第106話:現実を歩く人々
遺跡の避難所(と葵が勝手に定義した場所)で、アーリア、日向、若葉、ニント、ルイ、ミゲルの誰1人今後死なせない事、誰か1人でも死んでしまった場合は葵に相応のペナルティが課される事。これがこの場所で葵に与えられた目標であり、与えられた役割だった。
その上で葵はアーリアの言っていた事の真相と、ここへ導かれた理由を見つけなければいけない。それに加えて、ベルタの言っていた魂とやらについても気になっていた。邪神が真剣に求める物、それを邪神が得る事は何か人類にとっては確実に良くない事が起きることなのだと感じていた。ベルタよりも先に最低でもその在処を把握していなければいけないだろう。
そう、やるべき事を整理するごとに全てをこなす事の大変さが露呈してくるのだ。だが、どれか1つでも捨てることは、彼には出来ない。何故なら、どれを取っても目の前の人達を救うか、より多くの人を救うかに繋がる。手放す選択は葵には出来ない、考えられない。
100%が叶わなくても、望まれるのならば応えたい。その為に自分がいるのならば、応えない理由がない。最善を尽くすのは当たり前。彼は必ず自分に対してならばそう考えるのだ。
それがどれだけ困難な事なのかを、皆が分かっていないはずもなかった。真っ先にニントは部屋に戻り、アーリアもしばらくして部屋に戻ったが、後の面々は不安からなのか部屋には戻ってなかった。見ず知らずの男性に、腕前や立場に対する信用もまだない相手に自分の命を預けるという話の方向で決められてしまったのだから、困難であると分かるのだ。
葵もまた、やると決めてこそいるが、不調が沈静化したわけでもなければ、最初の目標にしていた皆との関係を良くしていくという方向性に関しては悪化してしまった事等で、色んな意味で頭が痛くなっていた。
(いや、でもそれがどうした?)
額に手を当て、けたたましく再生され続ける痛みを不揃いなテンポの呼吸で誤魔化していた。戦闘を挟んだわけでもないのに妙な疲労感は強く、流石に腰を下ろしているほどだ。それでも、強がり抜きに真っ先に浮かんだ言葉はそれだったらしい。
(達成出来るか否かではなくやるんだ。皆の命と世界の命が背後にあるのに、可能か否かなんてあまりに無粋。出来ないやつが勇者なんて出来るわけがない)
彼の中には不安こそあっても、それはやるべきかやらないかの2択に関わる感情ではなくなっていた。不安が足を引っ張る可能性はあっても、その結果やるべき事を放置したら状況は悪くなるばかりで、自然と良くはならない。葵はそう理解しつつある。
「や、やっほ〜なんて」
葵の頭上からかかった声に驚き、額に当てていた手を下ろして見上げる。
そこには日向の姿があった。笑顔を浮かべながら話しかけようとした様だが、葵と目が合った瞬間、一瞬目が泳ぎ、その中には微かに怯えの色も宿していた。それでもなお自分から声をかけてくれたのだから、その態度に当の葵は不満を持っているはずもない。
「日向さん、どうしたの?」
「え、え〜っと、何かこう。しっかりした用事ってわけじゃ、ないんだけどさ。なんか、変な感じなっちゃったじゃん?ニントさんの話の方向性が……」
「ああ、まぁ……」
「で、でもね。荒っぽいけど、人とか殺しちゃう様な人に思えないんだよ。ウチ、ここ来たばっかで色々怖かった時とかも、杏菜と一緒に寝ないで見張っててくれたし……だから、なんか気が立ってて言っただけだと思うから。あんま、マジに受け取ったりしなくて、良いと思うんだ」
ポツポツとそう語りながら、葵の隣に腰掛ける。彼女の明るい声は、それを保とうとしても保つ事が出来ずに弱々しくなっていく。
葵の立場から考えれば、ニントに対する擁護に聞こえるだろうし、事実その要素自体はあるのだろうが、彼女なりに想像し得る最悪の結果は起こらないのだと励ましたかったのが真実だろう。言われた当人も気を悪くする事は無論なく、気遣いへの気持ちも込めて笑顔を浮かべる。
「ありがとう。俺もそんな人じゃないって分かるから」
「い、いやね!でもでもよく考えたら当の君に言う事じゃないじゃん!?ごめん!今のなし!!」
「なしにする事ないよ。なんか、そうかなって気がするよ。無論、俺も少なからずビックリしてるけれど。ニントさんは君達を守りたいんだなって、そうじゃなきゃベルタの言葉の皆を巻き込む言葉選びの部分に怒りはしなかったと思うし」
「うぅ〜そう言ってくれてマジありがとうなだけに申し訳ない〜!」
「良いって。俺やベルタが怪しいって思われても仕方ない状況なんだし、その中でより致命的な事が起きた後だっていうのに、声をかけてくれた。俺はそれで十分だよ」
