第105話:疑心と潮の気配
アーリアに殺された老婆エーデル。こうして事実だけを並べれば、話はそう難しいものではなかった様に思える。しかし、アーリアの証言がこの話を複雑にした。
いわく、エーデルが魚人に変身して襲いかかってきたと。それに襲われて怪我をし、混乱の末に殺してしまったという話だ。
殺してしまった事を誤魔化す、あるいは正当化する為に話を飛躍させているのやもしれないし、事実としてそれが起きていたのやもしれない。普通に考えたら前者であるし、殺されてしまった彼女の事を考えたらそう考える方が正常だ。
だが、後者が有り得るのが邪神の異世界。邪神の生み出した悪意。邪神の非常識。
アーリアはありのままを皆に話す。その結果皆はどう受け止めたら良いのか?世界の悪意の可能性と、ここで共に過ごした人間同士の殺しを。
「あ、アーリアさん。だって、そんな事……ッ」
「……ええ、ええ。本当に、私はとんでもない事をしたと思っているわ。だから、どんな言葉も……受け止めないといけないと思ってる」
ルイは首を小さく横に振りながらよろめき、口元を押さえる。血濡れのエーデルの遺体を見ながら、日向も悲鳴をあげそうになり、涙を目に浮かべながら必死に堪えていた。理性で抑えるにも難しい事態だが、背中をさする若葉のおかげでなんとか保てているのだろう。
「っお、お、おば、お婆さん。だって、こんな──」
「日向……」
「あ、杏菜。こんなの、変だよ。何で、この世界って、夢だって、だって……!!」
辛うじて絞り出した言葉は言葉として成立しきらず、口の中で霧散してしまった。膝から崩れ落ちて、彼女はそれきり何も言わずに吐き気を必死に我慢している。
ニントとミゲルはエーデルの遺体を近くで観察している。2人とも眉を顰めているが、冷静さを保っている。それも、実際のところは動揺している日向達の為にも、これ以上の恐怖心等の感情が伝播しない様に必死なのかもしれない。
「彼女が殺したというのかい……?ボクでもこんな風に一撃でやれたものか。いや、そもそもボクは追い詰められたとて、本能よりも根っからの臆病さが勝つだろうね」
「こんな時でも口が減らねぇんだな。いや、だがしかし……婆さん相手とはいえ、確かにびっくりだが……くそ、何で婆さんをアーリアが……そんなわけねぇよ。あんなに面倒見てたし、祖母と孫みたいに見えたのによ……」
葵の知らない彼等同士の関係が垣間見えるやり取りに、胸を痛める。事前に防げたことではないが、これまでそんな予兆もなかったのに起きた事件というものは、まるで自分が来た事で悪い歯車が起動してしまった様に思えたのだ。何か起きた時、自分のせいでそれが起きて、最低でも自分に原因の一端が必ずあるのだと考える事は悪い癖だと姉の紅音にも言われたことはあった。
ただの勘違いで、運悪くそうした時に出くわしたのだと思えたらそれが良かったのだが、彼等の悲しみと同じだけの感情を出せないことに罪悪感は覚えてしまうのだ。アダムに言った、生命の取り返しがつく様になる事に対する自身の否定の言葉が、自分の背後で笑ってくる気がした。
皆の様子を、そんな複雑な心境の中で見ている葵の隣にベルタが位置取り、小さく声をかけてくる。
「葵、アーリアの言っていた事を裏付ける話がある」
「えっ、本当?それはどんな話?」
「遺跡を訪れる前、主の命令で聞いた事。この遺跡にある物を入手する為に、既に眷属を向かわせている、と」
「眷属……!?」
「推測。わざわざ眷属と使徒の両方を向かわせるほどならば、緊急性が高い物があることは恐らく事実。それがなければ、わたしがここへ向かわされる事もない」
「少なくとも、邪神の気紛れとかの類ではないんだね?」
「そう。使徒も貴方の様な例外的な復活の手段を持つ者はいない。主にとっても我々は必要、リスクの高い場所にわざわざ送る事に余程の理由がないとメリットはない」
「そういうもの、なのかな……」
当のその陣営に属する者が言うのだから、間違いないのかもしれないが、ゼーベルアの口にしていた疑問も含めて考えると、メリットを置いたとしてもそれを選ぶ可能性はある様に思える。
ベルタが熱心な邪神の信奉者であるからこそのバイアスがかかっている可能性も否定は出来ないが、それにしては向こう側の事情も平気で葵に教えているのだ。
