第119話:潮鳴り
アーリアはベルタをあえて狙った。ニントは狙いたくなかったから、悪夢を見せた時だって殺す気はなかった。エーデルを殺した事が彼女の中で時間が経つごとに、徐々に悪化する傷の様に、トラウマとして膨らんでいた。仲間意識、偽善、過ぎる言葉は己を責める言葉ばかりになるが、結果的には間違ってない選択だった。
そして、アーリア自身は魔力に対する敏感さを葵達ほどには持たない影響で、逆にこの異質な気配の場所でもそちらに引っ張られずに、ベルタが仲間だと分かった。そんな中で降り立った使徒と勇者の存在は、確かに彼等だと確信出来るほどに大きかったのだ。それでも、彼女は独自の動きをしていた様に見え、相手方からの接触がない理由をアーリアは知らなかっただけに、ベルタの方から何も言わないのは彼女なりの理由があるのだと思っていた。
だから、ベルタを狙ったのも葵に庇わせる事で前後から彼の不意を突けると考えてのところもあり、ベルタも自分と同じ様に演じているだけだと思っていた。
だが、違った。最早演じる必要もないこの時に、今も戸惑い、葵に寄り添っているという事は、あくまで彼女は本心のままに行動していただけに過ぎなかった。
(理解不能。わたしが対応可能な事は分かっていたはず)
ましてや、これまでの彼女ならそうはならなかった。葵と遭遇してからの彼女だったから心のままに動いていたなど、アーリアに想像つくはずもなかった。当の葵も何故なのかまでは知らないのだから。
(理解不能。勇者が使徒を庇うなどと、おかしい)
ベルタは目の前の鮮血に目を見開いた、アーリアの行動よりも彼の行動の方に驚き、なによりも彼の怪我にひどく動揺していた。
(理解不能。わたしを助ける理由もなければ、助けずともこの程度死にはしない事も分かっていたはず。確かに、狙われたのがわたしではなくニントであったとしても彼は同じ事をした。それは分かる。分かる、けど。いや、違う。そうじゃなくて、わたしはこの状況は有利な状況のはず、はず?)
「っ……だい、丈夫だからベルタ……」
「ひ、否定。大丈夫では、大丈夫には見えな……」
「ねぇねぇ!?何が起きてるの!?」
「あ、アーリア!君は一体何をしているんだ!?」
この騒動で部屋にいた4人も駆けつけてきたが、その時に見たのは尻餅をついたニントと、手を血塗れにしたアーリアと、アーリア以上に血塗れになっている葵、そんな彼を支えながら動揺を隠せないベルタの姿だった。
日向と若葉を真ん中に据えつつ、2人の前後を守るようにルイとミゲルはアーリアの前に立つ。
「何って、わたしの目的を果たしたいだけ。貴方達こそ、何で今頃出てきたの?」
「滝沢さんに、出るなと言われていたんです」
「ウチ等も、ベルタっちからの伝言って形で……」
アーリアとニントの目につかないタイミングを狙って残りの面々には事前に余程のことがない限り、出て来ないように葵は皆に言いつけてあった。外の騒動、声もある程度は聞こえていたが、辺りの揺れが発生するまでは言いつけを守っていたのだ。
だが、こうなってまで部屋にいるべきか、本当にここまでが葵の予想通りなのか、そうであったとしても葵達を放って置いて良いのか、そんな不安が入り混じる中で、彼らは自らの判断でここに来た。この閉じられた場所から出る為の覚悟を固めるかの様に。
「突然現れた彼等を、庇うの?」
「それは滝沢さんの側からしても同じ事ではないですか。僕達は会ったばかりで、僕達の交友関係も知らない。だから、少しでも僕達、せめて僕ぐらいでも、第三者の目で考えてあげないと、彼は血を流し損じゃないですか……」
「……私は、日向が第一だけど、仲の良いクラスに転校生として入ってきて、給食費泥棒が起きた時にその転校生を疑う様な感じは、なんか、筋通らないし」
葵自らやったとはいえ、怪我をさせた負目もある以上、血を流してまで面と向かって話された以上は、この場だけでも葵寄りで考えなければ罪悪感で後悔する気がしたというのが若葉は大きかった。
それを知らないルイと日向は少し意外そうに若葉の方を一瞬見たりもしたが。
「──ボクもまた、あの本を読んだ身だ。擬態の話があがった時に、ニントに悪夢を見せたのが誰なのかは……何となく察しがついていた。だけど、ボクはアーリアと過ごした時間があった、合理的ではないかもしれないが、何故そんな事をしたのかって点を考えられなかった」
「ミゲル……なら、信じて欲しいわね」
「信じているとも、君と友人として過ごした時間はっ!」
