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永劫の勇者  作者: 竹羽あづま
第4部オルフェウスの挽歌
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第93話:いつか星に還り、ボクと帰ろう

「っ、う……ぅぐっ」


 全身が痛い、どう痛いのかすらまだ分かっていない程度には。切れた頭からは血が流れ、重い打撃を受けた身体はブラウスの隙間から青く変色しているのが見える。使徒の渾身の一撃を受け、挙げ句、船内に落下した衝撃で葵の意識はまだ曖昧だ。


「こ、こは──」


 視界もまだ微かに霞んでいるが、意識がゆっくりと回復すると共に周囲の音を耳が拾う。人だ、人の声がしているのだ。


(ひとの、声?まぁ……人がいっぱい乗ってる船、なんだもんな……)


 ぼんやりとした頭でそんな呑気なことを考えていた。働かない状態の頭が自動的に最低限の状況把握をしようとしているのかもしれないが、それよりも彼の意識をすぐに急浮上させるものが目の前にあった。


「っぐ、ゆ、うしゃ……!!」


 血の塊を吐き出し、葵同様血濡れになり、足と棺を引きずりながら向かってくる使徒の姿が視界に入った。

 そこで同時に周囲の声がよく聞こえた。


「な、な、なんだ!?」

「上から、勇者様と、使徒!?あれが言われていた使徒なんだよな!?なんでこんなところに……!?」

「こ、怖いよぉ、ママ……」

「大丈夫、私と勇者様が守るからね」


 最悪な事にも民間人の居住区に落ちたらしい。巻き込まれて怪我人が出たわけではないのは幸いだったが、彼等が巻き込まれては意味がない。彼等が戦いに巻き込まれず、彼等が無事に過ごせるように、戦う力を持たない人々を守る為に作られたはずの船でもしもがあってはならない。

 ましてや勇者が背にしているのだから。


「使徒!!!」


 身体の痛みを無視して刀を片手に瓦礫から飛び降り、彼の前に立ち塞がるように武器を構え、掠れそうな喉に発破をかけて声を出す。

 あえて自分にだけ意識を向ける様にするため。ここに至るまでに、一般人を巻き込む事に躊躇いのなかった相手では少しの判断ミスが致命的な事態を招きかねない。


「勇者葵は、ここだ!!お前の目標の前にチラつく強敵がここにいるぞ!!」

「っは、はは!分かっている……ああ、分かってるとも。タキザワ、アオイ。勇者、勇者だ。お前さえいなければ、勇者がいなければ、この道はまだ続けられる」


 この道を続けられる。彼の心器は彼よりも先に答えを出していた。その道は歪で、不安定で、とても行けるものではない。それがいずれ落ちる物と分かりながら彼はそこを行こうとする。

 だから、満身創痍でも葵に棺を振り回しにくる。先程までの力はなくとも、今のボロボロの葵には十分以上の威力だ。回避しなければ更に身体の自由は効かなくなる。転移を使う余力はあるが──


(俺が回避に徹すると皆に被害が広がる……!!)


 瓦礫が巻き上げられれば奥の民間人達に被害が及ぶ。回避ではなく、自分から突進。先に刃を放ち、勢いを少しでも殺し、向きを調整する。だが、それはつまり葵自身は防御するしか出来ないという事。


「か、ぁっ……!!」


 そのまま葵の身体は壁に容赦なく叩きつけられ、息が詰まる。防護を張る事も出来なければ、仮に出来る状態だったのだとしても間に合わないタイミングだった。

 その様子を見た民間人から悲鳴があがる。目の前で血まみれの人間がいる事、それが武器を手に相手に振るっている事、希望の象徴が傷だらけになっている事。彼等もこんな闘いが繰り広げられているということを知らなかったわけではないが、いざ直面するとそのどれもが彼等にはあまりに刺激が強い。


