第103話: 視界不良
「おおまかな部屋の解説はこれで良いですかね。さっき言った部屋のルールだけ守って下さったら、ここでは自由にして頂いて大丈夫です」
「ありがとうございます。まだこの場所には馴染めていない身なので、色々とお聞きする事は多いと思いますが改めてよろしくお願いします」
「おやおや、これはご丁寧にどうも」
「会ったばかりなのに、親切にして頂いた身ですから。なので、もし……」
「?」
「もし、その他のタブーがあるのだとしたら、こっそりと教えて頂けたら助かります。暗黙の了解みたいやつ。うっかり踏んだら大変ですから」
出来る限り声を小さくして葵は言う。知らぬ間にタブーを犯すくらいなら、聞ける人から聞いて自ら避けられた方が周囲にとっても助かるのは間違いない。
だが、ルイが教えたと知られる事も何か良くない可能性があるから、出来る限り公にしない様に声を潜めたのだ。何か隠し事があること自体は当たり前で、葵だってここの人に言ってない事や、出すべき情報か否か考えるべき物は多くあるのだから。
「それは、そうですね……はい。では、1つだけお願いがあります。我々がどうやって生活を出来ているのか、あまり疑問に思わないでほしいんです」
歯切れの悪い言い方かつ、それを言う事にも躊躇う様な間と、逸れた視線。葵の事を信用して言ったものというよりは、最初に教えてくれた3つの不思議の件と同じ様な理由だろう。
「──分かりました」
もっとも、ルイには悪いと思うが、疑問に思うなと言われて、思わない様に意識をする時点で考えているのだから難しい話だろう。前提として、それを聞くという事は、言われたことは守らなければいけないと葵は考えている。しかし、こればかりは頑張って疑問に思わない様にする、なんて考えたら本末転倒である。
彼等が事実としてここに閉じ込められていて、どれくらいの期間閉じ込められているのかは分からないが、必要なはずの食料等が見当たらなかったのは葵にとって疑問だった。ノアの様にある程度の自給自足がされている様にも、出来る様にも見えない。食糧庫らしき物もない。
その状態の違和感に気付いてる中でそう言われたら、むしろ気にしてくださいと言われている様なものだ。この世界で自給自足で繋げる場所がある事を葵とベルタ以外恐らくこの中で知ってる人はいないから、無理もない事だが。
(でも、疑問に思う事そのものに何か問題が?ここにいる人の中にもそういう人はいるんじゃ……)
そう考え、葵が難しい顔をしていた最中に後ろから若葉に肩を叩かれる。
「え?君は、若葉さんか。どうしたの?」
「日向もアーリアさんも今あの新入りに夢中みたいだし、ルイじゃ頼りないところあるから念の為色々話しておこうかって思っただけ」
(頼りないところがある、そんな風に思われてたの僕!?)
「ルイさんが頼りないって事はないけれど、俺としても色んな人と話しておきたいと思ってたから丁度良いよ。話したい事ってなに?」
「来て、あの本の部屋なら皆も寄りつかないし」
「ルイさん、案内ありがとうございました。自分は少し失礼しますね」
「頼りない……」
「心を強く持ってください……」
ルイの肩に手を置いた後、若葉の刺々しさすら感じる視線に気付いて急いで彼女の後を追いかける事にした。
*
若葉は部屋に入って早々に自分の荷物らしき鞄を足でどかし、顎でこちらへ来る様に促す。
それに従い、葵が壁にもたれる様に立つと、若葉は入れ替わる様に扉の近くの壁の方に背を預けた。話し合いをする為に場所を空けてくれたのはあるが、若葉が比較的安全な場所に立つ為に自分の荷物をどかしていたのかと葵はひとりでに納得していた。
「言っておくけど、私は別に親切にしてあげるつもりでやってないから」
(超能力者か?)
