第123話:ただ助けたくて
魚人達が突如として光と共に姿が掻き消えたのは、召喚阻止の為の結界を葵が完成させ、少し経ってからのことだった。
ギュンターの能力で生成した武器も棺桶も何度も壊され、どれだけの数を斬り伏せたのかすら分からないほど。誰の血なのかも分からない程に手元が血濡れになり、重くなった手でも武器を振るい続けるしかなかった。脅威である為に、相手にとってコイツを倒さねば他の任務も出来ないと思わせる為に。
互いに消耗する中、その終わりは閃光と共に突然訪れた。
「うわぁ!?」
相手の爪による攻撃を事前に潰す為に、腕に向けて体重をかけて刀を振り下ろした直後に発生した影響で、バランスを崩した葵は前のめりに転ぶ。閃光に対する防御反応として咄嗟に目を閉じたのもあって、つまずいて膝をぶつけてしまうが、その少し気の抜けた痛みにようやく事態を飲み込む。
「魚人が、いなくなってる……」
「肯定、退散の術が完成した」
「そ、そうか……なんとかなったんだ……」
彼等を信用していなかったわけでもなければ、出来ないと踏んでいたわけでもない。だが、変身の術の詠唱の確認をした際のミゲルの様子を見ていても、皆が確実に術を使えるとは限らない可能性を考えていたから、その不確定要素に不安を覚えていた。
それも杞憂だったらしいと分かり、魚人との攻防は一旦は終息に向かった事実に、避難所の彼等と同じ様に葵も息を吐き出した。
(これで終わったわけではない、この脅威がどこで再来するか分からない。ここに留まれない事の証明、ここの脆弱性が発見されたのが今回だ……)
「心配、立てない?」
「いや、大丈夫。君こそ怪我はない?疲れたりは?」
「回答、問題ない。わたしは頑丈」
「流石だ、あれだけの数相手に……」
彼女の性質なのか、純粋な実力なのか分からないが、事実として汗ひとつかいてる様子はない。いずれ敵対する使徒であると考えれば、葵は自身様子と比べた時に危機感すら覚えるほどだ。
(敵対、敵対か──)
言葉も、思いも通じたとしても、互いに譲れない物がある事に変わりはないのだから。考えてもどうしようもなければ、自分への好意を利用して相手の意思を曲げさせようとする事は正しいとは思えなかった。
ただ、複雑な思いの複雑さがより絡まり、より葵を悩ませ、それでも葛藤せざるを得ないのが難儀なだけで。
(なにを、今更。これまでも使徒を殺してきた俺が……)
「提案、帰還」
「ん?あ、ああ。そうだね、皆も慣れない魔術を使った影響で心身に負担がかかってるかもしれないから、早く戻らないとだし。急いで戻ろうか」
「うん」
ベルタなら覚えてるかもしれないが、ここに来るまでに通ったルートは分かり辛い道順だったから、葵が先導する様に走り始める。それでもすぐに彼女は並走し始めたのでどちらが先に動き出しても同じだったかもしれないが。
そして、移動を始めてから少し。ベルタが葵の袖を控えめに引っ張ってきた。
「おぉ?どうしたの?」
「質問。あの避難所の人達は、元の世界からの縁がある?」
「いや、皆初対面の人達だよ。なんなら出身がそもそも全然違う国の人の方が多いっぽいし」
「質問。貴方はあの避難所の人達に特別な情を抱いている?」
「特別な感情?そんなわけないって切り捨てると少し失礼な気がするけれど、そこまで親密になってるわけでもないし、違うかな……でも、何で突然?」
「疑問。何故そんなに傷だらけになってまで彼等の為に行動するのか」
思わぬ質問に目を丸くし、速度を緩める。
「何故?何故って……目の前の困ってる人を助けるってそんなにおかしい事かな……」
「貴方のやりそうな事だとは思う。貴方ならそう言うとも思っている。しかし、貴方を私情と私怨で害し、その実情を知りながら縋る。彼等はそうしてきた。それで良いのか」
「あぁ、あー……気になるかぁ」
視線を彷徨わせながら頰を掻く。彼女の言う程に悪い様に彼等を葵は見ておらず、結束しているグループと、そこに突然入ってきた異物とは上手く混じれない事が多い。上手く混じる事も出来たかもしれないが、そうしなかったとも自分の事を思っている。
勇者という異物であり続けなければ、むしろ彼等は安心して頼る事も出来なかったかもしれない。人並みの感覚を持つが故に、相手も人並みなのだと思ってしまうと恐らく足踏みしたから。
