第120話:詠む者達と喚ぶ者達
「ルイさん達が、魔導書を読む……?そんなリスキーなことを」
「リスクは1人に負わせてられません。1番危険な事は貴方にやってもらわないとどうしようもないなら、直に魚人と殴り合いせずに済むこちらの方がまだ安全ですし、出来ます。そうでしょう?」
その通りではあるかもしれないが、葵は即答しかねた。ミゲルは幸い昏倒で済んだが、他の人はどうだろう?そもそも本当に昏倒で済んでいたのか?本人にも自覚のない後遺症はないのではないか?邪神の作り出した原本ではなくとも、魔導書とはかつて葵が思い描いていた程に万能でも、安全でもなかった。理解し得ないはずの知識と、それに触れる為の精神力を要する、一種の化け物の様にすら思える物だった。ノアの方に保管されている人の手で書き残され、書き綴られてきた物とは訳が違う。
しかし、ここでリスクについて理解してもらうことが必要だとしても、それはリスクがあるからやめておけと否定する事と等しくなるのではないだろうか?葵の躊躇を感じてか、ルイ以外にも声があがる。
「ウチらにも出来る事あんなら、ちょっとはやらないとじゃん!」
「日向さん……」
「……彼の事をどう思うかは置くとしても、彼が私達の為に命懸けで戦ってるのは知ってるし、そんな中で怪我させたし。日向に生きてもらう為には、私も頑張らないとだし……だから、その、私も、やる」
「ニント、君はどうなんだい?ボクらはやる気満々だけど」
ミゲル達に視線を向けられたニントは、頭の中で岐路が見えた気がした。これを断るのは、これまでと変わらない楽な道かもしれないが、彼等が失敗したら皆が助からないかもしれない。ここで参加したら、自分は変わらないといけない。その代わりに皆が助かる確率は上がる。かつて、助ける事が出来なかった日が、そこで止まった日々がその選択を見守っていた。
(姐さん、皆、オレは、情けなくて弱い奴なんだよ。そんなプレッシャーかけるなよ)
死者は語らない。語る口を持たない。何か聞こえたとしたら、それは彼の中にある思い出という自動手記が記した物だ。
それでも、ニントはその中に記された物が、ただの妄想だと吐き捨てられず、自分の道を決める程の影響のあるものだと確信していた。
『情けなさも弱さも飲み込んで、その中に一粒のプライドがある限りは全部が糧になるわ。苦しさだってきっとね』
誰かに背を押されなければ、死者にすら縋らなければ、まだ前に進む事すら難しいほどに、男は弱い。彼より平穏に生きてきたかもしれない人よりも、覚悟を決めるまでに震えが生まれるぐらいには。
だが、こんな時にリーダーたる彼女の姿が、声が浮かぶ限り、この道の方も歩んでみたいという希望はあるはずなのだ。甘やかしも、諦めも彼女は口にしない事をよく知っているから。知っているのに、そんな彼女の声が蘇るのだから、本当は迷いは自分の生み出した魔物に過ぎないのだろう。
ニントは唇を噛み、頭の中で蟠る不安と諦めの雲を痛みで払う。これからも同じ迷い方をするかもしれないが、この世界で誰かを生かしたいと思ったのならば、助けられなかった後悔があるなら、迷いを振り切った経験を1つでも持っていなければ、きっと遠からず壊死する。
「っくそ……やるよ、やりゃあ良いんだろ!オレみてぇなカスにあの化け物共が一泡吹かせられる様子は見ものだからな!」
その返事を聞いたミゲルは満足げに笑い、頷く。ここから出ないと選んでいた者達も、皆で生き抜く道を選んだ。すなわち、この場においては外へと出る選択をした事と同じ。
「そうこなくっちゃね!ボク達の魔術師を名乗ったんだ、ニントがいなければ困っていたところだよ!」
「ウチ、魔術とか使ってみたかったんだ!どんな風にするか教えてね!」
「日向、楽観的すぎ……でも、そうだね。親の悲しむ顔とか、想像したくはないから」
「そういう事です。僕達にまだ未練がある内はやるしかないです。だから、図々しくもお願いします。滝沢さんは僕達を守ってください、ここから出る為に」
葵には見えていた。最初に言い出したルイの手が、地面の揺れとは関係なく小さく震えているのが。きっと、本当は未知の物に触れるのが恐ろしい、彼が口にしていた以上に、あの本によってミゲルとアーリアが倒れていた様子が、訳の分からない状況下では不気味で、強い恐怖として残っているのだろう。