「ゆ、ゆ勇者様!!きゃあぁぁぁ!!」

「勇者様!!」


 皆の悲鳴の中、使徒は容赦なく追撃を加えにいく。葵はまだ壁の側でうずくまっている状態、使徒にとっても好奇。彼を行動不能にせずとも、船内に入っている今ならば、彼が死亡している間にノアの勢力に打撃はいくらでも与えられる。

 しかし、そうと分かっている葵はそうさせない。


「ぐおぉぁっ!?」


 次の攻撃姿勢に入られる前に転移で彼の首を足で完全に挟み込みにいく。


「ぐ、がはぁ、あ゛、あ゛ッ……!!」


 ギリ、ギリと力を込める。肉体の強化が施された使徒であったとしても、首を絞められても耐えられる身体になるわけではない。完全に窒息死するまで、あるいは骨が折れるまでの時間が違うぐらいだ。それを分かってか念入りに、しかし殺さない程度の判断を鈍らせるぐらいの加減で力を込めていた。


「っらあぁぁ!!!」


 しかし、窒息感に使徒は呻きながらも、葵の片足を掴み放り投げる。ただ拘束状態を解く為の一撃には攻撃性が足りず、宙で体勢を整えた葵は、また使徒と向き合う姿勢に戻る。

 葵は刀を突き出しながら、使徒の放った言葉を反芻していた。裁き、この道を続けられる、その言葉は本音ではあるかもしれないが、これまでの使徒の様な願いに対する執念は感じられない。彼の願いそのものもに靄がかかっているのだ。


(連理は翼君と飛びたかった、だからこそ俺を心から許せなかった。クライルは姉さんが……欲しかった、死ぬ直前まで言い続ける程に。でも、ギュンターは──)


 彼の中にあるのは復讐と言えるかもしれないが、人の手によって起こされてしまった悲劇、残された者の行き場のない激情と苦しみ、それに理屈をつけて振りかざすしかなくなっている様子だ。心器を得られる程に募った不条理に対する怒り、恨みは本物なのかもしれないが、彼の能力は爆発的なものではなく、罪と罰へのこだわりがある。彼は今も使徒になる前の自分が半端に居座っている。

 それが、余裕がなくなる事で戦いにも影響が出ている。これまでの彼の動きと比較すれば、明らかに精細を欠いている。肩でしている息、片腕の欠損による出血、自分も道連れにした打撃と落下、そのどれもが限界を示している。それでもまだこの道を続けたいと言う。


(勇者さえ再起不能に出来れば、そうだ、それさえ出来れば問題ない。片腕だけでも動けば、足がもがれようが、もう片目も潰されようが、戦える……!!)


 呼吸の代わりに口から溢れ出る血の泡。彼自身もその限界を理解していたが、それすらもだから何だ?と言わんばかりに止まる気配はない。邪神の言った様に天秤を傾かせる為の執念に、痛みは阻害にはならない。

 そして、使徒は手元の鎖を引き、葵を今度こそ再起不能にしようと──


「っ!?」


 棺がついてこない、鎖の締まり方が緩い。何かが引っかかっている感覚に驚きながら、自身の手の甲に視線を向ける。葵が放った刃の内の1つが手の甲と鎖の間を通ってそこに滞在していたのだ。浮いた分だけ手の平からも浮いてしまい、棺を引く際に必要とされる力が変わる。


「いまだああぁぁぁぁ!!!!」

(防御、くっ……間に合わない!!)


 そして、その一瞬を利用して葵は接近、刺突。民間人の集まる場所から廊下の方に押し出す様に。

 葵の顔を掴んで攻撃を未遂に終わらせようとするも、手を伸ばすだけに留まり、刀が使徒の肩を貫きながら廊下の壁に激突する。


「あ゛、ぅぐおおおぉぉっっ!!」


 呻き、あるいは慟哭を口にしながら、使徒は目の前の勇者という障害に対する怒りを強める。霞む、霞む、何もかもが正確に映せなくなる。過去を見続ける瞳は更に霞んでいく。彼の恨んだ世界というものの象徴、それの代表の様な存在である目の前の少年への怒りで。