「まぁ、あれ。周囲の空気を知りながらも出来る限りの配慮と親切はしてもらえたと思っているんだ。言葉をかけてくれたり、冷えない様にって膝掛けもらったり……」
「謎。その親切という分、彼等は一部の不満を持つ者の手綱を握るという形で示す事も可能だったはず。少なくとも、彼等の間ではコミュニケーションが成立していたのだから、不可能ではなかったはず」
「仮に仲が良くても言い辛い事ってある。俺も家族に言えてない事いっぱいあるし。だから、彼等も同じだよ。特にニントさんは何やら皆を支える魔術を行使していたみたいだから、根っこでは彼には反抗しにくい部分もあったと思う」
「つまり、防衛本能と」
「それがない、って事はないだろうなって。気持ち的に余裕の持ちようがない状況で、自ら中心になってくれて、不思議な力を使える人がいるなんて、皆もその人中心に考えても仕方ない。何より、皆も別に彼に全面肯定もしてなかった」
「ワカバの件は?」
「彼女は、少し強引に話を聞き出したところもあるから、動揺させてしまっただけ。なにより、退散の術についても、脱出反対派だったのに渋る事しらせずにやってくれると言った。アレがそう簡単な物でも安全な物でもないと、彼等なりに分かってるであろう中で、やると自分達から申し出てくれたのだから、彼等の誠意はそれで十分とも考えているんだ」
「十分?」
「そう、だから俺はそれで良い。頑張ってる人を、生きる事を頑張ろうとしてる人を見殺しにすんのなんて、嫌だよ。声を知ってる人が物言わぬ遺体になったりしたら、思ってるよりきっと耐えられない」
「……成る程」
十分、という言葉を使ったのは意図的か否か。元から高望み出来る立場や状況ではないのは確かだったとはいえ、あまり元から期待していなかったのではないか?そんな風にベルタは考えたが、口に出す事はなかった。意地の悪い言い方はしたくないのもさながら、何故自分が彼についてそう考えたのかも不明瞭だった。
そもそも、そんな発想の根拠になる記憶が彼女の中にはない。彼女の知ってる彼は──
(わたしの知る、彼?)
自分の頰を押さえ、足は止めないが足元に視線を向ける。彼女の中の何かが揺らぎそうな、水の上に浮かんでいた花びらが風で吹き飛びそうな、そんな不安定さが生まれる。
葵は横目でそんな彼女の様子を見て、自分の事で悩んでくれているのかと思い、本音を口にしたつもりだったが誤魔化した様な気がしてきてバツの悪さを感じる。しばしの沈黙を経た後に葵が口を開く。
「この世界にいる人の中にはさ、俺の知らなかった様な大変な経験をした人も多い」
「?そう」
「うん、そうなんだ。誰かを殺めてしまったり、目の前で亡くしたり、傷つけたり、俺はすごく平凡で、そんな過酷な経験なんてしてない……でもね、大事な人を亡くした事があって、その人と2度と会えないし、その人の声も、その人といた時の空気感も、どんな笑い方するのかも、どんどん思い出になってしまうんだって分かって、滅茶苦茶怖いんだよ」
「……」
「周囲で居ない事が、世界で居ない事が当たり前になるのも怖くて……だから、俺は目の前で誰か死ぬ度に、その人が生きてた頃を思い出して、あるいは想像して、怖くなる。それが嫌なんだよ、亡くなる人の周囲で俺と同じ思いをする人がいるかもしれないのは」
「彼等と、別に仲が良くなくても?」
「いや、まぁ……ほら、彼等の結束は、部外者の俺にはどんな物で、どんな風に築かれたのかは全然分からないし、今後もそれを完全に知る事はないと思う。知らない人同士の友情の深さなんて、そんなもんだと思う。でも、相手にとってもそれは同じで、それでも俺達で助かる為にあんな風に申し出てくれた。なら、目の前の人を助けたい、助けになりたいって事って、仲だけが理由にはならないかなって……多分、そこはお互い様なんじゃない?」
自分で言ってて分からなくなってきたと、照れ笑いを含みながら口にする。
「んま、そんなの結局理屈じゃないのかもね。俺は馬鹿だし、人より出来ない事ばかりで嫌になるからさ、そんな俺でも誰かの力になれるっていうのは、君が思うよりは悪くないよ」
「……困惑。それはきっと損が多い」
