいた。
その中でアダムもまたその吉報を感じて、無言で武器を下ろす。仏頂面は変わらないまま、黙って空を見上げる。
「……」
「んだよ、嬉しくないのかい?」
「ヴィルガか。いや、勝利したのならば、私はその結果には満足している」
「結果には、ね?何か、気がかりな事があるのかい?」
「使徒に関しては特にはない、この空がそれを証明している。だが、使徒との戦いを終わらせる者が誰なのか、それを考えた」
「あーそれはな。多分、予想通りだろうけどよ。心配なのか?」
「私とて腐ってはいるが、大人の身分としてはな──」
恐らく、勇者が使徒を倒したであろう事、それについて思いを馳せていた。
*
「……──」
ギュンターの死体の前で、葵はしばらく片膝をついていた。身体の痛みと疲労で動けなかったのも理由の1つではあるが、見た目からして人間と言える存在を殺し、その死体をゆっくり見る時間が与えられたのは今回で初めてだったのが大きい。まじまじと見るものでもなければ、見たいものでもない、視線が逸れてくれないだけだ。
(本当に死んでしまったんだ)
自分の手で殺した後だというのに、最初の感想はそれだった。しかし、そこからは止めどない。
(結局、俺は破壊でしかこの道を示せないのだろうか。いや、対話が可能か否かなんて集落をわざわざ狙って襲ってきた時点でありえない。そうだ、そもそもあの善性があったとて一緒に過ごした罪のない人を肉片にして、挙げ句腐敗させて、生け贄にするなんて事が出来てる時点で正常ではなくなってた。もうきっと止まれなかった、降伏勧告こそ出来ても止まれなかった。こんな時に、対話?相手は相手の理論で殺しに来るのに、平和的に?そうだ、無理だ。無理だったんだ。出来るならば、こうはならなかった……)
考えるほどに仕方ないとしか言いようがなくなる上に、全ては事実だ。今この瞬間だからこそ、それを羅列して心の防衛をしているのだろう。
それでも、死んで当たり前だという思考は彼には出来ないのだ。そう思える方がいっそ楽だったのかもしれないが、彼はそうではない。声も顔も、どんな性格かも知っていて、1人の生きていた人間と理解している以上は、人殺しをしたという事実が上回る。
「勇者様……?」
外が静かになったからか、民間人が顔を出す。その中には当然集落から避難してきた者達の姿も。つまり、ギュンターと面識のある人達もいるという事だ。この光景を見た時、少なからずショックを受けることは間違いない。そうでなくとも、魔王の存在についても漠然としていた人々にとって、この光景はどれほど異常に見えるか。
彼等の精神的な負担を減らす為に、ギュンターの遺体が見えない様に隠しながら立ち上がる。
「──皆さん、使徒を……使徒を倒しました。もう大丈夫です」
それでもなお、異様な気配に彼等は上手く言葉に出来ず、静寂が場を支配する。というよりも、この静寂自体が先程までの殺気に満ちた状況からの反動で、異様になっているのだ。
まだ、それが実は嵐の前の静けさの様なもので、安心して出てきた所を捕食してくるのではないかという不安が皆の中にはあった。当の葵が自身の傷による出血と返り血に塗れているのだから、尚更だろう。
しかし、その静寂を割いた者がいた。
「勇者様!」
2人の子供が葵の方に駆け寄って来たのだ。2人の側に居た大人が呼び止めようとするが、それより先に葵の元に彼等は辿り着く。
「お兄さ……じゃなくて、勇者様!えっとね、守ってくれてありがとう!」
「すっげぇ格好良かったよ!!」
葵は、間違いなく2人の、それよりも多くの正義の立場だ。ましてや、先にした宣言による地球への帰還を約束した勇者としての正義を果たした後なのだ。この先が見えない、分からない敵と戦わなければいけない。戦えないから、その影にだけ怯え続ける。そんな日々の中で、初めて目の前で使徒を倒す様子が見えたのだ。