「で、なんだっけ。そうそう、ルイさんから基本的な事は聞いたよね?」
「うん、部屋のルールとか色々」
「なら良いや。そこにちょっと加えて知ってほしいことがあって、日向の事でなんだけど」
「日向さん?」
「ん、彼女可愛いし明るいじゃない」
「そ──」
そうだねと相槌を打とうとしたが、その瞬間相手の警戒心がより強まった気がして葵は口をつぐむ。しかし、これでそんな事ないと言っても同じ様に睨まれそうな気がして、それ以上何も言わずに彼女が続きを話す事を待つ事にした。
(ミハエルさんの時もそうだし、飛鳥連理相手の時もそうだしニントさんもそうだし、身に覚えがない事で強めに来られると結構キツいなぁ……)
「あんな感じだから、結構嫌な思い色々した事あるの。学校でね」
「……うん」
「男子が近付く程に女子から嫌がらせ受けるし、それ見るほど男子は庇おうとして悪化するし、中には男子も悪ふざけで参加するし、そんな感じ。小学生からずっとそう」
自分の小学生の頃を思い出しながら思わず苦い顔を浮かべてしまう。聞いただけで全てに共感出来るわけでもなければ、突然の話だからその全てを飲み込めるわけでもないが、人間関係で上手くいかない経験があるということ自体は分かる。
それだけに、今度は適当な相槌も打てずにただ頷くのみとなった。それを横目で見た若葉は何かを思ったのか、あるいは思わなかったのか、その目つきからは分からないが、そのまま言葉を続けた。
「ここの人が悪い人って思いたいわけでもないし、お世話にもなってるけれど、私はそれを見てたからどうしても心配なのよ、彼女の事が。日向みたいに元気な人相手は当然、暗い感じの人でも気にかけるし声をかけるから、勘違いさせちゃうところあるし」
「──ようするに、俺が彼女に男子らしい感じでちょっかいをかけたりとかしないでほしいって、そういう事だよね?」
「ん、そう。別に邪な目で見る悪い奴だとか思ってるわけではないけれど。判断材料もまだそんなにはないし」
「でもどちらなのか分かってからでは遅いって事だよね」
「そういうこと。なんかよく分からない状況だけど、私のやる事は変わらない。だから、私とも仲良くする必要はないし、日向とも変にベタベタはしないで」
なにやら極めて理不尽な事を言われている気分にはなるが、友人の立場として彼女を守りたい一心なのだろう。なにより葵の思考としては年齢の近い自分はさぞ危険に見えるのだろうなと考えているところがあるから、辛うじて飲み込めた。殺意を向けられた事と比べたらまだ易しいものだろう、と。
もっとも、あくまでこれは葵がそう考えているだけで、ここに女神がついてきていたら彼の横で怒っていた事は間違いないだろう。わざわざ言われて気分の良いものでもなければ、貴方は悪い事してきそうなので関わるなと根拠もなく言われる事に正当性はない。
「でも例えばの話だよ。日向さんと俺が普通に話をしているのを見て、君にとって良くない様に見えるとするよ」
「ん」
「でも、だからって君のその基準に合わせて日向さんとの会話を露骨に避けたり、君との会話も露骨に避けたりするのって、周りの人から見たら俺が一方的に無視してるみたいだし、俺そういうの嫌なんだ」
「皆もある程度私がそうしてるの、慣れてると思うけど。皆も分かるよ、私に釘刺されたって」
「それは日向さんも知ってるの?」
「……」
「別に、俺も彼女と必要以上にベタベタするつもりもないし、君に不安な思いをさせる様な接し方はしないつもり。でも、普通に関わる事は許してほしいかな」
「距離感分かってない人とかだったら危ない。普通が違う人、いるじゃん」
「君がそれだけ警戒するくらいに日向さんの事を心配してるっていうのは伝わるし、日向さんが大事な友達なんだなっていうは分かるよ。でも、俺なりに色々あったから俺は大丈夫だとしても、そうした牽制は若葉さんだけじゃなく日向さんの敵も作る様な行為になると思う」
「…………」
「説教とかするつもりはないけど、普通に会話とかして、普通に困ってたら手を貸すぐらいは許してほしいかなって感じ……年齢が近いと身近な分より不安に感じてしまうのも、まぁ仕方ないけどさ。こんな場所だし、こんな世界だし、困る事は何かあるかもだから、不自然な感じにはなりたくないってのが俺の言い分。ごめんね、君の立場とか色んな事を無視して勝手な事言ってるかもしれない」
「──まぁ、別に」
もっと何か言われるかと思っていたが、想像よりもその返事は淡白だった。思わず片目をつぶって歯を食いしばったりもしたが、杞憂に終わった。
葵の発言に対して、途中から興味を一切なくしてしまったとかでもないらしい。葵が何か喋っている間はしっかりと彼の方に視線を向けていて、話を聞いてる様子が見受けられた。それだけに、むしろ葵の驚きはより強くなる。リアクションとして声が出るのを堪えただけ奇跡だろうか。
「受け入れろとは思ってないし。受け入れられるとは思ってないし。私がそう思ってるって知ってくれればそれで良いし……聞き入れてもらえなかったのは、残念だけど」
