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永劫の勇者  作者: 竹羽あづま
第5部郷愁のマリオネット
106/106

第104話:永い悪夢の始まり

『う゛わ゛っっ!!なに!?だい、だいじょぶですか!?ちょちょちょ、横になって!?鼻冷やすですか!?』

『えっ、それ何。鼻血………………いや、なんか、ごめん』

『えっ、杏奈がやったの!?いや、それよりほら、ハンカチ使って!』


 鼻血を出しながら現れた葵に混乱の極致と化したルイと、淡々としている様で直前にやり取りしたのが自分である自覚からか狼狽えていた若葉。ハンカチをすぐに渡してくれた日向。

 心配して欲しいと思ったわけではないが、気にかけてくれる人がいる事は安心出来る。他者の善意は当たり前で、それを当たり前に受け取るものだとは思っていないが、他者の良心は湯たんぽの様に暖かい。


『最優先事項、治療。鼻血。いけない。血、死ぬ?死ぬ、まずい、死んではいけない。止血、止血っっっっ』


 そして、表情はそのままに明らかに1番テンパっていたベルタ。鼻血だけで死にはしないからとなだめても、しばらくはバグり続けていた。

 そんな彼女の献身の気持ちと、人形めいた表情のまま混乱する様子のどらちにも違う意味で葵は思わず笑ってしまいそうになった。不気味な老婆と謎の本を読んだ後だからか、そんな怪しげな物から解放されて少しだけ普通の滝沢葵に戻れた様に思えたのだ。


 その時だけは。


「……──」


 時間も何も分かったものではない場所だが、生活というものの感覚を残す為か、皆が寝る時間はある程度合わせているらしかった。

 皆が寝静まった頃、ニントは葵の体調不良を知っていてもベッドの上から動かず、そのままそこで寝て、葵含めて他の男性陣は皆床で寝ていた。


 だが、皆の寝息の中に皆の睡眠を妨害しない様に声を殺した呻き声が微かに混じっていた。


「ぁ、ッ……ぅ──」


 本を読んだ時の頭痛をより凝縮した様な痛みが絶えず葵を苦しめていた。硬い地面に爪を立てて痛みを誤魔化そうにも、引っ掻く音で周囲の睡眠を妨害するのも嫌で、本当に爪を立てるだけに留まり、この終わりの見えない痛みをただ耐えなければいけなかった。

 原因はあの本の知識かと葵は考えていて、確かにそれが原因として大きな部分を担ってるのも間違いない。だが、これの本質はそれではない。


『ねぇ、葵。進路を変えるって何で突然?』


 形を歪められた物体が元に戻ろうとする様なもの。へこませたペットボトルが元の形に戻る時に生じる衝撃が、痛みとして認識されている様なものだ。

 痛みとして認識、ある種のこれは幻肢痛とも言えるかもしれない。リンドの記憶が戻ろうとするプロセスに、記憶喪失によくある頭痛があるのか否かについて葵は考えていたが、思わぬタイミングで正しくもあると証明された。葵の場合、記憶の整理整頓という方が正しい状況だろう。

 部屋の掃除と同じで、失せ物が姿を現す。それを持っていたという事も忘れ始めていた頃に、あるいはもう忘れてしまった後であっても、失せ物が所持されていた物である事実は変わらず、記憶もその様に姿を現す。何をきっかけにしているのかも本人には分からないまま。


「う、っぐ……」

『貴方の方が辛そうで──』


 頭の中がうるさい、耳の中がうるさい、鼓膜がうるさい。情報を認識する全ての器官という器官が葵に対して異なる物を叫んでくる。頭が割れる、脳が開かれる、露出した神経をヤスリで削られている様だ。


『お、前、はイカれてる……ッ』


 頭痛だけじゃない、血管を虫が這い回る様な不快感にも襲われ、ただ掻きむしりたい。痛みだけならマシか?否、この痛みがあってなおこの不快感がずっと滞在している。同居して襲いかかる。


『恨みたいなら恨むと良い。恨んで生きられるのなら、幾らでも恨まれよう』『姉さんが楽しいなら……良いんじゃない?』『大丈夫、今の俺人生の中で1番パワフルだからさ!』『は、はは!許せないなぁ』『怖くないよ。格好つけたいからね』『俺は皆の勇者だからね!』


