第102話:あくまで協力関係
葵は階段に腰掛けながら奥の扉を睨みつけていた。座り心地が良いとは言い難い魔石混じりの石造りの階段が、今この場所もまた安心出来る場所とは言い難い事を実感させてくれる。
ルイから3つの不思議を聞いた後、その場では一時解散となった。より正しく言えば、葵達のみ解散だが。
『まぁ、あくまでそれだけの事ですよ。誰も真剣に捉えてはいませんし、変に不安を煽るのも良くないので皆で決めたんです。その事は忘れようってね』
『そうよ、その言葉に振り回されて危険な発想や焦りが生まれてしまったら、こんな閉鎖された場所だもの、きっと良くない事になるわ。って、わたしは思うのだけれどね……貴方もエーデルのお婆様の言葉に惑わされてはいけないわよ』
それはきっと皆の共通見解で、現在を無事に生き抜く事こそが彼等の限界。疑心暗鬼の元になる言葉が脱出の手立てかもしれないなどと、悪質なデスゲームみたいな物に乗る人などいない、それが普通だ。だが、現実味はないのに閉鎖されたこの状況下では、その普通が崩れるか否かは薄氷の上と言えるだろう。
(危険な発想か……)
“底に眠る答えを求めし者、舞台にて忠実なる者の血を捧げた時、扉は開かれん”
物騒な文言が入っているだけに、求められている事が本当に文字通りなのだとすれば、他の出る手段がない時はどうなるのか。綺麗事かもしれないが、まだ地球基準の普通に戻れる人達がそのままで居られたら良いと葵は考えている。誰も傷つけずに済むのならばそれが1番なのもまた当たり前だ。
(俺だって使徒でも異形でもない人はまだ殺してはいない。そもそも、そんな事はあってはならない。だから尚更、皆にはそんな事をさせてはならない……もっとも、俺達が来るまでは保たれてた精神的な均衡が突然崩れるとは思えないけれど……)
何も起きないとは全く考えていないが、それが彼等の間から起きるとは現時点では思い難い。むしろ、ずっと一緒にいる彼等からすれば葵の方がその点は突然現れた不審な人間に見えているのだから、見当違いな考え方かもしれない。
彼等の不安を取り除く為には出来る限り自分から彼等とコミュニケーションを取る必要があるのやもしれない。葵としてはここから出なければならないと考えていて、その上で彼等も見捨てる事は出来ない。ここに居続けて生きていけるとは思えない以上は、彼等を説得出来なければいけない。
(打算的とか思われたらどうしよう……そんな感じに思われたらどうしよう……!俺そういうの滅茶苦茶下手くそだから逆に嫌な印象持たれそう!!)
「疲労?」
「知恵熱的なやつかも……ん?」
葵の気づかぬ間に真横に来ていたベルタが彼の顔を覗き込んでいた。
「い、いつの間に!?」
「先程」
「成る程」
「貴方は悩んでいる?」
「うん……まぁ」
「提案。貴方はそれをわたしに話し、わたしはそれを聞く」
「んー……」
戦闘力を持たない人間が複数人いて、使徒がそこにいる状況。当たり前に受け入れるにはかなり危険ではある。それだけに、ここからの脱出とここにいる人々との関係構築に悩んでいるという弱味を見せて良いのか否か。
葵は恐らくこの中では唯一使徒と戦う事が出来る能力を持っている。葵自身の気持ちとしては、驕りの様でそんな風に考える事自体憚られるが、それはここにおいてはただの事実である。それだけに、使徒との接し方は彼等をどんな風に守るかにも繋がる。先程の2人きりだった時とは状況が変わったのだ。
と、いうのもあるが。そんな彼女との接し方も含めてここでのバランスについて悩んでいるのではないか。どのみち彼等を守りながらで使徒を1人で相手するのは難しい。
葵はしばし腕を組みながら唸った後、彼女の顔を見る。
「?」
「俺は君を尚更警戒せざるを得ない。君も分かってると思うけど」
「理解している。貴方の不安が減らせるのならば、血判でも何でもする。そして、彼等に手を出さない」
「君は君の最優先するべき目的がある。それを考えれば俺に心を許しすぎていないかな……使徒からは普通なら信頼し難い言葉だけれど」
「疑問。貴方に心を許しすぎていると言うが、訂正。わたしは貴方に心を許している」
「う……」
「使徒としての使命、今の状況でそれだけを果たして好転はしない。転移手段もない。ならば、わたしも脱出に対してのみ思考のリソースを割く方が合理的」
「俺も君とここで戦う利点がないと思ってるし、俺の立場を把握してる状態で話が出来る人がいる方が話はまとめやすい」