揺れが大きくなり、姿勢を保てず膝をつくミゲル達、それを見ながら咄嗟に身体を支えに行こうと伸ばした自分の手を見て驚愕する。まだ、そんな立場のつもりなのかと。
アーリアは身体ごと彼等から顔を逸らす。葵達が来た日から、アーリアがここに来た日から、いずれ来る事が分かっていた崩壊だったのだ。情が湧いた、彼等は巻き込みたくなかった、そのどれもは確かに本音だろう。だが、それはどれだけ控えめに見たとしても、エーデルを殺し、挙げ句化け物が紛れてると矛先をズラして招いた混乱がある以上は、保身が優先である事に変わりはない。
その自覚がある彼女自身は、目的を果たす事に集中しなければならない。それ以外許される事はない。
「さて、例の物を出してもらうわ。持ってるのでしょ?」
「……」
「それが出来ないなら……と言っても、もう長くなさそうだけれどね」
「そう、見えますか?」
「状態が良くない様に見えるわね。普通はそれだけの血を流して痛みもあったら意識は保てない、貫いたもの」
「まぁ、はい。正直、死ぬほど痛いですけどね……」
「諦めも大事よ、もう動き出したんだから。物理的にも、ね」
「あ、葵っち!!」
「貴方達も動かないで、下手に動いたら怪我をするわ。この揺れの中だから、どのみちかしら」
「ッ!!」
事実として、傷口を押さえる手からは止めどなく血が流れ続け、葵の顔色も悪くなり、呼吸も浅い。身体を貫かれたのだから、軽傷なわけもない。
アーリアは密かに安堵していた。ここから相手が優勢になる事はないのだから。放置しても死ぬ、そうでなくてもあの怪我で出来る事など多くない。仮に一か八かでアーリア自身を仕留めに来たとしても、それで止められることは今更何もない。
「アーリア、さん……ここまでの事を、遺跡ごと揺るがす、ほどの力が貴方に、あったというのですか?」
「わたしに?あるはずがないじゃない。純血の彼等であったとしてもそこまでは出来ない……1人では、だけれどね」
「そんな、魚人達は皆倒したはずなのに……ッ」
「そこは結果的に幸運の女神がこちらの方を向いていたみたいね」
魔石でほとんどが構成された遺跡も異世界の底の底まで続いてるわけではなく、既にある地形に後付けされた様にこの遺跡は存在している。より厳密に言えば、血管、あるいは根っこの様に土に細かく魔石が広がっているが、上層の様な塊にはなってはいない。
ならば、監視の目の外となるこの場所よりも更に下の下から遺跡を丸ごと回収すれば良い、アーリア達はそう決めたのだ。血管の隙間、遺跡の底の側に外から回って力技で動かしてしまえば良い。幸い魚人は山程いるのだから。
今は上から降ってきた大岩が水底になっている場所よりも下、そこに掘り進めていた通路があった。運が向いていたと言うのは、大岩がなければ葵に見つかっていたかもしれなかった場所が、偶然にも塞がっていた事でバレることはなかったという点だ。
(勇者が現れた事は運がなかったけれど、ギリギリのところでツイてたわ。勇者1人で下の通路とやらから逃げられたりせずに済んだし、計画はしっかり完遂出来る。勇者も仕留められるし、彼がどんな風に例の物を持っていようと彼ごと運べたらそれで良い)
しかし、どうあれ満身創痍の相手だとしてもこれ以上計画について素直にこれ以上話す理由もない。そろそろトドメを──
「大体分かったよ」
アーリアは勇者と名のつく彼を、それでもあくまで外見でただの子供だと思っていた。発言を考えても理想論者、年齢相応の身の程の知らなさと怖いもの知らずさがあるとしか思えず、甘く見積もっていたのだ。
同胞を殺されてなお、言葉を交わした結果、普通の人という概念に引っ張られていたのだ。1番の誤算は恐らくそれだったのだろう。それならば使徒を殺せるはずもないのに。
葵は血濡れの手を地面につく。相手がその動きに違和感を覚えてしまわない様に、認識されるよりも早く。
「きゃあっ!?」
その瞬間には、アーリアの周囲、その足元から魔石で構成された鉄格子が生えてくる。彼女が手をついたと認識した瞬間にはそれが起きていた様にしか見えなかった。驚きの反応も、妨害への怒りも置いて、ただ目の前で起きた事象について、何が起きたのかを理解するので精一杯だった。
「ま、魔術ね?」
「違います、自分の手足の様な物です」
「訳の分からない事を……ッ!どうして、貴方は痛くて何も出来ないんじゃないの!?」
「痛いぐらいで止まっていては、人の命をいくら取りこぼす事か」