(そこが1番難しいからなぁ)
「ま、そんだけだから。日向にベタベタするなら、私許さないし実力行使で出るから。それだけ覚悟して」
彼女のポケットに突っ込まれていた手が出てきたと思えば、その手には小ぶりなナイフが握られていた。確かに、相手にも警戒させようと思えば武器をチラつかせるのはおかしくもなければ、刃物の威圧感は強いだろう。
しかし、銃で撃たれ、腕を折られ、内臓もボロボロになって、時には舌を噛み切ったり、そんな経験をした後だと、むしろその小ぶりなナイフに安心感すらあった。アレが牽制として通用する価値観のまま、異世界で今日まで生きられている事が、心から安心出来たのだ。それによって証明されるのはまだ何も傷つける経験をした事のない、地球人の普通の女性だということ。それを言えば、刃物を持ち歩くのはよろしくないが。
「……じゃ、そういう事だから肝に銘じておいて。あと、こんな話に時間をとらせて悪かったわ」
「いや、別に良いよ。君にとっても言いにくいことがあっただろうに、話してくれてありがとう」
「…………不気味」
吐き捨てる様な言葉はこの部屋に吐き捨てられ、取り残された葵が悲しくも頭の中でこだまする言葉となった。
若葉と接する間は出来る限り貼り付けていた笑みも、1人になってから解けて、溜め息に変化した。
「困ったなぁ」
ベタベタどころか、会ったばかりで邪な感情も持っているはずもなく、葵がそういう性格ではないだけになんの心配もいらないわけだが、相手がそれを知るはずもなければ、知る機会もない。それならば、一律で警戒せざるを得ないのも必然なのだろう。
葵からすれば、本当に困ったとしか言えないのだが、過保護だと軽んじるのも違う気がした。軽んじられる程に、学校という場所で上手く立ち回れてるわけではなかったのだから。
知らず知らずのうちに彼女の怒りが堪えられないラインに来てしまい、うっかり刺されでもしたら本当に困った事態になるだろう。葵は自分がこの世界では死なない事を知っているが、葵が死なない事をこの場の人は知らないだけに、流血沙汰になったら大きな混乱を呼ぶだろう。今の彼女にアレを振り下ろす事は出来ないと葵は踏んでいるが、悪い方にも物事は考えていて損はない。
(でも、これは少し運が良いかもしれない)
若葉はこの部屋を出るついでに扉を閉じていった。今この部屋は葵と謎の本だけ。自然にこの本について調べることが出来る絶好の機会だ。
うっかり昏倒などしようものならば、ルイが止めたのを無碍にした事がバレてしまう。だから、あくまで触れてみるだけ。直に物体に触れた方が、魔力という情報がより深く入ってきやすいから、今の葵にはそれだけでも十分な情報だ。
「よし……蛇が出るか邪が出るか」
近くに来て表紙の表面に触れる。薄暗くて分からなかったが、革製の装丁かと思っていた物が確かになにやら怪しい皮で出来ている事が分かった。触り心地が良い物ではなく、妙に突っ張っている。その上に金属の飾りがついていて、何か海の生物らしき物が彫られている。これは何なのかと思えば、徐々に妙な不安感と、気持ちの悪さと、息苦しさが襲い始める。
それについて深く考えてはいけない気がした葵は、一度頭を横に振って思考をリセットし、目を閉じてこの本そのものに対して意識を集中する。
(──何だろう、この感覚。中に書かれている物は邪神に近しい何か。多分魔術とかなんだろうけど、この本そのものが何か語りかける様な感じ。すごく変な感じだけど、気持ち悪いどころか何か近い感覚?)
鳥肌は立ち、鼻血も冷や汗も出て、呼吸が荒くなり、閉じている視界の中で視線の焦点が合わなくなる感覚。明らかに危険信号が脳内で出ているが、葵がそれを自覚出来ていない程に彼の思考はやけに鮮明なのだ。
明らかに邪神の気配を感じる曰く付きの物から近しい感覚を得るなどと馬鹿馬鹿しいと本人も思いながらも、リンドの夢の事もあるから気のせいでは済まされない。少しでも多くの情報を得ようと意識を研ぎ済ませる。
(蒼き星からは遥か遠くから飛来した神、傷ついた幼児は癒し、いずれ成る為にこの星の海の底で眠る。魂を貪り、時には絶望を貪り、時には試練を課す。眷属達は幼児の声を聴く、彼等は絶対的な主人の為に蠢くだろう……そうか、これはこの夢の主である邪神の成り立ちを、正しくは成り立ちも書いてるのか)
本が自ら葵に読ませる様に思考の中に自然と情報を入れていく。葵自身こんな物に情報を渡されるのは良くない気がしている。知っている内容も多いが、それ以上にこれに対する危険という感覚の境を薄める様に邪神という存在への解像度が上がっていく感覚がある。
これはあくまで夢の中の本であり、原本ではない事は分かっていても、この本がこの世界を飾る為だけに生み出された物とは考え難かった。そうすると、地球にもこの本があって、これを書けるほどにあの存在に対して事故であれ、故意であれ、近付こうとしてしまった人間がいる。その方が余程まずいのではないだろうか?