「なら話は簡単。ここでは一時休戦、わたしの言葉で信用出来ないならば貴方からも言ってわたしに誓わせる。どう?」
「──良いよ。君の口からそれを聞けたら、それで十分」
小指を差し出す葵を見たベルタは、躊躇いがちに自分の小指を出そうとして、それを自身の胸の前に戻す。
葵と行動に対する反射的な行動に見えたが、どうやらその予想に反して自発的であるらしく、その行動に対して彼女なりのやり辛さを感じているらしい。表情は変わっていないが、視線が行ったり来たりを繰り返して、微かに忙しそうだ。
「やっぱり変かな……?」
「否定。貴方の行動におかしさは感じていない。しかし、わたしは約束を重ねる事に躊躇をしているらしい」
「約束?いや、まぁこれはあくまで気分の問題だし、不都合があるならやめておこうか」
少しばかり馴れ馴れしい行為かもしれないし、と付け足して指を元の形に戻す。そして、テンションに任せて変な事をしたのかもしれないと葵の中で勝手に恥のボルテージが上がり、動揺が声量に出てしまう。
それを目で追いながら、ベルタは葵が差し出した指とは反対の小指を出す。
「え?え?あれ?」
「こちらならまだ約束の予定は空白。問題ない、約束の強化を進める事が出来る」
「そ、そう?」
無理強いしてしまったかと思ったが、ベルタは無表情なままに小指をずい、ずいと近付けてきているだけに、むしろ積極的にすら感じられた。葵はいっそ圧を感じてすらいる。
だが、相手からこう言い出してくれたのだから、それを無碍には出来ない。なにより、こちらから言い出した事なのだから。
「んじゃ、えっと、指切りげんまん」
「理解。嘘つけば針千本放つ」
「それはそれで難しいな……」
「ここを出るまでの休戦が破られなければ問題はない」
「それもそうか……ならそれでいっか!指切った」
「切った」
こうしながら、葵はふと懐かしい感覚に襲われた。指切りというものだけならば確かに一度だけではないが、自分の中で印象的なものが自然と想起されるのだ。
『一緒に学校に行きたいな、葵君』
「葵」
葵はベルタの口にした3文字で現実に引き戻されたと同時に、彼女に大切な思い出である少女の姿を一瞬重ねた自分に驚いていた。
「……名前、違った?」
「え──」
「休戦中、協力してる身。葵と呼んだ方が自然であり、わたしもそうしたい。貴方の名前を呼ぶのは好ましい」
「そ、そう……そうか。いや、名前違ってないから、大丈夫」
「疑問。貴方は戸惑ってる様に見える。わたしが何かおかしな事を言ったのならば、指摘を」
「ううん、君は悪くないから……ごめん。変なのは俺の方なんだ」
「了解。変じゃない」
「うん、君も変じゃない」
1つの疑問に縛られ、今の状況からは少し逸れた事に思考のリソースを割かれるのは建設的ではないと頭を振る。彼女との休戦を決めたのも、この場所での振る舞いについての悩みを相談したいという理由があったのだから、そちらを優先しないとベルタにも申し訳が立たない。
話を変える、あるいは元のベクトルに戻す為に咳払いを一度だけする。
「じゃあ、ちょっと相談を1つ」
「推定。現状について」
「その通り、まさにそれの事。俺達は現時点では完全に部外者で、ルイさん達と俺達では方針は真逆だよね」
「同意。彼等の警戒の色はそこにあると思われる」
「で、俺達は彼等の方針に乗るわけにもいかない。だけど、脱出の為に彼等にこそこそ隠れて何かをしていると不信感も持たせてしまうし、俺達だけが抜け出して終わりではない。彼等もここに居続ける事で生き延びる保証もない。って、これに関したら、あくまで俺の立場での話だからアレだけれど」
「使徒としては確かにそれは必要事項ではない。しかし、留意はする。続きを」
「……うん。で、とにかくここを抜ける為には彼等のある程度の同意を得られないといけないと思っているんだ。ルイさんの言ってたあの言葉も、わざわざ皆が聞かなかった事にしている以上、脱出に必ずあの言葉が頭の中をよぎって躊躇してしまうんだと思う。だから、皆を説得出来るくらいに皆と上手く交流出来ないとって事、なんだけど……」
「?出来ない理由が貴方にはある……?」
「出来ないとは言い切れないけれど、俺に苦手意識があるタイプの事ではある、かな。正確な脱出方法の模索と皆とのコミュニケーション。それで既に頭が痛くなっててね」
「……情報収集の面ならばわたしも協力は可能。しかし、それは真に相手に心を許される事には繋がらない。そこには葵の手がいる」