 聞き慣れた声が響く。それは知ってる声で、誰よりも知っていて誰よりも知らない人間の声で、誰よりも嫌いな人間の声。

 そして、その言葉の中には覚えのないものが多くある。誰の話をしている?これは誰だ?だが、声として知ってるだけねはなく、本能的にそれが分かるのだ。


『これが、こんなものが、俺の望みだったのか……?』


 中でもピントが合った様に明確に聞こえた声、呆然とした声。掠れ、震えた声には隠しようのない絶望があった。喉を震わせ、荒い息を制御出来ないままに吐き出された言葉。

 血に濡れ、彼の持つ黒い刀は光の反射で黄昏色に輝く。眼前に広がる景色はこの異常な異世界。彼を包む暖色達に温かみなどなく、それに反した死の色を強く感じさせていた。多くの死を理解した瞬間だったのだ。


 その絶望を知ったのは紛れもなく、滝沢葵だった。


「っ!!」


 額を床に一度だけ打ち当てて、葵は意識を今に強制的に引き戻す。この状況でも感じられる額の鈍い痛みに少しだけ悶えた後、部屋から這う様に出る。これでは寝られたものではない。



 扉をゆっくりと閉め、壁に身を預けながらなんとかちゃんと立ち上がる。

 部屋から出ても、当然ながらこの不調が落ち着くわけではない。ここからの脱出という共通の目標を元にベルタとの休戦を成立させたのに、それが出来そうにない状態になるのはまずい。


(しかし、人目につく場所が多い上に、何かが起きた時に皆がちゃんと大事にしてくれる人達だから、安易な治し方すら出来ない……)


 安易な治し方。安易な治し方とは何を指す?

 思考と思考の隙間に砂を流し入れられる様な状態だが、その中でも自分の考えた内容にはしっかりと違和感というブレーキがかかった。

 彼の言う治し方はここで自害して健康な状態で復帰するというものだ。ゲーム感覚で考えていたわけではなくとも、治すという言葉を使うにはあまりに無礼で、正常なものでもなければ、手段というにもあまりに軽率。それを分かってか、葵は自分の顔を手で覆って思考を少しでも冷却させる。


「ダメだ……滅茶苦茶馬鹿になってる。落ち着けよ、俺。落ち着け、落ち着け」


 心臓に手を当てて深呼吸を繰り返す。その行動によって少しずつ痛みに割かれたリソースの中の、自分で考える事を許された隙間の使い方が分かる様になる。

 あの記憶について今は置いておくという事は流石に許されないだろう。むしろ、大罪を自覚しろと言われた以上はその手掛かりとなる記憶についてむしろ考えなければならない。


 とりあえず、間違いない事は最も重要であろうあの言葉。ピントの合った言葉を口にしていたのは紛れもなくあおい(・・・)だ。


(皆が先代と呼ぶ者、ミアの言っていたあおい。タキザワアオイ。彼が一体何を望んだと言う?どんな望みを持った?)


 先代勇者という他人で終わらせる事の出来ない存在。同じ名前、同じ性別、聞いた範囲の情報ではそのどれもが同じだった。

 なにより、先代を知る者の多くは葵と先代を重ねているのだ。実際の彼を知る人達が重ねる以上は最早その点に関して逃避は出来ない。それならば、葵自身の望みと先代の望みには少なくとも共通点はあるはず。


(俺の、望み。望みってなんだろう。ゆっくり寝たい?家族とご飯を食べたい?なんだろう、細々と浮かびはするけれど──)


 ふと自分の手首に視線を移す。葵の手首を一周する茨の柄をした模様、葵の心器が誰よりも彼の望みや根底の渇きを知っているのではないか?心器以上にヒントになるものはないだろう。

 そうして考えた時、先程の声の時に見えた光景を思い出す。


(心器の色、あんなだったっけ……?)


 黒い刀で葵の髪紐と同じ紅の房飾りがついてる点は同じだが、光を反射した時の黄昏色に違和感を覚える。ただあの時の光源の色の影響の可能性がゼロとは言えないが、自分自身とも言える心器関しては、本能的にそれが違うと言い切れた。

 だが、その最も重要になる場所が異なるのだとすれば、その割に心器の性質が似ている様に見えるのは何故?


