第118話:半端者達の舞台
違和感を違和感として捉えたのはどのタイミングからだったのか。脳の中はコントロール出来るわけではないが、持ち主が無意識のうちに違和感という名の必要になる書類を、他の記憶と混ざらない様に避けて保存している事がある。
『運命じゃ、運命を受け入れるのじゃ!地上へ逃げた男の様に!!』
地上へ逃げた男、それは葵の遭遇した調査隊の男の事で相違ないだろう。だが、調査隊が散り散りになった場所はこの避難所より上層。エーデルがそれを知る手段があるとしたら、その現場に遭遇した後に避難所に来るという手順になるか、ニントに直に聞くかのどちらかになる。
しかし、前者はエーデルの年齢を考えると、この世界に馴染んだ後の頑丈な肉体と、異常な身体能力を、実は持ち合わせているとかでなければ難しいだろう。後者に関しては、聞いた事があるかもしれないが、地上に行けたかどうかすらニントは知らない上に、葵以外にあの最期を見た者はおらず、その後の末路すらニントは無論エーデルが知る術がない。
『彼女が殺したというのかい……?ボクでもこんな風に一撃でやれたものか』
ミゲルのこの発言も気になっていた。魚人を相手にした時に戦った印象として、ゴム状の皮膚と頑丈な肉体。生半可な力では一撃で致命傷は与えられず、ナイフ一本では戦い慣れた人間が急所を的確に突くとかでない限り、殺すことは不可能だろう。
しかし、確かに傷跡を見た限り複数回刺した跡はなく、一撃で葬っていた。あの時は葵も少なからず混乱していただけに、明確な違和感と思っていなかった。根拠を持てたのも魚人と直に交戦したからという理由だったから。
そして、ニントが悪夢の術に苦しめられた時、あの時が決定打だった。その際にルイの言葉を思い出した。
『ミゲルさんとアーリアさんの2人ですね。最初にその2人でこの部屋に入って、2人で読んでみたらしく──』
葵は自身がニントに術を使っていない事を知っている。あの術は魔導書が由来である事も知っている。ならば、ミゲルとアーリア以外が術を知っていたとかでなければ、あの2人以外にそれが出来る人はいなかった。中に記載されていた詠唱文を読み上げる際のミゲルの歯切れの悪さは、演技とは感じられなかった。まるで舌が唐突に動き方を忘れたかの様になっていたのは、演技ならばあまりに役者としてよく出来ている。
ならば、誰が術を使ったのか。ニントの方に術を使って気を逸らす必要がある誰かは、無論あの場においてエーデルの姿をしていた人に他ならない。追い詰められて正体を暴かれるのが1番不都合なのは変わらない。誰が化けたのか。何の為に化けたのか、顔を見られたら誰なのかが分かる人間だ。
「アーリアさん、貴方は何者なのですか」
驚愕に目を見開くニントには、最早葵への疑心はない。ベルタは無言でアーリアに視線を送り、当のアーリアは微かに目を伏せていた。長いまつ毛の下に隠された瞳は、あまりに細すぎる希望という糸に、ここからでも縋ることが出来ないかという弱々しさがあった。そして、同時にこうなると分かっていた諦めの色も同時に宿した、儚い色が混じっていた。
だが、この時の葵はそれを見て心が痛む事はなかった。エーデルは殺された、ニントも苦しめられた。葵の予想の通りならば、もっと多くの被害が出している可能性もある。これまで接した彼女の姿が全て嘘ではなかったのならば、逃げないでほしいと思うばかりだ。
「言いたくありませんか?」
「言うほどの何かが、あると思う?」
「化け物が潜んでいるというのは、嘘ではない可能性が高いとは思っていました」
ベルタからの補足があったからそう思えたという方が正確だが、その情報源は濁しておく。ベルタはその化け物と勢力としては仲間なのだから。
「誰がそうなのか、明確な基準は持てませんでした。ですが、魚人達が迫ってきた時、俺やベルタも気付くのにかかりました。足音や水音もあまり大きくなく、聞こえたのは声でした。ただ、魚人の声は非常に聞き取り辛い周波数なのか、注意しないと俺達には分からなかった……貴方がもしこの世界と相性が良いだけだとか、そうでない限りはその音が何故分かったのか、という話になります」
「わたし、耳には自信があるのよ」
「そして、脱出経路になりそうな、水中からの通路を俺が発見した後の多数決の時になって、貴方はどちらにも手を挙げなかった」
「それはニントと同じ様な理由よ」
「そうでしょうか。例の物を持っているという話が出る前は、明確に反対の側である様子は見せていませんでした。それまでアーリアさんは中立を保とうとしていましたが、あの時の挙手をしないという事は反対という意味です。何故そこから態度を変えたのか、不思議だったんです」
「本当はずっと反対だったけれど、それは貴方が気の毒だったから──」
