第116話:宿無し
皆の就寝後、葵は1人で結晶に封じられた奥の扉の前に来ていた。
結晶に触れ、目を閉じる。目を開いていても感じられるが、目を閉じると、本来は見えない様な物が見える、あるいは感じられた。自分の中に入り込む魔力、結晶という厚い壁に阻まれた先から感じられる魔力というエネルギーの元になった存在が──
「自分から来てくれたんですね、ニントさん」
ニントは少し驚いた顔をした後に、忌々しそうに、悔しそうに唇を噛んでから息を吐く。
「ああ、テメェも話があるだろうし、こっちもそうだからな」
「そうですね。折角足を運んで下さったのでお先にどうぞ」
「飯を食うわけでもねぇんだから譲る必要はねぇよ。用件を言いやがれ」
用件を言えという言葉は立場だけで考えれば葵の方の言葉になるが、言葉尻をとらえる様な事は当然するはずもなく、葵は頷いた。
「貴方が何故外に出る事に対して消極的なのかをお聞きしたかったんです」
「──さてはそれ、ワカバからも聞いたな?」
「はい」
「はっ、血も涙もねぇひでぇ奴だな。そんなもん誰だって言い辛い理由であろう事ぐらい察せると思うがな?」
「言いたくなければ構わないです。それなら聞かずに俺は貴方達を外へと連れ出します」
「傲慢だな、勇者様」
「ここで黙って死のうとしてる人達に、嫌なら仕方ないと言って見捨てる選択は俺には出来ませんから」
「人に恨まれるんだぜ、そういうところがよ」
使徒は当然、エリアとのやり取りや、若葉とのやり取りもそうだ、この世界で生きたいと選ぶ人達の事について少しずつ知っていった。元の世界で起きたことで、邪神とは関係のない人間同士の出来事で、元の世界に疲れてしまった人達が多かった。
捨てたものじゃない、貴方にも残されたものがある。それが事実である部分があったとしても、それを赤の他人に言われても彼等の多くはきっと納得も出来ない。だからこんな風に怒りを向けられたり、対立が避けられない事だってある。
「でも、俺が恨まれるだけで人命が救えるならすごく安い事じゃないですか。本題に入りましょう、ニントさん。俺の疑問に答えるか否かぐらいは言ってくれないと、貴方の本題にもこのままでは入れませんから」
「じゃあ答えてやる。テメェに教える義理はねぇ──」
そう言われるだろうと思いつつも、それなら仕方ないで済ませるつもりも本当はない葵は、どうしようかと内心思っていた。
だが、ニントは返事だけで終わらせるつもりはなかったらしい。大股で葵に近付き、葵の首にナイフの刃を当ててきたのだ。
「……貴方との約束を貴方自ら反故にするつもりですか?あれ以来誰もまだ亡くなっていません」
見覚えのある血のついたナイフ。若葉はあの後、己を守るつもりで持っていたはずのナイフが怖くなってしまい、拾えずに置いていったらしい。
それを見つけたニントは何が起きたのか察した上で、これをいざという時の為に取っておいた。戦う為でも、当然皮を剥く為でもない。もっと惨めな使い道しか今の彼には浮かばなかった様だ。
「そうだな、約束はそうだったかもしれねぇ。だが、テメェは邪魔だ」
「理由は……今更聞くまでもないですよね。でも、何故?そこまでして」
「言っただろ、教える義理はねぇ。だが、勇者はやはり消えねぇとな」
「そうですか……」
何故なのかは少しも答える気はないらしい。葵が皆を連れて外へと向かおうとすることを止められないならば、せめて葵を殺す事で出る手段そのものを奪い、物理的に出られなくして皆を諦めさせるしかないのだろう。
若葉の話を聞いた葵は、ここに残り続ける危険性が分かってもなお外に出ることを拒む者の心理について少し考えた。それは、ここが安全だから選んでるのではなく、それぞれの諦観だ。各々の手に負えない事に埋められてしまって、身動きが出来なくなり、動く事すらも苦しく、疲れてしまったのだろう。
ニントがそうなのかは分からないが、この様な事に及ぶほどに彼なりに追い詰められているのは間違いないだろう。短絡的な選択で、それがここの人達にも責められる選択であったとしても、意地でも止めたくなるほどに。
しかし──
「うっ!?」