元の世界の自分なら耐えられたものではない痛みで、この世界でも痛みはあくまで痛み。いくらか鈍くする事が出来るだけで、それすらも理論ありきのものではなく、気合と根性で痛みに耐えているに過ぎない。本音を言えば、ちょっと仮眠を取りたいかもしれない。せめて傷口を塞ぎたい、血も止めたい。
だが、そんな事をしている時間はない以上、葵はこの傷でも立ち上がることを選ぶ。
「このまま邪神の元に運ばせるわけにはいかない、俺が止めます」
「無理よ、貴方にはあそこまで辿り着く能力がないわ」
「あります、手ならある」
「?」
「俺は、ここが分かってきた。いや、この場所の構造がなんとなく分かってきたんです」
魔石達との共鳴、葵の吸収が進む度に加速度的に理解と順応が進んでいるのを葵は感じていた。やはり、ここの魔石は、壊せない魔石は葵を待っていた。次代が来る事を願っていた。勇者は現れた、彼等は、彼の記憶は、魂は、きっと鏡の様なのだ。遺跡が見せる幻はただ相手の心を揺るがす為にあるわけではない、時には自分の記憶を、時には人の記憶を映しだす。その全てに、鏡自身の意思があり、意味を持っている。
この遺跡は葵の頭に、あるいは彼そのものにそれを映し、彼そのものに時間をかけて移しているのだ。
その結果、この遺跡の大半が先代の残した魔石で構成されているのならば、その先代の記憶の残滓で構成されているのならば、その魔石をある意味で自分と同一に近いと定義した葵はこの遺跡そのものを認識出来る。自分自身の身体の一部、自分の手を自分の目で見る様にそれが出来る。
葵自ら迎撃には行けない。遺跡の外へ向かうルート、その境では葵を幻覚が阻み、進めない様にしてくる。進めない様にしてくるなら、呼び込んで迎撃するしかない。
「遺跡の構造を弄れば、出来る」
「えぇっ、私は知らないけど、この世界ならそんな事出来るものなの……?」
「お、おい待てよ!それは出来ないぜ!お前達もオレが専門家の側なのは分かってるだろ?だから言うぜ。出来ない!」
「そういうものなのかい?」
「じゃあ、テメェら各々で建物を思い浮かべてみてくれ。コソ泥が家に入ってきたとするぜ、そいつを追い出すか、それか撃ち殺す為に自分の部屋へ誘導する為に、家の間取りや構造を、そのコソ泥がいる中ですぐに大改造しろと言われて出来るか?」
「そ、そんな危機的な状況じゃなくても工事みたいなのウチとか出来ないし想像もつかないかな……」
「つまりそういう事だ!想像がつかないし、自分が出来ないと思える様な事だ、出来もしない事を死に体で、ましてやこんな時に言うものじゃ……」
「時間がない、やれるからやるんです。俺は」
ニント達の困惑を他所に、葵は魔石に両手をくっつけて目を閉じる。
魚人達の姿が見える、確かに数は多いが遺跡を丸ごと運んだり、転がせる様な数には見えない。今は、言わば砂に差したペットボトルから周囲の砂を取り出した段階の様にも見えたが、彼等が水に浸かっている様子が目につき、納得した。
(彼等は遺跡を掘り当てつつ、多くの水をここに流しこんだんだ。水源は恐らく大河の方、向き的にも間違いない……くそっ、ここまで掘り当てるまで気付けてなかったんだ、俺)
同時に、葵が交戦した魚人達の第二波がない事にも説明がついた。本来の作業である掘削、そして遺跡の運搬作業がまだ未完の状態でありながら、例の物とやらを入手する機会も逃せない、つまり葵を逃がすわけにもいかないから、あの時は襲撃に乗り出した事になる。
しかし、葵は外に出られないが例の物を持ったままである事に変わりはないと分かったのならば、運搬の方を優先すれば良い。第一波が全滅させられた以上は、余程準備を整えていない限りは第一波以上の数は用意しなければ葵を倒しきれず、そちらに割ける程に運搬の方の作業は容易くない。いくら魚人達が人外の膂力を持っているとしても、遺跡を丸ごと動かすのは生半可な数では成し遂げられない。
葵が彼等を退けた後、アーリア達に自分が出られない旨を伝えていなければ、あるいは第二波もあったかもしれない。
「葵」
「ベルタ?」
「提案がある」
「提案?でも……」
「彼等にわたしの命令は届いていない。推測、これは上位からの指令、最優先事項の実行。しかし、思考の誘導は少なからず効く」
「つまり、君が呼び込んで」
「貴方が彼等を入れる」
「良いのかい?それは──」
ニントの方に一度視線を向けて、戻す。既にそうであろうに、本格的に利敵行為だと思われるのではないかと、自分の為にメリットもなく危ない橋を渡っているのではないかと。