「そして、エーデルさんは異形になったのでもなければ、魚人になったわけでもないという事を、俺は知っています」
「!?」
「げっ!?な、何だ!?」
葵は魚人の首を突き出す。皆を怯えさせない様に避けてきたのは事実だが、この時の為に魚人の姿を隠してきたのもある。
「彼等は生きてる時も、死んでる時もこの姿のままです」
「そ、そんな物を見せるものじゃないわ──」
「アーリアさん、俺も読んだんですよ。怪我等の刺激を受けたら解ける程度の変身の術」
「……そう、そうよね」
「こういうのは、情報をある程度独占出来る側かつ、言い出しっぺが有利になりやすいんです。同じく読んだミゲルさんには騒動を起こす理由も、必要性もなかっただけで」
「……いつ、確信したの?」
「たった今です」
呆気に取られたように口を開けたアーリアは葵の意図に気付いてから声もなく笑い声を立てて、力が抜けたように膝をつく。
「嵌められたわね、わたし」
「貴方しかいないと思っていましたが、その確信を持てなかったので。すみません、俺達のことを庇ってくれていたのに」
葵は魚人の首を投げ捨て、その行動にニントが思わず怯えを見せるが、その首は先程まで血のついたナイフに変化し、乾いた音を立てて地面に落ちた。よく分からない手品に見える物に、先程葵の言っていた術と結びつけたニントは、1人でに納得していた。
一方でベルタは同じ使徒の能力である事をすぐに理解した。クライルが活動している時、彼女はまだ行動出来る状態ではなかったが、同じ使徒の情報は持っている。ベルタからすれば、葵らしからぬ行動と思えたものが、それで納得出来たぐらいだった。
「……参ったわね。どうしようかしら」
「アーリアさん、貴方はエーデルさんを殺した。何故ですか」
「普段はボンヤリしてるのに、彼女は鋭かったから。何か、わたしの背後に感じたのかしらね」
「正体がバレかねないから、殺したんですか!?」
「そうよ。タキザワ君、わたしは……わたしはね、貴方の言った通り例の物を取りに来たの」
「じゃあ、貴方はやはり……邪神の──」
「邪神、ですって?」
冷え切った声色と、瞳孔を開いた目が葵を射抜き、目の前の武器を持たない女性に対して強制的に警戒心を抱かせた。肌に直接電気を放たれた様にビリビリとした感覚は、アーリア相手に言ってはいけない事を言ったのだと自覚させるには十分過ぎるものだった。
使徒達は邪神を邪神と呼んでも気にしていなかったのは、彼等はあくまで信奉者ではなかったからだ。
「さて、タキザワ君、ベルタちゃん。ニントもついでに、少し話をしましょうか」
「お、おい。アーリア、オレには何が一体どうなってるのか」
「いいのよ、分からなくてもね」
ニントが葵の方に視線を向けるが、葵は目の前の女性に対してと同時に、自分の放った監視の目が不審な動きを察知していないか、部屋にいる人達の方に何か起きていないかにも意識を向けていた。
ニントの時とは彼女の立場が違う以上、何が起きるのかも分からなければ、どんな意図があるのか分からなかったからだ。時間稼ぎをするつもりならばすぐにでも取り押さえなければいけない。
「タキザワ君、わたしにだって地球に帰る家があって、家族もいるのよ?そんな風に構えられると辛いわ」
「それは、そうだと思います。皆もそうなんですよ」
「……わたしね、子供がいるのよ」
「え?」
「そ、そりゃオレも初耳だぜ!?」
「言う必要がなかったもの。それに、家族の話をしても貴方がはきっと信じなかったし、ノアの関係者である貴方に言うなんて尚更ね」
「あ?それとこれがどう繋がるんだ……?」
「だって、わたしの双子は貴方達の言う魚人と人間のクォーターよ?」
この状況になって、言葉を失ったのは何度目か。地球の頃の話をしているのに、当たり前の様にその存在の話が出てきた事に動揺しているのか、アーリアが魚人との子供を持っていた事に動揺しているのか、葵は分からなくなっていた。
ベルタが葵の近くに来て彼の手を握り、見上げる。込められた力は弱いもので、それは緊張状態で早くなった鼓動ごと落ち着かせる様だった。彼女がそうしてくれた事で、なんとか混乱で埋められた思考の中に、言葉を出すぐらいの隙間が生まれた。
「地球にもそうした存在がいる事は……知っていますが、いますが……ッ」
「わたしの母がね、魚人だったのよ。わたしの街は以前からとある信仰を持っていた。正確には魚人達が住み始めて広めたと言う方が正確ね。その彼等から多くの知識と恩恵をもらって生きてきた場所、豊かな街よ。供物を用意して、儀式をして。そうした場所なの」
(奴等がいるだけじゃないんだ、奴等は既に社会の中に入って……いや、一部では中心にすらなってるのかッ!?)