ニントは突如として頭に衝撃を感じる。突如として脳天に与えられた衝撃で混乱し、身体のバランスを崩す。その隙に相手の首根っこを掴んで、自分の身と位置を変えて結晶にニントの顔を押し付ける。
「ぐがっ……!!っその、女もやっぱグルかよ!!」
「葵の話し合いの場を作る。それがわたしの任務。貴方の想像とは異なる」
「ベルタ、ありがとう。滅茶苦茶助かったよ」
「構わない。頼って良い」
若葉の時と違ってこの事態も想定出来た上に、ニントが完全な一般人ではない事を察しつつある今、話し合いを成立させる為に多少の実力行使をしても問題ないと葵は判断したのだ。そして、若葉の時にあれだけ殺気を放っていたベルタに最初からこういう形で関わらせておけば、彼女をある程度抑制出来るという意図があった。
なお、葵としては彼女に助けてもらうという前提がその分出来る事は、少しばかり思うところはあった。敵味方ではなく、年齢の近い女性に自分を守らせるという事が申し訳なさと少しの恥じらいが入り混じるのだ。
「?顔の温度が上昇している」
「気にしないで……」
その最中も、ニントは結晶に押し付けられたままにもがくが、拘束を緩める事は出来ない。体格だけでいえば葵よりニントの方が上なだけに、ある程度無理をすれば普通ならば抜け出せるはずだったが、この世界の適応によって体格差や運動能力の差は大きくついてしまう。異世界の理不尽さを密かに彼は感じ、舌を打つ。
「では、話してくれますね?」
「っ、誰が……!!」
ここまで拒否されては仕方がない。なんて、それで終わらせるわけにはいかない。相手の不満点や理由はちゃんと聞いた上でできる限りの説得をしたいというのは若葉の時と同じ。その為にも、葵の中の疑問点は晴らす必要がある。そした、そのヒントになる物が今の葵にはあった。
「ベルタ、悪いけれど俺のポケットに入れてる手記を取り出して10ページ目をめくって彼に見せてくれる?」
「分かった」
ベルタは言われた通りに調査員の手記をめくり、目的のページに辿り着いたら、そこを開いた状態でニントに見せる。突然の行動に最初こそニントは訝しんでいたが、その中身を改めると目を見開き、葵と手記の交互に視線を向けた。
「──こ、これは」
「俺が書いた物ではありませんよ」
「それは…………それは、分かる。分かってる」
力のない返事と共に、腕や足に込めていた力が一気に抜ける。抵抗が無駄だと悟ったのではなく、この場の自分の事よりも彼にとって衝撃を受ける事があったのだろう。その分の力は唇をきつく結ぶ方に使われていた。自分の口から出ようとした色んな言葉を無理に押し込める様に。
「貴方、ノアの調査隊員だったんですね」
葵の指摘に否定もせず、誤魔化す様な悪態をつくでもなく、ニントは黙って頷いた。
そう、葵の託された手記の中には調査の結果や考察以外にも、仲間について言及することが書かれていた。突入してからの手記だったのもあって、内容は仲間に向けた遺言だった。その中にニントの名前があった。
『ニント、世界が救われる日を代わりに見てくれ。悪い事ばかりしたから幸運の女神様に愛想は尽かされてるかもしれないが、悪運とは仲が良さそうなお前なら、あるいは。だから死ぬなよ。禁酒も続けろよ』
そう書かれていた。きっと大半の仲間は既にいない、というよりもニントしかもう既にいないのかもしれない。
だとすれば、葵は辛うじてちゃんと遺言を託すことが出来たらしい。自身が遠からず死ぬと思っている中で、他の仲間に生きていてほしいという祈りを込めた手記の主の心境を思えば、せめてその祈りを伝える事ぐらいは出来なければあまりに無情が過ぎる。
彼に抵抗の意思がない事はもう分かった。葵は拘束をやめて、手記をニントに手渡した。必要な情報は頭に入れた以上は、これの行き先は彼の物だろう。ニントは結晶を背にへたり込みながら、その中身を読め始める。
「……貴方が調査隊の人だった事は、外への拒絶と関係があるんですか?」
「…………ある、あるが……そうか……そうか。アイツらも、死んじまったんだな」
「ニントさん……」
親指で仲間の書いた字を静かになぞっていた。そうする事で、彼等の声が聞こえそうで、インクの濃度でどんな風に書いたのか感じられそうで、名残を求める様にそうしていた。それでも分かるのは、彼等の為に置いておいた秘蔵の笑い話を二度と聞かせられないんだという実感のみ。