 それでも、肩を貫かれてる影響で棺をうまくこちらに引き寄せられない。心器による攻撃が出来ない。最適の武器であるはずの物がひどく重い。それだけ焦りで心が乱れてる証だ。


「ぁっ!?ぐ──」


 棺を引き寄せられず、動かせばより自分から抉られにいく様な状態でも、腕を動かして葵の首を掴み、力を入れる。先程の仕返しの様に。


「っ勇者!!なんの権利があって、どういうつもりで、どの立場で、邪魔をする!!ただ大人しく、起きた事をただ無力さを受け入れ、嘆いて、世界から静かにディーケ達が忘れられていく事すらも、受け入れろというのか!!ディーケも、我が子も、お前達の世界の一部じゃないというのか!!それなら、世界を、人々を傷つけてでも!!それを忘れさせやしない!!忘れようとする事を許さない、決して!!何も戻らないのならば、誓いすらも守れなかったのだから!!せめて!!」


 理屈でもなければ、相手に同意を求めるものでもなく、ただ痛みすらもそのエネルギーに変える様に激情をぶつけている。

 皆の太陽となる為の正義に戻る事も出来ず、喪失と共に太陽に対しても強い不信感を抱いてしまい、彼を形作っていた物に生じたヒビからは、止めどなく耐え切れなかった感情が汚泥の様に溢れて止まらない。


 そのヒビから溢れる際に生じる苦しみと、ヒビを閉じようと未だ足掻く理性の痛みは、目の前の勇者さえいなければ少しは和らぐはずだと思っている。思わなければ、行き場がなかった。


「は、ぅぐ……が……!」


 何かを言おうと葵の口が動くが、込められた力は決して甘くはない。鼓動が速くなり、頭痛がし始める、目一杯開けた口から得られる物がない。陸で溺死しそうになっている。

 力が抜けたのか、葵の心器が維持出来ずに消滅する。肩の自由が戻った使徒はこれが大きなチャンスだと考えた。


「なにっ!?」


 考えていたが、葵の刀は彼の手元に再展開され、逆手で持っていた。その切先は使徒の手を含んだ首元。


(伝えられないなら、喉が塞がってるなら、穴をあけてでも伝えないといけないじゃないか)


 ここで意識を刈り取られるわけにはいかなかった。その間に民間人がまず殺されかねない。そして、伝えなければ、彼に理解してもらわねばならない事がある。

 そうして、その刀は遠慮なく使徒の手を貫通して自分の喉に穴を開ける。


「づあぁっ!?く、その、執念は、なんだ!!」


 それでも締め上げる手は止まらないが、先程よりも力が弱く、葵はようやく数殿呼吸が出来た。そして、同時に口を開く。


「死者にはどんな罰を与える?」


 葵のその問いかけに思わず手を止める。その質問に対してというよりも、突如として投げかけられた問いかけが、この場において妙に異質に思えたから。


「は、あ──?」

「貴方にとって、最大の罰は死。死を与える事。罪悪感に苛まれながら、死に至る事。それが貴方の理想。罪を実感してから死ぬことなんだ」


 暗に、それは使徒自身もそうなのだろうと指す様な言葉選び。だが、そんな分かりきった事がなんだというのか。訝しむ様な目で見てくる相手に、葵は言葉を続ける。


「でも、貴方は知らず罰を与えている。いや、目を閉じて、見ないふりをしている」

「は、くはっ!!変わった命乞いだな!」


 乾いた笑いを浮かべる使徒の顔を見た葵は、まだ分かっていない、分かっていないふりをし続ける彼に怒りを感じていた。それをぶつける様に、理解させる様に、彼の胸ぐらを逆に掴み上げる。


「命乞い!?命乞いだと!?死んだからこそ、この世界では死ねないだけの勇者によく言うものだ!!俺は死んだ人間だ、それは貴方の能力が証明している!!」

「──」


 生者に罪悪感、その分だけの身体に対する過負荷。この奈落という広範囲のルールですら、葵はすり抜けた。外と中も行き来出来てしまった。彼が生者ではないことは、皮肉にも使徒自身で証明出来てしまっているのだ。