「分かるでしょ?だから、これがわたしの当たり前よ、わたしの社会。わたしは貴方達のその反応にこそ疑念を抱くわ」
つまり、魚人の侵略を受けて発展した街、そこから邪神への信仰も広まった街、そこで産まれてその中で育って、そうして新たな家族も作った。
そう生きてきた中で、当の神の管轄の世界に呼ばれた上で、等の信仰の対象の導きを得たらどうするか。なんて、選択も何もあったものではない、そしたら従う以外の答えなど持てる筈もない。
「そうだとして、そうした縁が貴方にはある事は分かりましたが、それは他者を犠牲にして良い理由にはなりません」
「立場が違えば、なんて思わない?貴方も同じ様に犠牲にしてるかもしれないのよ」
「自分だけは絶対にない、なんて俺は言い切れません。俺は、強い人間ではありませんし、ましてやそれが当たり前だったのなら、その街に疑問を覚える事すらなかったかもしれません」
「お、おい勇者よ!!」
「しかし、たらればの話は、あくまでたらればなんです。そういう話をする時は、貴方もまた同じ問いかけを受けなければいけない。立場が違えば、貴方がどうなっていたか」
「……」
「今の俺と、今の貴方がこうしてここにいる。それだけだと思うなら、それが想像つかないなら、貴方の例えに意味はないんです」
「そうね、想像がつかないわ。どうあっても変わらずこの生き方をしているとしか思えないの。わたしは混血とはいえ、人の生は1度きりだから確かに想像のしようもない事ね」
「その上で、お聞きします。遺跡の皆も、この後に、俺から例の物を奪って犠牲に出来るんですね?」
「そうよ──」
しかし、自身の赤い唇をなぞり、小さく爪を立てる。
「そのつもりなのよ」
大きく息を吐き、横に振った首、下がった眉は自覚の表れだった、言われるまで気付かなかったわけでもなければ、葵にもその違和感に気付かれていないと思ったわけではなかったらしい。
例の物とやらを探す事が困難で、仮に見つけられなかったとしても、遺跡の避難所の皆と一緒の時間を過ごす必要自体はなかった。ましてや、ノアの人間だと分かっていたニントなどは早くに殺していた方が良かったかもしれない。人は供物に、あるいは洗脳でもなんでもしてこちら側に引き込む方が余程物を探すにしても有利になる。
しかし、そうは出来なかった。それでも、バレそうになったからエーデルを殺した、葵を動揺させるためにエーデルに化けた、葵から逃げ切る為にニントに悪夢を見せた。この時点でどうしようもなく加害者であり、身勝手な話である事に変わりはない。
その事実を理解しているからこそ、例の物を手に入れた葵を取り逃せず、葵がもう持っていると聞いたから、彼から奪って終わらせる以外何も考えられなかった。使命を果たす以外に、最早自分に許せる道がなかった。
「初めての刺激だったのかもしれないわ。皆は太陽だったのよ」
「太陽……?」
「月光は美しいわ。わたしはずっと月の光だけを浴びていた。でも、初めて見る太陽の光の眩しさは、鮮烈だった」
「アーリア、お前そんな風に思ってたのか……?」
「最初こそ陽気だったけど、本当は何かに焦っていて、怒りっぽくなってたニントは、力仕事で困ってる子達には手を貸してくれたわね。ルイは皆が安心出来るようにいつでも笑ってくれていて、でも本当は1番の心配性。ミゲルはどんな時でも楽しそうに、気楽を装ってくれて、人から不安を払おうとしてくれてたし、寝る間も惜しんで辺りをよく見て回ってくれていた。ヒナタちゃんは皆と仲良くなってくれて、細かい気遣いも沢山してくれたし、本当は聞き上手だし、優しい子よ。ワカバちゃんも人見知りなところはあるけれど、小さい怪我とかもすぐに気付いてくれて、人が傷つく所がとても苦手な子。エーデルさんは、本当に鋭い人だったし、わたしが思うよりも沢山の物が見えていた……そして、それでも時々孫を見るみたいにわたしの頭を撫でてくれたわ」