 何故、ここに来てその誰かの記憶が流れるというのか。葵に考えられるのはここの魔力の空気は恐ろしいと感じながらも、やけに肌に馴染むという事だ。きっとヒントは散りばめられている。

 しかし、葵の頭痛が酷くなる。頭の中で響く轟音が全て、誰かの記憶の声で構成されて、その全てが出鱈目な音量で響いている。


(性質の違う魔石、濃い魔力の気配、記憶、大罪)


 頭の中で言葉はぐるぐると回る。分からない時には同じ事を考えていたって時間の経過で答えの方から走ってくる事はそうそうない。それがあるのならば、勉強の度に頭を悩ませる必要などなかったのだから。

 だが、今は違う気がした。喉まで出かかってる物があって、それを引き上げようとしている様な物だ。そこにあるのだ、明確に──


「きゃああぁぁぁ!!!」

「!?」


 思考そのものを引き裂き、目の前の現実へと引き戻す声は、今なによりも優先するべき異常事態を知らせる音だった。

 葵の身体はもう動いていた。刀を片手に姿は掻き消え、次に出た時には声のする方向に向かっていた。


 身体の不調?謎の解明?脱出手段の確保?そのどれもが重要な問題だが、一般人の身の安全こそがなによりも重要。少なくとも、葵の思考はそう傾いたのだ。

 ここで何か荒事になるならば、それに対処する力がある。ただ力を振るって解決する事柄ならば至ってシンプルな事だからだ。後は、何にそれを振るえば良いのかを知る必要があるだけで。


「大丈夫ですか!?」


 声がしたのは本の部屋の入り口側だった。部屋から部屋間での距離は間に舞台を隔てているのもあり、近くにいなければ、光源も多くないここだと気付くのはどうしても遅れる。

 故に、悲鳴の主の身に何が起きた後なのではと焦りはしたが、顔色を青くしたアーリアが腕から血を流してそこに居た。


「た、た、たタキザワ君──」


 葵の姿を認めた彼女は動揺から膝に力が入らないのか、葵の服の裾を縋る様に掴み、揺れる瞳と名前を呼ぶだけで震える唇は、この場で起きた事が尋常ならざる物であることを物語っていた。


「何かあったので…………ッ!?」


 視線の先、扉にはおびただしい量の血がぶちまけられ、血臭が纏わりつく。この世界である程度嗅ぎ慣れたものだが、慣れたくもなければ、この場所でそれを嗅ぐ機会に遭遇もしたくなかった。

 だが、これが本物である事は嗅ぎ慣れたからこそすぐに分かる。


「こ、これは……」


 その血の主は、葵に不吉な言葉を残したあの不気味な老婆、エーデルだった。恐怖を貼り付けた見開いた瞳に、開いたままの口は死と苦痛に対する表情なのか、それ以外の要因なのかは分からない。確かなのは胸に突き立てられたナイフが致命傷となった事だろう。

 しかし、見え辛かったとしても、こんな事が起きていたのにエーデルは悲鳴もなく死亡したというのだろうか?アーリアの悲鳴を聞くまで気付かなかったぐらいだ。


「こ、怖くないの?貴方」

「……怖いか否かと言われると、まだ驚きが勝ってるかもしれません……頭が追いついてないみたいで」

「──……」

「でも、苦しく感じます。本当なら、自分の故郷で、あるいは自分の家で、もっと穏やかに過ごして、生きていけたかもしれない人が……こんな、こんな死に方をしてしまうのは……納得出来ないですし、エーデルさんもきっと、無念だったと思われます」


 ほとんど言葉も交わさないまま、交わした言葉は会話とすら言えないものだったが、そこに人がいたという事を記憶しているだけに、2度と口も聞けなければ、故郷にすら帰れなかった事が悲しくて仕方がない。孫はいたのだろうか、趣味は何だったのだろうか、そんな事すらも知る機会はもう2度と訪れはしない。

 しかし、涙が出てくれる事もなく、吐き気をもよおす事も今回はなかった。あんなに頭痛に苦しみ、情報の渦に巻き込まれていたのに、目の前の事象に対して恐ろしく冷静だった。感情と出力が別行動しているみたいだ。むしろ頭の中が受けた渦のせいだと言うのだろうか?あおいからすれば、まだ自分に対して失望する箇所が残っていたのかと思うほどだった。


「後で、ちゃんと整えてあげないと……でも、その前にこの死因について考えないと。アーリアさんもお怪我をされてるという事は──」

「た、タキザワ君。違う、違うのよ……」

「えっ、何がですか?」

「自殺とかじゃ、ないのよ。分かる?」


 むしろ、そう言われてみれば自殺でも有り得る話かと考える。他殺であろうと自殺であろうと、どのみち自然ではない死に方をした以上は動揺が生まれる。突然放り込まれた環境下でそんな事が起きたと知れば、皆の中で保たれていた精神的な均衡が崩れはきっかけになりかねない。