一旦は彼女のその言い分を信じておくとしよう。それが葵の結論だ。本題でもなければ、ここに何かがある事は確かに事実であり、葵もその為に来たのだから、尚更だ。
「じゃあ、そうだとしてだよ。君の仲間みたいなものなら、誰が眷属なのかって分かるんじゃ……ほら、気配とかで」
「不明。接触が初めてかつ、勇者に対する感じ方以外は我々も個々の能力に左右される」
「じゃあ、君は分からない?」
「わたしの中の情報から参照しても、ここの人間達の中の差異には気付けない。ここの気配は違う濃すぎる物に阻まれている。それとは異なる気配は極めて薄くしか感じない。疑問、貴方なら分かるのでは?」
逆に言えば、死亡したエーデルからは気配の元になるはずの魂が既にないであろう事を思えば、まだ何かがいるとも言えるだろう。
「それが……人として紛れてるって事になるから、なのかな。俺もちょっと分からない……というよりも、周囲のより大きな魔力の反応に意識が持っていかれる感じであまりアテにならないかな。情けないけど」
「なら、我々に残された手段は単純」
「殺すとかはダメだよ言っておくけれど」
候補になる人数は純粋に人数として多いわけでもなければ、葵とベルタを除けばもっと減る。ベルタも送られた眷属そのものについても、その送られた数についても知らない様だから油断はならないだろうが。
どれだけの数がいて、それが紛れているのか。ベルタに殺すなと言っておいて、眷属の正体と数次第では……などと、葵からすればなってほしくない限りだった。生物を殺める感覚が嫌な感覚である事に変わりはない上に、純粋に葵だって本当ならそんな事はしたくない。必要になって、出来てしまっただけで。
「──それはあなたとの休戦の条件に含まれていた。多分。少なくとも、貴方がこの場において望まないのなら、わたしにもやる意味はない。故に、それ以外。単純、見つけ出すのみ」
「……それはそうだね。変身する瞬間とか、そうしなければいけないのってどんな時かな。その瞬間を見つけられたらそれが早いんだけど」
「彼等もまた、邪神に命じられた物を探しているのならば、その行動自体が足跡となる」
「…………君達って何を取らないといけないのかって聞いてないの?」
「主もそれがどんな風にあるのか分からない。イレギュラー。ただ、魂だと」
「魂……」
邪神が使徒達を派遣するほどに得る価値のある魂とは何なのか。ここにいるアーリア達の魂も邪神の目線から考えれば、良い餌なのかもしれないが、その場合だと特別な理由があるからではない。今回は確実に特別な理由があるのだ。
エーデルが事実として眷属だったのだとして、何を求めていたか。最後にいた場所は本の部屋の前だが、本自体は魔導書の類でこそあっても、魂に関わる物とは葵は思えなかった。魂を感じる事が出来ないから、最も怪しい所を探っていた可能性もあるが。
(ベルタも魂とやらの在処を知らないって事を考えたら眷属も知らないって普通に有り得ることじゃないか)
そう内心で頷いていた所、ニントとミゲルが葵の方に視線を向けている事に気付く。ミゲルは露骨ではないが、ニントからは明らかに不審な目を向けられている。ベルタと葵の間でしか成立しない会話だったとはいえ、迂闊だったやもしれないかと葵は微かに焦りを覚えた。
何か知っているのに明らかに隠している部外者として見られると、不要な不安を覚えさせてしまう。今の動揺している彼等には良くない事だ。彼等の疑念を晴らす為にも葵から口を開く。
「どうかされましたか?」
「チッ」
彼の態度が何やら良くない事は分かっていたことだが、こんな時まで理由の分からない私情でコミュニケーションを拒否する様な返事をされるのは流石に葵からしても不服だった。
これまでなら仲裁に入ろうとしてくれていたルイもそれどころではないのか、戸惑う様子で両者に視線を交互に向けている。言いたい事は多いが、円満かつ円滑に出来る限り話を進めたい状況下、葵は一旦は不満を抑えてもう一度口を先に開く。
「何か、俺に力になれる事がありますか?それか、この件で席を外した方が良いならそうします」
「しらばっくれてんのかよ」
「何について、でしょうか」