「問題ない。わたしの行動は未だ咎められていない。貴方は猫の手も借りたい、違う?」
「違わない、違わないけど」
「なら、貸すだけ。わたしは、貴方と共に何かをしたい、貴方と共にありたい。その衝動を、怪我をした貴方を見て実感し、痛感した。これは、わたしの存在意義」
「……分かった、力を貸してくれ。ベルタ、手を」
「こう?」
葵が手を差し出すと、ベルタはまるで踊りにでも誘われたかの様に恭しく手を乗せる。彼女からすれば、ダンスのエスコートと同じようなものなのかもしれない。彼に尽くす事を望み、それを望んでいる事を自覚した彼女が、それを受け入れられたのだから。
だが、これはそんなロマンチックな意味のものでもなく、葵の見ているイメージの共有に必要な動作だった。リンドとの繋がりを持つ葵は、彼単体でも彼女の力を微小ながら使える。それがこのイメージの共有である。ギュンターとの戦いの時にエミナの使い魔の権限をもらった時、リンドの能力で強制的に使い魔に接続する為の道を開いた。
その時の応用で、ベルタに自分の見た情報の一部を開いて見せる。葵の見聞きした情報が記憶される事は、それは彼自身がこの世界に魂ごと来ている影響で、彼の魂に保存された情報は魔力に変換も出来る。そのまま渡せば見た記憶を喪失する事になるが、すぐに取り戻し、確認出来る記憶であるから躊躇する事はなかった。
「これで彼等を君も認知しやすくなったはずだ」
「──」
「……ベルタ?」
「了解。実行に移す」
エラーを起こした機械の様に硬直していた事が気がかりで、意識が一瞬そちらの方に削がれかけたが、ベルタが集中している様子を見て葵も慌てて遺跡の構造の変化に意識を向ける。
(これが上手く出来れば、皆の脱出にも応用出来る。誘き寄せろ、ここへ来いと釣り針を垂らせ!)
この遺跡を自分だと認識する。遺跡の底は自分の手の平、先程ベルタに差し伸べた時の手の感覚を思い出し、彼等が滑り込みやすい水も確保する。水を掬い上げるイメージを作り上げる。
呼応する様に遺跡の中の魔石が動き、パイプ状に再構成される。これがあからさまな罠だと思われては困る事と、出来る限り今の場所に固定し、皆が揺れでこれ以上怪我をしない様にする為に複数伸ばして地面目指して突き立てる。
「ちっ、質量の増減は出来ない。遺跡を構成する部位も削りすぎると崩壊を招いて生き埋めにされかねない……!ベルタ、お願い!」
「了解、誘導開始」
視線の先で、視界の先で、意識の先で、目が合った魚人の内の一体を導く。ただ一言。
「勇者を狩る、集え」
その言葉は遠い場所にいるはずの魚人達に届き、一体に向けたものは伝播していく。彼等には個々の意思と個々の知恵は小さくともあるが、邪神に尽くし、仕え、崇める種として生まれ、生きてきた彼等には共通の意識というものがある。邪神の為に開かれている彼等の為のチャンネルの様なものだ。そこには邪神やそれに近しい存在からの指令は流し込める。
つまり、ベルタがそのチャンネルという場所に一滴異物を垂らせばこの範囲にいる魚人達ならば瞬く間にその異物、指令を聞かせられる。複雑な指令や、明らかな違和感を与える様な司令は上位の物に潰される上に、彼等自身の知能から疑問を覚えられて効果が薄れる。
(確かにこれなら対処は出来る。この避難所にさえ近付けなければ、とにかく倒せば良い)
見えた範囲でも数が1人で倒し切るには厳しい程に多い事は確かだが、交戦開始までに数を減らせば良い。
「ミゲルさん!」
「え、ボク!?な、何だい!?」
「奴等を海に一旦強制退去させる呪文、頭にありますか!」
「!確かに、それは例の本に載っていたが……術を使うなど出来るかどうか……それに、沢山いるのだろう?それを全員帰せるのかい?」
「貴方に負担をかけさせません。遺跡の操作を継続しつつ、俺が軸になって術を完成させれば──」
出来るか出来ないで言えば可能ではあるのかもしれないが、魔石との適応で常に思考を割かれている状態で、遺跡の操作に意識を割きつつ、彼等の迎撃に向かう時間を残しつつ、出来る限り大きな規模で魔術を発動出来る様に補助をする。遺跡の操作の時点で頭が爆発しかねない程なのに、そこまでやれば対処を終えた後がどうなるか分からない。
脇腹の傷もあって、根性で耐えられるラインは本来超えている。だが、自分が倒れていては意味がない上に、これ以外に皆の安全を確保したままなんとかする方法が浮かばない──
「なら、僕達も本を読んで、術とやらは僕達で負担を分散させるのはどうでしょうか」
その時、ルイがそう声をあげた。