「そー?なんか、めっちゃ本当にありがとうね」
ようやく少しだけ安心した様に笑みを浮かべながら、少しだけ葵に距離を寄せる。手を伸ばしても肩にまでしか届かないぐらいの距離だったのが、首に余裕で届くぐらいの距離だ。
「葵っちさ、なんか落ち着いてて頼りになる感じない?」
「そう?滅茶苦茶慌ててるよ、人並みに」
「そうなのかもしんないし、実際結構しんどいなぁってなってるかもだけどさ、今を何とかしないとって目してるから」
「す、すごく褒めてくれるじゃん……」
「え〜褒めっていうか、客観的ってやつ!つまりね、ウチにはそう見えるから、葵っちを疑ったりしてないから、そこは安心してってやつ!」
「疑っても別に良いのに。でも、ありがとう。日向さんの立場からそう言ってもらえる事がすごく嬉しいよ」
「疑われてるなって分かるの嫌じゃん?なーんか嫌な目向けられてるなって分かっちゃうじゃん?そこにウチは安心をお届けしますってつもりだからさ!」
怯えた顔に、泳いだ目も葵の頭には新鮮な記憶として当然残っているわけだが、彼女の伝えたい事は分かる。媚びるわけではなく、化け物なんていないと信じたい気持ちと、葵が孤立する構図になってしまわない様にという彼女なりの立ち回りなのだ。その為にも直接伝えるのが1番良く、それ以外彼女は考えられなかったのだ。
無論、純粋な善性がやはり葵の胸に染みる事に変わりはない。
「大変な環境に置かれてるのに、皆が笑顔を出せる秘訣って君なのかもしれないね」
「え?」
「だってそうやって皆の様子をいつも気にかけてくれてるんだろうし、明るく振る舞うって簡単な事じゃないから」
「そ、そ〜?そうかなぁ?いやね、振る舞うとかそんなさ。ウチの取り柄っていうか、特に考えずナチュラルにこんな感じってだけだしさ!」
「自然な自分をいつでも出せるわけでもないし、ましてや異世界なんて場所だと尚更だよ。どんな形であれ、いつも通りじゃない自分が出てきちゃうものだと思うから、それは君の強さの一部なんだろうね」
言っている葵自身だって、最初から落ち着いてるわけでも、いつも通りでいられたわけでもなかった。突然化け物に囲まれて、逃げ惑って、使徒と遭遇した時もリンドが撃たれるまで覚悟を定められなかったと彼は考えている。彼自身の認識として、直前までは普通に登校している最中だったのだと考えれば、いつも通りでいる状態とは本来ならどちらを指すのか?
それを考えれば、日向は確かに彼女の言う通りの自然体なのだろう。葵は誰かの維持してくれるいつも通りという物に対して、尊敬と言うと大仰になるが、それに近い感覚を抱いている。それだけに、この言葉に世辞は含まれていなかった。
「強さ、つよさ……?」
「うん、それにほら笑顔で元気を分け与えるってよく言うからね」
「いや、あの、それ」
「慣れない相手とか、怖くても仕方ないのに俺にも声かけてくれてさ。正直、すっごくホッとしてるんだ」
「待って」
「俺って初めて会う人相手には緊張しやすいからさ──」
「待て待て待て待て!!」
「むごっ!?」
日向に突然口を手で押さえられ、葵はこの後に発生する事が葵の謝罪か、敵対かの2択になると予想し、脳内では緊張が走っていた。
しかし、彼女の顔の方に視線を向けると、そのどちらも見当違いな事だとすぐに判明した。日向は大急ぎで葵の口を手で押さえた後に、もう片手で顔を扇いでいた。笑顔はそのままに、赤くなった顔を必死に冷ましていた。
「──えっとだね、世辞抜きなんだけど」
「だから、それだから!マジ照れちゃってるからちょっと待てって言ってんの!」
「えっ…………その、ごめん?」
「あ、あんま今喋るのなし!手が擽ったいっていうか、そうじゃん、めちゃ恥ずいじゃん!!」
彼女にそう伝える人は他にもいそうだったからここまで狼狽えるとは思わず、葵も大概戸惑っていた。とりあえず待てと言われたから待つ他なく、待つをやった。
その末に日向は顔の赤さをそのままに立ち上がる。笑顔も崩れて、何やら悔しげな顔を浮かべて小さく頬を膨らましながら。
「葵っち、褒め殺し罪!!」
「???」
「葵っちはウチを褒め殺しにしようとした罪で明日は良い事が起こるでしょう!!」
「裁きなの!?それとも占いなの!?」
捨て台詞と言って良いのか怪しい台詞を吐いて、日向は逃げる様に走っていった。取り残された葵は己の選択の成否も分からないまま、伸ばし掛けの手だけが呼び止めようとした名残として虚しく伸びてるのみだった。
(これは、悪寒!?)