「……オレが、ノアに拾われたのは偶然だった。調査隊に入る事になったのだって、姐さん……リーダーに目つけられたからってだけだった」
彼女に会うまでは居住区で酒を飲み、時には船員に隠れて異世界産の多幸感を覚える薬草を吸ったりもしてたらしい。
それが見つかった時は民間人相手とはいえ、ミアに特に強く怒られ、その薬草はニントには分からない位置で保管される様になった。元よりその草はそんな目的で置いていたわけでなく、治療の為に使う物で、その上で民間人は出入りが許可されていない部屋に保管されていたわけだが。
「勇者が世界を救うっつたって、その間生きてられるわけもねぇし、ろくでなしのオレに帰りたい故郷なんてもんもねぇし。酒、薬、アレは良い。全部忘れられるからよ」
「否定。それは一時的な多幸感。永続的な救済とはならない。ましてや、完全な忘却など」
「わぁってるよ!分かってたんだよ……分かってたが、自分がロクでなしだと気付くと、焦りと不安と、滅茶苦茶になっちまうんだ……そんなオレでも姐さんは見捨てなかった」
調査隊のリーダーの女性はニントよりも歳は下だったが、ノアの中でもベテランの方で、各地の魔石等の補給地点を見つけられたのも彼女の尽力は大きかった。行動力に溢れていて、予想外の事態が起きても考える事をやめず、皆を引っ張っていける性格だった。
『大人の男なのに子供みたいに甘ったれね貴方って!人に迷惑をかけるのも面倒くさくなる程に疲れるまでコキ使ってあげるから覚悟なさい!』
燻っていたニントを半ば強制的にに引き入れ、酒を飲もうとしないか常に近くで見守り、子供にそうする様に何度も何度も何度でも彼の事を叱った。自分の情けなさに我慢出来ずに当たり散らしてる時も根気良く彼の話を聞いた。そして、他の部下の不満もその時に聞いていたのだ。ニント1人にだけ時間を費やすわけではなく、自分の仕事と部下の為に彼女の時間はあった。
『元の世界に帰った時に、怖い夢を見たと震える日々になってほしくないわ。口うるさい女がいた、全くうんざりだ、なんて笑い飛ばしてもらいたい。笑い話にするには今を過去にしてやる必要があるわ。そう、帰るのよ。皆で帰るの。勇者がいつか帰り道を教えてくれるから、私達はその時までに綺麗にその道を舗装するのが仕事よ。誇らしくない?』
それは奉仕ではなく、ただそうしたいからというものだった。
「だが、そんな姐さんも……」
「亡くなられたんですね」
「ああ、失意の…………失意の、内にな。あんなに慎重だったのに、罠にかかって……皆も散り散りになって……」
言葉と言葉の間に生まれた空白、思い出す程に今この瞬間の事のように憎悪が滲むのか、歯の軋む音が代わりに間を繋いでいたほどだ。
散り散りになってから、運良く地上まで辿り着けたのが葵の前で自害した調査隊員だったのだろう。彼の精神に異常を、心に深い絶望を与えた物は何なのか。それもまたニントの話す事に繋がってくるのだろう。
ただ、エレンからその件を事前に聞かなかったという事は、そのリーダーが亡くなったのは最近になってからのこと。ここの調査隊と最後にノアが合流したのは葵が来る前の事、ノアがこの周囲を通ったところをまだ見ていない以上、彼が何故その件で葵を敵視するのかは想像がつかない。
なにより、先代と関わりのあるクルーではないことも分かっている彼は、先代と混同しているわけではない事も分かっているから釈然としない。
「この場所は咎人の遺跡。ただの幻影、ただ悪意を見せるんじゃなく、ここの魔導書もそうだ、ここは鏡の様に前に立てば無機質に映し、どっかの童話の様に物を教えてきやがる。内側にある不安の答えを映す様に。勇者、お嬢ちゃん、この遺跡の上層ではお前は何を見た」
「上層?自分は……階段を降りた直後の通路では点滅する信号とか、見た事のない言葉が書かれた壁とかですね」
「推測。貴方はわたしと遭遇してからほぼ真っ直ぐにここに落ちてきた」
「そう、なの?」
「わたしはそこより先にも侵入した。ニントが知りたいのはそちらの方。わたしは真っ白な部屋、窓が1つだけついた場所」