あるいは、ここで書かれている様な眷属がその存在を知らしめる為に書いたのではないか?地球は既にそうした物によって知らぬ間に致命的な侵略を受けているのではないのだろうか?
葵の考えが進む毎に不安は強まる。確かにこの本はルイ達が読めたとしても、読まない方が良いものだろう。自分達の帰るべき場所が訳の分からないスケールの大きい存在に支配されそうになっていて、その存在の使役する何かも活動しているかもしれないなどと考えたら気が狂う。
(でも、どのみち何故こんな場所にこの本が?この世界の物の全ては邪神が配置した物とは限らないのか、それとも──)
その答えが載っている程、この本は万能の本ではなかった。邪神の成り立ちであって、邪神の現在が分かるわけでもなければ、この異世界が出来てからの事も載っていない。
肝心なところで役に立たないなと内心毒づきながらも、中を読まない状態でこれだけの情報が得られたのならば上々かとも考える。中に記載されているであろう魔術は判明していないが、その知識を入れると本当に昏倒しかねず、それこそ好奇心が猫をも殺す様なものだ。
(リンドのルーツとは関係はなかったけど、思えば夢に出たアレは俺に関する何かについて指していただけだったから、リンドには繋がらないのも無理もないことか)
だが、だとしたらこの遺跡の1番の肝と言えそうな物はこの本に思えるわけだが、これが葵の罪とやらと何の関係があるのかが葵には分からない。これに書かれているのはあくまで邪神についてと、それに関連した魔術についてであって、それが地球人のただの一般人、星という永い記憶から見れば粒にすら至らない程の人類が何の関係があるというのだろうか。
何か特別な物があるとすれば、葵が勇者という存在である事のみだが、その立場はむしろ邪神の脅威となる立場だ。魔王や使徒からも明確に敵として認識されている。真逆であって関連があるとは思えない。
『そうしていつまでもお前は目を背けている』
まるで、耳元で今囁かれた様にその言葉がよぎる。今この状況に向けて言われたわけでもないはずなのに。この世界で時折夢の中で見るあの何かは一体何を伝えようとして、何者なのか。アレは一体葵の何を知っているというのか。
何か必要で、意味があるから葵の中で思い出されたのかもしれないが、今この場においては混乱が増すばかりだ。あるいは、それこそ目を背けているという物なのか?滝沢葵という高校生はあくまで少年だというのに。
(とりあえず、これを持ち帰れたら色々と皆で考える事が出来そうなんだけど……脱出の目処が立てばそれも可能かな。持ってたら呪われるとかないよね?)
思考が本から外に逸れ始めた頃に、徐々に自分の状態に気付き始めた。頭痛のせいなのか耳鳴りなのか分からないけたたましい音が耳の中で響き、頭痛は頭から脳にかけて太い針を次々と刺されている様に痛い。
「ぁ、あ゛ぐ……ッく!ぅう!!」
頭を手で押さえてもマシになるわけがないと思っていたが、それでもそうせざるを得ない程の激痛。傷によるものではない内部からの痛みには、また異なる耐性を要求されるのか、今の葵をひどく苦しめる。
(ま、まずい。この部屋から出る時に明らかに体調が悪い感じに見えるの良くない。とりあえず……異世界に来て混乱したからって事で、一旦体調不良で休ませてもらおう)
言い訳を脳内で考えるのは呑気なのか、麻痺してるのか、どのみち自分が思いの外良くない状態であることを理解し、部屋の外に足を踏み出す。
気付けばベルタ達は解散していて、日向と若葉が合流して話をしていた。本の事で頭がいっぱいになっていたが、若葉から聞いた事も色々と考えておかねばならないなと、働かない頭で葵は考えて──
「血は注がれる」
扉の横、死角になる場所から老婆の声。腰が曲がっているからか、杖をついている90代にはなっていそうな老婆がいつの間にかそこにいた。
思わず腰を抜かしそうになりながらも、葵は扉に背をぶつけるだけで済ませながらその姿を凝視する。
「それは、どういう事ですか」
「祟りが起きる。儂等は呪われておる、お前も呪われている、お前はひどく呪われておる!!血が流れる事は避けられん!!」
「っ──」
「ここに安寧はない、待つのは残酷な死のみじゃ!!」
何かおかしなことを言っているらしい、などと冷静な反応が出来ず、不思議とその言葉が何か不吉な予感を運んでくる気がして、葵の心拍数は上がっていた。
あるいは、運んでくるのではなく、この言葉はただありのままの残酷な真実を語ってるのかもしれない。老婆の言葉がただの妄言か否かの答えは、葵が想像しているよりも早くに示される事となる。




