第122話:告白×告白
魔石で出来た格子の向こうから、自分なら退散の術の全文を知っていると声をかけてきたアーリア。彼女の笑顔は仲間としても共に居た頃と変わらず、美しく、慈悲深い。
「何でも1つだけ言う事を聞いてくれるなら教えてあげるかもしれない、なんて」
しかし、彼女の正体と、彼女がここに居た理由を知った今となっては、すぐにそれに縋りつけるかと言われたら、当然そんなわけもない。ミゲルは友人としての彼女は信頼していると言ったが、彼以外はどうか。
「知ってるって言っても、それをオレ達に教えるメリットがあんのかよ……」
「ふふふっ、ニントったら。可笑しいわね」
「んだよ!当たり前の反応だろうが!」
「わたしを庇う為だけに、滅茶苦茶な理屈でタキザワ君を責め立てていた貴方が言うんだもの」
「あん時は信じていからだよ、アンタを!」
「じゃあ、今この瞬間だけでも信じてくれたら良いのに」
「そうしたいし、そうしないと困る事態なのは分かるだろ!」
「そうね、分かるわよ。でも、どうしようかしら……確かに得はないし。教えるかどうか、どうしてくれようかしらねぇ、決めかねるわね」
暖簾に腕押し。のらりくらりと躱しながら笑うアーリアに、困った様にニントはミゲル達に視線を向ける。
「アーリアさん、お願いします。何で教えようとして下さっているのか。僕達も貴方の力を借りる事が出来たらと思ってはいますが、ニントさんの言う様に貴方の立場を考えたら、何故助けようとしているのか分からないんです」
「そうでしょうね。それに、仲間だとか、信頼だとか言ってるけれど、わたしは殺したもの。自分の意思で」
「エーデルさんの件は……正直僕も飲み込みきれません。擁護の必要もないでしょう。だから、何故貴方が、今ここで声をあげて下さったのか、僕達には分かりようもないんです」
「多分全文を解読し直す方が楽なくらいには難しい事よ?」
「もう、僕達は貴方について色々と知ってしまいました。貴方も何かを隠す必要は、もうないんです」
「……だからよ、だから何か言う必要はないのよ」
「──僕達の事を、まだ友人だと思ってくれてるからですね?」
ルイの言葉にアーリアは頷く事は出来なかった。その通りではあるのだが、言葉にしてしまい、認めてしまうと、些か同情を引こうとし過ぎている様にも感じられる、誰よりも自分自身が。
ルイ自身も、そう口にして、沈黙という肯定を得た事で純粋に嬉しいかと言われたら、複雑な心境の方が勝っていた。自分の身を自分で守る手段を結局は持っておらず、アーリアがもし自分達をまだ騙すつもりならば、簡単に命を落とせてしまう。死ぬ事は恐ろしい、何が死に繋がるのか分からない。どの選択肢が安全なのか分からない。何がきっかけになって、何が間違っていて死ぬのか分からない。
アーリアの言う様にルイは心配性だ。子供の頃に鍵をかけ忘れて友達と遊びに行き、その間に強盗に入られて家族が大怪我を負い、通帳等も盗まれた。その時の事が彼の中で強い恐れになって今に至る。
だから、過剰と言えそうな程の心配をしてしまう。あの時は自分の不注意で、間違いが分かりやすいものだった。だが、今回はそうではないから、彼女の反応をどう取れば良いか判断しかねていた。
「私は、とりあえず理由とかなんか、後でも良いって言うか。どうでも良いんだけど……」
しかし、その沈黙を破ったのはニントやルイではなく、意外にも若葉だった。アーリアも驚いたのか、瞬きと共に彼女の方に視線を向ける。
「どっちみち、私達には時間もないし、全文が分からないと、その、使えないんでしょ?魔法ってやつ。じゃあ頼るしかないんじゃないかな……騙してたし、人も殺してるし、ヤバいけど、それも含めての動機は後で聞けば良いし。信用の有無は、時間の経過で結果が変わるものではないでしょ」
自分も人に向けて刃を突き立てようとした。殺意の本気度の違いや、実際にやったか否か、その数は置くとしても、後ろめたさを持つという点では若葉はアーリアの事が少しだけ分かる部分があった。
そして、詠唱文の中の欠けた部分を日向は読めていなかったと判明した時の空気感、この作業の中心になるべきニントが判断を迷っていた時点で、解読し直すという手も即答し難いものなのは分かっていた。それを選ぶなら少しでも早い方が良いはずなのに、そうしなかったのは恐らくそんな猶予がないからだと。