「貴方は、死人にまで貴方の法をついに使った!貴方自身の私刑によって!!これがどれだけ貴方にとって皮肉な結果なのか、分かっていないのか!!」

「なに、を」

「邪神は、魂の行き先として、死後人の魂を食らい、供物にする。貴方達の、知ってる通り」

「……」

「それは、大昔に飛来した生物で、地球に根付いて、死者の魂を横取りする…………なら、貴方はもう、分かるでしょう!貴方の、奥様も貴方が贄として送った人の魂の様に、奴は適当に喰らう。ただの、餌として!」

「っ!!!!」

「貴方はこれまでに多くの奥様と、お子さんの様な人々をそうして供物にした。死後、その魂は、どうなる?各々の信じる巡り方、あるいは裁きすら受けられないまま、喰われて、その苦痛と悲しみだけが残骸としてこの世界の燃料の一部になってる……分かりますか?」


 知っている事だ、この世界がどんな場所か、分かっていたはずだった。だが、耳も、目も、全て縫い付けていた。その縫い目を解かれたら、自分のやってきた事を理解してしまうから。だが、その縫い目を無理やり引き裂き、葵は聞かせる。鼓膜が破れているなら骨に響かせてでも、見えないのならば目玉を作って入れてでも、認識させなければならない。そうでなければ、彼にとっての真の勝利はない。

 それ以上に、葵はそんな彼に腹が立っていた。心の底から腹が立っていた。彼の感傷から家を壊さないでほしいと願った彼が、妻との思い出を少し悲しげに、優しい顔で語っていた彼が、集落の人々と交流していた彼が、話せば届きそうな所にいるはずの彼が分かっていなかった事に。


「貴方は、貴方の奥様やお子さんの死後を、魂を悲惨な物に変えた存在の方をこそ信じて、盲目的になっているんです!!その真実から逃げる為の自傷行為として殺された人々のそれも、貴方は罰だとか言って……ッ誤魔化すのか!!貴方にとって、死んでほしくなかった人達も、それじゃあ、罰を受けるべきだったと言うのか!?」


 考えた事はあった。でも、罪に相応しい末路だと思う事にして、耳を塞いでいた。全ては、こちらが勝てばどうなとも出来ると思っていたから。

 だが、死後の人間がどうなるか、実在するか分からない魂という物がどうなるか、それを身近に感じられるこの世界において、邪神こそが、彼に新たな不条理を突き付けている事に気付かされる。


(でも、それすらも振り切って、今ここにいて、邪神だけが希望を、与えて。道を、示して──)


 そんな時ふと、過去もまともに直視出来なかった瞳が、今の光景を捉えた。


「お、俺ら、死ぬのかな」

「怖いよぉ……」

「勇者様が守ってくれるんだ、そうだ……!」

「勇者様、お願いします……!」


 今抱いている恐怖感や不安を直接口にする人々は、不安そうに腹を庇いながらこちらを見つめていたディーケと被って見える。そんな彼等を庇う様に前に出ている葵が、刀を突きつける葵が、正義を信じてやまなかったかつての自分の姿と、正義を信じていた時と同じ重なって見えた。

 今、あの悪夢を生み出した男の側は、自分だ。自分だったのだと知る。銃を突きつけながら、錯乱している男の姿。そのまんま、それが自分と重なる。


「俺は、貴方が今憎んでいる俺は、死人だ。もう死んでいるんだ。死は、覆せない。それでも、俺は、死んだ。受験にも参加出来ず、高校卒業も経験しないまま、ここにいる」

「……」

「貴方も、覆せない事をよく知ってる。そして、死者を悼む気持ちも、墓を荒らしたくない気持ちも、まだ残ってるから、この奈落に死者は囚われない……俺が、そうである様に」