「アーリア脅して彼女が殺した事にさせようたってそうはいかねぇぞ、おい。女みてぇな顔しておいてエグい事考えんなぁ?」
「はい?」
当のアーリアも狼狽えながらも、そうではないと首を必死に横に振っている。しかし、混乱していた皆の視線や思考はニントの方に向いていた。
「お前の持ってるその刀よぉ、人を殺すには十分のブツに見えるぜ」
「ち、違うわニント。彼はわたしの声を聞いてから駆けつけてくれたのよ」
「ちと黙っておきなアーリア、今暴いてやるからよ。罪のない人間が死んでる割に落ち着いてて、そんな武器まで持ってるなんてよ、疑うなって方が難しいだろうがよ?婆さんがアーリアの言う様な化け物だとしたら、仲間割れか?仲間じゃなきゃ簡単に殺せるわけがねぇ。いや、それとも単なる人殺しを経験したかったってやつか?」
「……」
自分の一部に感じている心器が、こんな形で仇になる日が来るとは誰が想像出来ただろうか?有事の際には武器を取り出す癖がついていて、その判断自体は間違っていないと考えていた。今だって間違いだったとは思っていない。
しかし、彼等からの信頼を得る事が真っ先に必要だと考えていたにも関わらず、アーリアの自白の内容に対する信用よりも、葵への不信感が勝っていたところまでは想像が及ばなかったのだ。
「いや、でも待ってください。ナイフが刺さって──」
「刺して、抜いた後に違う奴の持っていたナイフを突き立てりゃ出来るだろ」
「俺じゃなくても出来る事になりませんか……?それに、俺のこの刀の幅とナイフの幅では」
「じゃあ何だ?アーリアが殺したって、そう言いてぇのか?」
(1番そう言ってるのは当のアーリアさんだって言いたい……!!)
アーリアを責めるのは葵の本意ではない。しかし、この状況だとただ彼女から聞いた事実をもう一度彼等に言ったところで、我が身可愛さからアーリアを犯人にする事に必死になってる様に見えるだけになる。
理屈ではなく、感情なのだ。葵が想像するよりも、ニントはここで構成されているグループに対して良く言えば情が深いようだ。もっとも、視野が狭くなっている上に、自分達の中には犯人がいなかったという結果のみを作り出そうとする姿勢は、当の部外者の側からすれば良い気はしない。部外者というだけで疑う理由になると思われているのだから。
葵は表情にその諸々に対する不満が出ない様に眉間をつまむ。その仕草自体に納得のしていなさは出るが、それも仕方がない。今回ばかりは自分を疑うという余地がない以上は、相手の疑いそのものには寄り添えない。
そんな葵の様子を見て、ベルタが一歩前に出る。
「事実、エーデルは殺害された。事実、アーリアは怪我をした。どちらも視覚化されている」
「お嬢ちゃん、恋人を庇いたい気持ちは分かるがよぉ──」
「ニント、貴方の論理の場合。エーデルが殺害された後にアーリアも葵が殺そうとして失敗した事になる。しかし、それならば我々が駆けつけるまでに葵を彼女が庇うに至った理由と、その内容の打ち合わせ、鱗という小道具の用意、これらは周到な物と思わざるを得ない」
「……」
「疑問。アーリアの発言を信じない場合、貴方達にとってアーリアが故人を虚言で貶める人間だという事になる」
「おい待て、その発言自体も納得出来んが、貴方達、だと?」
「貴方達のコミュニティにまだ属していない我々からすれば、最も多くの発言権を持つ貴方の証言を否定し切らない、あるいは沈黙を選ぶ者は、凡そ賛成寄りのものと考えている」
「お嬢ちゃん、だがこれはあくまでオレの独断による判断さ。それをコイツらの総意に変えられたら困んだよ、コイツらにはコイツらの考えがある」
「そう、我々にも判断がある。だからこそ、この状況下において我々のどちらかを犯人と結論づける事で話を終わらせるつもりならば、貴方の独断を止められないのならば、我々も1つの結論をするのみ」
「1つの結論だ?」
「結論。アーリアの言う化け物は我々以外の皆もまたそうであり、我々に害を及ぼす可能性を持つものとする。部外者とは何か、それは同族ではない事、そうであるなら分かりやすい。我々はその話に出た化け物と合致する点がない。ならば、それまでのこと…貴方の論理ならば、葵は1体目の化け物を殺すのは簡単だった人間となる。貴方達も苦労はしないだろう」