若葉がそう判断したのをアーリア含めて皆が察した。この閉鎖された場所で共に過ごした関係がそうさせ、それこそがルイの問いかけの答えにもなっていた。
アーリア自身もこの瞬間だけとは言え、着地点に困った様子を見せていた。その時、今度は腕を組んで黙っていたミゲルが両膝を叩いてアーリアの方を見据える。
「──そうだね、アーリア。ボクも教えて欲しい」
「ミゲル、お前……」
「だってボクはアーリアに惚れているから!!」
破られた沈黙が戻ってきてしまった。思わぬタイミング、間違いなく場違い。
時間がないと分かっているのに彼は聞いた人の時だけを止める魔法を使ってしまったらしい。
「……は?」
お陰でアーリアの反応も照れ隠しを抜きにして、シンプルな困惑が一番に来ていた。色気もなければ可愛げもない、嘘のない戸惑い。
「いやはや!アーリアばかりが隠し事を暴露したのでは割に合わないと思ってね!この機会にボクも特大の秘め事を言うタイミングだと思ったんだ!どうだい!」
「いや、どうもこうもないわよ。貴方は、馬鹿なところがあるとは思ってはいたけれど、度を越した馬鹿だった様ね。時と場所を弁えていれば、貴方なら上手く惚れてもらえたんじゃないかしら……」
「さ、流石の僕も今ではないんじゃと思いましたね……」
「好きな人に告白するなら相手の事を考えてタイミングをもっと選ぶべきじゃねぇのかよ!?」
「ニントさんが常識論を説いてる……」
「あ、杏菜!聞いた!?マジで、ミゲルさんゾッコンだったんだね!ウチそんな予感してたもん!」
「あぁ、うん……えっ?今のも日向的にはドキドキする感じなの?私なら聞かなかった事にして告白された回数にカウントしないかもだけど。まぁいいか……」
周囲の反応の悪さを予想していなかったのか、ミゲルは頭を掻き、アーリアは額に手を当てて首を横に振った。
「はぁ……で?冗談は置いといて、驚かせるだけが目的ではないでしょう?」
「待ってくれ、冗談じゃないよ!」
「今そんな時じゃないから言ってるのよ。今ので教えない方に傾いたわよ」
「こんな時だからだよ。キミの立場を考えたら、ニントの言う様な懸念を抱くのも無理はないし、ボクも一切不安がないと言えば嘘になる」
「そうでしょうね、で?」
「でも、キミ自身の言葉なら、ボクは無条件で信じている!理由なんてワカバが言った様に後から教えてくれても良いし、教えなくても良い。キミが申し出てくれた、ボクはそれで十分だ!」
「やけに熱烈ね……」
「だって、キミは最初から言ってるじゃないか。このタイミングで知ってるってわざわざ言ったって事は、ボク達に教えてくれるって事だろう?何もこんな議論する事もないさ。それに、ボクはもう言ったぞ。友人としてキミと過ごした時間を信じていると」
「……」
「1番キミを信じていないのはキミだ。キミだけがまだキミを信じていない。時間がないから全文を教えるって、いつもの様子でそう言っていたら、キミの言葉を皆が信じるか置くとしても、その言葉を絶対にちゃんと聞いたはずなのに。そうしなかったのは、自分がまた裏切ると信じているからだ」
分かった様な口を叩く、理解者のつもりなのか、そう言いたい思いはある。皆はこう思っているのだろう。自分の知る彼女は良い人だったのだから、凶行に至った事にもそうせざるを得ない悲しい理由があるのだと。その過去に対しても本当は目を背けたい、本当はそんなのおかしいと思っているのだと。皆は思ってるに違いないとアーリアは拳を握る。
嫌々人を犠牲にして、嫌々生きてきたわけではなく、そう生きて来たもので、あくまで生まれつきそう在るだけ。産まれた時から彼女は邪神に奉仕し、邪神を崇め、その復活のみを悲願として生きて来た。それが当たり前、人がご飯を食べて、眠る様に当たり前で、それ以上も以下もない。なのに、何を勘違いして説得しているのか、と──
(それは変わらない……彼等を裏切ったつもりもない程に、そう生きて来た。でも)
ルイの問いかけに沈黙を返してしまった。わざわざ知っていると声をかけてしまった。わざわざ注意をこちらに向けさせて、騙し討ちをする事も出来なくなってしまった。そのどれもが、ただのミスとは言えず、気安い関係になり過ぎたからなのだ。