その上で勇気を振り絞り、生き延びる為の最善の道を選ばんとしている。ルイだけじゃない、他の皆もそうだろう。葵もまた、人々を生かす為に出来ることをしなければいけない。彼等の安全を優先する事に変わりはないが、彼等の力を借りるか、借りずにリスクを上げるか。彼等の覚悟を見れば、答えは自ずと見えることだ。
「──分かりました。俺は俺の出来る事をしてきます」
「ご武運を」
葵の作ったパイプの影響で先程よりも少し揺れが弱まり、皆が立てるぐらいの状態になった事を確認してから葵とベルタは走り出す。
覚悟を決める瞬間も、暗闇に手を伸ばす様な未知への恐怖も、命を賭ける緊張感も、その初めての感覚を既に終えた葵は、飛び込まなければならない。それは彼自身で課した義務なのだから。
「……」
アーリアは魔石で出来た格子を握りながら、その背を見て、ルイ達の背も見た。わざわざ目で追ってしまう彼女な複雑な心境を、その横を通ったニントもまた、複雑な気持ちで見ていた。
お前も手を貸せよ、なんて言ってなし崩し的に和解が出来れば良いのにと一瞬でも思った事が恥ずかしいのに、否定も出来ないのだから。
*
葵達は構造を変化させ、魚人達との交戦ポイントと定めた場所に向かっていた。だが、この遺跡の罠を消す事は出来ず、通路をパズルの様に組み替えるまでが限界だった。
「だから、俺達は比較的罠の少ない最短ルートを通りつつ、相手には罠を踏んでもらう」
「罠の多い部屋を彼等のルート上に敷く、警戒もされる」
「だから退路も同じ様にする。退く方がリスクがあると思うくらいにね。そこに、前進する価値、俺っていう邪魔者の存在をちらつかせつつ」
「疑問、罠の多い場所で彼等と交戦を開始した場合、こちらも同条件になり、同じ様に罠の餌食になりかねない」
「実際、それを全部回避する方法はないし、俺も遺跡の構造がある程度分かる様になってるとはいえ、戦闘のどさくさで全部を避けられる程に罠は少なくはない……だから、数を減らしてから交戦する必要があるんだ。罠のない場所でやり合う」
「理解。アテは?」
「なければ作るまで」
部屋、少なくとも足場を生成する為にその分他の部屋の魔石は大幅に削られる。その結果、構造が維持出来ずに崩壊する部分が発生するのは避けられず、避難所にも被害が及びかねない。彼等の安全を維持しつつと考えれば、まさしくパズルの様だ。
そんな中であるから、退散の術の行使を彼等が担当してくれていなければ、確かにパンク寸前だったやもしれない。
「ここだ、ベルタ」
「……ここ?」
葵が入ってきた時に見たデタラメな縦穴。あの避難所から下ってきたにも関わらず、底が見えない事に変わりはない。もしかしたら、葵の目から見ているから底が見えないのではないか、彼はそう考える。あの通路の終わりがなかったのと同じ様に、ここも出られない様に阻んでいるのかもしれない。
閑話休題。ゴシック様式の回廊になっているこの場所からは、すくに飛び降りる事が出来る形になっている。この縦穴がある周囲の廊下に出る事さえ出来れば。
「ここからなら、思っていた形に出来る」
地面の代わりをする様に魔石が壁を突き破る。それでも縦穴を完全に塞ぐ事は当然出来ず、外周が全て穴という形になった。もう少し最適な形があったのかもしれないが、最適な形という物をすぐに引き出す事は出来なかった。相手が目の前に道があればとりあえず前進する様な生物だったのならば、もっと考えようはあったかもしれないが。
(我ながら想像力の不足と、自分には武力という手があるという驕りを感じるな。そんなつもりはないと言えたら良かったけど……そんな調子に乗れる力には、まだ至れていないのに)
異世界に来てからの己の精神的な変化が、変化なのか、元よりあった物が露呈しただけなのか、その境が分からない。この世界から見える銀河は、自分の世界と同じ物なのか分からないのと同じぐらいに本人は分からない。