葵の知らない時間、彼等だけだった時間。どれだけ地球での日々に愛想を尽かした人であったとしても、ここを選ぶぐらいにはお互いに助け合い、お互いを理解し合おうと皆は過ごしてきたのだろう。
目を合わせられず、複雑な表情を浮かべるニントと葵達の反応は決して必ず同じではなく、葵とベルタはやはり部外者なのだ、あくまで。
「わたしは皆の事を観察して……いいえ、よく見てきたつもりよ。皆が1人1人どんな事をする人か、どんな人格か、なんてわたしの目的を考えたら知る必要なんてないのに。ないはずなのにね」
「……それでも、その人が生きてるものだと、自分達と変わらないんだと認識したら、つい知ろうとしてしまうんですよね」
葵には覚えがある事だった。知るべきではないはずなのに、使徒達の個人を知ろうとしてしまい、いつしか知らなければいけないに変わった。相手からすれば、どうあれ殺されるという結果に変わりはないと分かってはいても、知る程に自分自身もやり辛くなると分かってはいても、そう選択してしまう。
「ええ、本当にそうよ。勇者さん」
「貴方も、やはり──」
「でも、勘違いしないでね、絆された事は美談でも、悲劇でも、喜劇でもないのよ。これはただ、わたしという人間が、アーリアという女は、どちらの種から見ても失格であったという、ただ……ただ、それだけの話」
葵から目的の物をもし手に入れたらどうなるか、使徒まで送り込む程なのだから、相応に何か大きな価値があるのは間違いないだろう。まだ不完全な邪神、その幼体がそれを得る事で次の一歩を進めるようになってしまうのかもしれない。そうでなければ、手持ちの貴重な信奉者や戦力をこんな危険地帯に送り込みはしないのは事実だ。
アーリアはそれを手に入れて、捧げればどうなるかは想像がつくはずだ。葵の予想だから可能性の範疇とはいえ、邪神の繁栄、あるいは進化。その代わりに地球と人類の滅亡への加速。それが待っていると分かっているはずだ。悲願の裏の犠牲に目を向けて、立ち止まり切る事も出来ずにその場で足踏みをしている。それがアーリアだ、そういう点で彼女はきっと半端者なのだ。
「わたしからの話は、それだけ」
スカートをつまみ、お辞儀をする。彼女の容姿、ドレス、それだけ見ればこの場所にもある舞台の上が似合いそうな様子だが、ここは舞台袖だ。彼女は女優になりきれなかったのだから。アーリア個人が出た、それだけが事実。
しかし──
「でも、終わりなのは話だけ」
そして、舞台は動き出す。
「っうわぁ!?な、何だ!?」
「げぇっ!?不自然すぎるぜこの揺れ!?」
「震動。多くの、何か。否、これは……」
突如として地面が、この場所全体が揺れ始める。しかし、地震等の類ではない揺れ、この場所自体を動かさんと何かの力が働いていた。
「貴方は甘いわね、皆を守る事で手一杯で、ここから外については足りていなかったみたい」
アーリアは逃げ出す様子はない。むしろ、地面を蹴り、向かう先は──
「ベルタ!!」
「──」
指先だけが魚人達のように鋭く、刃物のような爪になったアーリアはベルタの方に向かって突き出して突進してきたのだ。
ベルタは無論、鎌を取り出す。アーリアの動きは予想外かつ素早いが、使徒のベルタなら対応出来ないわけではなかった。だが、アーリアが動き出したと同時に地面を蹴って、その進行方向に飛び出した人間がいた。
「ぐっ……ぅっ!」
葵だ。アーリアの爪に脇腹を貫かれ、歯を食い縛りながら痛みに耐え、アーリアを捕獲しようとするが爪を引き抜いて彼女は距離を取る。
「葵……ッ!?」
無理矢理引き抜かれた影響で血は容赦なく吹き出し、姿勢を保てずによろめき、ベルタはそれを慌てて支えるしか出来なかった──