「それで十二分、むしろ助かる。これに関してはこのちょっと情けない悩みを聞いてもらえたらそれで良いって感じだったし」
「貴方の負担を減らす手伝いはしたい。なので、1つだけ貴方に伝える事がある」
「うん、なに?」
「葵のそれは苦手意識であって、出来ないではない事を理解しおくべき」
「そ、そう……かな。そうなのかな……」
「貴方という人は本来はそういう人。貴方は自分がそういう人だったと忘れている。貴方の生み出した幻の壁が苦手意識という物。壁をどける、人がどう考えているかは、推測以外出来ようもない事」
まるで葵の性格を把握しているかのような指摘だった。使徒である少女にすぐに把握されるほどに分かりやすいのかと呆れもしたが、なにせ少女が饒舌に語るものだから、彼女なりに根拠があるのだろう。
少なくとも、ただ励ましてくれてるだけだとは考えられなかった。葵自身にそれだけ思い当たる節があったから。
「最善を尽く……いや、滅茶苦茶頑張る事にするよ!」
「同意。滅茶苦茶頑張る」
相談という本題より前の方が長くかかるぐらいに相談そのものはすぐに終わったが、ベルタの協力を取り付けられた事と、葵の方針に対して彼女は同意してくれたという事実が大きい。少なくとも、ある程度は外の事も含めた話を出来る相手が出来た事はここでの活動において、負担が大きく減らせるのだから。
「滝沢さん、デアンタさん、いらっしゃいましたか」
そうして葵とベルタが話し終わった頃に、ルイが2人を見つけて手を上げて近付いて来たのだった。
彼の背後の方に視線を向けると、他の面々も部屋から出てきているという様子から、葵とベルタ抜きでするべき話し合いがあったのだろう。恐らく、ルイの話した3つの不思議に関連した事を。
「ルイさん、どうかされましたか?」
「お2人に部屋の案内をしたいと思っているのですが、お時間よろしいですか?」
「大丈夫ですよ。むしろお願いしたいぐらいです」
「同意」
「それなら良かったです。まずは皆が寝泊まりしている部屋をご案内しないとですね」
*
最初に案内されたのは寝室の1つだが、東部屋と呼ばれているらしい。寝室として使われてる部屋は男女で分けて2つのため、男性の部屋は東部屋、女性の部屋は西部屋と呼ばれている。西部屋の方はアーリアがベルタを連れて案内をしている。
「何故方角の名前を?」
「万国共通で通じやすいじゃないですか、多数決で決まりました」
(ニントさんも命名に参加したのかな……怖いイメージがあるけど)
部屋の中は石造りの外側に反して、中は天井から床まで全てが魔石で完全に構成されていた。そこに奇妙な事に机や椅子、タンス等の家具の形状をした物が直に生えている。
寝室らしくベッドの形状をした物もその中に含まれているが、それはどうやら1台しかない様だ。ベッドの材質も床と同じなだけに、寝心地の悪さが同じという難点があるからか、ベッドには薄いものながら布が敷かれている。そのベッドは現在ニントの椅子代わりになっており、そこから葵を睨んでいる。
「ベッドの使用は分かりやすく早い者勝ちです」
「ルイさんの勝率はどうですか?」
「ふふ、あまり聞くものではありませんよ。今日はニントさんに勝ちを譲りましたが」
(これはあまり戦績は良くなさそうだ……)
「で、東部屋はこんなところですが……西部屋の方は女性の皆さんからの許可が出ない限りは男性は入らない様にしています」
「ルールがしっかりしている方がこうした場所だとむしろ安定しますからね。名案だと思います」
「そして、これは逆もまた然り。男性側の全員から許可が出ない場合は女性が入ってはいけません。互いにとってこの方が安心出来ますからね」
「特に女連れで来たガキなんざ危ねぇからな」
「ニントさん、失礼ですよ。謝りなさい!」
「ケッ」
笑顔を絶やさずにいたルイが眉を下げて葵の方に視線を戻し、部屋から出る様に促す。ここの部屋の説明も終わった様なものだから、これ以上長居した所で互いに気分が悪くなるだろうからと。
部屋を出てからルイは小さく頭を下げた。部屋を出るまではあれ以上関係がこじれない様に強く言えなかったのだろう。
「すみません。根は悪い方ではないのですが……なんて言葉は、キツく当たられてる貴方に言う事でもありませんね」
「別にルイさんが申し訳なく思う必要はありません。ニントさんも皆さんの事を考えて警戒してらっしゃるのでしょうから」