「…………」

「認めたくないかもしれないけれど、そうなんだ。だから、どうか、哀れな魂達の為に、邪神に喰われてしまう死という惨劇の為に、どうか、どうか、蘇りを願うことが出来ない貴方だからこそせめて、奥様達の死をちゃんと悼んであげてよ──」


 ギュンターは悔しかった、彼女を照らす太陽になれなかった事。ギュンターは悔しかった、彼女と我が子の未来が奪わる事を止められなかった事が。ギュンターは悔しかった、未来を奪った者にはまだ未来が残っている事が。ギュンターは悔しかった、残された自分の中でディーケが亡くなる瞬間を思い出す事に怯えていた事が。ギュンターは悔しかった、自分の弱さに、弱さによってディーケを、我が子を、いつからか蔑ろにしてしまっていた事。


 何も知らないくせにと、子供の様に叫ぶ事すら出来ず、葵の肩越しに見えた民間人の少女と目が合う。集落から避難してきた少女だった。そして、怯えながらも、不安そうな顔をしながらも、その少女の心を支える様に手を強く握っている少年の姿が目に入った。

 彼等は異世界という道の場所で迷子になっている、邪神によって。そんな彼等にとっての、いつかのギュンターにとっての警官の様な存在は、ギュンターの夢見た沢山の人々の希望は、目の前の勇者だったのだと、理解する。


 理解して、口元だけが笑みを描いて、自分の開けた大穴から天を仰ぐ。暗い空だ、ギュンターの心の中を表す様な色だ。


「……ああ」


 振り返り続けた男の握っている手に、妻はいない。この詩人は、悲しい顔をして冥府の暗闇に帰されてしまう妻の顔すらも、直視出来なかった。1人で地上に帰る事すらないまま、彼女と歩いた道を、彼女のいた名残を掻き集めていたかったから。

 だが、この空の下にすら、見えない天国にすら、どこにも彼女はいない。我が子もいない。ここにいる神は、邪神に咀嚼されたのだから。


 葵の首にかけていた手を下ろし、小さく肩を揺らす。ようやく今になって、過去を見る瞳が、過去を直視して、その証を涙として出力した。

 葵は、彼の涙に対して怒ることはない、怒れるはずもない。ただ悲しい、ただ納得出来ない、ただ腹立たしくて、ただ寂しい。その感情は仕方がなくて、その感情を抱く自体は、自然なものである事を彼も知っているから。


「タキザワ、アオイ君」

「……はい」

「ボクの、負けだ」


 ギュンターの心器が姿を消す。この瞬間を待っていた、こうなる事を期待していた、仲間もこれで楽になると分かっているはずなのに、敗北宣言を受けた葵の引き結ばれた口は微かに震えていた。彼と長い時間共に過ごしたわけでも、友情を感じていたわけでもなかったが、1人の、生身の人間の無念を理解したから。人を殺し、踏み台に出来るようまでなった人間が、狂気のまま終わらず、人であるのだと見せてきたのだから。現代で生きてきた少年にとって、この瞬間に振るう刃はひどく重たいのだ。

 この顔が見えるのは、ギュンターだけ。他の人に見えなくて良かったと葵は心の底から思っていた。これは勇者としての顔ではなく、弱い少年としての感傷がそうさせるのだから。


「ギュンターさん」

「ああ」

「別荘で俺の怪我を、身体を気遣ってくれて、ありがとうございました」

「はは……そこは、責めるところだろうに」


 ギュンターが顎で促し、葵も頷く。幕を閉じる時が来たのだ。葵もその心の準備は出来ている、状況こそ違えど、既に葵も多くの命を奪ってきたのだから。歩みを止めないと、決めたのだから。


──ディーケ


 故に、せめて苦しめない様にと、その心臓に向けて刀を突き立てた。


──叶うならば、いつか、いつの日か、ボクを叱っておくれ


 奈落に落ちた空が晴れ、代わりに雨が降り注いだ。

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