子供達は純粋だった。ボロボロの姿の葵は本当は怖いかもしれないが、すごい事をしたのだと心から感じているのだ。
「……」
しゃがんだ葵は視界を遮る様に2人を抱きしめた。彼等の目に見えるものは、地球の為に強敵と戦った人間の姿だけで良い。その背後にある現実によって、労ってくれる彼等の優しさが、御伽噺の外の世界で濁され、曇らされる必要は全くないのだから。
「礼には及ばないよ。君達を……皆を守れた、それ自体が俺にとって誇りなんだから」
よくある言い回しかもしれないが、そうとしか言えなかった。自分の中で何かを殺す度にそのショックは受けるが、同時にそうする事で救われる者が多くいるという事実が必ず追いついている。人魚の街の時もそうだった。人魚達からの感謝と、知り合った人達が生きてそこに居たこと、それで葵は確かに実感出来た。
子供達の背中を優しく撫でさする彼を見て、隠れて見ていた民間人も続々と姿を見せ始める。
「勇者様……勇者様、ありがとう!!」
「勇者様!!助かりました、とても勇敢でしたよ!!」
彼等は状況が恐らくよく分かっている。だから、葵の背後の状況も理解しているはずだが、子供達の為だけではなく、目の前の脅威を取り払ってくれた事への感謝の気持ちがまず先に来ているのだ。それに加えて、自分達を確実に、ただ殺しに来る事だけは間違いない存在を目の前で撃破した、クライルの時と違って目の前で。それは皆にとっても大きな印象の違いがあった。
彼等の目に、異常な強さの異常な存在を倒す為の、象徴としての勇者の存在はより強まる。
「俺だけの力じゃありません。皆はもっと危険な思いをして、ここを守ってくれた。その言葉を皆にも届けて下さい。皆もきっと報われます」
しかし、これも伝えておかねば落ち着かない。謙遜ではなく、紛れもない本音だから。彼には考えがあったとはいえ、彼が不在の間を支えてくれた人々、そして番犬達を相手に支えてくれた人々、皆の活躍があったからここまで戦えた。それと比べれば、自分はトドメを刺しただけといっても過言ではないと考えている。流石にそこまでいくと事実が混じっていても、謙遜の域ではあるかもしれないが。
「それに、皆様もこの苦しい中よく頑張ってくれました。精神的な負担はとても大きかった事でしょう。エレン艦長からの正式な指示が出るまで、少し休んでください。居住区も複数あります。少し皆さんに窮屈な思いをさせるかもしれませんが、そちらに一旦移動しましょう」
そうして、皆の目に遺体が入らない様に誘導する。皆が少しでも混乱してしまわない様に、地球での当たり前の平和の記憶が少しでも持続する様に。奈落が展開されていた時に、外の光景を見ていたとはいえ、それで増幅されていた不安にわざわざ刺激を与える理由もないのだから。
(身体、あっちこっち痛いといえば痛いけれど。歩くのも、喋るのも前より平気になった気がする)
案内しながら頭の中でふと思う。今回は棺の中での回復を挟んだ影響か、あるいは前回の戦いよりも痛みに鈍くなったのか。そのどちらであったとしても、これからの戦いもそうであるならば有利になる。この世界への適応が進んだ証にもなる。
だが──
(勝って、生き残った者だから感じられるはずの痛みが、鈍くなるのは……少なくとも俺にとって、本当に良い事なのだろうか)
クライルの時の様に、葵が涙を流す事はなかった。勝つ自信があったというわけでもなければ、負けるつもりもなかった以上、こうなる事はもう、知っていたことだから。
なにより、自分自身で手にかけると決めていた相手。道は1つで、その命を糧に進む事はもう決められていた。ギュンターもまた、死ぬ覚悟をしていなかったわけではないのだろうから、謝罪など出来るはずもない。
だから、横目で一度だけギュンターの遺体を見て、前に歩き出す。
*
「ギュンターが死んだ」
魔王からの報せ。各使徒の生死に関しては繋がりを持つ邪神がリアルタイムで把握しており、死亡した時にそれを直に知らされる魔王から出てきた言葉は、推定ではなく確定した事象なのだった。