「ちゃんと考えて警戒しているのなら、無駄に悪感情を与える様な事しない方が良いはずなんですけどね」
溜め息と共に見えた表情には微かな疲れが見える、この場所では彼がこんな時に関係のバランスを保とうと必死になっているのだろうか。
葵自身もニントの言い方に当然良い気はしないが、ノアでも会って早々にチクチクと言われる経験はしているだけに、今更これを気にする事もなかった。むしろ、警戒という明確な理由がある分だけ幾分かマシに感じるほどだ。
「ニントさんについては俺自身でなんとかしますし、ならなくても俺なりに距離感を考えますから。ほら、俺もうそんな子供じゃありませんから!」
「子供ではあるでしょう」
「なので、ルイさんには案内の続きをお願いしても良いですか?西部屋はともかく、後1つの部屋がどんな場所なのか気になるので」
葵にそう言われて眉を下げたまま作ろうとした笑顔には微かな複雑な色を含んでいた。互いに気を遣わせない様にしていたつもりだったが、互いに失敗の気配を感じたのだろう。
しかし、葵の言葉にルイは乗る様に小さく頷く。彼もまたこの件1つで精神的に引きずる程に子供でもなければ、繊細すぎる事もない。年上なりに申し訳なさを覚えただけで。
ルイが目的地に足を向けてる最中、葵は軽く西部屋の方を見る。向こうも部屋の説明は終わっているのか、ベルタは西部屋の外でアーリアと日向と話をしている様だった。
彼女も彼女でコミュニケーションは問題なく取れている様子に安堵しながら、遅れてルイの後ろをついて行った。
*
「ここが3つの不思議の1つである謎の本が置いてある部屋です。触るまでは良いとしても中を読もうとしてはいけませんよ」
3つ目の部屋は、これまでの部屋と違って魔石では構成されておらず、普通の石造りの部屋だった。石造りの書見台の上に置かれた一冊の書以外は何もなかったからなのか、皆の荷物を置く場所にされている。心なしか、本の方が圧迫されて居心地悪そうにしている様にすら見える。
だが、それ故に本の異様さが緩和されるわけではなく、噂の不思議な本からは確かに妙な気配を部屋に入った時点から葵は感じていた。なにせ、その周辺だけ底冷えするのに生温い空気を放っている。
「この本、意識を失うって事が分かってるってことは、ここの誰かが読まれたのですか?」
「ミゲルさんとアーリアさんの2人ですね。最初にその2人でこの部屋に入って、2人で読んでみたらしく、ボク達が部屋に入ってきた時には2人とも倒れてるいたんです」
「それから何かお2人に様子の変化は?」
「いえ……特には。しばらく体調不良で寝込んでいたぐらいで、その後は特に何も」
「本について何か言ってたりは?」
「……えぇとですね、滝沢さん。中身に興味を持つものではありませんよ。読んだだけで理由もなく倒れて体調を崩す本なんて、普通に考えて気味が悪いでしょ?」
ルイの指摘でようやく葵も気付く。確かにこれでは好奇心だけで首を突っ込もうとしている人の様だ。葵の年齢から考えたらありえる挙動かもしれないが、不自然な挙動ではあるだろう。
葵からすれば魔導書の可能性があるという、この世界で得た前提の情報があるから自然だったわけだが、ここではそれが自然ではない。異世界の中にあってそこにはそこの法則があるという事実は、人と接する上で必ずしも言葉の上では最優先する必要はない。今の葵の最初の目的は彼等に信用してもらう事なのだから。
「そうだね、改めてそう言われると怖いかもしれない。ちょっとだけいらない興味を抱いてしまってたみたいです。ありがとうございます、ルイさん。言われてなかったらちょっとだけ手に取ってたかもしれません」
「若いですね。好奇心旺盛は結構ですが、あまり危険な事はするもんじゃありませんよ。命に変えられるものなんてこの世にはありませんからね」
葵が読もうとしなくなったと分かってはいるが、それでもここの空気が嫌なのか、ルイは葵の背を押して部屋から早々に出ようとする。当の葵も、この場でこれ以上の言及は出来ないと察して、抵抗する事もなく押されるがままに退出する事にした。
どうせなら魔導書に触れるぐらいはしたかったが、直に気配を肌で感じる事で得られたことはあった。
(邪神、何故こんな所に魔導書を──)
この世界に来てから見た夢の時と似た気配、その残滓を強く感じていた。ギュンターの生成した家から持ってきた写本とは比較にならない程の。
確かにアレは何かとても危険な物らしい。