調子には乗りたくない、力で昂ってはならない、力による傲慢さなど持ってはならない。それは葵の中にある潔癖さと、どんな形であれ支配を匂わせる物を自分が行う事への強い苦手意識が湧き上がる。ただ、戦場を生成しただけで思考がそこまで発展する事で分かるのは、どんな力を持とうが頭を冷やせと言わんばかりの、根付いた自己否定が離れないという事だけか。
あるいは、その様な驕りや傲慢さに脳みそを漬け込んでしまえは楽かもしれない。同期していく記憶の中に垣間見たものを正しく認識してしまえば、自分のしてきた事を認識してしまえば、どうなるか──
「?」
思考に使う時間は実際は極めて短い。それでもベルタは不思議そうに首を傾げているが、葵も彼女の疑問に気がつくまでかからなかった。遺跡に来てから表に出ないおかしな事が続いている。自分は疲れてるのかもしれないと首を横に振る。もっとも、それすらも自分が疲れてる暇もなければ、自分が疲れる理由があるだろうか、などと続くわけだが。
手を小さく振って苦笑を浮かべ、彼女に大丈夫だと示す。
「あ、ああ、ごめん。準備は良い?そろそろ魚人達もここに現れる頃だけど」
「ん、バッチリ」
「頼もしいね、行こう!」
生み出した薄紫色の戦場に2人は降り立ち、葵は刀を、ベルタは大鎌を取り出す。気配は近い、多くの魚人を罠に掛けた後でなお、その気配は雪崩が指向性を持って向かってきている様ですら。それでも、音は聞こえない。避難所はともかく、そこから外は全てが防音の部屋になっているかの様に静かで、罠が作動している音すら聞こえないのは、やはり元より次元が狂っているのか。それだけに、敵がいつくるのか、遺跡内の物を観れるようになっていなければ不利を背負うことになっていただろう。
その時を背中合わせで待ち、葵は天を仰いでいた。上から落ちてくる魚人に押し潰されて初手で死ぬなどと、そんな間抜けな死に方をしては笑い話にすらならないから。
(幸い飛び道具を相手は持たない、対岸や周囲のアーチから援護射撃される危険性はない。そもそも素の姿の彼等は道具を持つのに向いた手はしていない)
そして、彼等自身が魔術の行使をしてくる様子もなかった。それが可能ならば、葵が交戦した時にも使わない理由はない。仮に足止めだったのだとしても、葵を倒した方がメリットは大きいのは間違いないから。
「来る!」
見上げた先、多くの大小の点は全てが敵。その点は急速に大きくなり、塊が、生物が、激突しようとしてくる。
だが、葵は葵で考えている事はある。この物量相手だ、少しでも多くの細工は必要になる。魚人の1体目が接触すると同時に地面を蹴り上げると、そこから棺が地面から飛び出し、鈍い音と共に魚人の頭蓋にヒビが入る。
「〜〜!?!?」
悲鳴、聞くに耐え難い音、普通ならばそれを聞いただけで軽く精神に打撃を与えそうなほどの音。
本当ならば葵もそれを聞けば少なからず影響を受けたかもしれないが、耳に届く前に棺から刀を取り出す。
(ギュンターさん、力を使わせて頂きます……!)
葵の心器とは異なる銀色の刀、落下してくる魚人を1体2体と切り裂けば刀はすぐに塵となって消え去る。斬られた内の片方も致命傷にはならず、着地して葵に飛び掛かろうとする──
「〜〜〜〜!!」
が、足に枷でもついたかの様に重く、飛び掛かるまでに一瞬の間が生まれる。
その隙にベルタは葵を飛び越え、その速度を利用しながら横に回転し、鎌で首を刈り取る。
「ありがとう!」
「感謝。お互い様」
断罪者の嘆棺アマルトロス。生者に枷を与える能力を持つギュンターの心器。クライルの時と同じで本人が使用していた時の力の全ては引き出せるものではない。彼等の持った願望、祈り、あるいは渇き、それ等はあくまで彼等の歩んだ人生あっての物であり、葵ではどう足掻いても解釈違いが生まれる。彼等の魂を取り入れたとて、その全てを理解出来るわけでも、自分の人生に出来るわけもない。
故に、今回のこれもあくまでスケールダウンした物だ。棺そのものを手足の様に振り回す事は出来ず、その中に納められた武器で相手に傷を与える事で枷を与える事が出来る。その武器の耐久力はまさしく使い捨てそのもので、1〜2回斬りつけたら割れてしまう。無論、生者にしか通用はしない。だが、生者相手なら傷を受ければ動きを鈍化させられる。そして、生者ではない生物など葵の知る限りでは居ない。
「はっ!!」