使徒達の中で、連理がやはり1番戸惑いを見せた。
「っ、そん、な……」
「どうか、お気を確かに。レンリ様。魔王様の御前ですぞ」
「トムス、構わぬ」
翼の事を可愛がり、大切にしてくれていた人、自分自身も妹の様に接してくれた人で、連理にとっては恩人だった。それでも、クライルが死んだ時からこんな日が来るかもしれない事も分かっていた。少なくとも、こちらの勢力が勝っても全員揃ってなんて、有り得ないこと。
だが、家族がまた1人欠けたような気持ちになって胸を痛める。自分は、何も出来なかったのだと。最早、あの穏やかな記憶を持つのは自分だけになってしまった。憎しみとかよりも先に、喪失感で混乱する。
「ま、魔王様!ギュンターさんは、何で、負けたのでしょうか!」
「彼の意思は不安定だった。怒り、喪失感、自罰感、他責への逃避、バラバラの感情はどれも揺さぶられるとひどく脆い。その隙を突かれたのだろう。あるいは、彼自身の奥底にある疲れの方か」
「疲れ──」
「自分は何をやってるのだろう、何をやっても帰ってこないのに。なら、もう止まるわけにはいかない。この思考を繰り返し続け、彼は疲れ果てていた。故に、自分の罰も待っていたのかもしれない、彼の望む最大の罰を……そう考えたら、彼の願いは叶ったのかもしれぬな」
「そ、そんな……だからって、あの人が、あんな勇者なんかに負ける、はずが」
「心の隙は戦いにおける大きな隙。知っているはずだ。レンリ、貴殿はその勇者なんかに、何故負けたか覚えているだろう?」
「それは……はい」
危うさについて聞き、それがまるで自分自身にも突きつけられたように連理は重く感じていた。かつて考えていた勇者に対する憎悪の正しさという物が証明されたのに、自分が破滅の道を進んでしまっている事の恐怖感を覚えていたのだ。その恐怖と、贄の道を踏んだ先に翼とまた会えるのかどうかすら、恐怖している弱さがあった。事実としてそれが露呈したから敗北を喫した。
その際に、勇者が人間である事を逆に知った、弱さも悩みもある事も本当は分かっている。翼を殺した勇者の姿と、ギュンターやクライルを殺せる勇者像が一致しないから。不気味な生き物に変わりつつあるのだ。
「クライル、ギュンター、我々は同胞を続いて失った。残るは、我が従僕トムス、ベルタ、ゼーベルア、レンリ。僅か4名だ」
加えるならば、現在この場に居るのはその内の半数。ゼーベルアは葵との遭遇後、魔王の前に姿を現してはいない。
「こうなっては、貴殿等は不安にもなろう、敵に恐怖も抱こう、明日は我が身なのではないかと、思う事もあるやもしれん。そうである事を私は否定しない、そうした情動を完全に排する事が出来るのならば、今私の前になどいないのだろうから」
ギュンターが出た後、言葉をかけてくれた時同様に魔王は寛容だった。彼等の望む言葉、精神的なフォローを定期的に行う彼は、魔王というには甘い人間に思える。
「次なる戦いに向かう使徒は既に決まっている。故に、君達にはいつも通りに魂の収集に努めてもらいたい。我等が主はいつでも空腹でな」
しかし──
「その我等が主も、貴殿等を見守っている。故に、今回の件に関して賜った言葉がある。私の口から伝えさせてもらおう」
その瞬間、電気でも走ったのか、あるいは物理的に凍り付いたのかと思う程に、ピリついた緊張感が場を支配した。魔王の側で仕えてきたトムスですらそれを感じ取らずにはいられない程に。
「不甲斐ないぞ、我が僕達」
その一言が、この場にいない使徒達も含めて多大なる重圧をかける。立っていられない、首を必ず垂れる。忠誠を誓え、それを行動で示せ、彼等の中に刻まれた生物的な生存欲求はそう感じ、すぐに実行に移す。