そんな葵を遠巻きに見ていた若葉は半分チンピラの様な表情になりかけていたが、会話が中断されたからか、威圧感だけを残して日向をゆったりとした足取りで追いかけていった。葵の褒め殺し罪の影響はあるかもしれないが、どのみち日向から声をかけに来て、気付けば爆発していて撤退して、そのどれもが日向の自主的な行動だから、怒りを向けられても葵にはどうしようもない。
色々と結果的にこれが良かったのか否か、混乱する終わりとなったが、彼女との会話でとりあえず真っ先にやるべき事が定まった。
まず、葵は彼等を守り続けなければいけないが、彼等は現時点でもまとまって動き回ってもいなければ、安全の為に行動を制限してもらえるかと言えばそんなわけもない。それはそうだと納得する者もいるかもしれないが、それに対して納得出来ない者もいる。彼等に言う事を聞かせようなどと葵はまず考えてもいない。
ならば、最初に出来るシンプルな方法を取るのが良いだろう。人目につかない場所が良いが、あんな事があった後だと葵だけ姿が見えないと怪しまれる。せめて、彼等から背を向ける様にして実行することにした。
「使い魔を生み出す魔術、ここに来る前に読んでた本で少し見たけど、やるのは初めてだからどうなるか……」
ライの狙撃の際にスポッター代わりに使われていた使い魔の事を思い出せば、使い方次第ではアレを目に出来る。ニントが皆を監視の目だと言うのならば、こちらも監視の目を用意したら良い。化け物がいようがいまいが、人の目があるとおかしな動きをやりにくいのならば、人の目を増やせば良いのだから。
幸い、ここは葵にとって異常なほど魔力の馴染みが良い。体調が良くない原因になってる頭の状態も本来なら術の構築の上で困る事だが、今の葵には最も重要な出来るという確信が不思議とあった。
(使い魔に必要なのは、生命を感じる感覚。生命を手の上に掴む感覚)
無機物を生み出すものとは違い、それは少なからず意思と生命を持つ。生命を呼び戻す事が魔術で不可能な様に、生命に近い術はただ術のみで成立出来るものではない。魔術に魂の欠片たる魔力を要する様に、使い魔には生命の欠片とも言える物を使わねばならない。ただ人形を作っただけでは人形は動かない、動く様にするにはそうした機構を積む必要があり、そこからある程度の自律稼働させるとなると更に複雑化していく。そうなる様に嘘でも良いから、使い魔の生成要素を近付けなければいけない。
故に、言霊と魔力によって成る術式のみならず、その機構を呼び出す為に生命力の欠片が必要となる、そんな風に書かれていたと葵は思い出す。使い魔に難しい事をさせるわけではない、ただ指定した場所で見た物を直接共有してくれれば良いだけなのだから、欠片で構わない。想像を補う為の補助輪の様な物なのだから。
葵は心器を出し、それを逆手に持ち替え、刀の先端をもう片手の人差し指の腹に突き立てる。
つまるところ、最もそれで用意しやすい物といえば血液になるだろう。小さい傷なら塞がるまで早く、これくらいの出血なら支障もない。
「連なる項、破りて我が下へ。世の境界を貫き──」
「ま、ま、まままさかそれ、魔術、ですか!?」
「っ!?」
思わず詠唱を止め、肩越しに背後を見てみると紐で綴じられた本を持ったルイが口を開いたまま呆然としていた。
「ルイさん……」
「し、失礼。日向嬢が貴方に声をかけに行ったところを見ていたのですが、何やら大慌てで戻ってきたので、何か困り事でもあったのかと思って」
(どうりで順番に来たみたいになってたんだ……)
「で、その……今やろとしていたのは魔術ってやつですよね……いえ、隠さなくても知ってますよ。知ってますが、いや驚いてしまって」
「知ってるのに驚いた……?ああ、説得力ないかもですが、俺は別に変な事をしようとしたわけではなくて──」
「それは、疑ってはいないのですが、まさかこの世に他の魔術師がいらっしゃったとは……」
「え?」
魔術自体を見慣れている反応というわけでもないのに、他の魔術師という言葉が出てくる事に引っ掛かりを覚えた。ノアとの接触もなければ、異世界での遺跡より外を経験したわけでもなさそうだというのに、どこでそう感じるキッカケを得たというのだろう。
今回の件に関係するか否かは分からないが、違和感のない程度に、そして葵のやろうとしていた魔術が怪しまれない程度に話を逸らす為にも葵は続けて口を開く。
「他の、と言いますと。ルイさんは魔術師とお会いになった事が?」
「あっっ!!あ、いえ、それは。いや、困った。参りましたね……」