「っ!!!」
ニントのみならず、若葉やルイも微かに顔色を青くする。加えるならば、他の面々とは違う意味で葵も冷や汗を出していた。彼だけは、ベルタの論に肝を冷やしていたのだ。ニントの言う通りの人間ならば、お前達を殺す事なんざ容易いのだと宣言しているに等しいのだから。彼等との関係悪化、ベルタとの協力関係で成立している彼女の一般人への不殺がそれによって崩される危険性。なにより、彼女個人が葵の安全を最優先にしなければならないと動く様になったら、彼等を見捨てる選択をするのは見えている。これが最終警告に近い事に、葵は焦りを覚えていた。
そして、ニント達にとってもアーリアの証言を無視するのならば、部外者はニントの口にした通りの人間として振る舞うのみと突きつけられる事の状況としてのまずさは理解出来ていた。勇者だとか使徒だとか、それを知ろうが知らなかろうが、多くの人は暴力と害意を向けられた時に即座に対応出来る様には中々育っていないのだ。
気まずさを誤魔化す様に視線を下に向ける者、何かを言おうとして言えずにただ下唇を湿らせる者、エーデルの遺体とこの空気に涙を薄く浮かべる者、反応こそ各々で違ったが、重い沈黙が場を支配する。
葵がこの沈黙を破る様に口を開こうとしたが、意外にもニントが先に口を開いたのだった。また話をややこしくされては困ると葵は内心で構えてしまう。
「──ならよ、1人もここから死なせずに過ごせよ」
「え」
「コイツらが死ぬなんてたまったもんじゃねぇが、もしもここにいる誰か1人でも死んだら、テメェをアーリアの言う化け物として、テメェには消えてもらう」
予想外の言葉にニントとベルタ以外は唖然とし、彼の言う消えてもらうという言葉が何を指すのかについて、エーデルの遺体そのものが代弁している様に感じた者は多かった。
ニントはチャンスをあげたわけではない。何もないならそれが1番で、しかし起きた事もアーリアの言った事も無視は出来ない以上、何か起きるならば丁度良く邪魔な人間も処理出来るという事を考えただけだった。ベルタは何か言いたそうにしていたが、葵は後ろ手で彼女を止める。
「に、ニント。わたしは、どうかと思うわ」
「僕もレディアーリアに同意です。ニントさん、それは……僕達はそんな事は望んでは──」
「いいでしょう」
「滝沢さん!?」
唖然とした様子から、絶句に変わった者が多い中で、葵は挑戦的な笑みを浮かべながら頷いていた。遊びのつもりも、この状況を楽観しているつもりもないが、それは葵としても最初からそのつもりだった。
ここにいる人を出来る限り保護しつつ、ここからの脱出をする。そこに、皆を狙う存在から皆を守るという目的が増えただけに過ぎない。
「出来るのか?化け物とやらからオレ達を守り、あるいは化け物じゃない奴でも害意を向ける相手によ。オレ達皆がテメェを監視出来るぜ」
「出来るか否か、そんな選択肢がある様なものではないと理解しています。それに、ニントさんからの信頼を裏切れません」
ニントが片眉を上げたが、葵は気にする事はなかった。皮肉が一切混じってないわけではないが、葵に対して警戒心を超えて最早嫌悪感を抱いていそうなニントが、誰かを死なせてしまう以外でペナルティが発生しない命令を出した。つまり、ある程度の自由な行動が彼自身によって許可されたに等しいのだ。それも皆の前で言質が取れたのである。
エーデルを殺したアーリア自体に奇妙な点がゼロとも思えなければ、そこに邪神の手による悪意が入ってないとも言い切れない。ならば、皆を生存させる為にもその点に関して、上手い事聞いて回ったり調べる事も構わないはずだ。
「勇者は、少しでも多くの人を助けるものですから
この世界の勇者について知らない人達にとっては、ゲームのやり過ぎかと思われる様な大言壮語。葵もここに来た最初はそう名乗る事を避けたが、出すならば今しかないと考えたのだ。
勇者はここにいる。邪神の眷属がいるならば、最も邪魔なこの命を狙いに来い、俺を殺しに来い。その悪意を俺が受け止め、その魂すらも受け止めよう、と。知らない者から聞けば、子供じみた言葉には大きな挑発の意味が含まれていた。
それをベルタはただ黙して背後から見ていた。その目には、微かな不満を宿して。