 しかし、アーリアの反応から察するに、それ以外にも何か普通ではない事情が絡むらしい。彼女が震える手で差し出した物が、そう葵に感じさせた。


「薄くて、丸い……まさか、これは鱗?」


 こんな所に何故魚がいるのか、などとボケるつもりも当然ない。これまでの経験から考えれば、魔物の類と考えるのが葵からすれば自然だろう。口に出す言葉は、現在同様の只中にいる彼女の前だからこそ選ばなければいけないが。


「これは、どこから?」

「……見たのよ、わたし。化け物がお婆様になるところを」

「えっ!?」

「お願い、信じて!!本当の事なのよ!!」

「落ち着いて下さい。大丈夫、疑っていませんから、詳しく聞かせてくれませんか?」


 そう言われてようやくハッとした様に目を丸くし、バツの悪そうな顔を浮かべてから「ごめんなさい」と小さく口にする。

 彼女が呼吸を整えている間、葵は辺りの気配に意識を向けていた。魔物やそれに類するものに対処する為に。しばらくして、落ち着きを取り戻したアーリアが口を開き、葵も彼女の方に意識を戻す。


「わたしが、少し目を覚ました時の事よ。ちょっとだけ気晴らしに部屋から出たら、エーデルお婆様がいて……眠れないのですか?って声をかけたの」

「アーリアさん達が寝る時には部屋には既にいなかったのですか?」

「いいえ、寝る時には1番最初にもう部屋にいたわ。わたしが起きるより先に起きていたんだと思うの。だから、寝付けないのかと思って……」

「でも、そうではなかったんですね」


 小さく頷き、自分の肩を抱いてアーリアはもう一度震える。この世と交わってはならない現象や生物との遭遇を経たのだから、無理もないだろう。それでも、今目の前の落ち着いてる様に見える少年に、出来る限りの情報共有をしようと続きを口にする。


「お婆様が振り返ったら、目が宇宙人みたいに大きくなってて、肌も爬虫類とかみたいにヌメっとしてて、そこからどんどん化け物の姿になったの。気付いたら彼女の全身は二足歩行の魚人みたいなものになってて……びっくりして逃げようとしたら追いかけられて、引っ掻かれちゃって」

「その時の傷が腕の……」

「いいの、これは幸いかすり傷みたいなものだもの。でも、わたしは慌ててたから、殺されるって思ったから、それで……」


 その結果、心臓にナイフが突き立てられた。彼女にとっての正当防衛という事になるのだろう。化け物と化したエーデルは真っ先に攻撃行動を仕掛けてきたのだから。

 だが、例え正当防衛の結果であったとしても、自分のした事への戸惑いや罪悪感が薄れるものではない。葵はそれをよく知っていただけに、何と言えばいいのか少し迷った。手を握ったりするのは安心だが、落ち着かせる為に安易にやろうとすると逆に警戒されかねない。


 しかし、異形は死ぬ時に人間に戻れるわけでもなければ、魔物なんて元よりそうした存在だから死んで人間の姿になるなんて事はあり得ない。だとすれば、何が起きているというのか?葵もまだ知らない厄介なことが起きている可能性が浮上する。

 もっとも、死人に口なし。殺した側である彼女が虚言を口にしているという可能性もまだまだあり、エーデルを殺した事を正当化する為のものだという線は本当にないのだろうか?


「……タキザワ君。以前、同じ鱗をこの場所に来てから何度か見た事があるわ」

「それは、エーデルさんの物ではなく?」

「エーデルお婆様が少し身体を悪くして寝込んでいた頃にわたし、見つけたの。お婆様の側にはいつでも女性部屋の方の皆で交代でついて、ずっとお世話をしていたからお婆様が気付かない間にこっそり出てたとは思えない……ミゲルも拾った事があるわ。彼に聞いたらそうだと言うはずよ」


 それは、葵か明言することを避けていたこと。確証のない事柄の中で最も他者に下手な形で共有したくない事だった。

 そんな化け物いるわけがないと笑い飛ばせる人間の方が、ある意味精神的には良かったかもしれない。そんな化け物が異世界には当たり前にいて、アダムから聞いた話を思い出せば地球にも既にいる事を葵は知っていた。


 逃げ道もない場所、皆が皆対抗策を持つわけではない場所で、もしもそんな存在が紛れていたらどうなるかなどと。


「おーい!!何かあったのですかー!!」


 そして、ルイ達もアーリアの悲鳴を聞いたからか走ってくる。彼女の言う事の真偽はどうあれ、混乱の元になる様なこの話は、出来れば今の時点ではアーリアと2人だけの秘密にしておきたかった。だが、そうはならないらしい。

 彼女に口止めする猶予は与えられなかった。

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