(俺にわざと聞かせてくれようとしたわけではなかったんだ……)
しばしの沈黙、腕を組みながら唸り、話すか否かを考えている様だったが、葵も話したくないならそれで良いとは言わなかった。案内を終えた時と同じ、大事な話を濁している時の様子と同じだっただけに、取り逃がしたくない情報だと葵の直感がそう感じたのだ。
ルイも少し粘ったが、観念した様に息を吐きながら肩を落とす。
「魔術師は、この場にいるんです」
「この場に?そんな身近に?」
「えぇ、だから……ニントさんがそうなんですよ」
「にっ!?…………オホン、ニントさんが魔術師と名乗ったのですか?」
「あまり言いたくはなかったのですけどね。貴方に話したと知られれば怒られますからきっと。ええ、彼がそう言いましたし、事実として彼が魔術と言える様な不思議な光を放った事があるんです。一度だけですが」
「それは、どんな術を?」
「どんな物かは……詳しくは知らないんです。彼も言わなかったので。ただ、信じる者は救われる魔法なんだと」
「それは、また実態が掴めないものですね」
「掴まれてはダメだから、彼も詳しくは言わなかったんだと思いますけどね。それに、そうした魔術だとか、オカルトって実態を掴んではいけないものなのでは……?」
ルイの中では、ルイ達の中では異世界で行使出来る様々な力は、ちゃんと異常であり実在するものではないらしい。
それ故に、ニントに対してあまり強くは出られない、頭が上がらない様に見えたのも、彼がそれを行使出来る側の人間であり、彼等からすれば自分よりも力のある存在だったからなのだと分かれば、納得もいく。まだ、彼等のニントに向ける感情を加味していない推測だから、アテにはならないが。
「──来た当初からその魔術を彼は使えて、来た当初から魔術師を名乗っておられたのですか?」
「魔術師は名乗っていましたね。滝沢さんが想像出来ないくらい、最初に会った時の彼は陽気でしたから、多分酔ってるだけだろうなぁ、なんて思ってましたけどね。その魔術も、彼曰く思いつきだったそうなので」
(信じる者は救われる魔法?思いつきで?恐らく、彼の考え方から単純に考えれば、皆の為のものなのかもしれないけれど。そこからは想像はつかないな)
ニントはこの異世界に入った上で、ノアや魔王との接触を抜きに魔術を使える才能のある野生の地球人なのか、あるいはそのキッカケがあった側なのか。そのどちらかで話が変わる。
だが、怪しいか否かと言われたら、葵達が訪れるまで怪しげな事は鱗が時々落ちていたぐらいしかなく、こんな血生臭い事が起きる様子ではなかった。葵という歯車を元に動き出したのだとすれば、どちらとも言える様になる。邪神の欲する物を勇者が先に接触しようとしているのならば、このタイミングで動き出すのは当たり前だ。
しかし、ニントはそれを回収するでも、葵を始末しようともしていない。そう考えれば、彼は今だから動き出す必要のある人間というわけではなく、魔王側由来に魔術を会得したわけではない事にもなる。化け物か否か、その点は白だろう。
(敵ではないけど、向こうがそう認識してるかはまた別なんだよなあ)
「でも、魔術師が複数人いて、変な本があって、そんな中だと化け物がいるって言われたら信じてしまえそうです」
「信じたいものだけ信じておけば良いんですよ、こんな時は。自分の道の上に必ずある物は、ちょっと知っておいた方が良いだけで」
「難しく考えたら、確かに深みにはまりそうですからね。はははっ」
「ところで、その本は?」
ルイの手に握られたボロボロの本。本というには相当中身は欠けている様で、布製の表紙が手で持ってるだけで大きくへこんでいた。この騒動が起きる前の時には持っていなかったのに、今持っているのは葵も気になっていた。魔導書と違って、彼が手に触れて持ってくるという事は普通の物である証左にはなるだろう。
「ああ、そうです!これ、この手記を貴方に渡しておこうかと思って」
「俺に?」
「はい。これに挟まっていたメモで、勇者を名乗る人が現れたら、これを渡してほしいと書かれていたんです」
「……?それは誰から」
「ご存知の方ですかね、楠木誠也という方だそうですが」
「楠木誠也。いや、知らな──」
葵は血が出たままの手をこめかみにあてがい、目を見開いた。だが、それも一拍の間のことで、瞳をギュッと閉じた後に受け取った本に視線を落とす。
「会った事は、ないけれど。知ってる……知ってるよ」
悲しげな顔で眉を下げる葵に、ルイはただ首を傾げるのみだった。