喪に服すための静かな時間だけが流れていた中で、魔王もまた同胞の死を同様に確かに悲しんでいたはずだった。だが、改めて理解させられる。邪神に魔王という役割を託された者もまた、邪神同様に、常に最終目標を見ているのだと。使徒達の立場と目的と、その為にしてきた事を思えば、当たり前の話かもしれないが。
「勇者に臆するか?貴殿等の執念はその程度か?我等の悲願の達成に至るまでの道に積まれる贄の量を振り返れ、まだ中途。腹を満たすには程遠い。しかし、それでもこの道を捨てると言うならば、それも好きにするが良い。それを選ぶのならば、最後には贄になるのみ。路傍の石に過ぎなかったまでのこと」
魔王の赤い瞳が描く表情は、彼があくまでメッセンジャーではない事を思わせる。
使徒はただ言葉を聞くしか出来ない、何か口にしようものならば、開いた口から魂ごと引き抜かれてしまいそうな有無を言わせない様子は、魔王は本当に人間ではないのだろうと、そう思わせる。
「だが、その執念を、祈りを、激情を、我が目に証明したければ超えよ、己を、星の子等の橋を駆け、その先で我が元まで届かん事を──」
言い終えた魔王は、指を組み替えながら微笑を浮かべる。それでも決して空気は軽くはならない。
「そういう事だ。故、よく理解して頂きたい。我等が主も私も、期待をしているということを。そう、いつでも見守っているぞ」
返事を期待してのものではなかったことだけが幸いだと言えるだろう。今の連理は床に落ちた冷や汗をただ見ている事しか出来ないのだから。
邪神というものの気配は確かにある。そういう存在がいる事も分かっている。だが、その存在の輪郭が見えないまま、恐怖心のみが支配するこの感覚だけは彼女達も慣れることはない、あくまで人間だからか。
*
玉座の間から解放された連理の足取りは重かった。外から見える光景も灰一色。時の止まった城は、彼女の心に寄り添う方法は知らない。彼女もまた寄り添う事を期待はしていない。
(私は、私は、翼を殺された怒りも、翼を思う気持ちも本物で、それなら負けないと思ってた。実際、その気持ちだけは誰にも負けない。その強い気持ちがこの世界では力になるというのならば、ならもっと何においても誰にも負ける理由などないと思ってた。けど──)
ギュンターと方向性自体は似ていた連理は負け、ギュンターは死亡。どちらも気持ちで負けるつもりはないと思っていたはずだが、連理のその理論は結果という事実で破綻させられる。
自分を立たせていたもの、ここに至るまでの行いを支えていたものも、どれもが崩壊していく。頭が冷えてしまったのだろうか、彼女からすれば怒るべき時が今なのかもしれないが、そうなれない。焦りばかりで頭が回らない。
(翼にもう一度会えるのなら、それで良かったはずなのに)
「顔色が悪い」
最初からそこにいたかの様に声をかけてきた相手に、思わず心器を展開して飛び退く。
「……誰かと思ったら、アンタね」
だが、敵ではないという事がすぐに分かり、恥を隠す様に息を吐く。そもそもが魔王もいる状況下で彼を欺き、彼に気付かれずに、誰かが簡単にこの城に侵入出来る方法があるはずもない。
「デアンタ・ベルタ──」
「わたしは、まだ貴方の返答を聞いていない」
「別に……アンタの方こそ、アンタが寝てる間に仲間が2人もやられたわよ。クライル、ギュンター、どっちも勇者にね」
「問題ない。わたしの目的に支障はない」
ギュンターを失った悔しさがまだ新しい間に、それに対して機械的な返事をされた事に思わず眉を寄せたが、その怒りを仲間にぶつけても意味がないと、首を横に振って横を通り過ぎる。
「ま、誰が倒れようが、生きてようがブレないのはアンタの強みね。アンタの番が来たら精々頑張ることね」
連理がそう言い残し、彼女の背を見送ってからベルタは自分の胸に手を当てる。
「誰が倒れても、生きていても……」
目を閉じる。それ以上の表情の変化はないが、それでも先程とは全く違う、明確に感情を込めている動作だった。
「──いいえ」
デアンタ・ベルタは少女であり、使徒だ。