人の血が混じり、人と変わらない姿を持つが故なのか、些細な関わりが大きな刺激に感じられてしまうのは。いや、それはあくまでアーリアがそう思おうとしているだけで、ただ彼女の性格に過ぎない。
もっと簡単な言い方がある、ほだされたのだ。ほだされてしまったのだ。こんな刺激を知らなければ、複雑な思いなど抱かずに済んだものを。
「──陳腐ね」
それは自嘲気味に。しかし、口にする程に彼女はその思考回路に向いた事を笑いも、馬鹿にもしていない。何故なら、これを馬鹿にしてしまう事こそが、最も恥じるべきものだと彼女は分かっていたから。
「貴方達の把握している文までを唱えて。わたしが最後の一文を務めるわ。術の負担を分散させる為にも、わたしが直にやった方が早いわ」
「アーリア!」
「喜んだりはしゃいだり、わたしのこの行動に反応するのは全部が終わってからになさい。わたし自身、また裏切らないか分からないから、だから──」
言葉を飲み込みたくなり、本能的に唇が固く閉じられてしまうが、一度そうした後に意を決した様に顔を上げる。
「今は、信じて」
エーデルの姿が頭の中で浮かぶ、血の泡を吹いて、苦しんで死んだ彼女の姿が。誰もその死に顔を忘れはしない、利己的な理由で彼女が殺した事も決して。
その上で皆は頷く。今はやるべき時で、その言葉をキッカケに動く時なのだ。
「オレが1、ミゲルが2、ルイが3、ヒナタガ4、ワカバが5、アーリアが6で行くぞ。オレの知ってる魔術とも少し違う、異世界式のものとは異なるから、オレもガス欠になるかもしれねぇが、一応ある程度魔術について知ってる身として出来る限り踏ん張る。だからオメェらも踏ん張れよ、ここが正念場だ!皆、始めるぞ!」
「ウチならいつでも!」
「私もまぁ、単に言うだけなやつだし」
「僕もいつでもドンと来いですよ!」
「盛り上がって来たね!ボクもいいよ!」
「わたしも大丈夫、お願いニント」
「よし、じゃあ始めるぞ。皆集中するんだ。ただ浮かんだ文を読むだけではなく、自分の中から息を全部吐き出す様に、それを差し出して何かを発生させるという気概で」
皆が目を閉じる。祈る様に手を合わせる者もいれば、手を突き出す者もいれば、その場から身を少しも動かさず集中する者、やり方は各々だが、皆が1つの事をやる為に意識を向けていた。それは、ここを皆で生き延びる為、あるいはここにいる人達を生かす為に。
「軍勢は海より出づる、奉仕者は海より出づる。祈りの唄が響く、いつかその唄は大地を、星を堕とす大いなる怒号となる」
ニントが詠む。恐れと諦めと惨めさだけだった頃から少しでも脱却する為に。
「ああ、なんと恐ろしい。歌えや踊れ、彼等の儀式は眠りを覚ます」
ミゲルが詠む。ただ、最年長の男として皆を守る為に。
「ああ、何と恐ろしい。血を美酒に、肉を至高の食材に。宴を潮の音が奏でる」
ルイが詠む。臆病であっても、皆の決意を無駄にしない為に、臆病であるが故に皆で生き延びる為に。
「耳を塞ぎ、目も閉じ、恐怖に五感を支配されてなお、最後の祈りは道となる」
日向が詠む。人が傷付く事が怖い、友達が自分の為に人を傷つける事も怖い。そんな事がない当たり前に戻る為に。
「新たな歌を奏でよ、彼等を手招くハーメルン。祈りは恐怖を遠ざけよう」
若葉が詠む。身近な人が死ぬ様子を見るのが嫌、怖いも辛いも苦しいも嫌。それを身近な人に感じさせるぐらいなら、未知の外へと飛び出して生きてたい。ただその為に。
「笛の音が鳴る、おいでやおいで。水平線の向こう側。生命の始まりが恐怖をあやし、生命の終点が彼らを包む。ひと時の……ひと時のさよなら」
アーリアが詠む。良いとは言えない環境でも、笑った日々が本当のであったと証明する為に。
彼等の声に呼応して辺りの空気が振動し、音同士で反響し合い、慣れ親しんできた頃のこの場所を揺らし、パラパラと砂や小石が小雨の様に落ちてくる。
明らかに辺りの様子がおかしくなる事を肌で、耳で感じながら、アーリアを除いた面々が思わず身を固くする。自分の中から空気とも、血液とも違う何かが吸い取られていく様な感覚に、世界が回転する。自分が回ってる様に思えてるだけで、世界も、ましてや自分自身すらも回ってはいないのに、強烈な目眩に襲われる。