「真っ白な部屋?」
「中央には落とし穴、落ちた先の方に貴方がいた」
「まるで会わせる様に誘導してるみえてぇだな……とにかく、やっぱお前の見てる景色はオレ達と違ったようだな」
「疑問。わたしと貴方達以外のサンプルは?」
「オレ達以外のサンプルは多分死んでるだろ」
「じゃあ、やっぱり調査隊のリーダーの方もベルタとは異なる物を見ていたのですか?」
「見た、見たが──」
勿体ぶった言い方をするが、ベルタの感情のこもらない目を見て怯む。根負けをしてくれる可能性も、言いたくないならと退いてくれる可能性も感じられない目。彼の抱いた本能的な恐怖心はノアに属し、使徒というものの危険性を聞いたことがある身だからだろう。彼女が使徒と知らなくても。
「──地球」
「?」
「地球を守る為にオレ達は、ノアは戦ってんだよな」
「そうです」
「皆それぞれ、帰る為だとか、家族や大事な人に再会する為だとか。他にも、ほら、普通に寝たい、普通に飯を食いたいとか、そんな感じでまぁ……頑張ってんだろ」
もっとも、そんな目的を持ってるわけではない身だから歯切れの悪さはあるが、彼なりに戦う理由を、抗う理由を見つけていたからここに至るまではやってこれたのだろう。それもこれも姐さんと呼ばれる隊長がいたからというのは大きいのは、今の彼を見れば分かる。
子供でいる間は転ぶ事で立ち上がり方を覚えるが、大人になると上手く転べないと立ち上がり方を考えるのが難しい事もある。人によるが。
「だが、戦うオレ達に元の世界の状態を知る術はない。今が何年で何月の何日で何時何分何秒なのかさえ、誰も正確には知らねぇ。元の世界では時計を見るだけで簡単に分かった事すら」
「俺達は、今元の世界と完全に断絶されていると……しかし、そう言い切るには新たな転移者が何人も見つかってる点にあると思いますが」
「そいつらが地球で意識を失ってここに来るまでの差はどうなる?オレは調査隊内て聞いた限り、1番後輩のオレが意識を失ったと思われる日は、調査隊の中で順番をつけたら早い順で3番目だった。分かるか?」
思えば、皆の転移する前後について聞いた事はなかった。だから、葵が遭遇したこの世界の知識がまたない人や、突然ここに呼ばれて混乱してる人は、自然と葵よりも後に意識を失ってこちらに来てるものだと思っていた。だが、転移の手順に使う時間自体は不規則だったと言うのだ、ニントは。
「だから、外を正確に把握出来てないって事は、どういう事か分かるか?家に窓がなけりゃ外が朝か夜かも分からないってんだよ」
「不毛。比喩の継続に話の進歩はない」
「オレ自身、考えるほどにどうと受けて良いのか分からねぇんだよ……いや、だが、お嬢ちゃんの言う通りかもな」
「時間稼ぎに付き合う義理はない。わたしも、彼も」
「──姐さんが、オレ達が見たのは、地球が、人類が死に絶えた世界。この世界にいる様な化け物が何かを崇めている世界。滅亡した地球だ。まるでこの世界みてぇな」
沈黙。絶句。
思わず葵は拘束の手を緩めてしまうが、ニントもそれで逃げ出したりナイフを向けてくる事はなく、葵の手を払うだけだった。
「滅亡した……地球?」
しかし、葵が先程見た通路での幻影の事を思い出せば、心の隙につけ込むのは咎人の遺跡の得意分野だ。それで動揺するにはまだ早過ぎる。
そう思う、そう思いたい。だが、ニントは続けて口を開くのだ。
「最初はまやかしだと思った。当然だ、そういう悪意がこの世界には多くあるからな。だが、ミハエルの野郎が開発したレーダー……エミナさんが使ってるやつの小さい版だ。オレはそれを使って観測をしていたが、魔術の反応とは異なる動きではなく、脳波とかに近いものだった。分かるか?何かが自分の頭ん中見せてるんだ」
それだけだと信憑性がないと言うならば簡単だろう。しかし、ミハエルがデタラメな物を作らないという信頼がある上に、葵が通路で見た物、そこで自分がした考察が繋がるだけに、葵は否定が出来なくなった。
「つまり、貴方はこう言いたいのですか?既に地球は最早救えない状態になっていて、まだ俺達が知らないだけだったのだと」
帰ってくるのは無慈悲かつ、見間違えようのない無言の首肯だけだった。