「それはどうだろう、終わってみないと分からない事だよ。それに、そもそも損得なんて考えるだけ勿体ないから」
葵の顔をじ、と見る。探りを入れる様な目である事が珍しい事にすぐ分かったが、これが本音の全部ではなくても、これも本音の一部である事に変わりはない。
腹が全く立たないわけでもなければ、理不尽だと思わないでもない。知らない内に憎悪を持たれたり、因縁をつけられる事がそこそこな頻度で起きているだけに、切羽詰まった状況下でそんな事に構ってられないのにと思わないでもない。だが、自分がここに居る意味がない、透明人間みたいだと思うよりは何倍もマシだというだけ。
「ていうか……」
「なに」
「怒ってくれてる人がいるってのもさ、こんな風に落ち着いていられる理由なのかなって」
「……わたしが怒る事は、役立つこと?」
「役立つとかじゃなくて……ニュアンスむずいな。だからね、ありがとうって事」
まだ不思議そうな顔をしていたが、葵が少しだけ振り返って向けた笑みを見た時に、分からなくても良い気がしていた。それは合理的な思考でもなければ、使徒として正しい姿でもなかったかもしれないが。
「良い。貴方のありがとうは、好き」
デアンタ・ベルタは少女であり、使徒だ。
*
避難所に葵達は帰還したが、そこに見えたのは喜びを分かち合ってる様子ではなかった。無事に術を完成させ、五体満足のはずの彼等は気落ちした様子でそこに座っていた。
顔を上げた日向が葵達の姿を認め、ぎこちない笑みと共に両手を大きく振る。皆にも帰還を把握してもらう為に、わざと動きを大きくして。
「あ、葵っちにベルタっち!おかえり!!」
気付いた他の面々も口々に葵達に言葉を向けるが──
「あぁっ、お二人とも!良かった……よくお戻りで!」
「その、死んでなくて安心した」
「え、英雄達の帰還だね!」
「……よく、戻ってきたな。オメェら」
日向と同様、皆がぎこちなく、葵達の帰還を喜びながらも違う出来事の方に意識が向いている様な雰囲気。
誰がそれを言い出すかで、目だけで話し合いをしていた。身体を張って戦ってくれた葵達には誰よりも喜ぶ権利があると日向達は思っている。だからこそ、これを言い出す事で新たな問題と困惑を生み出す事を躊躇していた。言い出すだけなら誰でも問題なかったが、葵達に対する後ろめたさが、気持ちの面での足踏みをさせていた。
「アーリアさんが姿を消したんだよね?」
それを察したいたのか、1番最初にそれを口にしたのは葵だった。
「──な、なんで分かった。いや、何故、君はそれを知ってるんだい?」
「そもそもが、俺はここの安全の為に監視の目を置いてます。常に全部の使い魔に目を向けられるわけではありませんが、戦闘後にこちらの様子を確認しました」
「成る程、そういう事か。そういう……」
それで確かに説明はつくが、ミゲルは腑に落ちていなかった。アーリアの身の上を彼女自身で話していた時の事を思い出していたからか。当のミゲル自身は何故思い出したのか分かっていなかったが、その嫌な予感の理由、その答えが記憶の中にある事をなんとなく感じ取っていたのやもしれない。
言葉を選び、言うべきかを選び、その逡巡の後、ミゲルは選んだ。
「……魚人達、彼等を退散させる術。だから、アーリアも同じ様に術の影響を受けて、消えた。そうなんだね?」
日向達は顔を見合わせ、ざわめきが起こる。いまいち飲み込めてない者も、そうでない者も、答えを知っているであろう葵の返事を待つ様に彼の方を見ていた。
葵はぎゅ、と強く目を瞑ってから小さく頷く。
「彼女だけが例外という事はないでしょう……恐らく、彼等の血が混じる限り。あれは対象になると思います」
「やはり、そうなんだね……で、その、聞き辛い事だし、君を責めるつもりはないが、教えて欲しい。君は、それをどの時点で予想していたんだい?」
皆が葵の返事を待っていたのは、それを知りたいという意味合いもあった。知ったからどうというわけでも、責めたいわけでもない、特に意味のない行為だと分かってはいるが、知らずにはいられなかった。彼女がそうと分かってて手を貸してくれたのだと思えばこそ、尚更に。
そして、葵は内心で本当に聞き辛い事を聞いてくると考えていた。皆の中で共に過ごしたアーリアという女性の色が強く残っており、邪神の手先ではないのだから、確かに後味の悪い結果にはなる手段だった。