立ってられない、吐きそう、すぐに地面に身をくっつけてどうやっても動けない形にして落ち着きたい。目の前にあるはずの物が、知ってるはずの全てが本当はとても恐ろしい物で構成されている気がしてしまう。それに気付いてしまいそうになる。魔術に慣れない皆はそんな衝動や思考に駆られてしまう。
葵達が普段使っている物よりも、この魔術は心身の負担が大きい。イメージを要にし、それが起こる物だと、自分から発生させられる現象であると世界に騙る物ではなく、人間の正常な見え方を崩す事で、その代わりに非現実かつ異常な現象を引き起こす事が出来る物。邪神やその勢力に対して抗い身を守る為にある魔術は、イメージを要に出来ない者にも等しく使える。代償は安くはないが。
「っうぅ……」
「日向!ダメ、まだ倒れちゃダメ、耐えるの!」
「ヒナタさん、しっかり!」
(術自体は成立してる。あと少し、辺りが静かになるまで事は動いてる最中。だが、魔術への知識も浅く、馴染ませていない以上は反動も重い……オレも、頭、保つかどうか──)
ニントも頭だけが急に重石でも乗せられたかの様に思えて、思わず身体が一歩分後ろに動く。背中には冷たい物が当たる。それは自分の中で生まれた苦痛が具現化させた幻の類ではなく、アーリアを捕える為の格子だった。
しかし、初めての感覚で五感全てが混乱の只中にあるだけに、それにすら気付けていない。
「──もしも、聞こえていたら代わりに伝えて。隠し事を暴露してくれた馬鹿な人の真似をするから」
あるいは近くにいる者の耳が正常に機能している状態ならば何も言わなかったかもしれないが、今は幸いな事にこの状態では正確に聞き取る事は出来ない。
「これは皆に向けて…………2度と、会わないことを願うわ。あと、ミゲルに向けて」
そして、その後を口にする為の一瞬の間を終えて。
「──」
微かに、石壁の隙間から風を感じるぐらいのほんの微かに、アーリアの声が聞こえた気がした。
思わず目を開こうとしたが、辺りを閃光が覆った事ですぐに目蓋を閉じ直す。
*
「う、うぅう……ッ」
日向は頭をさすりながら上半身を起こし、ゆっくりと目を開いて辺りを見渡す。集中を解いて大丈夫なのか否か、何も言われていないが、辺りの空気が震える感覚も、自分の中から何かが流れ出ていく感覚もなくなった。そろそろ目を開けても問題ないと直感的に思った事が、正解だったと気付く。
このまま遺跡が崩れたり爆発するのではないか、昏倒した自分がそのまま起きられないのではないかと本気で不安に思っていた彼女は、昏倒しなかった他の面々の顔も見て、思わず安堵の息を零す。
「皆、大丈夫?」
「僕もなんとk」
「日向、私も大丈夫」
「わ、割り込まなくても良いじゃないですか……」
「皆いつも通りで問題なしってところだね!良い事じゃないか!」
「やれやれ……でも、まぁ上手くいったという事ですかね?」
「葵っちもベルタっちも大丈夫かなぁ?間に合ってるよね?」
ひとまず自分達の役割を成し遂げられた安心感から、自然と皆の口数が多くなる。葵達の無事が確認出来ていない間な上に、本当に成功したのか分からない段階だから、どんな顔をして良いのかも最初は困っていたが、徐々に笑いが漏れ始める。
「ま、マジでウチら魔法使いなっちゃったんだよね!?」
「うん、なっちゃった。なんか、見てすぐ分かるわけじゃなかったから、アレだけど……なったみたい」
「ヤバイよね!?」
「ヤバイ」
「僕もびっくりですよ……帰ったらこんな経験した人他には居ないんだろうなって思うと尚更」
「こんなヒーローになれるタイミングなんてそうそうないし、終わり良ければってやつだね!貴重でスリリングな経験をしたよ!」
「そうだね!なんか、人生で1番格好良い瞬間更新されたかも!」
盛り上がる皆を見ながら、ニントは1人だけ黙り込んでいた。ひと段落していると思える状況のはずなのに、まだ難しい顔をしている彼にミゲルが気付く。
何故気付いたのかは、ただの偶然だったのだろう。だが、ニントが座り込んでる場所の影響で、自然と視線が向いたのかもしれない。
「──ニント、アーリアは?」