葵は着地と同時に両手を地につけ、次弾の棺を2つ呼び出す。そこから出した刀の片方を蹴り上げて1本を魚人に突き刺し、もう1本を逆手で持ち、落下してきた所に合わせて叩き落とす様に切り込む。
ベルタは葵の背に降り掛かろうとする者を奈落へ蹴飛ばし、そんな彼女の背を狙う魚人を葵は1発目を折れそうな銀の刀で斬り、自身の心器で貫いてトドメを刺す。
「うわ!!」
着地した魚人の迎撃の為に一歩だけ前に出たタイミングで立っていた場所に魚人が落下し、一歩遅ければ危うくミンチにされる所だったと、鼓動が早くなる。
イメージを固める為の脳の領域は既に満員。魔術での対処は厳しい。心器の数々と遺跡の操作で対処し切る他ない。
(分かってはいたけど、数が多い。あんな高さからよく飛び降りるものだ、物理の予習復習もっとちゃんとやってたら……って、そんな後悔する時じゃないし。落ちてきてぶつかりゃ身体がバキバキやグシャグシャになる事さえ分かってたら良い)
事実として空中で体勢を整える事が出来ず、頭から落ちてしまう個体も中には混ざっている。既に辺りは彼等の血肉と、葵の脇腹の傷から出た血で悲惨な絵面になっている。
それが目に入った時、葵はふと強烈な違和感を覚える。地に足をつける事が出来た個体の何体かが、それを広げる様に動いてる気がしたのだ。それが何かの形を成している様にも見えるし、ただ足を滑らせている様にも見える。
「葵、上」
「!!」
何かに気付きかけたが、それは違和感として留まるのみ。葵が地面の方に一瞬視線を向けていた隙を見逃さず、止まっている生物目掛けて集中して落下してくる。それが敵か味方かまでは上からでは分からないかもしれないが、自爆覚悟で葵の動きを止めにかかっている。
しかし、そのまま彼等に押し潰されるわけもなく、葵も刃を飛ばして相手の落下地点をズラし、落下速度が落ちた個体を蹴り上げて魚人同士で激突させる。当然、敵の攻勢はそれで終わりではなく、落下攻撃、足払い、体当たり、爪での斬撃、それが一斉に襲い来る。
「くそ!数が多いって本当に有利だな……!」
棺を出現させて足払いを防ぎ、その中から刀を取り出して爪を受け流す。そのまま前に転がる様に前傾になり、体当たりをあえて受けて落下攻撃を回避する。
「ぐ、重っ……!!」
それでも体当たりは受けるだけにしては威力が相応にある。前傾になっていてですら身体が浮き、ベルタとの距離を作られる程度には。今の彼の身体には相応に堪える。そこを狙って落下してきた魚人に、思わずそのまま激突する自分を想像してしまったが、考えるよりも先に刀を突き出し、貫く事で事なきを得る。
吹き飛ぶ際にも魔石に手を触れる事で忍び返しの形状を生成、葵の軌跡に並んだそれに魚人達は進路を阻まれる、あるいは刺されて悲鳴も上がる。
「報告。わたしは無事、葵は?」
機械的な喋り方である事に変わりはなくとも、葵に聞こえる様に声を張り上げている。葵が負傷している事に対して彼女なりに今も焦りはあるのかもしれない。それでもなお、内心では彼を案じているが故に平静を失ってる部分はあった。普段の彼女の感情の振れ幅の影響で、あまり変化がない様に見えるだけで。
「俺もなんとか無事!」
「なら、聞いて。共有すべき事がある、彼等の行動」
「それは丁度良いや、もしかしたら俺も気になってた事かもしれない!」
「彼等は恐らく陣を描いてる」
「陣を!?」
「召喚の陣、彼等の親玉に当たる存在。我等の主に仕える存在、魚人達より圧倒的に強い存在」
葵は戦闘の手は止めずとも、背筋が凍るのを感じた。魚人達は1体だけで見ても決して弱くない、頑丈で、攻撃的だが知能はあり、厄介だと感じている。
なのに、それの上位の存在がこんな場所で召喚されてしまえばどうなるか。魚人達はそれに任せて地下の作業に戻れる上に、その召喚された親玉次第では上の避難所にまで被害が及びかねない。
彼等は数が多い、葵が必死に陣を消そうとしても修正も妨害もいくらでも出来る上に、供物も用意出来てしまう。
(──退散の完成が先か、召喚が先か)
退散の術の完成までをただ持ち堪えれば良いだけのはずだった戦いには時間制限が用意されていた。
葵は己の中で同期された記憶を急ぎ探る、この絶望的な状況の打開策を求めて。