だが、だからといってやらなければ良かったとは思えない。アーリアが死んだわけではなく、強制送還され、日向達は無事に生きている。手段としてはかなり最良の結果を得られた。それでも、このままでは答えなかったとしても、自分がやったんだ、自分は人の命を守ったんだと思える瞬間が来ないかもしれない。葵はそうも思ったから返事をする事にした、せざるを得なかった。
「俺から提案した直後辺りです」
「──ボクに、言った後かい?」
「はい、その対象がどこまでを指して、どこまでを定義して退散させるのかは分かりませんでしたが、彼女はそれに巻き込まれる可能性はあるのでは、と考えはしました」
「それでも、彼女を範囲の外に逃すとかは……いや、出来ればきっと、やってくれていただろうね。ボク達を案じての事だ」
「はい。彼女が絶対に貴方達に危害を加えない、あるいは貴方達を利用しないという保証がなかった。俺個人が彼女を送還したかったかは置くとしても、逃がすわけにはいきませんでした。皆さんが生き残る為に最善を尽くそうとしてくれた様に、俺もニントさんとした約束の為にも死なせるわけにはいきませんでした」
最優先事項は多くの人を守る事、それが異世界での葵。これまでもそうして来て、これからもきっとそうする。だから、アーリアの件に関して、気持ちの面でも誤魔化す必要はなかった。加えて言えば、ニントに疑われた時の約束事などなくても、最初からそのつもりでしかなかった。与えられた役割は文字通り死んでも遂行する。1人でも多くの人を救うという役割を。それが彼に課せられた勇者という役割。
ミゲルは葵の目を真っ直ぐと見て、そこに嘘も、誤魔化しもない事を理解した。むしろなかった事に、少しの違和感すら覚えたほどだった。
「……感情的になれたらと思ったのだけどね。アオイ君自身にそんな風に言われてしまったら、ボクも大人しく納得するしかないじゃあないか」
「ミゲルさん……」
「あ、葵さん。ミゲルさんは──」
「言わなくても良い事だよ」
「し、しかし」
「言い方を変えよう、言うな」
ミゲルのアーリアに対する告白は聞こえておらず、彼の言葉に込められた彼の気持ちを知りようもない。彼が中でも必死に彼女の事について聞いてくる真意を完全に知る事はない。
「言うんじゃない」
それを教えるのは、ただ葵に罪悪感を持たせるだけの事になる。そんな行為に意味もなければ、わざわざ教える事は命を賭けて戦ってくれた彼に、あまりに申し訳がなかった。
ルイもそれで口をつぐみ、葵の方を見て会釈をした。感謝と謝意を込めて。葵もそれ以上をあえて聞く事はしなかった。何も察さないというわけではないが、ミゲル達があえて言わないなら、葵の為にと沈黙を選んだのだから、そんな野暮な事はしない。
「……は、ははは。でもさでもさ!本当に皆超頑張ったよね!MVPだらけでVの指が全然足りないや!」
反省会の様になった空気を破る為に、日向は両手を叩き、皆の意識を自分の方に向けて明るく振る舞う。エーデルは殺され、その主犯のアーリアは去った。喪失が一切なかったわけではないが、あれが足りなかった、これも足りなかったと思ってはキリがない。緊急事態を超えられた事自体が当たり前に出来たわけではないのだから、喜ぶ権利は生き延びた皆にある。
「マジで、疲れたなぁ」
「そうですね……全く、デタラメな事ばかり起きますね」
「葵っちは見るからにボロボロだけど、ベルタっちも大丈夫?怪我とかない?」
「平気。心身に異常なし」
「ベルタは強かったからね、俺もお陰で助かったよ。危険な事にばかり付き合わせてごめん」
「わたしは問題ない、貴方に頼られたい。貴方はもっと気を抜いて良い」
「既に沢山頼ってるよ?」
「違う。もっと」
「独特なおねだりの内容に俺はどうすれば……!?」
2人の緊張感のないやり取りは、最も状況の判断が出来るであろう人が肩の力を抜ける時である事実に繋がり、周囲の皆のぎこちない笑みも、いつしか普通の笑みに。
(…………皆、本当に無理をしたんだろうな)
そして、葵は皆の顔色が良くない事に気付いていた。自分が少しでも早くこの場所に来た目的を成し遂げなければいけないのだと、葵は拳を強く握り締めた。




